所在地 | 山口県萩市南古萩町6 |
---|---|
宗 派 | 真言宗御室派 |
札 所 | 中国四十九薬師霊場 第33番 山口県十八不動・三十六童子霊場 第8番 |
由 緒 | 1254年、現・山口市円政寺町に創建したのが始まりで、当初は大内氏の祈願所だったといいます。大内氏の滅亡後、1604年に毛利輝元が萩城の築城と同時に城下町の塩屋町(現・多越神社)に移転し、毛利氏の祈願寺になったそうです。その後、1870年に神仏分離令により、現在地にあった法光院と合併。そして円政寺と改称したそうです。幕末期、明治維新の立役者である高杉晋作・伊藤博文が勉学に励んだお寺として知られています。 |
HP | 金毘羅社 円政寺 | Facebook |
鳥居と山門
本日は萩の城下町をプラプラと散策しています。
萩城下町には菊屋横丁・伊勢屋横丁・江戸屋横丁という3つのメインストリートがあるのですが、どのストリートも江戸時代の面影が色濃く残っていました。
ちなみに萩の城下町は、日本で唯一江戸時代の地図がそのまま使える町として知られています。
そんなこんなで、木戸孝允さんの生家がある江戸屋横丁を歩いていると鳥居を発見。
神社かな?
と思ったら、円政寺というお寺さんだという!
お寺なのに鳥居!
どうやらこちらは神仏習合のお寺さんのようです。
●鳥居
●鳥居
・1745年建立
・台輪鳥居
・萩市指定有形文化財
そんなこんなで、まず最初に登場するのは石鳥居。
饅頭型の台輪が印象的な鳥居でした。
そんなことより、鳥居の前に伊藤博文・高杉晋作 幼年学問之所という看板がありました。
どうやらこのお寺さんは、幼少時代の伊藤博文さんと高杉晋作さんが学問に励んだ場所のようです!
ちなみに円政寺から徒歩5分のところに高杉晋作さんの誕生地がありました。
それにしても境内入口は看板だらけ。
情報量が多過ぎて、いちいち読んでいるとなかなか前に進めない(笑)
●山門
●山門
・江戸時代建立(?)
・瓦葺 切妻造 四脚門
・萩市指定有形文化財
そんなこんなで、鳥居をくぐると山門が登場。
山門には毛利家の家紋・一文字三星の幕がありました。
●毛利氏と円政寺
もともと、円政寺は現・山口市にあったお寺さんのようです。
それを1604年に毛利輝元が萩城の築城と同時に城下町の塩屋町(現・多越神社)に移転。
そして、毛利氏の祈願寺になったそうです。
その後1870年、神仏分離令により現在地にあった法光院と合併。
そして円政寺と改称したんだって。
それが現在の円政寺といわれています。
もともと、円政寺は現・山口市にあったお寺さんのようです。
それを1604年に毛利輝元が萩城の築城と同時に城下町の塩屋町(現・多越神社)に移転。
そして、毛利氏の祈願寺になったそうです。
その後1870年、神仏分離令により現在地にあった法光院と合併。
そして円政寺と改称したんだって。
それが現在の円政寺といわれています。
本堂
●本堂●本堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・御本尊 地蔵菩薩
続いて、本堂で参拝。
このお寺の正式名称は月輪山 円政寺。
がちりんざん えんせいじと読みます。
宗派は真言宗御室派で地蔵菩薩を御本尊とするお寺のようです。
このお寺は中国薬師四十九薬師霊場の第33番札所とのことなので、堂内には薬師如来さんがおられるのでしょうか?
●伊藤博文と円政寺
1851年、法光院(現・円政寺)の住職・恵運が従姉弟の長男・利助(11歳)を1年半ほどの間、寺に預かり、雑用をさせながら読書や習字などを教えていたそうです。
その利助という少年が後の伊藤博文さんだという!
ちなみに境内奥にある売店で、伊藤博文さんが実際に使っていたレンガ製の硯を拝見することができました。
1851年、法光院(現・円政寺)の住職・恵運が従姉弟の長男・利助(11歳)を1年半ほどの間、寺に預かり、雑用をさせながら読書や習字などを教えていたそうです。
その利助という少年が後の伊藤博文さんだという!
