宇佐神宮の御朱印~八幡神社の総本宮~(大分県宇佐市)

所在地大分県宇佐市南宇佐2859
祭 神八幡大神・比売大神・神功皇后
社 格豊前国一宮・式内社・勅祭社・別表神社
由 緒725年、聖武天皇の勅願により現在地に社殿を建立し、八幡神を祀ったのが宇佐神宮の始まりという。宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、比売大神が宇佐嶋に降臨したと日本書紀に記されいるそうです。比売大神は八幡神が現われる以前の古い神で、地主神として祀られ崇敬されていたといいます。そんなこんなで、八幡神が祀られた6年後の731年、神託により二之御殿を建立し比売大神を祀ったといいます。続いて823年、神託により応神天皇の母・神功皇后を祀る三之御殿を建立。伊勢神宮につぐ第二の皇室の宗廟として崇拝の対象となり、勅祭社16社に列しています。全国に約44000社ある八幡神社の総本宮です。
HP八幡総本宮 宇佐神宮
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宇佐神宮とは?

●宇佐神宮とは?

全国に約44000社ある八幡神社の総本宮であります宇佐神宮に到着。

大小合わせて全国に約10万社ある神社のうち、約44000社が八幡神社といわれています。
ということで、全国の神社の中で1番多いのが八幡系の神社。
その総本宮がこの宇佐神宮です。

そんなこんなで宇佐神宮は、石清水八幡宮と筥崎宮(鶴岡八幡宮の場合も)とともに日本三大八幡宮の1つに数えられています。


●もともとはマイナーな神社だった

宇佐神宮は、奈良・平安時代に天皇家をはじめ、貴族・武家などから篤い崇敬を受け、石清水八幡宮(京都)、鶴岡八幡宮(鎌倉)など、全国各地に八幡神が勧請され、庶民に八幡信仰が浸透していきました。

しかし、これほどにまで有名な神社にも関わらず、古事記・日本書紀に一切登場しないという謎の神社なんです。

文献による八幡神の初見は、737年の続日本紀の天平9年4月1日条。

それ以前までは、九州を中心に浸透するマイナーな神社だったのです。

そんなこんなで、宇佐神宮の名が世に知れ渡ったのは東大寺の大仏造立から。

聖武天皇が発願した大仏造立は予想以上に難航したといいます。
そんな時、八幡神が大仏造立に協力することを誓う託宣を発したといわれています。

749年、大仏の鋳造が終了した際、託宣にしたがって宇佐神宮の巫女が訪れて礼拝したといいます。
そして平城京に、大仏の守護神として宇佐の八幡神が勧請されました。
それが現在の手向山八幡宮です。

これを機に八幡神は朝廷から厚く崇敬されるようになり、また仏教とも習合して八幡大菩薩と呼ばれるようになりました。

ということで、宇佐の八幡信仰が朝廷を中心に広く進出したのは、東大寺の大仏造立からとなります。


●皇室の第二の宗廟

宇佐神宮は伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟として皇室から崇敬され、勅祭社16社に列されています。

ちなみに九州の勅祭社は宇佐神宮と香椎宮(福岡)のみです。


●八幡とは?

八幡とは、神功皇后の三韓征伐で対馬に立ち寄った際、祭壇に8つの旗を祀ったことが起源といわれています。

一説によると、八幡の8とは8つという意味ではなく、多くのという意味を表すそうです。

八百万の神の8と同じ使い方ですね。


●神域

宇佐神宮の神域は上宮下宮から成ります。

上宮の本殿は小高い小椋山(亀山)の山頂に鎮座。
下宮は小椋山(亀山)の山麓に鎮座しています。

どちらも同じ祭神が祀られていて、上宮は国家の神
下宮は民衆の神として崇敬されています。

境内の広さは、なんと約500000平方キロメートル!

めちゃくちゃ広いです。

そんなこんなで、参拝開始。
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宇佐鳥居と西大門

●宇佐鳥居

●宇佐鳥居
・大分県指定有形文化財

境内すべての鳥居は、宇佐古来の形式をもつ宇佐鳥居になっていました。

●宇佐鳥居の特徴
①異常に反り上がった笠木
②額束がない
③黒い台輪が付いている


●西大門


●西大門
・1592年頃改築
・檜皮葺 唐門
・大分県指定有形文化財

宇佐鳥居をくぐると極彩色が美しい西大門が登場。

普段は真ん中の扉が閉まってますが、お正月の期間は開いてるそうですよ。
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南中楼門(勅使門)

●南中楼門(勅使門)

そんなこんなで
はいドーーーン!

