総門
●総門
雪舟ゆかりのお寺であります医光寺に到着。
なんと、この医光寺は雪舟が5代目住職として数年間過ごしたお寺だという。
その際に作庭した庭園が拝観できるというじゃない!
一体全体、どんなお寺さんなんでしょ。
ドキドキワクワク。
そんなこんなで、参拝開始。
●総門
・建立年不明
・江戸時代初期移築
・本瓦葺 切妻造 高麗門
・高さ 4m
・幅 4.5m
・島根県指定文化財
まず最初に登場するのは巨大な高麗門!
いきなりカマしてきます!
なんとこの門は、もともと七尾城(益田城)の大手門だったそうですよ。
それを1600年の関ヶ原の戦いの後、七尾城(益田城)の廃城に伴い現在地に移築したんだって。
屋根は中央を高くし、両側を一段低くした構造になっていました。
どうやらもともと屋根はこんな形じゃなかったそうですよ。
1600年代の後半、九州岡藩(現・大分県竹田市)の大工の棟梁・竹田番匠というお方が現在の形に改造したんだって。
それにしても、間近で見るとなかなかの古材オーラを放出していました。
ごっつい本柱とほっそい控柱がバランスよく融合していて、いかにも戦国時代らしい無骨で男前な造りの門でしたよ~。
ちなみに総門はくぐることができませんでした。
ということで、門の横を通って中門へ。
雪舟ゆかりのお寺であります医光寺に到着。
なんと、この医光寺は雪舟が5代目住職として数年間過ごしたお寺だという。
その際に作庭した庭園が拝観できるというじゃない!
一体全体、どんなお寺さんなんでしょ。
ドキドキワクワク。
そんなこんなで、参拝開始。
●総門
・建立年不明
・江戸時代初期移築
・本瓦葺 切妻造 高麗門
・高さ 4m
・幅 4.5m
・島根県指定文化財
まず最初に登場するのは巨大な高麗門!
いきなりカマしてきます!
なんとこの門は、もともと七尾城(益田城)の大手門だったそうですよ。
それを1600年の関ヶ原の戦いの後、七尾城(益田城)の廃城に伴い現在地に移築したんだって。
屋根は中央を高くし、両側を一段低くした構造になっていました。
どうやらもともと屋根はこんな形じゃなかったそうですよ。
1600年代の後半、九州岡藩(現・大分県竹田市)の大工の棟梁・竹田番匠というお方が現在の形に改造したんだって。
それにしても、間近で見るとなかなかの古材オーラを放出していました。
ごっつい本柱とほっそい控柱がバランスよく融合していて、いかにも戦国時代らしい無骨で男前な造りの門でしたよ~。
ちなみに総門はくぐることができませんでした。
ということで、門の横を通って中門へ。
中門と鐘楼
●中門
●中門
・1779年建立
・瓦葺 切妻造 四脚門
・国の登録有形文化財
こちらの門もなかなかの古オーラを放出していました。
扁額には瑠璃寶殿と書いてありました。
ちなみに瑠璃とは、仏教の七宝の1つです。
昔は仏の功徳を様々な宝石に例えていました。
薬師如来に例えられた宝石は瑠璃。
ということで薬師如来さんは、瑠璃光如来といわれることがありますよ~。
医光寺の本尊が薬師如来さんということで、瑠璃寶殿という扁額が掲げられているということですね。
扉には、桐紋と16菊花紋という最強ツートップの彫刻がありました。
御存知、16菊花紋は皇室が使用している紋です。
桐紋は室町時代以降、皇室や豊臣政権などが使用していて、現在では日本国政府の紋章として用いられています。
いやはや、めちゃくちゃ高貴な門ですなぁ。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 袴腰鐘楼
鐘楼はスリムな袴腰となっておりました。
建立年は不明ですが、現在の諸堂は1729年の大火後に建立されたものらしいですよ。
ということで、この鐘楼も中門と同じ時期に建立されたものなのかなぁ?
●中門
・1779年建立
・瓦葺 切妻造 四脚門
・国の登録有形文化財
こちらの門もなかなかの古オーラを放出していました。
扁額には瑠璃寶殿と書いてありました。
ちなみに瑠璃とは、仏教の七宝の1つです。
昔は仏の功徳を様々な宝石に例えていました。
薬師如来に例えられた宝石は瑠璃。
ということで薬師如来さんは、瑠璃光如来といわれることがありますよ~。
医光寺の本尊が薬師如来さんということで、瑠璃寶殿という扁額が掲げられているということですね。
扉には、桐紋と16菊花紋という最強ツートップの彫刻がありました。
御存知、16菊花紋は皇室が使用している紋です。
桐紋は室町時代以降、皇室や豊臣政権などが使用していて、現在では日本国政府の紋章として用いられています。
いやはや、めちゃくちゃ高貴な門ですなぁ。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 袴腰鐘楼
鐘楼はスリムな袴腰となっておりました。
建立年は不明ですが、現在の諸堂は1729年の大火後に建立されたものらしいですよ。
ということで、この鐘楼も中門と同じ時期に建立されたものなのかなぁ?