ちなみに境内奥にある売店で、伊藤博文さんが実際に使っていたレンガ製の硯を拝見することができました。
金毘羅社
●金毘羅社
●金毘羅社
・建立年不明
・瓦葺 重層入母屋造
・総欅造
・萩市指定有形文化財
続いて、金毘羅社を参拝。
この金毘羅社は円政寺の前身である法光院の時代から鎮座していたそうです。
神仏分離令が発令された際、お寺の嘆願により廃社を免れたため、現在のような神仏習合の寺院になったんだって。
金毘羅社の建立年は不詳ですが、境内入口の鳥居が1745年建立、さらに1830~43年に編纂された八江萩名所図画に金毘羅社の姿が描かれていることから、少なくとも江戸時代後期〜末期には建立されていたと思われます。
それにしても、巨大な唐破風向拝が特徴的でした。
小ぶりながらも重厚感のある社殿でしたよ。
先ほどの本堂はお寺ですが、この金毘羅社は神社ですので、参拝法は2礼2拍手1礼となります。
金比羅さんということで、御祭神はおそらく大物主神。
しかし金比羅さんが大物主神として祀られるようになったのは明治時代の神仏分離後なので、もともとは金毘羅大権現が祀られていたと思われます(推測)
って、いや待て・・・
神仏分離後、金比羅さんは金刀比羅宮と名称を変え、そして金毘羅大権現から大物主神を祀ったという経緯から考えると、この社は金刀比羅でも琴平でもなく金毘羅社なので、もしかしたら祀られているのは金毘羅大権現のままなのかも知れません。
なんかややこしいことを言ってスミマセン。
●金毘羅社 天狗面
金毘羅社には大きな天狗面がありました。
なんと、この天狗面は高杉晋作ゆかりの一品だという!
幼少時代の高杉晋作さんは家族に連れられ、この天狗の面を見せられて物怖じしないようにしつけられたのだとか!
当時は麻ひもでつくった髭と髪を付いていたらしく、さらに目と歯は金色に光っていたという。
現在は笑ったようなお顔をしていますが、昔はもっと迫力のある顔だったんだろうなぁ。
この天狗面で鍛え上げられた晋作さんは、幕府や外国という巨大な敵にも物怖じせずに戦い、やがて明治維新へ。
今の日本があるのは、天狗面で鍛えられた度胸があったからこそ?
そう思うと、なかなか感慨深い一品ですねぇ。
ちなみに幼少時代の桂小五郎(木戸孝允)さんも、この天狗面をよく見にきていたそうです。
●金毘羅社
●銅鏡(大鏡)
・1822年奉納
・直径 125cm
・重さ 160kg
・近藤政善 作
金毘羅社には巨大な銅鏡がありました。
なんとこちら、日本最大級の銅鏡だという!
貼り紙に書いてある説明には『平成十八年十月に六十数年の年月を越えて買い戻して来ました』と書いてありました。
・・・って、買い戻した!?
どうやらこの大鏡は1822年に金毘羅社に奉納されたもののようですが、太平洋戦争中の金属類回収令により供出され、長い間失われていたのだという。。
しかし!
京都でオークションに出品されていることを知り、落札して買い戻したんだって!
しかも、オークションに出品されていることを知ったのは入札締切日ギリギリだったという奇跡!
供出されたにも関わらず武器などの材料にならず、さらに入札締切日ギリギリに知って落札できたという奇跡の連続合わせ技!
これは神様仏様が導いたとしかいいようがないミラクルですね!
●金毘羅社 狛犬
●金毘羅社 狛犬
・奉納年不明
あと、神社ということで社殿前には狛犬ちゃんがおられました。
●金毘羅社
・建立年不明
・瓦葺 重層入母屋造
・総欅造
・萩市指定有形文化財
続いて、金毘羅社を参拝。
この金毘羅社は円政寺の前身である法光院の時代から鎮座していたそうです。
神仏分離令が発令された際、お寺の嘆願により廃社を免れたため、現在のような神仏習合の寺院になったんだって。
金毘羅社の建立年は不詳ですが、境内入口の鳥居が1745年建立、さらに1830~43年に編纂された八江萩名所図画に金毘羅社の姿が描かれていることから、少なくとも江戸時代後期〜末期には建立されていたと思われます。
それにしても、巨大な唐破風向拝が特徴的でした。
小ぶりながらも重厚感のある社殿でしたよ。
先ほどの本堂はお寺ですが、この金毘羅社は神社ですので、参拝法は2礼2拍手1礼となります。
金比羅さんということで、御祭神はおそらく大物主神。
しかし金比羅さんが大物主神として祀られるようになったのは明治時代の神仏分離後なので、もともとは金毘羅大権現が祀られていたと思われます(推測)
って、いや待て・・・
神仏分離後、金比羅さんは金刀比羅宮と名称を変え、そして金毘羅大権現から大物主神を祀ったという経緯から考えると、この社は金刀比羅でも琴平でもなく金毘羅社なので、もしかしたら祀られているのは金毘羅大権現のままなのかも知れません。
なんかややこしいことを言ってスミマセン。
●金毘羅社 天狗面
金毘羅社には大きな天狗面がありました。
なんと、この天狗面は高杉晋作ゆかりの一品だという!
幼少時代の高杉晋作さんは家族に連れられ、この天狗の面を見せられて物怖じしないようにしつけられたのだとか!