宇佐神宮のシンボル的な建物であります南中楼門に到着。


●南中楼門(勅使門)
・1742年再建
・檜皮葺 入母屋造 楼門
・高さ 10.6m
・正面 5.34m
・側面 3.17m


南中楼門には、高良大明神阿蘇大明神が祀られていました。

あたしゃてっきり随身像かと思ってましたよ!


三手先の組物と禅宗様の木鼻。
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本殿と宇佐神宮の謎

●本殿

~画像は大分県立歴史博物館の模型より~

●本殿
・1859~1861年再建
・檜皮葺 八幡造
・国宝

本殿は日本に3つしかないといわれる八幡造!
石清水八幡宮(京都)と伊佐爾波神社(愛媛)とともに日本三大八幡造の1つです。


●八幡造とは?
八幡造とは、2棟の建物を前後に連結させて1つの社殿にしたものです。
横から見ると屋根が2つ並んでM字型になっているのが特徴です。

・前殿 → 外院
・奥殿 → 内院

八幡造では、昼は外院に神様がいて、夜は内院に移動するとされています。

ということで、昼は職場(外院)に出勤。
夜は寝室(内院)で就寝・・・みたいな感じかな???


●祭神の謎

●祭神
・一之御殿 → 八幡大神(応神天皇)
・二之御殿 → 比売大神(宗像三女神)
・三之御殿 → 神功皇后

現在は

八幡大神 = 応神天皇
比売大神 = 宗像三女神

として祀られていますが、八幡大神は古事記・日本書紀に登場しない神様で、実は八幡大神が何者なのかはいまだに判明されてないのです。

後に応神天皇を神格化して、現在にみる八幡大神 = 応神天皇となったそうですよ。

応神天皇以前の八幡大神は一体何者だったのか・・・謎すぎます。

さらに!
比売大神 = 宗像三女神も後付けのパターンだという説があったりします。

そもそも比売大神とは神様の名前ではなく、祭神と関係のある女神を意味する言葉です。

つまり、各神社の主祭神によって比売大神が誰なのかは変わってくるということです。

宇佐神宮の場合、八幡大神の比売大神は、神功皇后(応神天皇の母)、與杼比売命(応神天皇の妹)、弟日売(応神天皇の妃)、仲姫命(応神天皇の皇后)となるのが一種のパターンになりますが、なぜか宗像三女神が比売大神として祀られているという・・・謎です。

そもそも八幡大神の正体が謎のため、比売大神も謎なんですが・・・。


ここで注目して頂きたいのが、この祭神の並び!

左から
・一之御殿 → 八幡大神(応神天皇)
・二之御殿 → 比売大神(宗像三女神)
・三之御殿 → 神功皇后

・・・なんかおかしくないないですか!?

ここは八幡神社の総本宮・宇佐神宮ですよ!
ということで、八幡大神がメインの神社なんです!

ということで、本来なら1番格の八幡大神が中央に祀られるはず・・・

なのに中央に祀られているのは比売大神だという!

ニオイますねぇ・・・
なにかニオイますねぇ・・・

どう考えてもただのミスじゃ済まされない、意図的な何かを感じますねぇ。

そこで気になったのが、
宇佐神宮が、伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟として皇室からも崇敬されていること!

ご存知、天皇はアマテラスさんの子孫。
アマテラスさんを祀る伊勢神宮が崇敬されるのはわかる・・・でも宇佐神宮は???なのです。

八幡大神 = 応神天皇なら、なおさら???なのです。

そもそも、古事記・日本書紀に登場しない八幡大神が第二の宗廟として皇室から崇敬されるのが不思議すぎます。

ということで・・・
もしかしたら宇佐神宮の比売大神は・・・
実はアマテラスさんなのでは???

という説があったりします。

これは面白いですねぇ~。

あっ!


西大門にあった太陽の蟇股って・・・もしかしてアマテラスさんを示す隠しメッセージなのでは!

信じるか信じないかはアナタ次第・・・(笑)

・・・で、もともとの八幡大神は誰???

一説によると新羅の国の神だとか・・・

ちなみに比売大神 = 卑弥呼という説もあったりします。
これはこれでめちゃくちゃ浪漫あふれますね!
この説も好き!


