所在地 | 東京都港区芝公園4丁目7−35 |
---|---|
宗 派 | 浄土宗 |
寺 格 | 大本山 |
札 所 | 江戸三十三ヶ所 第21番 |
由 緒 | 1393年、浄土宗第8祖・酉誉聖聡上人が浄土宗正統根本念仏道場として創建したのが始まり。1598年、江戸城を拡張する際、徳川家康が現在地に移転。風水学的に江戸の鬼門・上野に寛永寺を建立し、裏鬼門のこの地に増上寺を移転させたと考えられているそうです。当時、境内には檀林(学問所・養成所)が置かれ、関東十八檀林の筆頭になったという。明治時代、神仏分離により境内の広範囲が芝公園になったそうです。1945年、東京大空襲で徳川家霊廟、五重塔など多くの堂宇を焼失。その後、再建し現在に至るそうです。 |
HP | 大本山 増上寺 |
Contents
増上寺と徳川家
浄土宗七大本山の1つ、ならびに徳川家の菩提寺であります増上寺に到着。
このお寺の正式名称は三縁山 広度院 増上寺。
三縁山 広度院 増上寺と書いてさんえんざん こうどいん ぞうじょうじと読みます。
●増上寺と徳川家
1393年、浄土宗第8祖・酉誉聖聡上人が浄土宗正統根本念仏道場として創建したのが始まり。
もともとこのお寺は武蔵国豊島郷貝塚(現・千代田区平河町〜麹町)にあり、関東の浄土宗信仰の中心地だったそうです。
その後、1590年に関東へ入国した徳川家康さんが増上寺の住職・源誉存応上人に深く帰依したそうです。
そして徳川家康さんは増上寺を徳川家の菩提寺に定め、1598年に現在地へ移転。
風水学的に江戸の鬼門・上野に寛永寺を建立し、裏鬼門のこの地に増上寺を移転させたと考えられています。
徳川家康さんは亡くなる前に『葬儀は増上寺で行うように』という遺言を残したそうです。
その後も歴代将軍が手厚く保護し、徳川将軍家墓所に定められたという。
現在、徳川将軍家墓所には2代・秀忠さん、6代・家宣さん、7代・家継さん、9代・家重さん、12代・家慶さん、15代・家茂さんのお墓があります。
1393年、浄土宗第8祖・酉誉聖聡上人が浄土宗正統根本念仏道場として創建したのが始まり。
もともとこのお寺は武蔵国豊島郷貝塚(現・千代田区平河町〜麹町)にあり、関東の浄土宗信仰の中心地だったそうです。
その後、1590年に関東へ入国した徳川家康さんが増上寺の住職・源誉存応上人に深く帰依したそうです。
そして徳川家康さんは増上寺を徳川家の菩提寺に定め、1598年に現在地へ移転。
風水学的に江戸の鬼門・上野に寛永寺を建立し、裏鬼門のこの地に増上寺を移転させたと考えられています。
徳川家康さんは亡くなる前に『葬儀は増上寺で行うように』という遺言を残したそうです。
その後も歴代将軍が手厚く保護し、徳川将軍家墓所に定められたという。
現在、徳川将軍家墓所には2代・秀忠さん、6代・家宣さん、7代・家継さん、9代・家重さん、12代・家慶さん、15代・家茂さんのお墓があります。
そんなこんなで、参拝開始。
大門と三解脱門と参道
●大門(総門)
●大門(総門)
・1937年再建
・瓦葺 切妻造 高麗門
・鉄骨鉄筋コンクリート造
・港区指定有形文化財
まず最初に登場するのは大門。
現在は境内から約200m離れた地に建つ大門ですが、江戸時代まではこの大門まで境内が広がっていたといいます。
ちなみに南は芝公園一帯、北は東京タワーやプリンスホテルまでが増上寺の境内だったんだと。
大門は1937年に再建されたもので、RC造の高麗門。
中央は車道、脇門は歩道になっており、現代の街並みにマッチした構造になっておりました。
昭和時代の建立だし、RC造だし、歴史的価値はなさそうなんだけど、実は港区の有形文化財に指定されているという!