本堂と雪舟庭園
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・臨済宗東福寺派
・石見三十三観音霊場 第19番札所
●本尊
本尊は薬師如来坐像。
脇侍は日光・月光菩薩立像。
なんと本尊は安阿弥の作というじゃない!
安阿弥とは快慶のことです!
●雪舟庭園
そんなこんなで
はいドーーーン!
本堂裏には、雪舟が作庭した素敵な庭園がありました!
●雪舟庭園
・1469~1487年作庭
・池泉観賞半回遊式庭園
・国の史跡
・国の名勝
雪舟は生涯で2度に渡って益田を訪れています。
1度目は58歳のとき。
七尾城城主・益田兼尭に招かれて、崇観寺(現・医光寺)の5代目住職として数年を過ごしました。
この庭園は、その時につくられたものといわれています。
ちなみにこの庭園は、万福寺庭園(島根県)、常栄寺庭園(山口県)、旧亀石坊庭園(福岡県)とともに雪舟四大庭園の1つらしいですよ。
益田市にあるもう1つの雪舟庭園であります萬福寺庭園が寺院様式を採用しているのに対し、この医光寺庭園は武家様式をとり入れているんだって。
なお、寺院様式と武家様式の違いはよくわかりません(笑)
もっと勉強せねば。
庭園は、急斜面の山崖をそのまま活かし、鶴を形どった池泉部に亀島を浮かべ、蓬莱石などのたくさんの石を配したつくりになっていました。
わかりやすく説明するため、写真に各部の名称を書いてみましたが、ゴチャゴチャして逆にわかりにくくなったというね(笑)
こういうの、マジでセンスない(^^;)
ちなみに枝垂桜は樹齢450年以上らしいですよ。
書院より庭園を望む。
素敵なお庭だったなぁ。
萬福寺の参拝記。
益田市にあるもう1つの雪舟庭園です。
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・臨済宗東福寺派
・石見三十三観音霊場 第19番札所
●本尊
本尊は薬師如来坐像。
脇侍は日光・月光菩薩立像。
なんと本尊は安阿弥の作というじゃない!
安阿弥とは快慶のことです!
●雪舟庭園
そんなこんなで
はいドーーーン!
本堂裏には、雪舟が作庭した素敵な庭園がありました!
●雪舟庭園
・1469~1487年作庭
・池泉観賞半回遊式庭園
・国の史跡
・国の名勝
雪舟は生涯で2度に渡って益田を訪れています。
1度目は58歳のとき。
七尾城城主・益田兼尭に招かれて、崇観寺(現・医光寺)の5代目住職として数年を過ごしました。
この庭園は、その時につくられたものといわれています。
ちなみにこの庭園は、万福寺庭園(島根県)、常栄寺庭園(山口県)、旧亀石坊庭園(福岡県)とともに雪舟四大庭園の1つらしいですよ。
益田市にあるもう1つの雪舟庭園であります萬福寺庭園が寺院様式を採用しているのに対し、この医光寺庭園は武家様式をとり入れているんだって。
なお、寺院様式と武家様式の違いはよくわかりません(笑)
もっと勉強せねば。
庭園は、急斜面の山崖をそのまま活かし、鶴を形どった池泉部に亀島を浮かべ、蓬莱石などのたくさんの石を配したつくりになっていました。
わかりやすく説明するため、写真に各部の名称を書いてみましたが、ゴチャゴチャして逆にわかりにくくなったというね(笑)
こういうの、マジでセンスない(^^;)
ちなみに枝垂桜は樹齢450年以上らしいですよ。
書院より庭園を望む。
素敵なお庭だったなぁ。
萬福寺の御朱印~雪舟庭と仏像観賞~(島根県益田市)
所在地島根県益田市東町25−33宗 派時宗札 所石見三十三観音霊場 客番由 緒平安時代に創建。もとは安福寺と号し、石見国・中洲浦にあった天台宗の寺院でしたが、1313年に第4代・呑海上人が再興し時...
益田市にあるもう1つの雪舟庭園です。
雪舟灰塚
●雪舟灰塚
●雪舟灰塚
・1506年建立
境内には雪舟灰塚というものがありました。
なんだろう・・・???
と思いつつ、説明板を読む・・・。
なんと、雪舟はこのお寺で火葬されたという!
この石碑は雪舟を火葬した後に建てられたものなんですって!
雪舟は1506年に東光寺(現・大喜庵)で亡くなったそうですが、東光寺より祟観寺(現・医光寺)の方が格が高いということで、遺体をこの地に運んで火葬したんだって。
石碑には前東福見祟観後東光雪舟楊大禅師と刻まれていました。
これはどういう意味かというと
『雪舟は東福寺で修行した後、祟観寺を経て、東光寺を訪れて生涯を終えた』
みたいな意味らしいです。
●雪舟とは?
