
所在地 | 東京都世田谷区代沢3丁目27−1 |
---|---|
宗 派 | 浄土宗 |
由 緒 | 1608年、結城秀康が帰依した越前国・一乗寺の万世和尚に一寺の創建を依頼。そして万世和尚の弟子・孫公和尚が結城秀康の位牌所として創建したのがこのお寺の始まりといいます。明治時代の神仏分離まで隣接する北澤八幡神社の別当寺だったそうです。 |
HP | 浄土宗八幡山浄光院 森巖寺 |
森巖寺とは?

本日はサブカルの街・下北沢をプラプラと散策しています。
●境内入口

そんなこんなで北澤八幡神社で参拝後、北澤八幡神社の近くに位置する森巖寺に到着。
このお寺の正式名称は八幡山 浄光院 森巖寺。
八幡山 浄光院 森巖寺と書いてはちまんざん じょうこういん しんがんじと読みます。
八幡山という山号は北澤八幡神社の別当寺だったことが由来。
院号と寺号は、結城秀康さんの法名・浄光院殿森巖道慰運正大居士が由来なんだとか。

ちなみに森厳寺でも森巌寺でも森嚴寺でもなく森巖寺が正しい表記のようです。
油断したら森厳寺と書いてしまいそう!
それにしても巖・・・こんな漢字、今までの人生で書いたことないなぁ・・・
というか、これからも書くことないだろうなぁ・・・(笑)
●森巖寺とは?

1607年、死期の迫った結城秀康さんはかねてより帰依していた越前国・一乗寺の万世和尚に黄金を贈り、江戸にお寺を建立するように遺言したそうです。
しかし万世和尚は年老いていたため、結城秀康さんの望みを叶えることはできませんでした。
そこで万世和尚は弟子の孫公和尚に結城秀康の遺言を託したという。
そんなこんなで、孫公和尚は寺地を決めるために各地を巡ることに。
そして北沢村が適地とし、寺院を建立。
それが森巖寺の始まりだという。
●結城秀康とは?

結城秀康さんは徳川家康の次男として誕生。
しかし戦の和解条件として10歳のときに豊臣秀吉のもとへ養子に出され、羽柴秀康と名乗ることに。
その後、結城晴朝の養子となり、結城秀康と呼ばれることとなりました。
関ヶ原の戦い後、越前国北ノ庄藩(福井藩)の初代藩主となりましたが、病気を患い死去(享年34)。

1607年、死期の迫った結城秀康さんはかねてより帰依していた越前国・一乗寺の万世和尚に黄金を贈り、江戸にお寺を建立するように遺言したそうです。
しかし万世和尚は年老いていたため、結城秀康さんの望みを叶えることはできませんでした。
そこで万世和尚は弟子の孫公和尚に結城秀康の遺言を託したという。
そんなこんなで、孫公和尚は寺地を決めるために各地を巡ることに。
そして北沢村が適地とし、寺院を建立。
それが森巖寺の始まりだという。
●結城秀康とは?

結城秀康さんは徳川家康の次男として誕生。
しかし戦の和解条件として10歳のときに豊臣秀吉のもとへ養子に出され、羽柴秀康と名乗ることに。
その後、結城晴朝の養子となり、結城秀康と呼ばれることとなりました。
関ヶ原の戦い後、越前国北ノ庄藩(福井藩)の初代藩主となりましたが、病気を患い死去(享年34)。
そんなこんなで、参拝開始。
山門と参道
●山門

●山門
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 高麗門
まず最初に登場するのは山門。
一見、棟門かなぁ〜と思いましたが、本柱の後ろに切妻屋根を乗せた控柱がありましたので、基本構造は高麗門となります。

よ〜く見たら、鳥居の上に切妻屋根が乗っかってるみたいな造りになっていました。
これは、なかなか面白い門ですねぇ〜。

山門には粟嶋の灸と書かれた木の看板がありました。
どうやら森巖寺は、江戸時代に灸・針供養・富士講のお寺として知られていたらしく、中でも灸の効能の評判がよく、多くの参詣者で賑わってたんだとか。
●石灯籠(常夜燈)

●石灯籠(常夜燈)
・1833年建立
山門前には天保4年に奉納された一対の石灯籠(常夜燈)がありました。
どうやらこちらは旅籠屋中(内藤新宿上町)が奉納したもののようです。
●淡島大明神の碑
・1814年建立
石灯籠(常夜燈)の隣には淡島大朙神と刻まれた石碑が建っていました。
こちらは文化11年に奉納されたもののようです。

そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
●参道

参道正面は淡島幼稚園。
くの字に折れ曲がった参道を右に曲がると本堂がありました。

●山門
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 高麗門
まず最初に登場するのは山門。
一見、棟門かなぁ〜と思いましたが、本柱の後ろに切妻屋根を乗せた控柱がありましたので、基本構造は高麗門となります。

よ〜く見たら、鳥居の上に切妻屋根が乗っかってるみたいな造りになっていました。
これは、なかなか面白い門ですねぇ〜。

山門には粟嶋の灸と書かれた木の看板がありました。
どうやら森巖寺は、江戸時代に灸・針供養・富士講のお寺として知られていたらしく、中でも灸の効能の評判がよく、多くの参詣者で賑わってたんだとか。
●石灯籠(常夜燈)

●石灯籠(常夜燈)
・1833年建立
山門前には天保4年に奉納された一対の石灯籠(常夜燈)がありました。
どうやらこちらは旅籠屋中(内藤新宿上町)が奉納したもののようです。
●淡島大明神の碑
・1814年建立
石灯籠(常夜燈)の隣には淡島大朙神と刻まれた石碑が建っていました。
こちらは文化11年に奉納されたもののようです。

そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
●参道

参道正面は淡島幼稚園。
くの字に折れ曲がった参道を右に曲がると本堂がありました。
本堂
●本堂

●本堂
・1964年再建
・瓦葺 入母屋造
続いて、本堂で参拝。
このお寺さんは、江戸時代に2回火災に遭っているそうです。
その時に本堂を焼失しているんだって。
ちなみに現在の本堂は昭和39年に建立されたもののようです。

扁額には森巖寺の文字。
どうやらこちらは森巖寺の15世住職による筆のようです。

御本尊は阿弥陀如来さん。
脇侍は観音菩薩さんと勢至菩薩さん。
いわゆる阿弥陀三尊像です。
そして阿弥陀三尊像の下にある厨子には結城秀康さんの位牌が安置されてるのだとか。
ちなみに江戸名所図会によると、御本尊は恵心僧都作。
脇侍の観音菩薩さんと勢至菩薩さんは行基作と書いてあるんだって。
しかし新編武蔵風土記稿には、御本尊は春日の作(奈良仏師)。
脇侍の観音菩薩さんと勢至菩薩さんは宇治平等院造作の彫物なりと書いてあるそうです。

開基の結城秀康さんは徳川家康の次男です。
そのこともあってか、境内のところどころに徳川家の家紋・三つ葉葵を確認することができました。

●本堂
・1964年再建
・瓦葺 入母屋造
続いて、本堂で参拝。
このお寺さんは、江戸時代に2回火災に遭っているそうです。
その時に本堂を焼失しているんだって。
ちなみに現在の本堂は昭和39年に建立されたもののようです。

扁額には森巖寺の文字。
どうやらこちらは森巖寺の15世住職による筆のようです。

御本尊は阿弥陀如来さん。
脇侍は観音菩薩さんと勢至菩薩さん。
いわゆる阿弥陀三尊像です。
そして阿弥陀三尊像の下にある厨子には結城秀康さんの位牌が安置されてるのだとか。
ちなみに江戸名所図会によると、御本尊は恵心僧都作。
脇侍の観音菩薩さんと勢至菩薩さんは行基作と書いてあるんだって。
しかし新編武蔵風土記稿には、御本尊は春日の作(奈良仏師)。
脇侍の観音菩薩さんと勢至菩薩さんは宇治平等院造作の彫物なりと書いてあるそうです。

開基の結城秀康さんは徳川家康の次男です。
そのこともあってか、境内のところどころに徳川家の家紋・三つ葉葵を確認することができました。
淡島堂と針塚
●淡島堂

続いて、淡島堂を参拝。

●狛犬
・1809年奉納
・江戸獅子
まずは狛犬ちゃんにご挨拶。
狛犬ちゃんは文化6年に奉納された江戸獅子でした。
森巖寺の隣に鎮座する北澤八幡神社の狛犬ちゃんもそうでしたが、両寺社の狛犬ちゃんは比較的良い状態で残る江戸獅子でした。

●淡島堂
・1836年建立
・銅瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
続いて、淡島堂で参拝。
淡島堂は天保7年に建立された森巖寺最古の建造物です。