文化財に指定された理由はこちら。
ちなみに地下鉄の大門駅という名前は、この門が由来なんだって。
●三解脱門(三門)
●三解脱門(三門)
・1622年建立
・瓦葺 入母屋造
・五間三戸 二重門
・国指定重要文化財
続いて登場するのは増上寺の顔である三門。
建立年は1622年!
江戸時代初期に建立された貴重な建造物で国重文に指定されております。
大門同様、この門も戦時中の空襲を免れ、江戸時代の姿を今に伝える奇跡の遺構となっております。
面白いなぁ〜と思ったのは三門ではなく三解脱門と呼んでるところ!
通常、三解脱門を略して三門と呼ぶんだけど、このお寺はちゃんとフルネームで三解脱門と呼んでるというね!
ちなみに三門をくぐると三毒(3つの煩悩)すなわち貪・瞋・痴から解脱できるといわれています。
三毒から解脱できる門 = 三解脱門ということなんですね。
ネットの情報によると、2階内部(非公開)には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されてるんだって。
木鼻は禅宗様。
円柱の上部に粽が施されているのも禅宗様の特徴です。
その他、二重目の扇垂木や桟唐戸や花頭窓など基本的に禅宗様の門となっておりましたが、初重の三手先には尾垂木は付かず、さらに勾欄に和様が見られるなど禅宗様と和様が混在した門になっておりました。
それにしても大きな門です。
高さはなんと21m!
木造門として東日本最大級の大きさを誇るといわれてるのも納得!
そんなこんなで、三門をくぐって境内へ。
●参道
三門から大殿(本堂)まで一直線に伸びる参道。
三門から大殿までは48間あるそうです。
実はこの48という数字は、悟りを開くために叶えなければならない誓願の数なんだとか。
●大門(総門)
・1937年再建
・瓦葺 切妻造 高麗門
・鉄骨鉄筋コンクリート造
・港区指定有形文化財
まず最初に登場するのは大門。
現在は境内から約200m離れた地に建つ大門ですが、江戸時代まではこの大門まで境内が広がっていたといいます。
ちなみに南は芝公園一帯、北は東京タワーやプリンスホテルまでが増上寺の境内だったんだと。
大門は1937年に再建されたもので、RC造の高麗門。
中央は車道、脇門は歩道になっており、現代の街並みにマッチした構造になっておりました。
昭和時代の建立だし、RC造だし、歴史的価値はなさそうなんだけど、実は港区の有形文化財に指定されているという!
文化財に指定された理由はこちら。
①戦時中の空襲を免れたこと。
②竣工から80年が経過すること。
③地域の象徴であること。
④増上寺正門としての歴史的意味。
②竣工から80年が経過すること。
③地域の象徴であること。
④増上寺正門としての歴史的意味。
ちなみに地下鉄の大門駅という名前は、この門が由来なんだって。
●三解脱門(三門)
●三解脱門(三門)
・1622年建立
・瓦葺 入母屋造
・五間三戸 二重門
・国指定重要文化財
続いて登場するのは増上寺の顔である三門。
建立年は1622年!
江戸時代初期に建立された貴重な建造物で国重文に指定されております。
大門同様、この門も戦時中の空襲を免れ、江戸時代の姿を今に伝える奇跡の遺構となっております。
面白いなぁ〜と思ったのは三門ではなく三解脱門と呼んでるところ!
通常、三解脱門を略して三門と呼ぶんだけど、このお寺はちゃんとフルネームで三解脱門と呼んでるというね!
ちなみに三門をくぐると三毒(3つの煩悩)すなわち貪・瞋・痴から解脱できるといわれています。
三毒から解脱できる門 = 三解脱門ということなんですね。
●貪瞋痴とは?
・貪(とん) → 貪り(むさぼり)
・瞋(じん) → 怒り
・痴(ち) → 愚かさ
・貪(とん) → 貪り(むさぼり)
・瞋(じん) → 怒り
・痴(ち) → 愚かさ
ネットの情報によると、2階内部(非公開)には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されてるんだって。
木鼻は禅宗様。
円柱の上部に粽が施されているのも禅宗様の特徴です。
その他、二重目の扇垂木や桟唐戸や花頭窓など基本的に禅宗様の門となっておりましたが、初重の三手先には尾垂木は付かず、さらに勾欄に和様が見られるなど禅宗様と和様が混在した門になっておりました。
それにしても大きな門です。
高さはなんと21m!
