所在地 | 山口県長門市油谷向津具下3539 |
---|---|
宗 派 | 真言宗御室派 |
由 緒 | 807年に最澄が開山したお寺という。最盛期には15の末寺と8つの僧坊を持つ大寺院だったそうです。 江戸時代初期、天台宗から真言宗に改宗。その後、毛利家の祈祷所として庇護を受けますが、度重なる兵火と天災に遭い、次第に衰退していったという。そして全ての末寺が姿を消し、現在に至るそうです。 |
HP | 二尊院 | 二尊院 |
二尊院と楊貴妃
●二尊院と楊貴妃
楊貴妃の里に隣接する二尊院に到着。
正式な寺号は龍伏山天請寺二尊院。
平安時代初期に天台宗の開祖・最澄が開山した古刹です。
境内入口では楊貴妃の像がドーンとお出迎えしてくれました!
なんとこのお寺には楊貴妃のお墓があるというじゃない!
中国の歴史は無知ですが、楊貴妃が日本人じゃないことくらいは知っています!
あと、楊貴妃は絶世の美女で、クレオパトラ・小野小町とともに世界三大美人の1人ということも知っています!
ちなみに阿保な私は数年前まで絶世の美女のことを劣勢の美女と言っていました。
この言葉を発する度に気まずい空気が流れていました・・・めちゃくちゃ失礼だ(笑)
そんなことより、なぜこの地に楊貴妃のお墓が・・・!?
由緒によると、どうやらこの地は楊貴妃の終焉の地だという。
今から1260年以上も昔の話。
唐の国に、玄宗という皇帝がいたそうな。
玄宗皇帝の妃・楊貴妃はめちゃくちゃ美人で、音楽や舞踊の才能に秀でた賢い人だったそうです。
2人はとても幸せな日々を過ごしていましたが、唐の国で反乱(安禄山の乱)が起こり、楊貴妃は処刑されることになったという。
最愛の妻が処刑される・・・玄宗皇帝は嘆き悲しみました。
玄宗皇帝の悲しみがあまりにも深いので、陳玄礼という兵長が、楊貴妃を仏堂の中で締め殺したと見せかけて逃がすことにしました。
そして楊貴妃は数日分の食糧を積んだ小舟に乗り、川を下り日本海へ。
そして山口県・向津具半島の唐渡口に漂着したという!
漂着後、しばらくこの地で過ごしましたが、間もなく亡くなってしまったという。。。
里人たちはそのことを気の毒に思い、天請寺(現・二尊院)の境内に丁寧に葬ったといいます。
一方、玄宗皇帝は、楊貴妃のことをひと時も忘れることができませんでした。
玄宗皇帝の夢枕には何度も楊貴妃が現れ『私は日本に流れ着いて死んでしまいました。でも私を弔ってくれる人が誰もいないのです・・・だから成仏できないの。。。』と。
そこで玄宗皇帝は自分が大切にしていた釈迦如来像と阿弥陀如来像と十三重塔を日本に送りました。
しかし、楊貴妃がどこに漂着してどこで亡くなったのかわからなかったため、二尊仏は京都・清凉寺に預けられることになったという。
その後、楊貴妃の墓所が長門国の天請寺(現・二尊院)にあるということが判明!
ということで、釈迦・阿弥陀の二尊仏は天請寺へ移されることになったのですが・・・
その二尊仏は、清凉寺でめちゃくちゃ霊験のある仏像だったため、清凉寺サイドは二尊仏の移転を渋ることに。。
どうにかして二尊仏を残したい・・・
ということで、仏師にそっくりな二尊仏を造らせ、清凉寺と天請寺で1体ずつ分けることにしました。
そして朝廷から二尊院という寺号を賜ったといいます。
現在、その二尊仏は遣迎殿(宝物館)に安置されています。
ちなみに楊貴妃の死については諸説あるみたいです。
①縄で締め殺された
②自分で首を絞めて死んだ
③黄金の粉を飲んで死んだ
などなど。
いずれも安禄山の乱の後、中国で亡くなっています。
~画像はWikipediaより~
また中国のお墓についても諸説あるそうです。
①お墓が見つからなかった
②お墓はカラッポだった
③お墓には靴だけが入っていた
などなど。
これは・・・
日本に漂着した可能性がありますよ!
