霧島岑神社の御朱印|霧島六社権現の総本社かも?(宮崎県小林市)

所在地宮崎県小林市細野4937
祭 神 ・瓊々杵尊・木花咲耶姫命・彦穂々出見尊
・豊玉姫命・鵜葺草葺不合尊・玉依姫命
由 緒創建年は不詳。しかし平安時代初期の続日本後紀に日向国諸県郡霧島岑神と記されていることから、それ以前には存在していた神社と思われます。もともとは霧島・高千穂峰 中腹の脊門尾の地に鎮座していたそうですが、霧島山の度重なる噴火で焼失。その都度、社殿を再建し、幾度か遷座した後に旧夷守神社があった現在地に遷座。それが現在の霧島岑神社といわれています。
HP霧島岑神社公式ホームページ
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霧島岑神社とは?

●境内入口

霧島六社権現の1社であります霧島岑神社に到着。

って、霧島神社・・・読めない(笑)

どうやら霧島岑神社と書いてきりしまみねじんじゃと読むみたいです。

恥ずかしながら、霧島こん神社と読んでましたよ!


そんなことより、もともとこの神社は天の逆鉾で知られる高千穂峰の中腹にある脊門尾(せとのお)という地に鎮座していたらしく、当時は霧島中央権現宮と呼ばれていたんだって。

しかし霧島山の度重なる噴火で焼失。

その都度、社殿を再建しますが、霧島山のお怒りはおさまらず。。

幾度か遷座した後、夷守神社が鎮座していた現在地に遷座。

そして夷守神社を合祀して霧島岑神社となったんだって。


ちなみにもともとの鎮座地である脊門尾は高千穂峰御鉢の中間にあったみたいです。


高千穂峰を登山したとき、高千穂峰と御鉢の間に霧島神社元宮の鳥居が建っていましたが、もしかしたらここに霧島岑神社が鎮座していたのでしょうか?

●霧島山と霧島岑神社

●1112年
・韓国岳の噴火により社殿焼失。

●1167年
・大幡山の噴火により社殿焼失。

●1234年
・火常峰(御鉢)の噴火により社殿焼失。

※境内の霊泉・天之井が涸れたことにより居住が困難となり山麓の瀬多尾に遷座。

●1716年
・新燃岳の噴火により社殿焼失。

●1717年
・新燃岳の噴火により境内が火山灰で埋没。

※当時の別当・恵宝法院隆盛を始め、小林社家6名、衆人約50名が、埋没した御神体を探し出す。
そして、柴神輿に移し里坊下山中の今坊権現社近くに安置。
その後、小林細野岡原に仮殿を設けて遷座。

●1729年
・火山活動が静まり瀬多尾に遷座を計画するも困難と判断。
そんなこんなで、夷守岳東懐に社殿を新築して遷座。

●1868年
・霧島岑神社と改称。

●1873年
・夷守神社(夷守権現社)を合祀。
そして夷守神社(夷守権現社)の跡地に遷座。


記憶にも新しい2018年の新燃岳の噴火。

今も昔も霧島山は元気いっぱいの活火山で、霧島山周辺の神社は常に霧島山と共に歴史を歩んでおられます。


●性空上人と霧島岑神社

947〜957年、天台宗の僧・性空上人が霧島山で修行をし、霧島山の周囲6ヶ所に鎮座する神社に別当寺を建立。

その6社寺は霧島六社権現と呼ばれ、神仏習合の形態をとることになったという。

ちなみに霧島中央権現(霧島岑神社)は瀬多尾という地に鎮座していたため瀬多尾権現とも呼ばれ、別当寺も瀬多尾寺と称していたそうです。

霧島中央権現という名前でもわかるように、霧島六社権現の中心として信仰を集めていたんだって。

●霧島六社権現とは?

①霧島神宮
・西御在所霧島権現
・別当 華林寺

②東霧島神社
・東霧島権現
・別当 勅詔院

③狭野神社
・狭野大権現
・別当 神徳院

④霧島東神社
・東御在所霧島権現
・別当 錫杖院

⑤霧島岑神社
・霧島中央権現
・別当 瀬多尾寺

⑥夷守神社
・雛守権現
・別当 宝光院

※夷守神社は霧島岑神社と合祀したため現在は5社となっております。


そんなこんなで、参拝開始。

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鳥居①・仁王像・手水舎①・イチイガシ

●鳥居①

●鳥居①
・建立年不明
・両部鳥居

まず最初に登場するのは両部鳥居

この神社の創建年は不詳ですが、平安時代初期の続日本後紀に日向国諸県郡霧島岑神に従五位上を与えたと記載されていることから、それ以前には存在していた神社と思われます。

一説によると、霧島神宮をはじめとする他の霧島六社権現は、霧島開山の祖・性空上人が霧島岑神社の分霊を勧請したものといわれています。

そのため、この霧島岑神社は霧島六社権現の総本社だったのでは?

とも言われています。

霧島山の神社といえば真っ先に霧島神宮を思い浮かべてしまいますが、まさか霧島岑神社が総本社だったとはね!