木造門として東日本最大級の大きさを誇るといわれてるのも納得!
そんなこんなで、三門をくぐって境内へ。
●参道
三門から大殿(本堂)まで一直線に伸びる参道。
三門から大殿までは48間あるそうです。
実はこの48という数字は、悟りを開くために叶えなければならない誓願の数なんだとか。
水盤舎と鐘楼
●水盤舎(手水舎)
●水盤舎(手水舎)
・江戸時代建立(?)
・昭和時代移築
・銅瓦葺 切妻造
続いて、水盤舎でお清め。
もともとこの水盤舎は徳川綱重さんの霊廟にあったんだとか。
増上寺は戦時中の空襲でほとんどの堂宇が焼失したなか、この水盤舎は戦災から免れたという!
そんなこんなで、徳川綱重さんの霊廟から現在地に移築したのが、この水盤舎なんだって。
ちなみに徳川綱重さんは甲斐甲府藩主。
父は3代将軍・徳川家光さん。
兄は4代将軍・徳川家綱さん。
弟は5代将軍・徳川綱吉さん。
息子は6代将軍・徳川家宣さん。
なぜ徳川綱重さんだけ将軍になれなかったのか・・・!?
その答えは兄の家綱さんより先にお亡くなりになったからです。
決して出来損ないだったからじゃありません。
随所に徳川家の家紋・三つ葉葵の紋があったり、色彩も残ってたりなんかして、かなり見応えのある一品でした。
●鐘楼
●鐘楼
・昭和時代建立
・瓦葺 入母屋造
水盤舎の向かい側には鐘楼がありました。
もともとの鐘楼は1633年に建立されたものだったそうですが戦災により焼失。。
そんなこんなで、戦後に再建されたのが現在の鐘楼とのこと。
●梵鐘
・1673年鋳造
・高さ 約3.3m
・重さ 約15t
・港区指定有形文化財
梵鐘は1673年に鋳造されたもので江戸三大名鐘の1つなんだって。
一説によると江戸で鋳造された最古の梵鐘。
すなわち江戸で初めての梵鐘なんだとか!
ちなみに東日本最大級の鐘なんだって。
あまりの大きさに7回の鋳造を経て完成したともいわれています。
江戸三大名鐘といいながら3つ以上の候補があるという・・・(-“-;) ??
実は江戸三大名鐘は文献により組み合わせが異なるため、こんなことになっています。
これは三大◯◯や五大◯◯などでよくある現象です。
●水盤舎(手水舎)
・江戸時代建立(?)
・昭和時代移築
・銅瓦葺 切妻造
続いて、水盤舎でお清め。
もともとこの水盤舎は徳川綱重さんの霊廟にあったんだとか。
増上寺は戦時中の空襲でほとんどの堂宇が焼失したなか、この水盤舎は戦災から免れたという!
そんなこんなで、徳川綱重さんの霊廟から現在地に移築したのが、この水盤舎なんだって。
ちなみに徳川綱重さんは甲斐甲府藩主。
父は3代将軍・徳川家光さん。
兄は4代将軍・徳川家綱さん。
弟は5代将軍・徳川綱吉さん。
息子は6代将軍・徳川家宣さん。
なぜ徳川綱重さんだけ将軍になれなかったのか・・・!?
その答えは兄の家綱さんより先にお亡くなりになったからです。
決して出来損ないだったからじゃありません。
随所に徳川家の家紋・三つ葉葵の紋があったり、色彩も残ってたりなんかして、かなり見応えのある一品でした。
●鐘楼
●鐘楼
・昭和時代建立
・瓦葺 入母屋造
水盤舎の向かい側には鐘楼がありました。
もともとの鐘楼は1633年に建立されたものだったそうですが戦災により焼失。。
そんなこんなで、戦後に再建されたのが現在の鐘楼とのこと。
●梵鐘
・1673年鋳造
・高さ 約3.3m
・重さ 約15t
・港区指定有形文化財
梵鐘は1673年に鋳造されたもので江戸三大名鐘の1つなんだって。
一説によると江戸で鋳造された最古の梵鐘。
すなわち江戸で初めての梵鐘なんだとか!