浪漫派の私は信じてます!
ウッキウキしています!
●楊貴妃像
・像高 3.8m
・大理石製
ちなみに二尊院の楊貴妃像は、中国の陝西省馬嵬坡にある楊貴妃像と同じものだという。
楊貴妃が亡くなった歳が38歳ということで3.8mにしたんだって。
楊貴妃の里に隣接する二尊院に到着。
正式な寺号は龍伏山天請寺二尊院。
平安時代初期に天台宗の開祖・最澄が開山した古刹です。
境内入口では楊貴妃の像がドーンとお出迎えしてくれました!
なんとこのお寺には楊貴妃のお墓があるというじゃない!
中国の歴史は無知ですが、楊貴妃が日本人じゃないことくらいは知っています!
あと、楊貴妃は絶世の美女で、クレオパトラ・小野小町とともに世界三大美人の1人ということも知っています!
ちなみに阿保な私は数年前まで絶世の美女のことを劣勢の美女と言っていました。
この言葉を発する度に気まずい空気が流れていました・・・めちゃくちゃ失礼だ(笑)
そんなことより、なぜこの地に楊貴妃のお墓が・・・!?
由緒によると、どうやらこの地は楊貴妃の終焉の地だという。
今から1260年以上も昔の話。
唐の国に、玄宗という皇帝がいたそうな。
玄宗皇帝の妃・楊貴妃はめちゃくちゃ美人で、音楽や舞踊の才能に秀でた賢い人だったそうです。
2人はとても幸せな日々を過ごしていましたが、唐の国で反乱(安禄山の乱)が起こり、楊貴妃は処刑されることになったという。
最愛の妻が処刑される・・・玄宗皇帝は嘆き悲しみました。
玄宗皇帝の悲しみがあまりにも深いので、陳玄礼という兵長が、楊貴妃を仏堂の中で締め殺したと見せかけて逃がすことにしました。
そして楊貴妃は数日分の食糧を積んだ小舟に乗り、川を下り日本海へ。
そして山口県・向津具半島の唐渡口に漂着したという!
漂着後、しばらくこの地で過ごしましたが、間もなく亡くなってしまったという。。。
里人たちはそのことを気の毒に思い、天請寺(現・二尊院)の境内に丁寧に葬ったといいます。
一方、玄宗皇帝は、楊貴妃のことをひと時も忘れることができませんでした。
玄宗皇帝の夢枕には何度も楊貴妃が現れ『私は日本に流れ着いて死んでしまいました。でも私を弔ってくれる人が誰もいないのです・・・だから成仏できないの。。。』と。
そこで玄宗皇帝は自分が大切にしていた釈迦如来像と阿弥陀如来像と十三重塔を日本に送りました。
しかし、楊貴妃がどこに漂着してどこで亡くなったのかわからなかったため、二尊仏は京都・清凉寺に預けられることになったという。
その後、楊貴妃の墓所が長門国の天請寺(現・二尊院)にあるということが判明!
ということで、釈迦・阿弥陀の二尊仏は天請寺へ移されることになったのですが・・・
その二尊仏は、清凉寺でめちゃくちゃ霊験のある仏像だったため、清凉寺サイドは二尊仏の移転を渋ることに。。
どうにかして二尊仏を残したい・・・
ということで、仏師にそっくりな二尊仏を造らせ、清凉寺と天請寺で1体ずつ分けることにしました。
そして朝廷から二尊院という寺号を賜ったといいます。
現在、その二尊仏は遣迎殿(宝物館)に安置されています。
ちなみに楊貴妃の死については諸説あるみたいです。
①縄で締め殺された
②自分で首を絞めて死んだ
③黄金の粉を飲んで死んだ
などなど。
いずれも安禄山の乱の後、中国で亡くなっています。
~画像はWikipediaより~
また中国のお墓についても諸説あるそうです。
①お墓が見つからなかった
②お墓はカラッポだった
③お墓には靴だけが入っていた
などなど。
これは・・・
日本に漂着した可能性がありますよ!