当時は麻ひもでつくった髭と髪を付いていたらしく、さらに目と歯は金色に光っていたという。
現在は笑ったようなお顔をしていますが、昔はもっと迫力のある顔だったんだろうなぁ。
この天狗面で鍛え上げられた晋作さんは、幕府や外国という巨大な敵にも物怖じせずに戦い、やがて明治維新へ。
今の日本があるのは、天狗面で鍛えられた度胸があったからこそ?
そう思うと、なかなか感慨深い一品ですねぇ。
ちなみに幼少時代の桂小五郎(木戸孝允)さんも、この天狗面をよく見にきていたそうです。
●金毘羅社
●銅鏡(大鏡)
・1822年奉納
・直径 125cm
・重さ 160kg
・近藤政善 作
金毘羅社には巨大な銅鏡がありました。
なんとこちら、日本最大級の銅鏡だという!
貼り紙に書いてある説明には『平成十八年十月に六十数年の年月を越えて買い戻して来ました』と書いてありました。
・・・って、買い戻した!?
どうやらこの大鏡は1822年に金毘羅社に奉納されたもののようですが、太平洋戦争中の金属類回収令により供出され、長い間失われていたのだという。。
しかし!
京都でオークションに出品されていることを知り、落札して買い戻したんだって!
しかも、オークションに出品されていることを知ったのは入札締切日ギリギリだったという奇跡!
供出されたにも関わらず武器などの材料にならず、さらに入札締切日ギリギリに知って落札できたという奇跡の連続合わせ技!
これは神様仏様が導いたとしかいいようがないミラクルですね!
●金毘羅社 狛犬
●金毘羅社 狛犬
・奉納年不明
あと、神社ということで社殿前には狛犬ちゃんがおられました。
金刀比羅宮の御朱印~膝が大爆笑!階段地獄へようこそ!こんぴら総本宮~(香川県仲多度郡琴平町)
所在地香川県仲多度郡琴平町892−1祭 神主祭神 大物主神相殿 崇徳天皇由 緒創建年は不詳。もともと金刀比羅宮は金毘羅大権現を祀る松尾寺でした。江戸時代中期、金毘羅信仰は全国の庶民の間へと広がり、...
木馬(神馬)と石灯籠
●木馬(神馬)
●木馬(神馬)
・1820年寄進
・安永貞右衛門 作
境内にはリアルな神馬ちゃんもおられました。
なんと幼少時代の高杉晋作さんと伊藤博文さんは、この神馬ちゃんで遊んでいたんだって!
高杉晋作さんと伊藤博文さんは、子供の頃この境内が遊び場だったらしく、いつもここに来ては馬の鼻をなでていたのだとか!
●石灯籠
●石灯籠
・1858年建立
・高さ 5.07m
・萩市指定有形文化財
その他、境内には巨大な石灯籠がありました。
この石灯籠は城下の町民が寄進したものらしく、山口県内で最大の石灯籠といわれています。
日本一の石灯籠と書いてありましたので、日本一大きい石灯籠なのかと勘違いしそうですねぇ。
一体、何が日本一なんだろうねぇ・・・(-“-;) ??
そんなことより!
なんと、この石灯籠は免震構造になっているという!
灯籠を支える4つの猫足が動く仕掛けになっていて、地震が起きても倒れない仕組みになってるんだって!
スゴっ!
免震構造の五重塔はよくありますが、石灯籠にも免震構造があるとはね!
いやはや、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。
●名探偵コナン
ちなみにこのお寺は、2008年放送の名探偵コナン 明治維新ミステリーツアー(解読編)の舞台になったそうです。
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために納経所へ。
御朱印を書いてもらっている間、住職さんが楽しいお話をしてくれました。
1メートル隣では、ボランティアガイドさんが観光客を相手に楽しいお話をしていました。
そんなこんなで、左耳でガイドさんのお話を聞き、右耳で住職さんのお話を聞いていたひと時。
結果、何も頭に入ってきませんでした・・・嗚呼。
●木馬(神馬)
・1820年寄進
・安永貞右衛門 作
境内にはリアルな神馬ちゃんもおられました。
なんと幼少時代の高杉晋作さんと伊藤博文さんは、この神馬ちゃんで遊んでいたんだって!
高杉晋作さんと伊藤博文さんは、子供の頃この境内が遊び場だったらしく、いつもここに来ては馬の鼻をなでていたのだとか!
●石灯籠
●石灯籠
・1858年建立
・高さ 5.07m
・萩市指定有形文化財
その他、境内には巨大な石灯籠がありました。
この石灯籠は城下の町民が寄進したものらしく、山口県内で最大の石灯籠といわれています。
日本一の石灯籠と書いてありましたので、日本一大きい石灯籠なのかと勘違いしそうですねぇ。
一体、何が日本一なんだろうねぇ・・・(-“-;) ??