これはなかなか興味深い説ですね。


●石造 仁王像

●石造 仁王像
・1716年奉納
・勝岡石切七左衛門作

そんなこんなで、鳥居をくぐると石造の仁王さんが登場。

神社なのに仁王さん!?

どうやらこれは神仏習合時代の名残のようです。

もともとこの地には霧島六社権現の1つ・雛守権現(夷守神社)が鎮座していたんだって。

そして1874年に霧島岑神社がこの地に遷座し、雛守権現(夷守神社)を合祀

ということで、この仁王さんは雛守権現(夷守神社)時代の名残のようです。


1716年の新燃岳大噴火でこの地は甚大な被害を受けたといわれています。

そんなこんなで、お怒りになった御山の鎮魂、災害からの復興、五穀豊穣などを祈願して奉納されたのがこの仁王さんというわけだ。


仁王さんの背面には、石工 勝岡石切七右衛門 享保元年丙申十月吉祥日と刻まれていました。

勝岡とは都城盆地三股町にある地名。
石切とは石工のこと。
七右衛門とは毛利七右衛門さんのことなんだって。

ちなみに、毛利七右衛門さんは享保の石像ブームの代表的な人物といわれています。


●手水舎①

●手水舎①
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

そんなこんなで仁王さんに挨拶を済ませ、手水舎でお清め。

手水鉢は可愛い浮き玉で飾られていました。

おじさんの中に潜む乙女心がキュンキュンしています。


●イチイガシ①

●イチイガシ①
・樹齢 約400年
・高さ 約38m
・幹周 約5.9m
・みやざき新巨樹100選

参道にはみやざき新巨樹100選に選ばれているイチイガシがありました。

木標には樹高38mと書いてあったけど、どう見ても10mちょっとしかないんだよね。

災害かなんかで折れちゃったのかなぁ?

ちなみに、一位勝志(イチイガシ)という語呂から勝利祈願の場所になっているみたいです。


●イチイガシ②

イチイガシ①のすぐ近くにはもう1本イチイガシがありました。

こちらのイチイガシは、根元に小さなが開いていました。


どうやらこの木はお熱の神サァと呼ばれているらしく、古くから子供の発熱などの病気平癒を祈願する人が多いんだって。


●参道

それにしても神々の視線を感じる神秘的な参道でした。
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鳥居②・門社・手水舎②

●鳥居②

●鳥居②
・建立年不明
・明神鳥居

続いて、鳥居②が登場。

この神社は式内社・霧嶋神社の論社となっております。

延喜式神名帳に諸県郡一座小 霧嶋神社と記載されているのですが、その霧嶋神社というのが霧島六社権現のどの神社を指すのかはわかってないという。

しかし、霧島中央権現という名前からしてこの霧島岑神社が式内社・霧嶋神社という説が有力なんだって。


●門社(門守社)

●門社(門守社)
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造

そんなこんなで鳥居②をくぐると、豊磐間戸神と櫛磐間戸神を祀る門社(門守社)に到着。

・豊磐間戸神 → トヨイワマドの神
・櫛磐間戸神 → クシイワマドの神

と読みます。


ちなみにこの2神は、アマテラスが天岩戸から出たあと新殿に遷座した際、殿の守衛した神様といわれています。

一般的に神社の随身門でお祀りされることが多く、お寺でいう仁王さんみたいな役割をするお方です。

それにしても、九州南部の神社には門社がある神社が多いです。

そんなこんなで、宮崎・鹿児島旅では門社で参拝するのが密かな楽しみでもあります。


●手水舎②

●手水舎②
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

門社を過ぎると再び手水舎が登場。

そんなこんなで、2度目のお清め。

2度洗いで頑固な穢れがとれたらいいなぁ。
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拝殿・本殿・雲龍巻柱

●拝殿

●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 平入切妻造

続いて、拝殿で参拝。

この霧島岑神社は、古来よりこの地を治めていた伊東氏・北原氏などから篤く崇敬され栄えていたそうです。

また戦国時代には日向・薩摩・大隅を治めた島津氏が厚く崇敬した神社といわれています。

どうやら、島津氏17代当主・島津義弘さんが飯野城を居城としていた頃、この神社を度々参詣していたみたいです。

島津義弘寄進状によると、島津義弘さんは毎年米100俵を寄進していたんだって。


●本殿

●本殿 覆屋
・建立年不明
・銅板葺 流造

本殿は覆屋で保護されていたため、外からは拝見することができませんでした。


というか、なんと!

覆屋の壁には金属板が張られているというね!

防火対策バッチリ!

武装感がスゴいです!


●御祭神
・瓊々杵命(ニニギ)
・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)
・彦火々出見命(ヒコホホデミ)
・豊玉姫命(トヨタマヒメ)
・鸕鷀草葺不合命(ウガヤフキアエズ)
・玉依姫命(タマヨリヒメ)

御祭神のニニギさんとホホデミさんとアエズさんは皇室の祖先として日向三代と称される方々です。

そしてコノハナサクヤヒメはニニギの嫁さん。

トヨタマヒメはホホデミの嫁さん。

タマヨリヒメはアエズの嫁さん、ならびに神武天皇の母です。

ということで、この神社には日向三代夫婦がお祀りされていました。


●雲龍巻柱

そんなこんなで神社の方に声をかけ、昇殿させて頂きました。

スゴいんだよ、本殿の柱がっ!


