所在地 | 香川県坂出市西庄町字八十場1713-2 |
---|---|
宗 派 | 真言宗御室派 |
札 所 | 四国八十八ヶ所 第79番 |
前後札所 | ・前 → 第78番札所・郷照寺 ・後 → 第80番札所・讃岐国分寺 |
本 尊 | 十一面観世音菩薩 |
真 言 | おん まか きゃろにきゃ そわか |
由 緒 | 729〜749年、行基が金山に薬師如来を本尊とするお堂を建立したのが始まり。創建当初は金山摩尼珠院という寺号だったそうです。810~824年、この地を訪れた空海(弘法大師)が、八十場の泉付近にあった霊木で十一面観音・阿弥陀如来・愛染明王像を刻み、堂宇を建立。そして、行基が創建した金山摩尼珠院をこの地に移転させ摩尼珠院 妙成就寺と改称したそうです。1164年、この地で崇徳上皇が崩御。崇徳上皇の霊を鎮めるため、境内に崇徳天皇社が造営されたという。そのことにより、妙成就寺は崇徳天皇社の神宮寺となり、いつの頃からか天皇寺と呼ばれるようになったそうです。明治時代、神仏分離令で廃寺となりますが、末寺の高照院が再興し、現在に至るそうです。 |
HP | 金華山 高照院 天皇寺 – 四国八十八ヶ所霊場会 |
天皇寺とは?
四国八十八ヶ所の第79番札所であります天皇寺に到着。
第78番札所・郷照寺から7km。
徒歩1時間20分。
車で20分のところに位置しています。
天皇寺と書いててんのうじと読みます。
●天皇寺とは?
729〜749年、行基がカナヤマビメとカナヤマヒコが鎮座する金山に薬師如来を本尊とするお堂を建立したのが始まりといいます。
創建当初は金山 摩尼珠院という寺号だったそうです。
810~824年、弘法大師が八十場の泉を訪れた際、金山権現の化身が現れて宝珠を授かったという。
そんなこんなで、弘法大師はその宝珠を嶺に埋め、八十場の泉付近の霊木で十一面観音・阿弥陀如来・愛染明王像を刻んで堂宇を建立。
そして、行基が創建した金山 摩尼珠院を現在地に移転して摩尼珠院 妙成就寺と改称したそうです。
その後、七堂伽藍と20以上の僧坊を有する大寺院に発展し、隆盛を極めたそうです。
1164年、この地で崇徳上皇が崩御したことにより、境内に崇徳天皇社(現・白峰宮)が造営されたそうです。
そのため、妙成就寺は崇徳天皇社の神宮寺になったという。
その後、崇徳天皇社の神宮寺ということから天皇寺と呼ばれるようになったそうです。
しかし、明治時代の神仏分離で廃寺に。。
その後、1887年に末寺の高照院が再興。
そして寺号を高照院 天皇寺に改め、四国霊場の札所を引き継いだそうです。
729〜749年、行基がカナヤマビメとカナヤマヒコが鎮座する金山に薬師如来を本尊とするお堂を建立したのが始まりといいます。
創建当初は金山 摩尼珠院という寺号だったそうです。
810~824年、弘法大師が八十場の泉を訪れた際、金山権現の化身が現れて宝珠を授かったという。
そんなこんなで、弘法大師はその宝珠を嶺に埋め、八十場の泉付近の霊木で十一面観音・阿弥陀如来・愛染明王像を刻んで堂宇を建立。
そして、行基が創建した金山 摩尼珠院を現在地に移転して摩尼珠院 妙成就寺と改称したそうです。
その後、七堂伽藍と20以上の僧坊を有する大寺院に発展し、隆盛を極めたそうです。
1164年、この地で崇徳上皇が崩御したことにより、境内に崇徳天皇社(現・白峰宮)が造営されたそうです。
そのため、妙成就寺は崇徳天皇社の神宮寺になったという。
その後、崇徳天皇社の神宮寺ということから天皇寺と呼ばれるようになったそうです。
しかし、明治時代の神仏分離で廃寺に。。
その後、1887年に末寺の高照院が再興。
そして寺号を高照院 天皇寺に改め、四国霊場の札所を引き継いだそうです。
そんなこんなで、参拝開始。
三輪鳥居
●三輪鳥居
まず最初に登場するのは三ツ鳥居!
