天手長男神社の御朱印|壱岐国一宮じゃないかも知れない!(長崎県壱岐市)

所在地長崎県壱岐市郷ノ浦町田中触730
祭 神主祭神
・天忍穂耳尊・天手力男命・天鈿女命
合祀神
・仁徳天皇・仲哀天皇・日本武尊・比賣大神
・栲幡千々姫尊・稚日女尊・木花開耶姫命
・豊玉姫命・玉依姫命・布都主命など
社 格 ・壱岐国一宮
・式内社(名神大)
由 緒811年、天手長雄神社として創建。後に天手長男神社と改称。しかしその後、元寇(蒙古襲来)により廃れてしまい、所在がわからなくなってしまったという。現在の天手長男神社は、それまで若宮と呼ばれていた小祠を平戸藩の国学者・橘三喜が式内社・天手長男神社に比定したもので、創建当初の天手長男神社ではないそうです。1688年、平戸藩主・松浦氏の命により社殿を造営。以後、壱岐国一宮として信仰されました。その後、1965年に天手長比売神社・物部布都神社・若宮神社・宝満神社を合祀し現在に至るそうです。ちなみに、この地から出土した石造・弥勒如来坐像は日本で3番目に古い石像として国の重要文化財に指定されています。
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境内入口

●境内入口

壱岐国の一宮であります天手長男神社に到着。

天手長男神社と書いてあめのたながおじんじゃと読みます。


今回の壱岐旅でお世話になったグルメ宿&タラソ温泉 壱岐牧場さん。

毎朝・毎晩、女将さんと旅話や神社話をして心をバイブさせ、まるで家族のような時間を過ごしたのでありました。

そのおかげで別れはとっても辛いものとなり涙&涙。

そんな女将さんが猛烈にオススメしてくれたのが、この天手長男神社でした。

女将さんはこの神社のことを長男さん(ちょうなんさん)と呼んで、頻繁に参拝しているそう。

女将さん親子は、この長男さんでとんでもない御利益を授かり、そのあり得ない神秘話に絶叫してしまいました。

マジで凄すぎるため、御利益の内容を書くことができないのが残念!

そんなこんなで私も御利益を授かろうと、下心を剥き出しにして参拝したのですが・・・やはり神様は見抜きますね。

何も起こりませんでしたね。
蚊の大群に襲われてカユカユになっただけでしたよ。
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鳥居と参道と狛犬

●鳥居①

●鳥居①
・1940年建立
・明神鳥居

柱が太いので一瞬鎮信鳥居か!?
と思ってしまいましたが、明神鳥居でした。


この鳥居で面白いなぁ〜と思ったのは扁額。

なんと扁額には宝珠がついているという。


さらに扁額の裏には打出の小槌までありました。

いきなりの宝満感に御利益の期待が高まったんだけどね。

打出の小槌から出てきたのは蚊の大群だったみたい。


●参道

この神社は標高51mの鉢形山の山頂に鎮座しています。

そんなこんなで、山頂の社殿に向けて一直線に石階段が続いてました。

ネットの情報によるとこの石階段は137段あるそうです。

まるで壁のように立ちはだかる階段を前に心が骨折しかけましたが、いざ上ってみるとそれほどではなかったです。


ちなみに、かつてこの鉢形山には壱岐国司・佐伯良孝さんが築いた鉢形城があったそうですよ。

鉢形山という名前は、神功皇后が三韓征伐をする際、この山に兜の鉢を治めて戦勝祈願をしたことが由来なんだって。

この地も神功皇后ゆかりの地だったとはね!

魏志倭人伝、さらに日本神話・・・壱岐には古代の足跡がたくさん残ってますねぇ。


●鳥居②

●鳥居②
・1931年建立
・明神鳥居

そんなこんなで、長〜い石階段を上ると鳥居②が登場。

明神鳥居2連発です。


鳥居②の扁額には宝満神社と書かれておりました。

はて、これはどういうことかな・・・!?

と思ったら、この神社は1965年に天手長比売神社・物部布都神社・若宮神社・宝満神社合祀しているみたいです。

合祀年は1965年。
鳥居の建立年は1931年。

もともと宝満神社がどこにあったのはわかりませんが、おそらくこの鳥居は旧境内地から移設してきたものと思われます。

ちなみにこちらの扁額にも宝珠がありました。


そして扁額の裏には太陽が刻まれていました。

壱岐は神が宿る島ですので、これはアマテラスさんとツクヨミさんを表したものなのか!?