ちなみに宇佐神宮の参拝法は通常の2礼2拍手1礼ではなく、2礼4拍手1礼でした。

2礼4拍手1礼は、全国で出雲大社(島根)と弥彦神社(新潟)だけといわれています。

なぜ4拍手なのか・・・これも宇佐神宮の謎の1つとされています。
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下宮

●下宮

宇佐地方では、下宮参らにゃ片参りといわれてるそうですよ。

ということで、下宮を参拝。

古くから下宮は御炊殿といわれ、かつては神前にお供えをするための炊事場だったんだって。


●祭神
・八幡大神(応神天皇)
・比売大神(宗像三女神)
・神功皇后

上宮と同じ祭神が祀られています。

上宮は国家の神。
下宮は民衆の神として崇敬され、農業や一般産業の発展・充実をお守りしてくれるそうですよ。

境内社

●春宮神社

●春宮神社
・建立年不明
・檜皮葺 流造
・菟道稚郎子命を祀る

ザックリと簡単に、菟道稚郎子とは応神天皇の息子です。
そして仁徳天皇の異母弟になります。

菟道稚郎子と書いてウジノワキイラツコと読みます。

菟道稚郎子は、応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられますが、異母兄の大鷦鷯尊(仁徳天皇)に皇位を譲るために自殺したといわれています・・・(ノД`;)


●若宮神社

●若宮神社
・1861年建立
・檜皮葺 入母屋造
・国指定重要文化財

●祭神
・大鷦鷯命(仁徳天皇)
・大葉枝皇子
・小葉枝皇子
・隼別皇子
・雌姫皇女

祭神は全て応神天皇の息子と娘です。

ということで、ここは応神一家の子供部屋?


●八子神社

なんと八子神社には社殿はなく、この楠に八幡大神の八王神が鎮まっているという!

ちょっと珍しいですね!


●奥宮・大元神社遥拝所

境内からは、宇佐神宮の奥宮・大元神社が鎮座する御許山(宇佐嶋)を拝むことができました。

ちなみに宇佐嶋は日本書紀に登場する山で、宗像三女神が降臨した地といわれています。

宇佐神宮から4.5km。
標高647m・・・どうやら気軽に行けるような場所ではなさそうです。

その他、境内には八坂神社・亀山神社・水分神社・護皇神社・大尾神社・木匠祖神社などがありました。

その他の見どころ

●呉橋

●呉橋
・1622年修築
・1876年大改修
・1951年大改修
・檜皮葺 屋根付き木造橋
・全長 約25m
・幅 約3m
・大分県指定有形文化財

境内を流れる寄藻川には、木造の屋根付き橋がありました。

呉(中国)の人が架けた橋ということで呉橋と呼ばれています。

普段は渡ることができませんが、10年に1度の勅祭のときだけ扉が開かれるそうですよ。
その時に、一般の参拝者も渡ることができるんだって!

次に開くのは2025年。
令和初の勅祭です。
渡ってみたいなぁ〜!

ちなみに宇佐神宮の祖宮(元宮)といわれる薦神社にも呉橋がありました。
薦神社(大貞八幡宮)の御朱印~宇佐神宮の祖宮(元宮)~(大分県中津市)
所在地大分県中津市大貞209祭 神応神天皇・比売大神(宗像三女神)・神功皇后由 緒834~848年に創建。その後、1109年に神宮寺の七堂伽藍が建立されますが、源平の争乱時の1184年に緒方惟栄が破壊した...


●祓所

参道の途中には神々しい祓所がありました。


●夫婦石

石畳の参道には夫婦石と呼ばれる三角の石がありました。

夫婦やカップルの方は、左右の石を一緒に踏むと幸せになるんだって。

独身の方は両足で2つの石を踏むと良縁が舞い込むそうですよ。

そんなこんなで、ハッピーなパワーストーンです。


●手水鉢

手水舎にある水盤は、山口県徳山市の御影石で作られたもののようです。

なんと、国産の御影石では日本一の大きさだという!

重さは24トン!


●御神木・大楠

●御神木・大楠
・樹種 クスノキ
・樹齢 約800年
・樹高 約30m
・幹周 約5m

南中楼門の三之御殿前には大きなクスノキがそびえ立っていました。

御神木の周りを1周してから、この木に触ってお願いをすると御利益があるんだそうな(何の?)


