所在地 | 島根県益田市久城町963 |
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祭 神 | 櫛代賀姫命・応神天皇 |
社 格 | 式内社 |
由 緒 | 733年に大浜大谷浦に創建したのがこの神社の始まりといいます。その後、806年に緒継浜に遷座。しかし、1206年に大津波で流出したため現在地の明星山へ遷座したそうです。応神天皇を合祀してからは濱八幡宮と称し、武運の神として信仰を集め、七尾城主・益田氏も手厚く保護したといいます。 |
鳥居と狛犬
●鳥居
●鳥居
・1964年建立
・明神鳥居
延喜式神名帳の櫛代賀姫命神社に比定される櫛代賀姫神社に到着。
扁額には石見式内 櫛代賀姫神社と書かれておりました。
ちなみに櫛代賀姫神社と書いてくしろかひめ神社と読みます。
●狛犬
●狛犬
・1937年奉納
・花崗岩製
・構え獅子型
台座に皇紀2597年という文字が確認できましたので、1937年生まれの狛犬ちゃんのようです。
口の中で玉が動くタイプの狛犬ちゃんでしたよ。
このタイプは、年に何回かしか出会えないレアな狛犬ちゃんです。(私の中で)
ということで、お決まりの玉ゴロン撮影。
適度に可動域があり、久々にいいゴロンができました。
ご満悦^^
●鳥居
・1964年建立
・明神鳥居
延喜式神名帳の櫛代賀姫命神社に比定される櫛代賀姫神社に到着。
扁額には石見式内 櫛代賀姫神社と書かれておりました。
ちなみに櫛代賀姫神社と書いてくしろかひめ神社と読みます。
●狛犬
●狛犬
・1937年奉納
・花崗岩製
・構え獅子型
台座に皇紀2597年という文字が確認できましたので、1937年生まれの狛犬ちゃんのようです。
口の中で玉が動くタイプの狛犬ちゃんでしたよ。
このタイプは、年に何回かしか出会えないレアな狛犬ちゃんです。(私の中で)
ということで、お決まりの玉ゴロン撮影。
適度に可動域があり、久々にいいゴロンができました。
ご満悦^^
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・石州瓦葺 入母屋造
裳階みたいな庇がある変わった造りの拝殿でした。
どうやらこの庇は、社殿正面の両サイドにある小部屋の屋根のようです。
この神社は益田氏が手厚く保護していたということで、蟇股には益田氏の家紋であります上がり藤に久の字が彫刻されていました。
●本殿
●本殿
・1765年建立
・銅板葺 三間社流造
・櫛代賀姫命・応神天皇を祀る
・式内社
・国の登録有形文化財
なんと向拝の組物などの一部は、1548年の再建時に使われた古材が残ってるんだって。
祭神の櫛代賀姫命は、この地を開拓した櫛代族の祖神といわれ、もともとは大浜大谷浦に鎮座していたそうです。
大浜大谷浦には、女島・男島・中身島という島があって、神代にこの島へ天降ったそうですよ。
そんな櫛代賀姫命には、こんな伝説が残っています。
●櫛代天ノ蘿箇彦命と櫛代賀姫命の伝説
櫛代賀姫命(クシロカヒメ)と櫛代天ノ蘿箇彦命(クシロアメノコケツヒコ)は、日頃から男島と女島で会合をしていました。
この2神は島にじっと立って、互いに合意して望んだ時には2神の間に珍しいメオジ(虹)が出現したといいます。