ちなみに東日本最大級の鐘なんだって。
あまりの大きさに7回の鋳造を経て完成したともいわれています。
●江戸三大名鐘
・増上寺
・寛永寺
・浅草寺
・天龍寺
・市ヶ谷八幡宮など
・増上寺
・寛永寺
・浅草寺
・天龍寺
・市ヶ谷八幡宮など
江戸三大名鐘といいながら3つ以上の候補があるという・・・(-“-;) ??
実は江戸三大名鐘は文献により組み合わせが異なるため、こんなことになっています。
これは三大◯◯や五大◯◯などでよくある現象です。
大殿(本堂)
●大殿(本堂)
●大殿(本堂)
・1974年再建
・チタン瓦葺 錣屋根
・鉄骨鉄筋コンクリート造
続いて、大殿(本堂)で参拝。
御本尊は室町時代作の阿弥陀如来さま。
脇仏は浄土宗の開祖・法然上人像と、浄土五祖の第三祖・善導大師像が安置されていました。
もともとの大殿は戦時中の空襲により焼失。。
そんなこんなで、現在の大殿は1974年にRC造で再建されたものとなります。
よく見たら、錣屋根になっていました。
さらに大棟に金色の鴟尾が光り輝いていました。
それにしても気になります、東京タワーが!
気を抜けば東京タワーを見てしまいます!
気を抜けばずっと東京タワーを見ています(笑)
ちなみに現在は麻布台ヒルズも仲間に加わりました!
こちらは東京タワーから見た増上寺。
こちらは自宅から見た増上寺です・・・って、ウソです、見栄張りました!
麻布台ヒルズから見た増上寺です!
●大殿(本堂)
・1974年再建
・チタン瓦葺 錣屋根
・鉄骨鉄筋コンクリート造
続いて、大殿(本堂)で参拝。
御本尊は室町時代作の阿弥陀如来さま。
脇仏は浄土宗の開祖・法然上人像と、浄土五祖の第三祖・善導大師像が安置されていました。
もともとの大殿は戦時中の空襲により焼失。。
そんなこんなで、現在の大殿は1974年にRC造で再建されたものとなります。
よく見たら、錣屋根になっていました。
さらに大棟に金色の鴟尾が光り輝いていました。
それにしても気になります、東京タワーが!
気を抜けば東京タワーを見てしまいます!
気を抜けばずっと東京タワーを見ています(笑)
ちなみに現在は麻布台ヒルズも仲間に加わりました!
こちらは東京タワーから見た増上寺。
こちらは自宅から見た増上寺です・・・って、ウソです、見栄張りました!
麻布台ヒルズから見た増上寺です!
タワー大神宮の御朱印|東京タワーに鎮座|東京23区内で1番高い神社(東京都港区)
所在地東京都港区芝公園4丁目2−8祭 神天照皇大神由 緒1977年、日本電波塔株式会社が創立20周年を記念して創建した神社です。事業の繁栄と来塔者の安全を祈願して伊勢神宮より御分霊を勧請。この地の氏神・幸...
安国殿
●安国殿
●安国殿
・2011年再建
・瓦葺 入母屋造
・柿葺 向拝
続いて、安国殿を参拝。
安国殿は2011年に法然上人800年御忌を記念して再建されたもののようです。
御本尊は徳川家康さんの念持仏の秘仏・阿弥陀如来さま。
もともとこの阿弥陀如来さまは金色の像だったそうですが、長年の香煙により黒ずんでしまったという。
そのため、徳川家康さんが黒本尊と名付けたんだって。
ちなみに黒本尊は正月15日、5月15日、9月15日に御開帳されるそうです。
安国殿では一筆写経を納めると六字名号の御朱印を頂くことができます。
一文字一文字、魂を込めて写経したんだけど・・・ね。
・・・お気づきになられたでしょうか?
帰宅後に写真を見て気付いたんだけど無の文字の横線を書き忘れたまま奉納しちゃったというね!