別名・三輪鳥居と呼ばれる珍鳥居です。
3つの明神鳥居が合体する三ツ鳥居は全国にたくさんありますが、こちらの三ツ鳥居は両サイドのミニ鳥居が内側を向いているのが特徴的です!
このタイプの三ツ鳥居は初めて拝見したのでちょっとテンションが高めな私です。
そんなことより、お寺なのになぜ鳥居がっ!?
どうやらこの鳥居は、かつて天皇寺と神仏習合の形態をとっていた白峰宮のもののようです。
現在も天皇寺と白峰宮は隣接していて、神仏習合時代の名残として当時の姿を今に伝えているという。
そんなこんなで天皇寺には山門はなく、この鳥居は白峰宮と天皇寺共通の入口っぽいです。
天皇寺という寺号でもわかるように、このお寺は某天皇に縁のある地です。
それが誰かというと、はいドン!
日本三大怨霊の1人崇徳天皇!
崇徳天皇は保元の乱で敗れて讃岐国に流罪となったのは有名な話。
流罪先の讃岐で最初の約3年間は雲井御所で過ごし、その後、厳しく管理されるためにこの地に移され、約6年間幽閉されました。
そしてこの地でお亡くなりになったという。
死後、亡骸の処遇を巡って京からの返事を待つ間、遺体は八十場の泉に浸され、清水をかけながら保存していたそうです。
ちなみに、八十場の泉はあらゆるものを蘇生させる霊泉。
その霊泉パワーで、死後21日過ぎた後も崇徳さんの顔はまるで生きてるかのようだったといわれています。
その泉がこちら、はいドン!
八十場の泉!
天皇寺から約200m離れたところにあります。
ちなみに、八十場と書いてやそばと読みます。
八十八や弥蘇場と書かれることもあります。
かつてこの辺りは天皇という地名で呼ばれていたそうですが、さすがにそれは恐れ多いとなり、現在は八十場という地名になっています。
~画像はWikipedia 天皇寺より~
この地で朝廷を呪いながら亡くなった崇徳さん・・・
そして、崇徳さんはこの泉に水漬けにされて夏場の腐敗を防止していたという。
ファンタジーな伝説が多い四国霊場ですが、このお寺の伝説は妙に生々しくちょっぴりオカルトちっく・・・。
そういう由緒からか、現在では四国トップクラスの心霊スポットとして知られています。
水曜どうでしょうの怪奇現象で一躍全国区になったお寺さんでもあります。
そんなこんなで、現代でも崇徳さんの呪いは継続中・・・!?
まず最初に登場するのは三ツ鳥居!
別名・三輪鳥居と呼ばれる珍鳥居です。
3つの明神鳥居が合体する三ツ鳥居は全国にたくさんありますが、こちらの三ツ鳥居は両サイドのミニ鳥居が内側を向いているのが特徴的です!
このタイプの三ツ鳥居は初めて拝見したのでちょっとテンションが高めな私です。
そんなことより、お寺なのになぜ鳥居がっ!?
どうやらこの鳥居は、かつて天皇寺と神仏習合の形態をとっていた白峰宮のもののようです。
現在も天皇寺と白峰宮は隣接していて、神仏習合時代の名残として当時の姿を今に伝えているという。
そんなこんなで天皇寺には山門はなく、この鳥居は白峰宮と天皇寺共通の入口っぽいです。
天皇寺という寺号でもわかるように、このお寺は某天皇に縁のある地です。
それが誰かというと、はいドン!
日本三大怨霊の1人崇徳天皇!