●雲龍巻柱
・1862年作
・小林市指定有形文化財

本殿の向拝柱には勇ましいの彫刻が施されているというね!

この柱は雲龍巻柱と呼ばれるもので、江戸時代における薩摩文化を今に伝える貴重な文化財なんだって。

ちなみに、1862年に社殿が再建された際に共に造られたものと考えられています。


向かって右側の龍が阿形。
左側の龍が吽形になっていました。

柱に巻きつく龍と雲は高浮彫りの技法が用いられ、柱の下部は八角柱になっていました。

この雲龍巻柱はそれぞれ五帝龍神(左)と罔象女神(右)を表したものといわれ、五帝龍神は雨乞いの神、罔象女神は水の神として奥座にお祀りされている御祭神をお護りしているそうです。


●東霧島神社の雲龍巻柱

ちなみに、都城市に鎮座する東霧島神社にも雲龍巻柱がありました。

こちらは至近距離から拝観することができましたよ。
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境内社

●大山祇神社と豊受神社(脇社)

●脇社 大山祇神社
・大山祇命(オオヤマツミ)
・磐長姫命(イワナガヒメ)

本殿向かって右側には脇社の大山祇神社が鎮座していました。

御祭神のオオヤマツミさんはコノハナサクヤヒメのお父さん。

イワナガヒメはコノハナサクヤヒメのお姉さんです。


●脇社 豊受神社
・豊受大神

写真はありませんが、本殿向かって左側には豊受神社が鎮座していました。

豊受大神は伊勢神宮 外宮にお祀りされていることで知られ、天照大神の食事を受け持つ神様です。


●馬頭神社

●馬頭神社
・保食神

続いて、馬頭神社を参拝。

霧島岑神社には2つの公式ホームページが存在しており、1つは保食神を祀っていると書いてあり、もう1つは馬頭観音を祀ると書いてあるという・・・(-“-;) ??


●繭神社

●繭神社
・大宣都姫命(オオゲツヒメ)

続いて、繭神社を参拝。

それにしても細長い鳥居だなぁ。


そういえば、説明板の文字も細長かった!

なんだか目がバグってしまったのかと思っちゃいましたよ。


三角屋根の本殿も面白い。


そんなことより、繭神社ということでお社にはカイコの繭が奉納されていました。

御祭神はスサノオさんに殺されてしまったオオゲツヒメ

って、なんでカイコオオゲツヒメ!?

実はカイコとオオゲツヒメは非常に関係の深い繋がりがあるのです。


スサノオさんはオオゲツヒメの汚物を喰わされていたことに怒り狂ってオオゲツヒメをしてしまうのですが、オオゲツヒメの死体からはたくさん穀類が生まれることに。

目からが生まれ、耳からが生まれ、鼻から小豆が生まれ、ケツから大豆が生まれ、そして頭からカイコが生まれました。

そんなこんなで、カイコの生みの親はオオゲツヒメなのです。


その他、境内には役目を終えたお社もありました。

良縁のみち

●良縁のみち

社殿前には良縁のみちという映えるトンネルもありました。

カラフルだったので、ついつい写真を撮りたくなるスポットでした。


手水舎の浮き玉と同じく、おじさんの心に潜む乙女心がキュンキュンしちゃいましたねぇ。

多分、心の中は内股になってたと思うな。


そんなこんなで、参拝終了。

いやはや、素敵な神社でした。

御朱印情報

●御朱印情報

●御朱印の種類
・霧島岑神社の御朱印
・雛守神社(夷守神社)の御朱印
・キキタビの御朱印

※コロナ禍の影響からか、御朱印は書置き対応になっていました。
ちなみに霧島岑神社の御朱印と雛守神社の御朱印はセットで授与されています。

●御朱印の受付場所
・社務所(授与所)

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・600円(霧島岑神社と雛守神社の2社分)

●オリジナル御朱印帳
・なし


●期間限定・特別御朱印
・第六十三回式年遷宮奉讃 神宮大麻限定御朱印


・御札と御朱印のセット(1000円)
・御朱印のみ(600円)

※この初穂料は20年に1度行われる伊勢神宮の建替工事への浄財となります。

・2022年11月3日 参拝
・2022年12月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・不明

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR小林駅から徒歩50分
・JR小林駅から車で10分

●最寄りのバス停
・小林市コミュニティバス(のりやいバス おうらい)
 夷守 バス停から徒歩5分

小林市コミュニティバス(のりやいバス おうらい)の時刻表と路線図はこちら

●最寄りのIC
・宮崎自動車道
 高原ICから車で15分

・宮崎自動車道
 小林ICから車で25分


●駐車場

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(100台)


●トイレ

駐車場には綺麗なトイレもあります。

霧島岑神社の地図

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