そんなことより!
なんと、この石灯籠は免震構造になっているという!
灯籠を支える4つの猫足が動く仕掛けになっていて、地震が起きても倒れない仕組みになってるんだって!
スゴっ!
免震構造の五重塔はよくありますが、石灯籠にも免震構造があるとはね!
いやはや、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。
●名探偵コナン
ちなみにこのお寺は、2008年放送の名探偵コナン 明治維新ミステリーツアー(解読編)の舞台になったそうです。
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために納経所へ。
御朱印を書いてもらっている間、住職さんが楽しいお話をしてくれました。
1メートル隣では、ボランティアガイドさんが観光客を相手に楽しいお話をしていました。
そんなこんなで、左耳でガイドさんのお話を聞き、右耳で住職さんのお話を聞いていたひと時。
結果、何も頭に入ってきませんでした・・・嗚呼。
御朱印情報
●御朱印の種類
・円政寺の御朱印
・中国四十九薬師霊場の御朱印
・山口県十八不動・三十六童子霊場の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・8:00~17:00
●御朱印の料金
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・金毘羅社再建300年記念御朱印
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年3月20日 参拝
・2016年8月15日 再訪
・2022年6月 更新
・円政寺の御朱印
・中国四十九薬師霊場の御朱印
・山口県十八不動・三十六童子霊場の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・8:00~17:00
●御朱印の料金
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・金毘羅社再建300年記念御朱印
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年3月20日 参拝
・2016年8月15日 再訪
・2022年6月 更新
萩の世界遺産巡り|情熱と試行錯誤の産業革命|(山口県萩市)
萩の世界遺産とは?ヤバいです。首のヘルニアがヤバいのです。ずっと右手がシビレてるのですよ。握力はなんと驚愕の20!調べてみると、女子以下。小学6年生(男子)並みの握力だという。ということで、お医...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・8:00~17:00
●拝観料
・大人・大学生 200円
・高校・中学生 150円
・小学生 50円
※大人・高校・中学生の方には萩城城下町絵図が付きます。
●最寄りの駅
・JR東萩駅から徒歩25分
・JR東萩駅から車で5分
●最寄りのバス停
・防長交通 萩循環まぁーるバス(西回り)
萩美術館浦上記念館・萩城城下町入口 バス停から徒歩5分
※萩循環まぁーるバスの詳細はこちら。
●最寄りのIC
・中国自動車道
美祢東JCTから小郡萩道路(無料)へ
終点・絵堂ICから車で25分
●円政寺の駐車場
・有料の専用駐車場あり(3台)
※余計なお世話かも知れませんが、萩城下町には円政寺の他にもたくさんの見どころがありますので、近隣の駐車場に駐車して歩いて観光することをオススメします。
・8:00~17:00
●拝観料
・大人・大学生 200円
・高校・中学生 150円
・小学生 50円
※大人・高校・中学生の方には萩城城下町絵図が付きます。
●最寄りの駅
・JR東萩駅から徒歩25分
・JR東萩駅から車で5分
●最寄りのバス停
・防長交通 萩循環まぁーるバス(西回り)
萩美術館浦上記念館・萩城城下町入口 バス停から徒歩5分
※萩循環まぁーるバスの詳細はこちら。
●最寄りのIC
・中国自動車道
美祢東JCTから小郡萩道路(無料)へ
終点・絵堂ICから車で25分
●円政寺の駐車場
・有料の専用駐車場あり(3台)
※余計なお世話かも知れませんが、萩城下町には円政寺の他にもたくさんの見どころがありますので、近隣の駐車場に駐車して歩いて観光することをオススメします。
●近隣の駐車場
①萩博物館前駐車場(萩城下町近く)
②中央公園駐車場(萩城下町近く)
③萩・明倫センター駐車場(萩・明倫学舎近く)
●駐車場の料金
・普通車 310円
・大型車 1050円
上記3ヶ所の有料駐車場は、最初に利用した駐車場の領収書を提示すると、2ヶ所目以降の駐車料金が当日限り無料になります。
①萩博物館前駐車場(萩城下町近く)
②中央公園駐車場(萩城下町近く)
③萩・明倫センター駐車場(萩・明倫学舎近く)
●駐車場の料金
・普通車 310円
・大型車 1050円
上記3ヶ所の有料駐車場は、最初に利用した駐車場の領収書を提示すると、2ヶ所目以降の駐車料金が当日限り無料になります。
萩の世界遺産巡り|情熱と試行錯誤の産業革命|(山口県萩市)
萩の世界遺産とは?ヤバいです。首のヘルニアがヤバいのです。ずっと右手がシビレてるのですよ。握力はなんと驚愕の20!調べてみると、女子以下。小学6年生(男子)並みの握力だという。ということで、お医...