妙義寺の御朱印~益田氏の菩提寺~(島根県益田市七尾町)

都道府県別
所在地島根県益田市七尾町1−40
宗 派曹洞宗
札 所中国地蔵尊霊場 第20番
由 緒1264〜1275年、臨済宗のお寺として創建。その後、1394年に益田秀兼が寺領370余石を寄進し曹洞宗に改宗。そして益田家の菩提寺としたそうです。1555〜1558年、益田藤兼が長州の大寧寺14世・繁興存栄和尚を歓請開山とし、末寺22ヶ寺を加え栄えたようです。幕末の石州口の戦いでは、長州軍の本陣と野戦病院が置かれた場所としても知られています。
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山門

●山門


●山門
・建立年不明
・本瓦葺 切妻造 四脚門

益田氏の菩提寺であります妙義寺に到着。

益田市の益田氏って、文字で見ると違いがわかりますが、言葉に発するとちょっとややこしいですね(笑)

もともと益田氏は藤原姓を名乗っていましたが、益田の地に本拠を移したことにより益田氏を名乗るようになったんだって。


山門には益田氏の家紋であります上がり藤に久の字

どうやら益田氏は2つの家紋を使用しているらしく、もう1つの家紋に九枚笹の紋があるそうです。

益田市には益田氏ゆかりの寺社が点在していますが、どちらかといえば上がり藤に久の字の家紋の方がよく使用されているイメージがあります。
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本堂

●本堂

●本堂
・建立年不明
・本瓦葺 入母屋造


本堂には禅宗のマストアイテムであります開梆がありました。
開梆(魚板)は木魚の原型といわれています。

●益田氏とは?

益田氏とは平安時代後期に藤原国兼が石見国司として現・浜田市に赴任したのが始まりの武家です。

その後、4代当主・益田兼高の時に交通の要衝と港に適した益田に本拠を移し益田氏を名乗るようになりました。

益田兼高は源平合戦の際、周囲が平家を支援する中、源頼朝の命を受けて壇ノ浦の戦いで手柄をたてるなど着々と力を蓄えていきます。
鎌倉時代初期には石見の約3分の1を治めるようになります。

11代当主・益田兼見は、山口の大内氏と手を結び石見の豪族たちの指導的立場を確立しました。

大内氏の保護下にあった雪舟が益田を訪れたのも、大内氏との関係によるものでした。
ちなみに雪舟作の益田兼堯像(国重文)は厚遇してくれた兼堯に対するお礼といわれています。

大内氏の重臣・陶氏と親類関係となった益田氏は、毛利氏や吉見氏など周辺勢力と対立することとなります。
しかし、厳島合戦で陶晴賢が毛利元就に敗れると、19代当主・益田藤兼は毛利氏と和睦しました。
その後、益田氏は毛利氏に重用され、20代当主・益田元祥は元服の時に毛利元就からの一字をもらっています。

江戸時代、出雲、長門、さらには九州まで領地を広げた益田氏は、徳川家康から領地を安堵するという打診を受けていましたが、1600年の関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏に従い長門国の須佐に去っていきました。

そんなこんなで、益田氏は現在の益田市の基礎を築いたお方です。




そんなこんなで、堂内へ。

本日は法話が行われるとのことで、堂内には地元の方々がたくさん集まっていました。
法話前で忙しいのにも関わらず、私達のお相手をしてくださり、嬉しいやら申し訳ないやらですm(_ _)m
お寺の方、その節はどうもありがとうございました!

ちなみに、このお寺さんでは座禅体験ができるそうですよ。
座禅体験を希望する方は事前連絡が必要とのことです。
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仏像

●十一面観音菩薩立像

●十一面観音菩薩立像
・平安時代作
・益田市指定文化財

堂内にはベテラン感たっぷりの素敵な観音さんがおられました。


このお寺の創建は鎌倉時代といいますので、もともとこの観音さんは違う場所に安置されていたものと思われます。(勝手な推測)

欠損などはほとんどなく、ほぼ完全体で残っていました。
大胆な衣紋など、ザ・地方仏ってな感じで素敵です。


●千体地蔵尊


十一面観音さんの隣には、たくさんのお地蔵さんに囲まれた地蔵尊がおられました。

ちなみにこの妙義寺は中国地蔵尊霊場第20番札所です。


その他、観音坐像さんと地蔵坐像さんがおられました。

こちらも平安仏でしょうか?
なかなかの古仏オーラでした。
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御朱印情報

●御朱印の種類
・千体地蔵尊
(中国地蔵尊霊場 第20番札所)

●御朱印の拝受場所
・本堂内

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

(2021年1月更新)
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アクセスと駐車場

●最寄りの駅
・JR益田駅から徒歩30分
・JR益田駅から車で10分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

妙義寺の地図

 

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