浪漫派の私は信じてます!
ウッキウキしています!
●楊貴妃像
・像高 3.8m
・大理石製
ちなみに二尊院の楊貴妃像は、中国の陝西省馬嵬坡にある楊貴妃像と同じものだという。
楊貴妃が亡くなった歳が38歳ということで3.8mにしたんだって。
本堂
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
そんなこんなで、参拝開始。
本堂と庫裏と宝物殿があるのみの境内。
現在はこじんまりとした境内ですが、かつては8つの僧坊と15の末寺を有する大寺院だったそうです。
別名はなんと向津具城!
お城並みに大きなお寺だったんですね!
江戸時代に編纂された寺社由来によると15の末寺の内訳はこちら。
~画像は奈良西大寺展にて~
このお寺は鎌倉時代の名僧・叡尊に関係するお寺といわれています。
叡尊は社会福祉活動を積極的に行った僧として知られています。
当時の仏教では社会的弱者である女性・障がい者・生活困窮者・被差別部落民などは仏法で救済されないといわれていました。
しかし、叡尊は戒律を遵守すればいかなる身分の人でも仏によって救われると説き、社会的弱者を救済したという。
そんなこんなでこの二尊院は、叡尊の社会活動の1つ・女人救済に特化したお寺だったそうです。
当時、日本で大人気だった楊貴妃を活動のシンボルとして活用していたかも?っていわれてるんだって。
・左 → 不動明王像
・中 → 大日如来像
・右 → 弘法大師像
本尊は大日如来さん。
大日如来さんの両サイドにはお不動さんとお大師さまがおられました。
ちなみに、この紐は大日如来さんと繋がっている模様。
ありがたや〜、ありがたや〜。
五色の紐で繋がってるのはたまに出会いますが、黄色い紐というのはちょっと珍しいですね。
今日の服と同じ色だったので、ちょっと嬉しかったです。
ありがたや〜、ありがたや〜。
その他、堂内には十王像をはじめ、20数体の仏さんが安置されていました。
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
そんなこんなで、参拝開始。
本堂と庫裏と宝物殿があるのみの境内。
現在はこじんまりとした境内ですが、かつては8つの僧坊と15の末寺を有する大寺院だったそうです。
別名はなんと向津具城!
お城並みに大きなお寺だったんですね!