馬鹿は治んないのかなぁ・・・(-“-;) ??
●安国殿
・2011年再建
・瓦葺 入母屋造
・柿葺 向拝
続いて、安国殿を参拝。
安国殿は2011年に法然上人800年御忌を記念して再建されたもののようです。
御本尊は徳川家康さんの念持仏の秘仏・阿弥陀如来さま。
もともとこの阿弥陀如来さまは金色の像だったそうですが、長年の香煙により黒ずんでしまったという。
そのため、徳川家康さんが黒本尊と名付けたんだって。
ちなみに黒本尊は正月15日、5月15日、9月15日に御開帳されるそうです。
安国殿では一筆写経を納めると六字名号の御朱印を頂くことができます。
一文字一文字、魂を込めて写経したんだけど・・・ね。
・・・お気づきになられたでしょうか?
帰宅後に写真を見て気付いたんだけど無の文字の横線を書き忘れたまま奉納しちゃったというね!
馬鹿は治んないのかなぁ・・・(-“-;) ??
西向聖観世音と千躰子育地蔵尊
●西向聖観世音
続いて、江戸三十三観音霊場の第21番札所であります、西向聖観世音を参拝。
●西向聖観世音 観音堂
・1980年建立
・瓦葺 入母屋造
西向観音さまは鎌倉幕府5代執権・北条時頼さんが観音山(現・東京タワー)に辻堂を建てて、鎌倉街道に向けて安置した石仏といわれています。
それを1975年に現在地へ移転。
そして1980年に観音堂を建立して現在に至るそうです。
●西向聖観世音菩薩像
・鎌倉時代作
・港区登録有形民俗文化財
ちなみに子育て・安産に御利益があるそうです。
●千躰子育地蔵尊
●千躰子育地蔵尊
子育て安産の御利益があるからか、西向聖観世音の近くにはたくさんの子育地蔵さんが立ち並んでいました。
この子育地蔵さんは1976年頃から建立され始め、現在ではなんと約1300体も安置されているという!
続いて、江戸三十三観音霊場の第21番札所であります、西向聖観世音を参拝。
●西向聖観世音 観音堂
・1980年建立
・瓦葺 入母屋造
西向観音さまは鎌倉幕府5代執権・北条時頼さんが観音山(現・東京タワー)に辻堂を建てて、鎌倉街道に向けて安置した石仏といわれています。
それを1975年に現在地へ移転。
そして1980年に観音堂を建立して現在に至るそうです。
●西向聖観世音菩薩像
・鎌倉時代作
・港区登録有形民俗文化財
ちなみに子育て・安産に御利益があるそうです。
●千躰子育地蔵尊
●千躰子育地蔵尊
子育て安産の御利益があるからか、西向聖観世音の近くにはたくさんの子育地蔵さんが立ち並んでいました。
この子育地蔵さんは1976年頃から建立され始め、現在ではなんと約1300体も安置されているという!
徳川将軍家墓所
●徳川将軍家墓所
続いて、安国殿の裏手にある徳川将軍家墓所を参拝。
徳川将軍家墓所には徳川将軍15代のうち、秀忠さん・家宣さん・家継さん・家重さん・家慶さん・家茂さんの6人が葬られています。
●鋳抜門
・江戸時代中期建立
・青銅製 平唐門
・港区登録有形文化財
それにしてもオール青銅製の鋳抜門が素敵過ぎました!
もともとこの門は6代将軍・徳川家宣さんの霊廟(文昭院霊廟)の中門だったそうです。
それを1958年に移築したのが現在の鋳抜門なんだとか。
左右の扉に10個の三つ葉葵の紋。
そして両サイドの袖塀には鋳抜かれた青銅製の昇り龍と下り龍が施されていました。
ちなみに頭を下に向けているのが昇り龍。
頭を上に向けているのが下り龍です。
いつもどっちだったか迷ってしまいます!