崇徳天皇は保元の乱で敗れて讃岐国に流罪となったのは有名な話。
流罪先の讃岐で最初の約3年間は雲井御所で過ごし、その後、厳しく管理されるためにこの地に移され、約6年間幽閉されました。
そしてこの地でお亡くなりになったという。
死後、亡骸の処遇を巡って京からの返事を待つ間、遺体は八十場の泉に浸され、清水をかけながら保存していたそうです。
ちなみに、八十場の泉はあらゆるものを蘇生させる霊泉。
その霊泉パワーで、死後21日過ぎた後も崇徳さんの顔はまるで生きてるかのようだったといわれています。
その泉がこちら、はいドン!
八十場の泉!
天皇寺から約200m離れたところにあります。
ちなみに、八十場と書いてやそばと読みます。
八十八や弥蘇場と書かれることもあります。
かつてこの辺りは天皇という地名で呼ばれていたそうですが、さすがにそれは恐れ多いとなり、現在は八十場という地名になっています。
~画像はWikipedia 天皇寺より~
この地で朝廷を呪いながら亡くなった崇徳さん・・・
そして、崇徳さんはこの泉に水漬けにされて夏場の腐敗を防止していたという。
ファンタジーな伝説が多い四国霊場ですが、このお寺の伝説は妙に生々しくちょっぴりオカルトちっく・・・。
そういう由緒からか、現在では四国トップクラスの心霊スポットとして知られています。
水曜どうでしょうの怪奇現象で一躍全国区になったお寺さんでもあります。
そんなこんなで、現代でも崇徳さんの呪いは継続中・・・!?
崇徳天皇とは?
●ザックリと簡単に崇徳天皇とは?
ザックリと簡単に崇徳天皇とは第75代天皇のことです。
歴代天皇の中でトップクラスに不幸な生涯を過ごしたお方。
そして日本三大怨霊の1人として知られるお方です。
崇徳天皇は、第74代・鳥羽天皇の第一皇子。
当時、実権を握っていたのは鳥羽天皇ではなく祖父の白河法皇。
崇徳さんが3歳のとき、白河さんは鳥羽さんに譲位を迫り、崇徳さんを天皇にしました。
崇徳さんが天皇に即位したことで、本来なら鳥羽さんが院政を行うのが順当・・・しかし政治の実権は白河さんが握ったままで鳥羽さんは政治に関わることができませんでした。
そんなこんなで、絶対的な権力を持つ白河さんは元気いっぱいにワンマン政治を執り行いました。
そして鳥羽さんは何の権限もなく悶々とした日々を過ごすことに・・・。
しかし、それ以上に鳥羽さんにとってやるせないことがありました。
それは、崇徳さんの誕生についての噂です。
鳥羽さんの嫁・待賢門院と白河さんとの不倫でできた子供・・・それが崇徳さん!
つまり崇徳さんの父は祖父の白河さん・・・という噂が広まっていました。
どうやら白河さんはアッチの方も元気がよかったみたいです。
そんなこんなで、鳥羽さんは崇徳さんと白河さんのことが大嫌いで仕方ありませんでした。
嫁を爺ちゃんに寝取られた鳥羽さん・・・。
それでも絶対的な権力を持つ白河さんに逆らうことはできませんでした。
しかし白河さんが亡くなると、鳥羽さんは実権を握ることに!
そして今までの鬱憤を晴らすかのように逆襲に打ってでます。
大嫌いな崇徳さんを退位させ、わずか2歳の我が子・近衛天皇を即位させました。
しかし、近衛天皇は若くして急死・・・。
そして、もう1人の子・後白河天皇を即位させました。
その間、崇徳さんはといえば・・・無視されっぱなしの日々。
心中穏やかではありません。
しかし、鳥羽さんが亡くなると崇徳さんは動き出します。
後白河 vs 崇徳の権力争いが勃発!
いわゆる保元の乱が始まりました。
しかし勝ったのは後白河さん。
負けた崇徳さんは讃岐国(香川県)へ流罪となりました。
崇徳さんは流刑先の讃岐で、戦で亡くなった方々の供養をするため写経をする日々を送りました。
そして何百巻という写本ができあがりました。
そんなある日、崇徳さんは『どうかこの写経を京のお寺に納めてほしい』と朝廷に送りました。
しかし!