●オリジナル郵便ポスト

呉橋を乗せたオリジナルの郵便ポストまでありました。


●願掛けひょうたん絵馬

ひょうたんは、古くより災難を祓い、あらゆる願いを叶えて幸福をもたらすといわれています。

神功皇后は、自身の母乳をひょうたんに入れて応神天皇に与えていたんだって。

宇佐八幡宮神託事件

●宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)とは?

●主な登場人物
・道鏡・・・僧侶
・孝謙上皇(称徳天皇)・・・女帝
・和気清麻呂・・・貴族

※ちなみに孝謙上皇(称徳天皇)と道鏡は恋仲。 道鏡のナニはとても立派だったようで、孝謙上皇はだいぶメロメロだったようです。 下半身で成り上がろうとした道鏡・・・男の中の男である。


道鏡は、孝謙上皇(女帝)の病を治したことから信頼を得て出世しました。

孝謙上皇と対立した最高実力者・藤原仲麻呂。
藤原仲麻呂は反乱を起こしましたが、孝謙上皇と道鏡の策によって殺されてしまいます。
孝謙上皇は、仲麻呂の推挙で天皇に立てられた淳仁天皇から皇位を剥奪。
淳仁天皇は淡路国に島流しにされました。そして孝謙上皇は称徳天皇になりました。

道鏡は称徳天皇の片腕となり、僧侶なのに太政大臣となります。
そして翌年には、なんと法王になります。

こうして、称徳天皇の寵愛を一身に受けた道鏡は、政治にしばしば介入しました。
朝廷の官僚たちは、仲麻呂を政界から排除するために称徳天皇に協力しただけで、孝謙上皇が天皇になることや道鏡が政治に介入することに賛同したわけではありませんでした。

そんな中、道鏡の弟が『道鏡を天皇にしたら天下は泰平である』という内容の宇佐八幡宮の神託を読み上げました。道鏡はこの神託にノリノリとなり天皇になることを望みました。

称徳天皇には子供がいなかったため、次は誰が天皇になるのか?という関心を集めていました。道鏡を次の天皇にしたかった称徳天皇は、改めて宇佐八幡宮に使者を送って、その神託が本当かどうか確かめさせることにしました。

その使者となったのは和気清麻呂

道鏡は清麻呂に『あの神託が本物だといえば、出世させてあげるよ』的なことをそそのかせます。



そんなこんなで、清麻呂は天皇の勅使として宇佐八幡宮に派遣されました。
そして神託を持ち帰ります。

神託の内容は『この世ができて以来、我が国は臣下が君主になったことはありません。だから必ず皇族を天皇に即位させよ。これに背くものは排除せよ』でした。

愛する道鏡を次の天皇にしたかった称徳天皇は大激怒
清麻呂は左遷されてしまいました。
さらに別部穢麻呂というわけのわからない名前に改名させられて大隅国へ島流しにされました。

その後、称徳天皇は崩御。道鏡は唯一にして最大の後ろ盾を失ってしまいました。

政界での力を失った道鏡は下野の薬師寺へ左遷。その後どうなったかはわかりません・・・。

そんなこんなで、宇佐八幡宮神託事件はザックリとこんな感じです。(ザックリのわりに長い)

御朱印情報

●御朱印の種類
・宇佐神宮の御朱印

●御朱印の受付場所
・上宮の授与所
・御朱印所

●御朱印の受付時間
・9:00~16:00

●御朱印の初穂料(料金)
・300円

●期間限定・特別御朱印
・六郷満山 第一番(終了)


●オリジナル御朱印帳

●オリジナル御朱印帳
・サイズ
 18cm × 12cm

・色
 紺・橙

・初穂料(料金)
 1500円
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参拝情報とアクセス

●上宮 開門時間
・4月~9月
 5:30~21:00
・10月~3月
 6:00~21:00(正月期間除く)

●拝観料
・無料

●宝物館
・300円

●最寄りの駅
・JR宇佐駅から車で10分
・JR宇佐駅から徒歩50分

●バス
・JR宇佐駅から
 大分交通バス・中津行きに乗車
 宇佐八幡で下車 徒歩すぐ

●九州自動車道
・宇佐ICから車で15分

●駐車場
・有料の専用駐車場あり(約500台)

宇佐神宮の地図

 

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