1945年3月10日の空襲で北廟68棟が被災。
続く5月25日の空襲で南廟28棟が被災し、墓所にあったほとんどの建造物が焼失してしまったという。。
焼失前は台徳院(秀忠)霊廟、崇源院(秀忠夫人)霊牌所、文昭院(家宣)霊廟、有章院(家継)霊廟が旧・国宝に指定されていたらしく、その壮大さは日光東照宮に引けを取らないものだったんだって。
続いて、安国殿の裏手にある徳川将軍家墓所を参拝。
徳川将軍家墓所には徳川将軍15代のうち、秀忠さん・家宣さん・家継さん・家重さん・家慶さん・家茂さんの6人が葬られています。
●鋳抜門
・江戸時代中期建立
・青銅製 平唐門
・港区登録有形文化財
それにしてもオール青銅製の鋳抜門が素敵過ぎました!
もともとこの門は6代将軍・徳川家宣さんの霊廟(文昭院霊廟)の中門だったそうです。
それを1958年に移築したのが現在の鋳抜門なんだとか。
左右の扉に10個の三つ葉葵の紋。
そして両サイドの袖塀には鋳抜かれた青銅製の昇り龍と下り龍が施されていました。
ちなみに頭を下に向けているのが昇り龍。
頭を上に向けているのが下り龍です。
いつもどっちだったか迷ってしまいます!
1945年3月10日の空襲で北廟68棟が被災。
続く5月25日の空襲で南廟28棟が被災し、墓所にあったほとんどの建造物が焼失してしまったという。。
焼失前は台徳院(秀忠)霊廟、崇源院(秀忠夫人)霊牌所、文昭院(家宣)霊廟、有章院(家継)霊廟が旧・国宝に指定されていたらしく、その壮大さは日光東照宮に引けを取らないものだったんだって。
旧方丈門(黒門)と四菩薩像とグラント松
●旧方丈門(黒門)
●旧方丈門(黒門)
・江戸時代初期建立
・1980年移築
・瓦葺 切妻造 四脚門
・港区指定有形文化財
こちらは三解脱門(三門)の南隣りに建つ旧方丈門です。
その名の通り、もともとこの門は方丈(庫裡)の表門だったらしく、全体が黒漆塗りだったために黒門と呼ばれていたんだとか。
●四菩薩像
●四菩薩像
・1258年作(?)
・港区登録有形民俗文化財
こちらは徳川将軍家墓所の近くにおられる四菩薩像です。
この四菩薩像は足利成氏さんが建てたとも、北条時頼さんが建てたとも、1258年に土地の人が真言僧に建てさせたともいわれる石仏さんです。
何にしろ古い石仏さんのようです。
●グラント松
こちらは1879年に第18代アメリカ大統領のグラントさんが参拝記念として植えた松なんだとか。
●旧方丈門(黒門)
・江戸時代初期建立
・1980年移築
・瓦葺 切妻造 四脚門
・港区指定有形文化財
こちらは三解脱門(三門)の南隣りに建つ旧方丈門です。
その名の通り、もともとこの門は方丈(庫裡)の表門だったらしく、全体が黒漆塗りだったために黒門と呼ばれていたんだとか。
●四菩薩像
●四菩薩像
・1258年作(?)