後白河さんは『この写経には呪いが込められているかも!』といって受け取らず、送り返してしまいました。
このことにはさすがの崇徳さんも激おこプンプン丸!
ブチ切れた崇徳さんは、自分の舌を噛み切って流れ出た血で『日本の大魔王となって天皇の座を引きずりおろしてやる!』と書きつづった誓文を海に沈めます。
それ以来、崇徳さんは髪も爪も切らず・・・その風貌は生きながら天狗になったと噂されるほどでした。
しかし1164年。
崇徳さんはお亡くなりになりました。
享年46歳。
生前、崇徳さんは『いつかは京に帰りたい・・・』と願っていましたが、願いは叶わず遺骨はそのまま四国の白峰山に埋葬されました。
※ちなみに画像は崇徳天皇陵がある白峯寺。
(2011年6月12日 参拝)
埋葬時、激しい風雨と雷鳴が轟き、そして棺桶から真っ赤な血が流れ出たという!
そして火葬の煙は都に向かってまっすぐにたなびいたという!
そうです、崇徳さんの怨霊伝説の始まりです!
そして崇徳さんの呪いが天皇家と京に襲いかかります。
延暦寺の強訴・安元の大火・鹿ケ谷の陰謀といった動乱が続き、さらに後白河天皇さんに近い人々が次々と死んでいきました。
あげく鎌倉幕府の誕生。
政治の実権が天皇から武士に移ってしまったのです。
以後、約700年にわたり武士による政権が続くことになりました。
時は流れて明治時代前夜。
政治の実権が天皇に戻る頃のお話し。
明治天皇は崇徳さんが眠る讃岐に使者を送り出し、白峯寺にある崇徳さんのお墓を参拝。
そして崇徳さんの御霊を輿に載せて京都にお迎えして祀りました。
それが現在、京都市上京区に鎮座する白峯神宮です。
生前、『いつかは京に帰りたい・・・』と願っていた崇徳さん・・・約700年ぶりに京に戻ってこれたという!
なんだか泣けますね。。。
崇徳さん、安らかにお鎮まりください。
※画像は京都・白峯神宮。
(2010年9月4日 参拝)
ザックリと簡単に崇徳天皇とは第75代天皇のことです。
歴代天皇の中でトップクラスに不幸な生涯を過ごしたお方。
そして日本三大怨霊の1人として知られるお方です。
崇徳天皇は、第74代・鳥羽天皇の第一皇子。
当時、実権を握っていたのは鳥羽天皇ではなく祖父の白河法皇。
崇徳さんが3歳のとき、白河さんは鳥羽さんに譲位を迫り、崇徳さんを天皇にしました。
崇徳さんが天皇に即位したことで、本来なら鳥羽さんが院政を行うのが順当・・・しかし政治の実権は白河さんが握ったままで鳥羽さんは政治に関わることができませんでした。
そんなこんなで、絶対的な権力を持つ白河さんは元気いっぱいにワンマン政治を執り行いました。
そして鳥羽さんは何の権限もなく悶々とした日々を過ごすことに・・・。
しかし、それ以上に鳥羽さんにとってやるせないことがありました。
それは、崇徳さんの誕生についての噂です。
鳥羽さんの嫁・待賢門院と白河さんとの不倫でできた子供・・・それが崇徳さん!
つまり崇徳さんの父は祖父の白河さん・・・という噂が広まっていました。
どうやら白河さんはアッチの方も元気がよかったみたいです。
そんなこんなで、鳥羽さんは崇徳さんと白河さんのことが大嫌いで仕方ありませんでした。
嫁を爺ちゃんに寝取られた鳥羽さん・・・。
それでも絶対的な権力を持つ白河さんに逆らうことはできませんでした。
しかし白河さんが亡くなると、鳥羽さんは実権を握ることに!