と思いましたが、この太陽と月には『明るいときから暗いときまでお守りくださる』という意味があるんだって。

ちなみに壱岐の神社巡りでは、ちょいちょい太陽と月がデザインされた社殿や石灯籠などに出会うことができましたよ。


●狛犬

●狛犬
・2015年奉納
・岡崎現代型

続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。

悲しいかな、狛犬ちゃんは岡崎現代型。

いわゆる量産品です。

他県では最もポピュラーな狛犬として知られていますが、今回の壱岐旅では2度目の登場となります。


●石段

●石段
・1931年築造

そんなこんなで、狛犬ちゃんを過ぎると再び石階段が登場。

どうやらこの石段は1931年に築造されたもののようです。

石階段の築造年は、移設された宝満神社・鳥居の建立年と同じ年でしたよ。


●鳥居③

●鳥居③
・建立年不明
・明神鳥居

そんなこんなで、石階段を上ると再び鳥居が登場。

壱岐は小さな神社が多く、ほとんどの神社が一ノ鳥居だけです。

この神社のように三ノ鳥居があるのはとっても珍しいことだったりします。


扁額の裏には何が刻まれてるんだろう・・・と期待してしまいましたが、何もありませんでしたよ〜。
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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 妻入り入母屋造

続いて、拝殿で参拝。

この神社の創建は811年。
しかし創建当初は別の場所に鎮座していたみたいです。

さらにその神社は鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)によって廃れてしまい、所在がわからなくなってしまったという。


それから時は経ち、江戸時代。
この地には若宮と呼ばれていた小祠があったそうです。

1676年、肥前国平戸藩の4代藩主・松浦鎮信さんは、国学者・橘三喜さんに壱岐国に鎮座する式内社24社の調査を命じました。

橘三喜さんはこの地が田中触という地名だったことに着目。

田中触(たなかふれ)

手長男(たながお)

という理由から、この地に天手長男神社があったと推定しました。


そんなこんなで、橘三喜さんはこの地にあった竹薮の中に入り、神社の痕跡を探しました。

そして地元の人たちを集めて竹薮の中を探索していたら、なんと土の中から神鏡1面石造・弥勒如来坐像2体、その他たくさんの土器が発見されたという!

この地は祭祀場跡に違いない!

と結論付けた橘三喜さんは若宮の小祠を式内社・天手長男神社に比定したのでありました。

しかし、ここでも橘三喜さんの適当っぷりは健在!

近年の研究により、式内社・天手長男神社は現・興神社有力論社となっております・・・またやっちゃったよ、橘三喜さん!

現・興神社が式内社・天手長男神社(壱岐国一宮)なのには以下の理由があります。

(こう)は国府(こう)を意味する
② 興神社の境内社に壱岐国総社がある

このような理由から、壱岐国の国府付近に鎮座する興神社が壱岐国一宮・天手長男神社であるといわれています。


ちなみに現・興神社は、橘三喜さんが式内社・與神社に比定した神社です。

しかし、これは見誤ったためといわれています・・・橘三喜さん、もぅ滅茶苦茶だぁ〜。

そんなこんなで、橘三喜さんが比定した式内社は近年になってことごとく否定されていますが、橘三喜さんの調査は無駄ではありませんでした!

なんと!

天手長男神社の竹藪調査で発掘された石造・弥勒如来坐像日本で3番目に古い石像だったという!

その貴重っぷりから、現在は国の重要文化財に指定されています!


●石造・弥勒如来坐像
・1071年作
・像高 54.3cm
・最大奥 23.4cm
・膝張 29.0cm
・胸像型 滑石一石造
・国指定重要文化財

ちなみに発見された石造・弥勒如来坐像2体は盗難に遭ってしまったという。。

しかしそのうちの1体が奈良の骨董品屋で2000万円で売りに出されていたんだと!

そんなこんなで、奈良博物館の関係者が買い戻し、現在は奈良国立博物館が所蔵してるんだって!

ちなみに壱岐市立一支国博物館で、忠実に復元された石造・弥勒如来坐像を拝観することができました!

その仏像さんは回転盤の上に安置されていて、360度くまなく拝観することができましたよ。

レプリカだとわかっていても、リアルなお姿に感動しました。

橘三喜の壱岐・式内社調査とは?
橘三喜の壱岐・式内社調査とは?1676年、平戸藩主・松浦鎮信さんは、壱岐国にある式内社24社を調査し、各社の御祭神の名を記録し、後世に残し伝えようと思い立ちました。その際、国学者・橘三喜さんに壱岐国24社の調査...