江戸時代に編纂された寺社由来によると15の末寺の内訳はこちら。
①西福寺(白木村) ②高福寺(久津村)
③清水寺(久津村) ④吉祥寺(安佐村)
⑤法寿庵(本郷村) ⑥来光寺(本郷村)
⑦蔵福坊(上野村) ⑧万福寺(上野村)
⑨多門坊(上野村) ⑩福寿庵(松崎村)
⑪正福寺(本郷村) ⑫松尾寺(上野村)
⑬積念寺(久原村) ⑭法興寺(御崎村)
⑮不明
③清水寺(久津村) ④吉祥寺(安佐村)
⑤法寿庵(本郷村) ⑥来光寺(本郷村)
⑦蔵福坊(上野村) ⑧万福寺(上野村)
⑨多門坊(上野村) ⑩福寿庵(松崎村)
⑪正福寺(本郷村) ⑫松尾寺(上野村)
⑬積念寺(久原村) ⑭法興寺(御崎村)
⑮不明
~画像は奈良西大寺展にて~
このお寺は鎌倉時代の名僧・叡尊に関係するお寺といわれています。
叡尊は社会福祉活動を積極的に行った僧として知られています。
当時の仏教では社会的弱者である女性・障がい者・生活困窮者・被差別部落民などは仏法で救済されないといわれていました。
しかし、叡尊は戒律を遵守すればいかなる身分の人でも仏によって救われると説き、社会的弱者を救済したという。
そんなこんなでこの二尊院は、叡尊の社会活動の1つ・女人救済に特化したお寺だったそうです。
当時、日本で大人気だった楊貴妃を活動のシンボルとして活用していたかも?っていわれてるんだって。
・左 → 不動明王像
・中 → 大日如来像
・右 → 弘法大師像
本尊は大日如来さん。
大日如来さんの両サイドにはお不動さんとお大師さまがおられました。
ちなみに、この紐は大日如来さんと繋がっている模様。
ありがたや〜、ありがたや〜。
五色の紐で繋がってるのはたまに出会いますが、黄色い紐というのはちょっと珍しいですね。
今日の服と同じ色だったので、ちょっと嬉しかったです。
ありがたや〜、ありがたや〜。
その他、堂内には十王像をはじめ、20数体の仏さんが安置されていました。
遣迎殿(宝物館)
●遣迎殿(宝物館)
そんなこんなで、遣迎殿という宝物館へ。
なんとこの宝物館には、寺号の由来となった二尊仏が安置されてるんだって!
●二尊仏
・釈迦如来立像
鎌倉時代作
像高 97.7cm
国指定重要文化財
・阿弥陀如来立像
鎌倉時代作
像高 98.3cm
国指定重要文化財
拝観料は200円。
お賽銭箱にセルフサービスです。
念のため、拝観料を払う前に鍵が開いているかチェック・・・
ガッチリと鍵が閉まってました(笑)
あぶねぇ、あぶねぇ。
貯金箱になるところでしたよ。
ということで、拝観料を払う前に鍵が開いてるかどうか確かめることをオススメします(笑)
ちなみに公式ホームページに館内の写真があります。
宝物館で拝観できる仏像さんはこちら。
そんなこんなで、遣迎殿という宝物館へ。
なんとこの宝物館には、寺号の由来となった二尊仏が安置されてるんだって!
●二尊仏
・釈迦如来立像
鎌倉時代作
像高 97.7cm
国指定重要文化財
・阿弥陀如来立像
鎌倉時代作
像高 98.3cm
国指定重要文化財
拝観料は200円。
お賽銭箱にセルフサービスです。
念のため、拝観料を払う前に鍵が開いているかチェック・・・
ガッチリと鍵が閉まってました(笑)
あぶねぇ、あぶねぇ。
貯金箱になるところでしたよ。
ということで、拝観料を払う前に鍵が開いてるかどうか確かめることをオススメします(笑)
ちなみに公式ホームページに館内の写真があります。
宝物館で拝観できる仏像さんはこちら。
楊貴妃の墓
●楊貴妃の墓
そんなこんなで、お待ちかねの楊貴妃のお墓へ。
拝観料は100円。
収蔵庫同様、こちらも拝観料はセルフサービスでした。
ということで100円を・・・
と思ったら、100円玉がギューギューに詰まってる!
入んない(笑)
仕方ないので、無理矢理ねじ込んできましたよ!
お賽銭箱でねじ込む姿・・・側から見たら怪しさ満点です。
そんなこんなで
はいドン!
こちらが楊貴妃のお墓です。
中央の五輪塔が楊貴妃のお墓で、両サイドにある小ぶりな五輪塔が侍女のお墓といわれています。
お墓のすぐ近くには海があり、まるで故郷の唐を見渡しているかのようでした。
遠い異国の地で何を想っているのでしょう。
どうせ死ぬのなら夫の側で死んだ方が・・・
なんで逃がされたのだろう・・・
とかなんとか思っていないだろうか・・・南無。
その他、楊貴妃の墓石の周りにはたくさんの五輪塔と石塔がありました。
そんなこんなで、お待ちかねの楊貴妃のお墓へ。
拝観料は100円。
収蔵庫同様、こちらも拝観料はセルフサービスでした。
ということで100円を・・・
と思ったら、100円玉がギューギューに詰まってる!
入んない(笑)
仕方ないので、無理矢理ねじ込んできましたよ!
お賽銭箱でねじ込む姿・・・側から見たら怪しさ満点です。
そんなこんなで
はいドン!
こちらが楊貴妃のお墓です。
中央の五輪塔が楊貴妃のお墓で、両サイドにある小ぶりな五輪塔が侍女のお墓といわれています。
お墓のすぐ近くには海があり、まるで故郷の唐を見渡しているかのようでした。
遠い異国の地で何を想っているのでしょう。
どうせ死ぬのなら夫の側で死んだ方が・・・
なんで逃がされたのだろう・・・
とかなんとか思っていないだろうか・・・南無。
その他、楊貴妃の墓石の周りにはたくさんの五輪塔と石塔がありました。
九頭龍弁財天と盃状穴
●九頭龍弁財天
楊貴妃のお墓の前には九頭龍弁財天の遥拝所もありました。
鳥居の先には久津の江ノ島。
どうやらあの島に九頭龍弁財天さんが祀られているみたいです。
●盃状穴
あと盃状穴もありました。
盃状穴と書いてはいじょうけつと読みます。
盃状穴とは、死者を蘇らせたり子孫繁栄や安産、はたまた豊作を願うために作られた礼拝用の穴です。
古代人は穴に物を入れてお祈りをしていたという。
盃状穴は古代から世界中にある礼拝用の穴で、日本では西日本にたくさん存在しています。
日本で初めて盃状穴が発見されたのは山口県の神田山石棺。
それ以降、全国で次々と発見され山口市内だけでも20例を越える盃状穴が発見されています。
楊貴妃のお墓の前には九頭龍弁財天の遥拝所もありました。
鳥居の先には久津の江ノ島。
どうやらあの島に九頭龍弁財天さんが祀られているみたいです。
●盃状穴
あと盃状穴もありました。
盃状穴と書いてはいじょうけつと読みます。
盃状穴とは、死者を蘇らせたり子孫繁栄や安産、はたまた豊作を願うために作られた礼拝用の穴です。
古代人は穴に物を入れてお祈りをしていたという。
盃状穴は古代から世界中にある礼拝用の穴で、日本では西日本にたくさん存在しています。
日本で初めて盃状穴が発見されたのは山口県の神田山石棺。
それ以降、全国で次々と発見され山口市内だけでも20例を越える盃状穴が発見されています。
その他の見どころ
●一願地蔵尊
境内には一願地蔵さんもおられました。
その名の通り、1つだけ願いを叶えてくれるお地蔵さんです。
●宝篋印塔
●宝篋印塔
・1814年建立
こちらの宝篋印塔は、江戸時代後期に向津具村の人々が罪障消滅と災難を未然に防ぐことを願って建立したものなんだって。
宝篋印塔の中には経典が納められているそうですよ。
ちなみに、塔身には阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来の梵字が刻まれていました。
●双葉のオブジェ
あと双葉のオブジェというものもありました。
瓦が海で、種が舟に乗った楊貴妃で、双葉の芽が安産・子宝・縁結びを表現しているという。
うぅ~ん・・・芸術って奥が深い。
境内には一願地蔵さんもおられました。
その名の通り、1つだけ願いを叶えてくれるお地蔵さんです。
●宝篋印塔
●宝篋印塔
・1814年建立
こちらの宝篋印塔は、江戸時代後期に向津具村の人々が罪障消滅と災難を未然に防ぐことを願って建立したものなんだって。
宝篋印塔の中には経典が納められているそうですよ。
ちなみに、塔身には阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来の梵字が刻まれていました。
●双葉のオブジェ
あと双葉のオブジェというものもありました。
瓦が海で、種が舟に乗った楊貴妃で、双葉の芽が安産・子宝・縁結びを表現しているという。
うぅ~ん・・・芸術って奥が深い。
楊貴妃の里
●楊貴妃の里
そんなこんなで参拝後、楊貴妃の里を散策してきました。
楊貴妃の里は中華風の公園になっており、ちょっとした中国旅行を楽しむことができましたよ。
中華風の屋根には脊獣と呼ばれる魔除けの動物がおられました。
それにしても、このベンチ・・・板がペラッペラなんですよ。
座るとちょっとしたスリルを味わうことができますよ。
あと、楊貴妃の里にはお土産屋さんもありました。
お土産屋さんの入口では兵馬俑がお出迎えしてくれました。
せっかくなので、楊貴妃が渡った海にも行ってみよう。
二尊院がある向津具半島は本州の最西北端です。
古くから、大陸に最も近い地域の1つとして日本の玄関口になっていたそうです。
平安時代に編纂された和名類聚抄によると、山口県北部の北浦地区には9つの郷が置かれ、その1つに向国(むかつくに)があったという。
向国とは、海を隔てた向こうの国。
もしくは向こうの国から日本へ往来する場所という意味なんだって。
もしかしたら、楊貴妃はこの向国ルートで日本に来たのかな。
とか思ってみたり。
その後、お約束の顔ハメをしたり。
こんなことをしたりして、1日が終わりました。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
そんなこんなで参拝後、楊貴妃の里を散策してきました。
楊貴妃の里は中華風の公園になっており、ちょっとした中国旅行を楽しむことができましたよ。
中華風の屋根には脊獣と呼ばれる魔除けの動物がおられました。
それにしても、このベンチ・・・板がペラッペラなんですよ。
座るとちょっとしたスリルを味わうことができますよ。
あと、楊貴妃の里にはお土産屋さんもありました。
お土産屋さんの入口では兵馬俑がお出迎えしてくれました。
せっかくなので、楊貴妃が渡った海にも行ってみよう。
二尊院がある向津具半島は本州の最西北端です。
古くから、大陸に最も近い地域の1つとして日本の玄関口になっていたそうです。
平安時代に編纂された和名類聚抄によると、山口県北部の北浦地区には9つの郷が置かれ、その1つに向国(むかつくに)があったという。
向国とは、海を隔てた向こうの国。
もしくは向こうの国から日本へ往来する場所という意味なんだって。
もしかしたら、楊貴妃はこの向国ルートで日本に来たのかな。
とか思ってみたり。
その後、お約束の顔ハメをしたり。
こんなことをしたりして、1日が終わりました。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・二尊院の御朱印(遺迎二尊)
●御朱印の受付場所
・寺務所
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2014年3月22日 参拝
・2021年8月 更新
・二尊院の御朱印(遺迎二尊)
●御朱印の受付場所
・寺務所
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2014年3月22日 参拝
・2021年8月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●遣迎殿(宝物館)
・200円
●楊貴妃の墓
・100円
●最寄りの駅
・JR人丸駅から車で20分
・JR人丸駅から徒歩2時間30分
●最寄りのIC
・中国自動車道
・美祢ICから車で1時間15分
●最寄りのバス停
・JR人丸駅から
ブルーライン交通バス 大浦行きに乗車
二尊院口 バス停で下車 徒歩5分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(20台)
・境内自由
●拝観料
・無料
●遣迎殿(宝物館)
・200円
●楊貴妃の墓
・100円
●最寄りの駅
・JR人丸駅から車で20分
・JR人丸駅から徒歩2時間30分
●最寄りのIC
・中国自動車道
・美祢ICから車で1時間15分
●最寄りのバス停
・JR人丸駅から
ブルーライン交通バス 大浦行きに乗車
二尊院口 バス停で下車 徒歩5分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(20台)