ザックリと簡単に雪舟とは、室町時代に活躍した水墨画家・画僧です。
1420年、備中国(岡山県)で生まれる。
少年時代は宝福寺で禅の修行に励みますが、修行もそこそこに絵ばかり描いていたそうです。
その後、京都・相国寺で周文に画法を教えてもらい、1467年に明(中国)に渡って本場の水墨画を学びました。
帰国後は山口県の雲谷庵に住み、多くの作品を残します。
1476年、豊後国(大分県)に住み、県内各地のお寺に優れたお庭を残す。
1479年、益田兼堯からの招きで益田を訪れ、益田兼堯像や花鳥図屏風を描き、萬福寺や医光寺に庭園を作庭。
晩年に再び益田を訪れ、東光寺(現・大喜庵)で87歳の生涯を終える。
●雪舟灰塚
・1506年建立
境内には雪舟灰塚というものがありました。
なんだろう・・・???
と思いつつ、説明板を読む・・・。
なんと、雪舟はこのお寺で火葬されたという!
この石碑は雪舟を火葬した後に建てられたものなんですって!
雪舟は1506年に東光寺(現・大喜庵)で亡くなったそうですが、東光寺より祟観寺(現・医光寺)の方が格が高いということで、遺体をこの地に運んで火葬したんだって。
石碑には前東福見祟観後東光雪舟楊大禅師と刻まれていました。
これはどういう意味かというと
『雪舟は東福寺で修行した後、祟観寺を経て、東光寺を訪れて生涯を終えた』
みたいな意味らしいです。
●雪舟とは?
ザックリと簡単に雪舟とは、室町時代に活躍した水墨画家・画僧です。
1420年、備中国(岡山県)で生まれる。
少年時代は宝福寺で禅の修行に励みますが、修行もそこそこに絵ばかり描いていたそうです。
その後、京都・相国寺で周文に画法を教えてもらい、1467年に明(中国)に渡って本場の水墨画を学びました。
帰国後は山口県の雲谷庵に住み、多くの作品を残します。
1476年、豊後国(大分県)に住み、県内各地のお寺に優れたお庭を残す。
1479年、益田兼堯からの招きで益田を訪れ、益田兼堯像や花鳥図屏風を描き、萬福寺や医光寺に庭園を作庭。
晩年に再び益田を訪れ、東光寺(現・大喜庵)で87歳の生涯を終える。
開山堂と益田宗兼のお墓
●開山堂
●開山堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●十六羅漢像
・1751年作
・17世・南嶺和尚 作
本堂の隣には開山堂がありました。
堂内の棚(?)には十六羅漢さんが安置されていたのでちょっとビックリ。
こういう見せ方ってちょっと珍しいですね!
●益田宗兼のお墓
その他、境内には益田宗兼のお墓がありました。
益田宗兼とは、戦国時代の武将で益田氏第17代当主です。
医光寺を建立したお方で、雪舟から花鳥図屏風を寄贈されたことでも知られています。
●境内図
いやはや、素敵なお寺さんでした。
●開山堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●十六羅漢像
・1751年作
・17世・南嶺和尚 作
本堂の隣には開山堂がありました。
堂内の棚(?)には十六羅漢さんが安置されていたのでちょっとビックリ。
こういう見せ方ってちょっと珍しいですね!
●益田宗兼のお墓
その他、境内には益田宗兼のお墓がありました。
益田宗兼とは、戦国時代の武将で益田氏第17代当主です。
医光寺を建立したお方で、雪舟から花鳥図屏風を寄贈されたことでも知られています。
●境内図
いやはや、素敵なお寺さんでした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・南無薬師如来
(石見三十三観音霊場 第19番)
●御朱印の受付場所
・拝観受付
●御朱印の受付時間
・8:30~17:00(12月~2月)
・8:30~17:30(3月~11月)
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
(2009年10月17日 参拝)
・南無薬師如来
(石見三十三観音霊場 第19番)
●御朱印の受付場所
・拝観受付
●御朱印の受付時間
・8:30~17:00(12月~2月)
・8:30~17:30(3月~11月)
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
(2009年10月17日 参拝)
参拝情報とアクセス
●拝観時間
・8:30~17:00(12月~2月)
・8:30~17:30(3月~11月)
●拝観料
・大人 500円
・高校生 300円
・小中学生 無料
●最寄りの駅
・JR益田駅から車で7分
・JR益田駅から徒歩で40分
・JR益田駅から石見交通バス
横田線・益田方面に乗車して10分
益田医光寺で下車
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・8:30~17:00(12月~2月)
・8:30~17:30(3月~11月)
●拝観料
・大人 500円
・高校生 300円
・小中学生 無料
●最寄りの駅
・JR益田駅から車で7分
・JR益田駅から徒歩で40分
・JR益田駅から石見交通バス
横田線・益田方面に乗車して10分
益田医光寺で下車
●駐車場
・無料の専用駐車場あり