淡島堂という名前のおかげで仏堂だと思ってましたが、実は拝殿・幣殿・本殿がある神社形式の建物だったという!
ちなみに淡島堂の正式名称は北沢淡島明神社なんだって。

淡島神社といえば、淡島神社・粟島神社の総本社である和歌山市加太に鎮座する淡島神社が有名です。
実は森巖寺の淡島神社は和歌山市加太の淡島神社から勧請された神社なんだとか。
●針塚

淡島堂の近くには針塚がありました。
どうやら森巖寺は、世田谷区の無形民俗文化財に指定されている針供養が有名なお寺さんなんだとか。
ちなみに、針供養とは折れた針や古い針を供養して処分する行事のことです。
森巖寺の針供養はいつから始まったのか定かではありませんが、1856年の狂歌江戸名所図会に針供養に関連した狂歌が詠まれていることから、少なくとも1856年以前には知られていた行事だと思われます。

続いて、淡島堂を参拝。

●狛犬
・1809年奉納
・江戸獅子
まずは狛犬ちゃんにご挨拶。
狛犬ちゃんは文化6年に奉納された江戸獅子でした。
森巖寺の隣に鎮座する北澤八幡神社の狛犬ちゃんもそうでしたが、両寺社の狛犬ちゃんは比較的良い状態で残る江戸獅子でした。

●淡島堂
・1836年建立
・銅瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
続いて、淡島堂で参拝。
淡島堂は天保7年に建立された森巖寺最古の建造物です。

淡島堂という名前のおかげで仏堂だと思ってましたが、実は拝殿・幣殿・本殿がある神社形式の建物だったという!
ちなみに淡島堂の正式名称は北沢淡島明神社なんだって。

淡島神社といえば、淡島神社・粟島神社の総本社である和歌山市加太に鎮座する淡島神社が有名です。
実は森巖寺の淡島神社は和歌山市加太の淡島神社から勧請された神社なんだとか。
初代住職・孫公和尚は和歌山県出身で持病の腰痛に悩まされていました。
そんなある夜、故郷の淡島様が夢枕に立ち、灸治の霊示を受けました。
ということで、孫公和尚は自分の足へ施灸すると、永年苦しめられた腰痛が嘘のように治ったという!
そんなこんなで、和歌山市加太に鎮座する総本社・淡島神社に願い出て淡島様を勧請しました。
それが淡島堂の始まりなんだって。
そんなある夜、故郷の淡島様が夢枕に立ち、灸治の霊示を受けました。
ということで、孫公和尚は自分の足へ施灸すると、永年苦しめられた腰痛が嘘のように治ったという!
そんなこんなで、和歌山市加太に鎮座する総本社・淡島神社に願い出て淡島様を勧請しました。
それが淡島堂の始まりなんだって。
●針塚

淡島堂の近くには針塚がありました。
どうやら森巖寺は、世田谷区の無形民俗文化財に指定されている針供養が有名なお寺さんなんだとか。
ちなみに、針供養とは折れた針や古い針を供養して処分する行事のことです。
森巖寺の針供養はいつから始まったのか定かではありませんが、1856年の狂歌江戸名所図会に針供養に関連した狂歌が詠まれていることから、少なくとも1856年以前には知られていた行事だと思われます。
弁財天と不動堂・閻魔堂
●弁財天

続いて、淡島堂の隣にあるガラス張りのモダンなお堂を参拝。
どうやらこちらは弁天堂のようです。

弁天堂ということで、堂内には一面八臂の弁財天さまがおられました。
そして厨子の前には、体は蛇で頭部が老人の宇賀神さまもおられました。
●不動堂・閻魔堂

●不動堂・閻魔堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、不動堂・閻魔堂を参拝。
柵が置いてあったため、堂内に入ることはできませんでした。

しかし戸の間から閻魔さまの姿を拝見することができました。
ネットの情報によると、向かって右側には不動明王さまも安置されてるんだとか。
残念ながら不動明王さまの姿を拝見することはできませんでした。

その他、境内には開山堂がありました。
2023年、シーナ&ザ・ロケッツのギタリスト・鮎川誠さんがお亡くなりになりました。
鮎川さんは長年下北沢で暮らしていたため、下北沢の近くにある森巖寺・開山堂でロック葬を執り行う予定だったそうですが、いろいろあって急遽、世田谷区の星かげの迎賓館に変更になったそうです。

続いて、淡島堂の隣にあるガラス張りのモダンなお堂を参拝。
どうやらこちらは弁天堂のようです。

弁天堂ということで、堂内には一面八臂の弁財天さまがおられました。
そして厨子の前には、体は蛇で頭部が老人の宇賀神さまもおられました。
●不動堂・閻魔堂

●不動堂・閻魔堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、不動堂・閻魔堂を参拝。
柵が置いてあったため、堂内に入ることはできませんでした。