●本殿

●本殿
・建立年不明
・覆屋 瓦葺 切妻造

本殿は覆屋で保護されていたため拝見することができませんでした。

由緒によると、1688年に平戸藩主・松浦氏の命で社殿を造営とありましたので、もしかしたらこの本殿はそのときのものかも知れませんね。


●主祭神
・天忍穂耳尊・天手力男命・天鈿女命

●合祀神
・仁徳天皇・仲哀天皇・日本武尊・比賣大神
・栲幡千々姫尊・稚日女尊・木花開耶姫命
・豊玉姫命・玉依姫命・布都主命など

この神社は、1965年に天手長比売神社・物部布都神社・若宮神社・宝満神社を合祀しています。

そのため、たくさんの神様がお祀りされていました。

初めて天手長男神社という社号を見たときは、に届くほどが祀られてるのかと思いましたが・・・手長には御手長という意味があるそうです!

●御手長とは?

宗像大社の宗像大菩薩御縁起によりますと、神功皇后の三韓征伐の際、宗像大社の神が御手長という旗竿に武内宿禰が持っていた紅白の旗をつけ、これを上げ下げして敵を翻弄したといわれています。

そして最後に御手長を沖ノ島(福岡県宗像市)に立てたそうです。

そんなこんなで、天手長男と天手長比売の名前はこの御手長が由来なんだって。

壱岐島と沖ノ島の意外な繋がりにびっくりです。

壱岐島も沖ノ島も神が宿る島ですし、神功皇后ゆかりの島。


ちなみに福岡県宗像市に鎮座する織旗神社は、武内宿禰さんが旗を織った地といわれています。

織幡神社の御朱印~武内宿禰ゆかりの神社~(福岡県宗像市鐘崎)
所在地福岡県宗像市鐘崎字岬224祭 神武内宿禰・住吉大神・志賀大神・天照大神宗像大神・八幡大神・壱岐真根子臣社 格式内社(名神大)・旧県社宗像大社境外摂社由 緒宗像大菩薩御縁起によると、神功皇后...
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境内社

●境内社(粟島神社?)

●境内社
・建立年不明
・瓦葺 平入り切妻造

続いて、境内社を参拝。


社殿の中にはたくさんの産着が奉納されていました。

ネットの情報によると、こちらは粟島神社とのことです。


その他、境内にはいくつかの石祠がありました。

もともとこの地には若宮と呼ばれていた小祠があり、それを橘三喜さんが式内社・天手長男神社に比定しています。

もしかして、この石祠が若宮なのか?

などなど、安易な考察をしてみたひと時。

安易っぷりでいえば、橘三喜さんと大して変わらない・・・(めっちゃ失礼!)


その他、境内には御旅所っぽい石造物がありました。

壱岐の神社にはこのような石造物が多いです。
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天手長比売神社跡

●天手長比売神社跡

天手長男神社から約200m離れた地には天手長比売神社跡がありました。


もともと天手長比売神社跡には栲幡千々姫命・稚日女命・木花開耶姫命・豊玉姫命・玉依姫命の5柱がお祀りされていたみたいです。

しかし鎌倉時代の元寇によって廃れ、所在が不明になってしまったという。

そんなこんなで、現在は天手長男神社に合祀されています。


ちなみに、勝本町本宮にも橘三喜さんが式内社に比定した手長比賣神社がありましたよ。

手長比賣神社の御朱印|田んぼの中に鎮座する式内社|(長崎県壱岐市)
所在地長崎県壱岐市勝本町本宮西触1212祭 神栲幡千々姫命・天忍穂耳尊社 格式内社(小)由 緒創建年は不詳。1676年、国学者・橘三喜が式内社・手長比賣神社に査定するまでは手長男大明神や棚河大明神...


そんなこんなで、参拝終了。

本当は壱岐国一宮じゃないかも知れない一宮。

壱岐島の式内社は由緒がややこしくて、逆に楽しいです。

御朱印情報


●御朱印の種類
・天手長男神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・天手長男神社の拝殿

※天手長男神社には宮司さんは常駐していません

御朱印は天手長男神社の拝殿内に書置きが用意されています。

●御朱印の料金
・300円

●御朱印の受付時間
・不明

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

●天手長男神社の連絡先
・0920-47-5748

※宮司さんのご都合により対応できない場合があります。

・2022年8月28日 参拝
・2022年9月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの港
・郷ノ浦港から車で10分
・印通寺港から車で15分
・芦辺港から車で15分

●最寄りの空港
・壱岐空港から車で15分

●最寄りのバス停
・壱岐交通
 柳田 バス停から徒歩10分

・壱岐交通
 田ノ上 バス停から徒歩10分

※バスの路線図・時刻表はこちら

●最寄りのIC
・なし


●駐車場

●駐車場①
・社殿の隣に広い駐車場があります。

石階段を避けたい方はこちらがオススメです。


●駐車場②
・鉢形山の麓にも駐車場があります。

この駐車場から境内入口までは徒歩1分くらいです。

天手長男神社の地図

 

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