また、アメノコケツヒコは会合に通う時はいつも頬被りをかぶっていて、頬被りが脱げようとすると、いつも頬被りが脱げないように注意を払っていたそうです。
この頬被りを被っている間は月面は被われて暗いけど、次第に脱げかけると月の光が大きくなって輝いたそうです。
・・・
・・・・・
・・・どういう意味かな?(笑)
なんだかわかったようなわからないような話しでした・・・(笑)
でも、なんとなくロマンチックなお話ですね〜^^
私みたいな不埒な人間には、どうにもこうにもチョメチョメなエロマンチックな場面を語ってるような・・・そんな話しに思えてなりませんでした。
ちなみにお隣の浜田市にはクシロアメノコケツヒコを祀る櫛色天蘿箇彦命神社があります。
●拝殿
・建立年不明
・石州瓦葺 入母屋造
裳階みたいな庇がある変わった造りの拝殿でした。
どうやらこの庇は、社殿正面の両サイドにある小部屋の屋根のようです。
この神社は益田氏が手厚く保護していたということで、蟇股には益田氏の家紋であります上がり藤に久の字が彫刻されていました。
●本殿
●本殿
・1765年建立
・銅板葺 三間社流造
・櫛代賀姫命・応神天皇を祀る
・式内社
・国の登録有形文化財
なんと向拝の組物などの一部は、1548年の再建時に使われた古材が残ってるんだって。
祭神の櫛代賀姫命は、この地を開拓した櫛代族の祖神といわれ、もともとは大浜大谷浦に鎮座していたそうです。
大浜大谷浦には、女島・男島・中身島という島があって、神代にこの島へ天降ったそうですよ。
そんな櫛代賀姫命には、こんな伝説が残っています。
●櫛代天ノ蘿箇彦命と櫛代賀姫命の伝説
櫛代賀姫命(クシロカヒメ)と櫛代天ノ蘿箇彦命(クシロアメノコケツヒコ)は、日頃から男島と女島で会合をしていました。
この2神は島にじっと立って、互いに合意して望んだ時には2神の間に珍しいメオジ(虹)が出現したといいます。
また、アメノコケツヒコは会合に通う時はいつも頬被りをかぶっていて、頬被りが脱げようとすると、いつも頬被りが脱げないように注意を払っていたそうです。
この頬被りを被っている間は月面は被われて暗いけど、次第に脱げかけると月の光が大きくなって輝いたそうです。
・・・
・・・・・
・・・どういう意味かな?(笑)
なんだかわかったようなわからないような話しでした・・・(笑)
でも、なんとなくロマンチックなお話ですね〜^^
私みたいな不埒な人間には、どうにもこうにもチョメチョメなエロマンチックな場面を語ってるような・・・そんな話しに思えてなりませんでした。
ちなみにお隣の浜田市にはクシロアメノコケツヒコを祀る櫛色天蘿箇彦命神社があります。
大元神社
●大元神社・祖霊社
●大元神社
・建立年不明
・石州瓦葺 一間社流造
・大元神を祀る
境内には異常に長い向拝を持つ立派な境内社がありました。
どうやらこちらは大元神社のようです。
社の前にはケースに入った一対の狛犬ちゃんがおられました。
ピンポーン♪
宅配でーす。
・・・置き配かな?
ガラスの反射で良く見えませんでしたが、写真を見る限りとても古そうな狛犬ちゃんでしたよ。
●大元神社
・建立年不明
・石州瓦葺 一間社流造
・大元神を祀る
境内には異常に長い向拝を持つ立派な境内社がありました。
どうやらこちらは大元神社のようです。
社の前にはケースに入った一対の狛犬ちゃんがおられました。
ピンポーン♪
宅配でーす。
・・・置き配かな?