・港区登録有形民俗文化財
こちらは徳川将軍家墓所の近くにおられる四菩薩像です。
●左から
・文殊菩薩像
・虚空菩薩像
・地蔵菩薩像
・普賢菩薩像
・文殊菩薩像
・虚空菩薩像
・地蔵菩薩像
・普賢菩薩像
この四菩薩像は足利成氏さんが建てたとも、北条時頼さんが建てたとも、1258年に土地の人が真言僧に建てさせたともいわれる石仏さんです。
何にしろ古い石仏さんのようです。
●グラント松
こちらは1879年に第18代アメリカ大統領のグラントさんが参拝記念として植えた松なんだとか。
芝公園
●芝公園
増上寺に隣接する芝公園は、もともと増上寺の境内だったんだって。
しかし明治時代の神仏分離令により、増上寺と芝東照宮は分断されることに。
そんなこんなで、増上寺と芝東照宮の間に造られたのが芝公園というわけだ。
●台徳院霊廟惣門
●台徳院霊廟惣門
・1632年建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・国指定重要文化財
そんなこんなで、芝公園にも増上寺の建造物が建っています。
こちらは国重文の台徳院霊廟惣門です。
もともとこの門は2代将軍・徳川秀忠さんの霊廟にあった惣門なんだって。
徳川将軍家墓所の中で最も大きな規模だったそうですが、1945年の空襲で大部分が焼失。。
惣門は現在地に移築保存されましたが、焼失を免れた勅額門・御成門・丁字門は1960年に所沢市の狭山不動寺へ移築されました。
●仁王像
・江戸時代作
・港区指定有形文化財
仁王さんは江戸時代作。
胎内の銘札によると、もともとこの仁王さんは西福寺(埼玉県川口市)の仁王門に安置されていたんだって。
その後、どういった理由かはわかりませんが、1948年に浅草寺にお引越し。
そして1958年頃までに、現在地に安置されたと考えられているそうです。
●惣門跡
台徳院霊廟惣門をくぐって階段を上ると惣門跡に到着。
どうやら、もともとここに惣門があったみたい。
●水路跡
こちらは霊廟の惣門前にあった水路跡のようです。
2002年の発掘調査で、この真下・地下約8mで発見された遺構なんだって。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
増上寺に隣接する芝公園は、もともと増上寺の境内だったんだって。
しかし明治時代の神仏分離令により、増上寺と芝東照宮は分断されることに。
そんなこんなで、増上寺と芝東照宮の間に造られたのが芝公園というわけだ。
●台徳院霊廟惣門
●台徳院霊廟惣門
・1632年建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・国指定重要文化財
そんなこんなで、芝公園にも増上寺の建造物が建っています。
こちらは国重文の台徳院霊廟惣門です。
もともとこの門は2代将軍・徳川秀忠さんの霊廟にあった惣門なんだって。
徳川将軍家墓所の中で最も大きな規模だったそうですが、1945年の空襲で大部分が焼失。。
惣門は現在地に移築保存されましたが、焼失を免れた勅額門・御成門・丁字門は1960年に所沢市の狭山不動寺へ移築されました。
●仁王像
・江戸時代作
・港区指定有形文化財
仁王さんは江戸時代作。
胎内の銘札によると、もともとこの仁王さんは西福寺(埼玉県川口市)の仁王門に安置されていたんだって。
その後、どういった理由かはわかりませんが、1948年に浅草寺にお引越し。
そして1958年頃までに、現在地に安置されたと考えられているそうです。
●惣門跡
台徳院霊廟惣門をくぐって階段を上ると惣門跡に到着。
どうやら、もともとここに惣門があったみたい。
●水路跡
こちらは霊廟の惣門前にあった水路跡のようです。
2002年の発掘調査で、この真下・地下約8mで発見された遺構なんだって。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
芝東照宮の御朱印|四大東照宮の1社|芝公園に鎮座(東京都港区)
所在地東京都港区芝公園4丁目8−10祭 神徳川家康由 緒1601年、徳川家康が還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた寿像を駿府城に祀ったという。その後、1616年に徳川家康が寿像を祭祀する社殿を増上寺に建立...
御朱印情報
●御朱印の種類
・阿弥陀如来の御朱印
・西向聖観世音菩薩の御朱印
・黒本尊の御朱印
・六字名号(南無阿弥陀佛)の御朱印
・皇女和宮の御朱印
・台徳院殿の御朱印
・五百羅漢の御朱印
●御朱印の受付場所
・安国殿
・大殿地下1階 宝物展示室入口
①安国殿で頂ける御朱印
・阿弥陀如来の御朱印
・西向聖観世音菩薩の御朱印
・黒本尊の御朱印
・六字名号(南無阿弥陀佛)の御朱印
②大殿地下1階で頂ける御朱印
・皇女和宮の御朱印
・台徳院殿の御朱印
・五百羅漢の御朱印
●御朱印の料金
・阿弥陀如来(300円)
・黒本尊(300円)
・西向聖観世音菩薩(300円)
・皇女和宮(300円)
・台徳院殿(300円)
・五百羅漢(300円)
・六字名号の御朱印(500円)
●御朱印の受付時間
・9:00~17:00
●期間限定・特別御朱印
・黒本尊(金紙)の御朱印
・どうする家康 放映記念の御朱印
・屋根瓦葺き替え記念の御朱印
・六百年遠忌の御朱印
・四百年遠忌の御朱印
・三解脱門公開記念の御朱印
・黒本尊 七夕印の御朱印
・迎春 光明普照の御朱印など
●オリジナル御朱印帳
・サイズ 18cm × 12cm
・料金 2000円
・阿弥陀如来の御朱印
・西向聖観世音菩薩の御朱印
・黒本尊の御朱印
・六字名号(南無阿弥陀佛)の御朱印
・皇女和宮の御朱印
・台徳院殿の御朱印
・五百羅漢の御朱印
●御朱印の受付場所
・安国殿
・大殿地下1階 宝物展示室入口
①安国殿で頂ける御朱印
・阿弥陀如来の御朱印
・西向聖観世音菩薩の御朱印
・黒本尊の御朱印
・六字名号(南無阿弥陀佛)の御朱印
②大殿地下1階で頂ける御朱印
・皇女和宮の御朱印
・台徳院殿の御朱印
・五百羅漢の御朱印
●御朱印の料金
・阿弥陀如来(300円)
・黒本尊(300円)
・西向聖観世音菩薩(300円)
・皇女和宮(300円)
・台徳院殿(300円)
・五百羅漢(300円)
・六字名号の御朱印(500円)
●御朱印の受付時間
・9:00~17:00
●期間限定・特別御朱印
・黒本尊(金紙)の御朱印
・どうする家康 放映記念の御朱印
・屋根瓦葺き替え記念の御朱印
・六百年遠忌の御朱印
・四百年遠忌の御朱印
・三解脱門公開記念の御朱印
・黒本尊 七夕印の御朱印
・迎春 光明普照の御朱印など
●オリジナル御朱印帳
・サイズ 18cm × 12cm
・料金 2000円
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参拝情報とアクセス
●開門時間
・大殿 6:00~17:30
・安国殿 9:00~17:00
・定休日 無休
●拝観料
・境内無料
●最寄りの駅
・都営三田線
御成門駅 A1出口から徒歩5分
・都営三田線
芝公園駅 A3またはA4出口から徒歩6分
・都営浅草線
大門駅 A6出口から徒歩7分
・都営大江戸線
大門駅 A6出口から徒歩7分
・JR浜松町駅
北口から徒歩12分
・都営大江戸線
赤羽橋駅 赤羽橋口から徒歩13分
・東京メトロ日比谷線
神谷町駅 3出口から徒歩15分
●最寄りのバス停
・都バス
東京タワー(都道沿い) バス停から徒歩5分
・都バス
東京タワー(構内) バス停から徒歩6分
・都バス
大門駅前 バス停から徒歩10分
●駐車場
・なし
・大殿 6:00~17:30
・安国殿 9:00~17:00
・定休日 無休
●拝観料
・境内無料
●増上寺宝物展示室
・平日 11;00~15:00(最終入場14:45)
・土日祝 10:00~16:00(最終入場15:45)
・休館日 火曜日(火曜日が祝日の場合は開館)
・入館料 一般700円(税込)
※徳川将軍家墓所拝観とのセット券1000円
・平日 11;00~15:00(最終入場14:45)
・土日祝 10:00~16:00(最終入場15:45)
・休館日 火曜日(火曜日が祝日の場合は開館)
・入館料 一般700円(税込)
※徳川将軍家墓所拝観とのセット券1000円
●最寄りの駅
・都営三田線
御成門駅 A1出口から徒歩5分
・都営三田線
芝公園駅 A3またはA4出口から徒歩6分
・都営浅草線
大門駅 A6出口から徒歩7分
・都営大江戸線
大門駅 A6出口から徒歩7分
・JR浜松町駅
北口から徒歩12分
・都営大江戸線
赤羽橋駅 赤羽橋口から徒歩13分
・東京メトロ日比谷線
神谷町駅 3出口から徒歩15分
●最寄りのバス停
・都バス
東京タワー(都道沿い) バス停から徒歩5分
・都バス
東京タワー(構内) バス停から徒歩6分
・都バス
大門駅前 バス停から徒歩10分
●駐車場
・なし