しかし戸の間から閻魔さまの姿を拝見することができました。
ネットの情報によると、向かって右側には不動明王さまも安置されてるんだとか。
残念ながら不動明王さまの姿を拝見することはできませんでした。

その他、境内には開山堂がありました。
2023年、シーナ&ザ・ロケッツのギタリスト・鮎川誠さんがお亡くなりになりました。
鮎川さんは長年下北沢で暮らしていたため、下北沢の近くにある森巖寺・開山堂でロック葬を執り行う予定だったそうですが、いろいろあって急遽、世田谷区の星かげの迎賓館に変更になったそうです。
大イチョウと富士塚
●大イチョウ

●大イチョウ
・樹齢 400年以上
・世田谷区指定保存樹
境内にそびえ立つ一対の大イチョウは開山当時からある古木なんだとか!
1988年に発行された世田谷名木百選によると、世田谷で1番幹廻りの太い木で、当時の樹高は約20m、幹廻りは6.25m、枝張りは16mだったんだとか。
紅葉のシーズンになると地面に黄色い海ができそうですねぇ~。

その他、かつて境内には富士塚が存在していたそうです。
その富士塚は江戸時代に盛んだった富士講のために1821年に築造されたもので、標高は約40mもあったんだって。
しかし森巖寺の墓地整備計画によって2006年に壊されたのだとか。。
2006年かぁ〜・・・
ひと目拝見しておきたかったなぁ〜!

そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。

●大イチョウ
・樹齢 400年以上
・世田谷区指定保存樹
境内にそびえ立つ一対の大イチョウは開山当時からある古木なんだとか!
1988年に発行された世田谷名木百選によると、世田谷で1番幹廻りの太い木で、当時の樹高は約20m、幹廻りは6.25m、枝張りは16mだったんだとか。
紅葉のシーズンになると地面に黄色い海ができそうですねぇ~。

その他、かつて境内には富士塚が存在していたそうです。
その富士塚は江戸時代に盛んだった富士講のために1821年に築造されたもので、標高は約40mもあったんだって。
しかし森巖寺の墓地整備計画によって2006年に壊されたのだとか。。
2006年かぁ〜・・・
ひと目拝見しておきたかったなぁ〜!

そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
下北沢 散策

参拝後、若者の街・サブカルチャーの街・古着屋の街・ファッションの街・演劇の街など、様々な肩書きをもつ下北沢、略して下北へ。

なんと下北には約180店もの古着屋さんがあるという!
なんでこんなにも古着屋さんが多いのか(笑)

というか、本日の目当ては古着屋さんではない。
八月というカレー屋さんが目当てなのだ。

八月は、私が大好きなバンド、サニーデイ・サービスの曽我部さんのお店です。

店内に曽我部さんがいたら緊張で手に持つスプーンが震えるだろうなぁ〜・・・
とかいう心配はいらず、店内には曽我部さんはいませんでした(笑)

大好きなアルバム・DANCE TO YOUのジャケの下で食うカレーは最高!
美味しかったなぁ〜!
御朱印情報

●御朱印の種類
・森巖寺の御朱印
●御朱印の受付場所
・庫裏(寺務所)
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・500円
●期間限定・特別御朱印
・針供養の御朱印
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2024年2月10日 参拝
・2024年3月 最終更新
・森巖寺の御朱印
●御朱印の受付場所
・庫裏(寺務所)
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・500円
●期間限定・特別御朱印
・針供養の御朱印
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2024年2月10日 参拝
・2024年3月 最終更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・京王井の頭線
池ノ上駅から徒歩10分。
・京王井の頭線・小田急線
下北沢駅から徒歩15分
●最寄りのバス停
・小田急バス
代沢四丁目 バス停から徒歩4分
・小田急バス
代沢小学校 バス停から徒歩5分
・小田急バス
淡島 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・首都高速3号渋谷線
池尻出入口から車で5分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
※駐車場は、境内裏手にある森巖寺・開山堂の駐車場を利用。
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・京王井の頭線
池ノ上駅から徒歩10分。
・京王井の頭線・小田急線
下北沢駅から徒歩15分
●最寄りのバス停
・小田急バス
代沢四丁目 バス停から徒歩4分
・小田急バス
代沢小学校 バス停から徒歩5分
・小田急バス
淡島 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・首都高速3号渋谷線
池尻出入口から車で5分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
※駐車場は、境内裏手にある森巖寺・開山堂の駐車場を利用。