そして今までの鬱憤を晴らすかのように逆襲に打ってでます。
大嫌いな崇徳さんを退位させ、わずか2歳の我が子・近衛天皇を即位させました。
しかし、近衛天皇は若くして急死・・・。
そして、もう1人の子・後白河天皇を即位させました。
その間、崇徳さんはといえば・・・無視されっぱなしの日々。
心中穏やかではありません。
しかし、鳥羽さんが亡くなると崇徳さんは動き出します。
後白河 vs 崇徳の権力争いが勃発!
いわゆる保元の乱が始まりました。
しかし勝ったのは後白河さん。
負けた崇徳さんは讃岐国(香川県)へ流罪となりました。
崇徳さんは流刑先の讃岐で、戦で亡くなった方々の供養をするため写経をする日々を送りました。
そして何百巻という写本ができあがりました。
そんなある日、崇徳さんは『どうかこの写経を京のお寺に納めてほしい』と朝廷に送りました。
しかし!
後白河さんは『この写経には呪いが込められているかも!』といって受け取らず、送り返してしまいました。
このことにはさすがの崇徳さんも激おこプンプン丸!
ブチ切れた崇徳さんは、自分の舌を噛み切って流れ出た血で『日本の大魔王となって天皇の座を引きずりおろしてやる!』と書きつづった誓文を海に沈めます。
それ以来、崇徳さんは髪も爪も切らず・・・その風貌は生きながら天狗になったと噂されるほどでした。
しかし1164年。
崇徳さんはお亡くなりになりました。
享年46歳。
生前、崇徳さんは『いつかは京に帰りたい・・・』と願っていましたが、願いは叶わず遺骨はそのまま四国の白峰山に埋葬されました。
※ちなみに画像は崇徳天皇陵がある白峯寺。
(2011年6月12日 参拝)
埋葬時、激しい風雨と雷鳴が轟き、そして棺桶から真っ赤な血が流れ出たという!
そして火葬の煙は都に向かってまっすぐにたなびいたという!
そうです、崇徳さんの怨霊伝説の始まりです!
そして崇徳さんの呪いが天皇家と京に襲いかかります。
延暦寺の強訴・安元の大火・鹿ケ谷の陰謀といった動乱が続き、さらに後白河天皇さんに近い人々が次々と死んでいきました。
あげく鎌倉幕府の誕生。
政治の実権が天皇から武士に移ってしまったのです。
以後、約700年にわたり武士による政権が続くことになりました。
時は流れて明治時代前夜。
政治の実権が天皇に戻る頃のお話し。
明治天皇は崇徳さんが眠る讃岐に使者を送り出し、白峯寺にある崇徳さんのお墓を参拝。
そして崇徳さんの御霊を輿に載せて京都にお迎えして祀りました。
それが現在、京都市上京区に鎮座する白峯神宮です。
生前、『いつかは京に帰りたい・・・』と願っていた崇徳さん・・・約700年ぶりに京に戻ってこれたという!
なんだか泣けますね。。。
崇徳さん、安らかにお鎮まりください。
※画像は京都・白峯神宮。
(2010年9月4日 参拝)
手水舎と鐘楼
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き・・・
と言いたいところですが、鐘を撞くことはできませんでした。
ということで、心の中でゴ~ン♪
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き・・・
と言いたいところですが、鐘を撞くことはできませんでした。
ということで、心の中でゴ~ン♪
本堂と大師堂
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●本尊
・十一面観世音菩薩
●真言
・おん まか きゃろにきゃ そわか
続いて、本堂で参拝。
本堂の正面には金剛界説法と書かれた扁額。
そして本堂の裏には胎蔵界説法と書かれた扁額。
なんと、この本堂は表と裏の両方で参拝するようになっているという!
・・・ということを帰宅後に知りました!
本堂に幕が張られていたので扁額に気づかなかったのですよ・・・嗚呼。
本尊は秘仏の十一面観音さん。
なんと、御本尊さまの胎内には弘法大師作と伝わる十一面観音像が納められてるんだって。
秘仏のため通常は非公開ですが、2016年に1年間御開帳されたことがあるそうですよ。
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
以上!