ガラスの反射で良く見えませんでしたが、写真を見る限りとても古そうな狛犬ちゃんでしたよ。
その他の見どころ
●櫛代賀姫神社 三大神事
~画像は境内の説明板より~
櫛代賀姫神社には角力神事・針供養神事・獅子舞神事という3つの特殊神事があるそうですよ。
●角力(すもう)神事
御祭神をこの地へ遷座する際、大浜浦と大谷浦の人々が、自分の浦へ遷座させようと争いが起こったそうです。
そんなこんなで、両浦の屈強な若者が角力(すもう)で勝負を決めることになったという。
しかし、両者の力が同じだったため勝負がつかず・・・
ということで、御神意によって現在地へ遷座したそうです。
それがこの神事の由来なんだって。
●針拾神事
遷座地決定戦の角力でしたが、あまりにも激しく戦いが続いたので、見るに見かねた老婆が仲裁に入ったそうです。
その際、老婆は大事にしていた針を失ってしまうという・・・
そして老婆は狂ったように針を探したそうです。
それがこの神事の由来なんだって。
●獅子舞神事
御祭神が大浜浦からこの地に遷座した際、雌雄2頭の獅子が先導したそうです。
それがこの神事の由来なんだって。
●展望地
境内前には益田の町を一望できる展望地がありました。
~画像は境内の説明板より~
・写真左 → 中世の益田
・写真右 → 現在の益田
中世の頃、益田平野には益田川と高津川が蛇行し、分流しながら流れ込んでいたといわれています。
そこに大規模な港町ができたんだって。
南北朝時代、益田氏がこの港町を重要視し、益田本郷に取り込んだといわれています。
そんなこんなで、益田氏はこの港を交易の拠点として、中国・朝鮮・東南アジアや全国各地から大量の土器・陶磁器などの貴重な産物を運び込んだといわれています。
この頃、益田氏は博多の一部や萩沖の見島を領しており、日本海沿岸の港を手に入れて、東は若狭(福井県)、西は対馬や松浦半島(長崎県)といった遠方まで船を派遣するなど、積極的に日本海交易に関与していたそうです。
~画像は境内の説明板より~
櫛代賀姫神社には角力神事・針供養神事・獅子舞神事という3つの特殊神事があるそうですよ。
●角力(すもう)神事
御祭神をこの地へ遷座する際、大浜浦と大谷浦の人々が、自分の浦へ遷座させようと争いが起こったそうです。
そんなこんなで、両浦の屈強な若者が角力(すもう)で勝負を決めることになったという。
しかし、両者の力が同じだったため勝負がつかず・・・
ということで、御神意によって現在地へ遷座したそうです。
それがこの神事の由来なんだって。
●針拾神事
遷座地決定戦の角力でしたが、あまりにも激しく戦いが続いたので、見るに見かねた老婆が仲裁に入ったそうです。
その際、老婆は大事にしていた針を失ってしまうという・・・
そして老婆は狂ったように針を探したそうです。
それがこの神事の由来なんだって。
●獅子舞神事
御祭神が大浜浦からこの地に遷座した際、雌雄2頭の獅子が先導したそうです。
それがこの神事の由来なんだって。
●展望地
境内前には益田の町を一望できる展望地がありました。
~画像は境内の説明板より~
・写真左 → 中世の益田
・写真右 → 現在の益田
中世の頃、益田平野には益田川と高津川が蛇行し、分流しながら流れ込んでいたといわれています。
そこに大規模な港町ができたんだって。
南北朝時代、益田氏がこの港町を重要視し、益田本郷に取り込んだといわれています。
そんなこんなで、益田氏はこの港を交易の拠点として、中国・朝鮮・東南アジアや全国各地から大量の土器・陶磁器などの貴重な産物を運び込んだといわれています。
この頃、益田氏は博多の一部や萩沖の見島を領しており、日本海沿岸の港を手に入れて、東は若狭(福井県)、西は対馬や松浦半島(長崎県)といった遠方まで船を派遣するなど、積極的に日本海交易に関与していたそうです。
御朱印情報
●御朱印の種類
・櫛代賀姫神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
●御朱印の受付時間
・不明
(不在の時あり)
●御朱印の初穂料(料金)
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
(2021年1月 更新)
・櫛代賀姫神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
●御朱印の受付時間
・不明
(不在の時あり)
●御朱印の初穂料(料金)
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
(2021年1月 更新)
アクセスと駐車場
●最寄りの駅
・JR益田駅から徒歩45分
・JR益田駅から車で12分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・JR益田駅から徒歩45分
・JR益田駅から車で12分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり