所在地 | 福岡県北九州市小倉北区城内2−2 |
---|---|
祭 神 | ●北殿 ・櫛名田比売命・須佐能袁命・天之菩卑命 ・天之忍穂耳命・天津日子根命・活津日子根命 ・熊野久須比命・宗像三女神 ●南殿 ・大名牟遅命・少比古那命 ・須佐之男命・櫛名田比売命 |
由 緒 | 1617年、小倉藩の総鎮守として鋳物師町に創建したのが始まり。1618年、小倉藩初代藩主・細川忠興が、京都の祇園祭を模して小倉祇園が始まったといいます。1868年、神仏分離令により祇園社から八坂神社に改称。1934年、小倉城内の現在地に遷座し現在に至ります。 |
HP | 小倉祇園 八坂神社 |
鳥居と神門
●境内入口
小倉市のシンボル・小倉城内に鎮座しています八坂神社に到着。
JR西小倉駅から徒歩5分のところにある駅近神社です。
この八坂神社は通称・小倉祇園と呼ばれ、地元では小倉の祇園さんとして親しまれているそうですよ。
●鳥居①
祇園とか八坂神社とかいわれると、やはり京都の八坂神社を思い浮かべてしまいます。
どうやらこの八坂神社は、1617年に小倉藩初代藩主・細川忠興さんが小倉藩の総鎮守として鋳物師町に祇園社を創建したのが始まりといいます。
そして忠興さんは、京都の祇園祭を模して小倉祇園を始めたという。
細川忠興さんは京都出身。
もしかしたら華やかな京の町を小倉に再現したかったのかも知れませんね(推測)
そんなことより、この八坂神社の創建にはちょっと面白いエピソードがあります。
関ヶ原の合戦で徳川家康に従い、136もの首級を挙げて大活躍した細川忠興さん。
1601年、関ヶ原の戦いの功労により豊前一国と豊後二郡の計39万9000石の大大名として小倉に入国しました。
1616年、小倉城の西方にある愛宕山で鷹狩をしていた際、山頂に苔むした石祠があることに気付きました。
そんなこんなで忠興さんは、御神体を見ようとして祠の扉を杖でこじ開けました。
すると中から1羽の鷹が飛び出し、忠興さんの目を蹴って逃げていったという!
そして忠興さんは失明同然になったという!
その後、忠興さんは家臣に命じて祠の由緒を調べさせることに。
すると祠には、生まれ故郷の京都にある祇園社(八坂神社)と同じ祭神・スサノオが祀られていることがわかりました。
そんなこんなで、忠興さんはこの件は神様に対して非礼を働いた神罰だと深く反省し、城下の鋳物師町に荘厳な社殿を建立することにしました。
南殿には鷹に襲われた愛宕山の石祠(祇園社)を遷座。
北殿には三本松に鎮座していた祇園社を遷座。
荘厳な社殿を建立した後、忠興さんの目は無事回復したといいます。
めでたしめでたし。
ちなみに本殿内には、この時に忠興さんが奉納した眼病平癒の燈籠があるそうですよ。
その燈籠は福岡県の有形文化財に指定されてるんだって。
是非とも燈籠を拝見してみたいと思うも、本殿内にあるため拝見することはできませんでした。
●大石にらみ・出世石
そんなこんなで参拝開始。
鳥居①をくぐると参道脇に壁のような巨石が登場しました。
この巨石は大石にらみまたは出世石と呼ばれるもので、この巨石を睨みつけながら歩くと出世するといわれてるんだって!
ということで睨みつける・・・側から見たらヤバいヤツ!
●鳥居②
鳥居②は木製の明神鳥居でした。
ついでに鳥居も睨んでやる(意味不明)
●神門(随身門)
●神門(随身門)
・1934年建立(?)
・銅板葺 入母屋造 八脚門
続いて神門が登場。
この神社はもともと小倉城の城下町(鋳物師町)に鎮座し祇園社と呼ばれていたそうですが、1868年の神仏分離令により、八坂神社に改称したそうです。
その後、1934年に小倉城内に遷座したんだって。
もしかしたら、この神門はその時に建立もしくは移築したものかも知れません(推測)
神門から小倉城を望む。
境内入口から神門まで、ずーと小倉城・天守が視界に入ってくるので、気になって仕方ないです(笑)
●手水舎
そんなこんなで、神門をくぐり手水舎へ。
なんと手水舎には木彫りのフクロウがいるという。
初めて参拝した時は、恥ずかしながらこのフクロウが本物に見えてウォッと大声を出してしまった者です。
・・・なにぶん目が悪いもんで(言い訳)
当時はただのディスプレイだと思っていましたが、再訪時にこのフクロウの意味を知ることとなる。
神社の方のお話しによると、このフクロウはハト除けだという!
フクロウを設置する前はハトの溜まり場になっていたらしく、ハト糞に悩まされてたんだって。
小倉市のシンボル・小倉城内に鎮座しています八坂神社に到着。
JR西小倉駅から徒歩5分のところにある駅近神社です。
この八坂神社は通称・小倉祇園と呼ばれ、地元では小倉の祇園さんとして親しまれているそうですよ。
●鳥居①
祇園とか八坂神社とかいわれると、やはり京都の八坂神社を思い浮かべてしまいます。
どうやらこの八坂神社は、1617年に小倉藩初代藩主・細川忠興さんが小倉藩の総鎮守として鋳物師町に祇園社を創建したのが始まりといいます。
そして忠興さんは、京都の祇園祭を模して小倉祇園を始めたという。
細川忠興さんは京都出身。
もしかしたら華やかな京の町を小倉に再現したかったのかも知れませんね(推測)
そんなことより、この八坂神社の創建にはちょっと面白いエピソードがあります。
関ヶ原の合戦で徳川家康に従い、136もの首級を挙げて大活躍した細川忠興さん。
1601年、関ヶ原の戦いの功労により豊前一国と豊後二郡の計39万9000石の大大名として小倉に入国しました。
1616年、小倉城の西方にある愛宕山で鷹狩をしていた際、山頂に苔むした石祠があることに気付きました。
そんなこんなで忠興さんは、御神体を見ようとして祠の扉を杖でこじ開けました。
すると中から1羽の鷹が飛び出し、忠興さんの目を蹴って逃げていったという!
そして忠興さんは失明同然になったという!
その後、忠興さんは家臣に命じて祠の由緒を調べさせることに。
すると祠には、生まれ故郷の京都にある祇園社(八坂神社)と同じ祭神・スサノオが祀られていることがわかりました。
そんなこんなで、忠興さんはこの件は神様に対して非礼を働いた神罰だと深く反省し、城下の鋳物師町に荘厳な社殿を建立することにしました。
南殿には鷹に襲われた愛宕山の石祠(祇園社)を遷座。
北殿には三本松に鎮座していた祇園社を遷座。
荘厳な社殿を建立した後、忠興さんの目は無事回復したといいます。
めでたしめでたし。
ちなみに本殿内には、この時に忠興さんが奉納した眼病平癒の燈籠があるそうですよ。
その燈籠は福岡県の有形文化財に指定されてるんだって。
是非とも燈籠を拝見してみたいと思うも、本殿内にあるため拝見することはできませんでした。
●大石にらみ・出世石
そんなこんなで参拝開始。
鳥居①をくぐると参道脇に壁のような巨石が登場しました。
この巨石は大石にらみまたは出世石と呼ばれるもので、この巨石を睨みつけながら歩くと出世するといわれてるんだって!
ということで睨みつける・・・側から見たらヤバいヤツ!
●鳥居②
鳥居②は木製の明神鳥居でした。
ついでに鳥居も睨んでやる(意味不明)
●神門(随身門)
●神門(随身門)
・1934年建立(?)
・銅板葺 入母屋造 八脚門
続いて神門が登場。
この神社はもともと小倉城の城下町(鋳物師町)に鎮座し祇園社と呼ばれていたそうですが、1868年の神仏分離令により、八坂神社に改称したそうです。
その後、1934年に小倉城内に遷座したんだって。
もしかしたら、この神門はその時に建立もしくは移築したものかも知れません(推測)
神門から小倉城を望む。
境内入口から神門まで、ずーと小倉城・天守が視界に入ってくるので、気になって仕方ないです(笑)
●手水舎
そんなこんなで、神門をくぐり手水舎へ。
なんと手水舎には木彫りのフクロウがいるという。
初めて参拝した時は、恥ずかしながらこのフクロウが本物に見えてウォッと大声を出してしまった者です。
・・・なにぶん目が悪いもんで(言い訳)
当時はただのディスプレイだと思っていましたが、再訪時にこのフクロウの意味を知ることとなる。
神社の方のお話しによると、このフクロウはハト除けだという!
フクロウを設置する前はハトの溜まり場になっていたらしく、ハト糞に悩まされてたんだって。
拝殿と東楼門
●拝殿
●拝殿
・1934年建立(?)
・銅板葺 入母屋造 八脚門
・千鳥破風・唐破風向拝
神門同様、社殿も1934年の遷座の際に建立したものかも知れません。
なにか建立年がわかる手掛かりがないかなぁ・・・と探していたら、いい物を見つけました!
八坂神社・拝殿の古写真です。
写真を見る限り現在の社殿と同じ建物のようです。
写真の右下に昭和九年七月一日という文字が確認できたので、1934年建立説に近づいてきました。
いや、もう面倒くさいので1934年建立ということに決定します(私の中で)
そんなことより、本殿には2つの祇園様が祀られているという!
本殿の北殿には三本松に鎮座していた祇園社を遷座。
●北殿の祭神
・櫛名田比売命・須佐能袁命・天之菩卑命
・天之忍穂耳命・天津日子根命・活津日子根命
・熊野久須比命・宗像三女神
本殿の南殿には愛宕山の石祠(祇園社)を遷座。
●南殿の祭神
・大名牟遅命・少比古那命
・須佐之男命・櫛名田比売命
1つの本殿に2つの祇園様を一緒に祀っている神社は、全国的にとっても珍しいことなんだって。
●東楼門
●東楼門
・1934年建立(?)
・銅板葺 入母屋造
・三間三戸 楼門
境内には脚の長~い楼門がありました。
楼門の向こう側に見える派手な建物は巨大複合商業施設のリバーウォーク北九州です。
大胆に景観無視です。
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために社務所へ。
すると社務所内で15人ほどの神社職員の方々が朝礼を行なっておりました。
朝礼中に『御朱印お願いしま~す』などと場違いなことは言えない。
そんなこんなで、朝礼の一部始終を興味深く拝見させていただきました。
どの世界も同じような朝礼をするんだなぁ。
神社も会社も同じ社会なんだなぁと思いながら拝見していたら、朝礼の最後に職員全員で2礼2拍手1礼をして朝礼が終了!
これはもしや、神社版ラジオ体操みたいなものなのでしょうか?
朝から貴重な場面が見れたのでご満悦です。
●拝殿
・1934年建立(?)
・銅板葺 入母屋造 八脚門
・千鳥破風・唐破風向拝
神門同様、社殿も1934年の遷座の際に建立したものかも知れません。
なにか建立年がわかる手掛かりがないかなぁ・・・と探していたら、いい物を見つけました!
八坂神社・拝殿の古写真です。
写真を見る限り現在の社殿と同じ建物のようです。
写真の右下に昭和九年七月一日という文字が確認できたので、1934年建立説に近づいてきました。
いや、もう面倒くさいので1934年建立ということに決定します(私の中で)
そんなことより、本殿には2つの祇園様が祀られているという!
本殿の北殿には三本松に鎮座していた祇園社を遷座。
●北殿の祭神
・櫛名田比売命・須佐能袁命・天之菩卑命
・天之忍穂耳命・天津日子根命・活津日子根命
・熊野久須比命・宗像三女神
本殿の南殿には愛宕山の石祠(祇園社)を遷座。
●南殿の祭神
・大名牟遅命・少比古那命
・須佐之男命・櫛名田比売命
1つの本殿に2つの祇園様を一緒に祀っている神社は、全国的にとっても珍しいことなんだって。
●東楼門
●東楼門
・1934年建立(?)
・銅板葺 入母屋造
・三間三戸 楼門
境内には脚の長~い楼門がありました。
楼門の向こう側に見える派手な建物は巨大複合商業施設のリバーウォーク北九州です。
大胆に景観無視です。
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために社務所へ。
すると社務所内で15人ほどの神社職員の方々が朝礼を行なっておりました。
朝礼中に『御朱印お願いしま~す』などと場違いなことは言えない。
そんなこんなで、朝礼の一部始終を興味深く拝見させていただきました。
どの世界も同じような朝礼をするんだなぁ。
神社も会社も同じ社会なんだなぁと思いながら拝見していたら、朝礼の最後に職員全員で2礼2拍手1礼をして朝礼が終了!
これはもしや、神社版ラジオ体操みたいなものなのでしょうか?
朝から貴重な場面が見れたのでご満悦です。
小倉祇園太鼓
●小倉祇園太鼓
小倉の八坂神社といえば毎年7月に開催される祇園祭・小倉祇園太鼓。
小倉祇園太鼓は約400年の歴史を持つ古い祭りで、京都の祇園祭・博多の博多祇園山笠とともに全国三大祇園の1つに数えられています。
また福岡県内では、博多祇園山笠・戸畑祇園大山笠とともに福岡県の三大祇園祭と呼ばれてるんだって。
ちなみに小倉祇園太鼓は国の重要無形民俗文化財に指定されています。
●小倉祇園太鼓とは?
1617年、小倉藩初代藩主・細川忠興が無病息災と城下町の繁栄を祈って京都の祇園祭を模して始めたのが小倉祇園太鼓の始まりといわれています。
当初は京都の祇園祭と同じように飾り付けをした山車が町を練り歩いていましたが、明治時代以降は山車に付けた太鼓を叩きながら町を練り歩く祭りへと変化したそうですよ。
小倉の八坂神社といえば毎年7月に開催される祇園祭・小倉祇園太鼓。
小倉祇園太鼓は約400年の歴史を持つ古い祭りで、京都の祇園祭・博多の博多祇園山笠とともに全国三大祇園の1つに数えられています。
また福岡県内では、博多祇園山笠・戸畑祇園大山笠とともに福岡県の三大祇園祭と呼ばれてるんだって。
ちなみに小倉祇園太鼓は国の重要無形民俗文化財に指定されています。
●小倉祇園太鼓とは?
1617年、小倉藩初代藩主・細川忠興が無病息災と城下町の繁栄を祈って京都の祇園祭を模して始めたのが小倉祇園太鼓の始まりといわれています。
当初は京都の祇園祭と同じように飾り付けをした山車が町を練り歩いていましたが、明治時代以降は山車に付けた太鼓を叩きながら町を練り歩く祭りへと変化したそうですよ。
小倉城
●小倉城
ついでに小倉城をお散歩してきました。
関ヶ原の戦いの功労により39万9000石の大大名として入国した小倉藩初代藩主・細川忠興さんが、1602年から約7年かけて完成させたお城です。
しかし1837年に城内から発生した火災で全焼。。
1866年には第二次長州征討の基地となり、戦線後退の際に小倉藩が自ら火を放って焼失。。
そんなこんなで現在の小倉城は、1959年に復元された模擬天守です。
小倉城・天守の最大の特徴は唐造(南蛮造)と呼ばれる建築様式らしいです。
4階と5階の間に屋根がなく、5階が4階よりも大きく膨らんでいるのが唐造(南蛮造)と呼ばれる建築様式なんだって。
めちゃくちゃたくさんのお城を見てきたわけではないので偉そうなことは言えませんが、このような構造の天守は全国的にも珍しいのではないでしょうか?
石垣は野面積み。
この石は北九州の足立山から運び出した自然石らしいですよ。
実は小倉は宮本武蔵ゆかりの地だったりします。
宮本武蔵の養子・伊織が小笠原藩の家老だったこともあり、武蔵は7年間も小倉で過ごしたといわれています。
ついでに小倉城をお散歩してきました。
関ヶ原の戦いの功労により39万9000石の大大名として入国した小倉藩初代藩主・細川忠興さんが、1602年から約7年かけて完成させたお城です。
しかし1837年に城内から発生した火災で全焼。。
1866年には第二次長州征討の基地となり、戦線後退の際に小倉藩が自ら火を放って焼失。。
そんなこんなで現在の小倉城は、1959年に復元された模擬天守です。
小倉城・天守の最大の特徴は唐造(南蛮造)と呼ばれる建築様式らしいです。
4階と5階の間に屋根がなく、5階が4階よりも大きく膨らんでいるのが唐造(南蛮造)と呼ばれる建築様式なんだって。
めちゃくちゃたくさんのお城を見てきたわけではないので偉そうなことは言えませんが、このような構造の天守は全国的にも珍しいのではないでしょうか?
石垣は野面積み。
この石は北九州の足立山から運び出した自然石らしいですよ。
実は小倉は宮本武蔵ゆかりの地だったりします。
宮本武蔵の養子・伊織が小笠原藩の家老だったこともあり、武蔵は7年間も小倉で過ごしたといわれています。
御朱印情報
●御朱印の種類
・八坂神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・授与所
●御朱印の受付時間
・8:30~17:00
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・慶賀即位礼の御朱印
・慶賀大嘗祭の御朱印
●オリジナル御朱印帳
●小倉祇園太鼓
・サイズ 16cm × 11cm
・初穂料 1500円
●拝殿と小倉城
・サイズ 18cm × 12cm
・初穂料 1800円
●巫女と小倉祇園太鼓
・サイズ 16cm × 11cm
・初穂料 1500円
八坂神社の授与品(郵送可能) ・2021年3月 更新
・八坂神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・授与所
●御朱印の受付時間
・8:30~17:00
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・慶賀即位礼の御朱印
・慶賀大嘗祭の御朱印
●オリジナル御朱印帳
●小倉祇園太鼓
・サイズ 16cm × 11cm
・初穂料 1500円
●拝殿と小倉城
・サイズ 18cm × 12cm
・初穂料 1800円
●巫女と小倉祇園太鼓
・サイズ 16cm × 11cm
・初穂料 1500円
八坂神社の授与品(郵送可能) ・2021年3月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・6:00~17:30
●拝観料
・無料
●定休日
・無休
●最寄りの駅
・JR西小倉駅から徒歩5分
・JR小倉駅から徒歩15分
●最寄りのバス停
・八坂神社前から徒歩5分
・室町・リバーウォークから徒歩3分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(30台)
・6:00~17:30
●拝観料
・無料
●定休日
・無休
●最寄りの駅
・JR西小倉駅から徒歩5分
・JR小倉駅から徒歩15分
●最寄りのバス停
・八坂神社前から徒歩5分
・室町・リバーウォークから徒歩3分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(30台)