天皇寺という寺号から想像するに、めちゃくちゃ高貴で格式の高い大寺院なんだろうなぁと、勝手に思っていましたが、めちゃくちゃコンパクトなお寺さんでしたよ。
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●本尊
・十一面観世音菩薩
●真言
・おん まか きゃろにきゃ そわか
続いて、本堂で参拝。
本堂の正面には金剛界説法と書かれた扁額。
そして本堂の裏には胎蔵界説法と書かれた扁額。
なんと、この本堂は表と裏の両方で参拝するようになっているという!
・・・ということを帰宅後に知りました!
本堂に幕が張られていたので扁額に気づかなかったのですよ・・・嗚呼。
本尊は秘仏の十一面観音さん。
なんと、御本尊さまの胎内には弘法大師作と伝わる十一面観音像が納められてるんだって。
秘仏のため通常は非公開ですが、2016年に1年間御開帳されたことがあるそうですよ。
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
以上!
天皇寺という寺号から想像するに、めちゃくちゃ高貴で格式の高い大寺院なんだろうなぁと、勝手に思っていましたが、めちゃくちゃコンパクトなお寺さんでしたよ。
白峰宮
●白峰宮
天皇寺のすぐ隣には崇徳天皇をお祀りする白峰宮が鎮座しています。
天皇寺の隣というか、ほぼ同一境内みたいな感じですので合わせて参拝することをオススメします。
だって・・・崇徳さん、怖いから。。。
m(_ _)m
そんなこんなで、参拝終了。
第80番・讃岐国分寺へ続く。
天皇寺のすぐ隣には崇徳天皇をお祀りする白峰宮が鎮座しています。
天皇寺の隣というか、ほぼ同一境内みたいな感じですので合わせて参拝することをオススメします。
だって・・・崇徳さん、怖いから。。。
m(_ _)m
そんなこんなで、参拝終了。
第80番・讃岐国分寺へ続く。
次の札所
讃岐国分寺の御朱印|四国霊場 第80番|特別史跡の大寺!幻の大日如来像|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県高松市)
所在地香川県高松市国分寺町国分2065宗 派真言宗御室派札 所四国八十八ヶ所 第80番前後札所・前 → 第79番札所・天皇寺・後 → 第81番札所・白峯寺本 尊十一面千手観世音菩薩...
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥之院 摩尼珠院の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥之院 摩尼珠院 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年6月11日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥之院 摩尼珠院の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥之院 摩尼珠院 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年6月11日 参拝
・2024年3月 最終更新
讃岐国分寺の御朱印|四国霊場 第80番|特別史跡の大寺!幻の大日如来像|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県高松市)
所在地香川県高松市国分寺町国分2065宗 派真言宗御室派札 所四国八十八ヶ所 第80番前後札所・前 → 第79番札所・天皇寺・後 → 第81番札所・白峯寺本 尊十一面千手観世音菩薩...
参拝情報とアクセス
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第78番札所・郷照寺へ7km
徒歩1時間20分
車で20分
・第80番札所・讃岐国分寺へ7km
徒歩1時間30分
車で15分
●最寄りの駅
・JR八十場駅から徒歩5分
・JR八十場駅から車で1分
●最寄りのバス停
・坂出市循環バス(琴参バス)
新開金山 バス停から徒歩15分
●最寄りのIC
・高松自動車道・瀬戸中央自動車道(瀬戸大橋)
坂出ICから車で10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(10台)
※境内の駐車場は普通車のみ。
マイクロバス・大型バスは、JR八十場駅前の有料駐車場を利用。
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第78番札所・郷照寺へ7km
徒歩1時間20分
車で20分
・第80番札所・讃岐国分寺へ7km
徒歩1時間30分
車で15分
●最寄りの駅
・JR八十場駅から徒歩5分
・JR八十場駅から車で1分
●最寄りのバス停
・坂出市循環バス(琴参バス)
新開金山 バス停から徒歩15分
●最寄りのIC
・高松自動車道・瀬戸中央自動車道(瀬戸大橋)
坂出ICから車で10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(10台)
※境内の駐車場は普通車のみ。
マイクロバス・大型バスは、JR八十場駅前の有料駐車場を利用。