所在地 | 愛媛県今治市阿方甲636 |
---|---|
宗 派 | 真言宗豊山派 |
札 所 | 四国八十八ヶ所 第54番 |
前後札所 | ・前 → 第53番札所・圓明寺 ・後 → 第55番札所・南光坊 |
本 尊 | 宝冠不動明王 |
真 言 | のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん |
由 緒 | 720年、聖武天皇の勅願により、行基が不動明王像を刻み堂宇を建立したのが始まり。 810~824年、嵯峨天皇の勅命により、空海(弘法大師)が再興。かつては現在地の北にある近見山に伽藍があり、谷々に100坊を有する大寺院だったといいます。しかし、度重なる兵火により移転を繰り返すことに。そして1727年に現在地に移転し、現在に至るそうです。 |
HP | 延命寺|今治市│四国八十八ヶ所霊場 |
延命寺とは?
四国八十八ヶ所の第54番札所であります延命寺に到着。
第53番札所・圓明寺から37km。
徒歩7時間30分。
車で1時間のところに位置しています。
延命寺と書いてえんめいじと読みます。
●延命寺とは?
720年、聖武天皇の勅願により、行基が大日如来の化身とされる不動明王像を刻んで本尊とし、伽藍を建立したのが始まりといいます。
810〜824年、嵯峨天皇の勅命により、弘法大師が信仰と学問の中心道場として再興。
そして不動院 圓明寺と名づけ、四国八十八ヶ所の第54番に定めたそうです。
かつては現在地の北にある近見山の山頂に伽藍があり、最盛期は谷々に100坊を有する大寺院に発展したそうです。
鎌倉時代、後宇多天皇から崇敬され学問のお寺として全国に知れ渡ったそうです。
さらに生前に国師号を賜った学僧・凝然(示観国師)がこのお寺の西谷の坊に籠り、初学者の仏教入門書といわれる八宗綱要を著述したといわれています。
ちなみに、八宗綱要とは倶舎・成実・律・法相・三論・天台・華厳・浄土の8宗を上下2巻に記したものなんだって。
しかしその後、度重なる兵火に遭い、移転を繰り返すことに。
そして、1727年に難を免れた本尊とともに現在地に移転。
明治時代、寺号を圓明寺から延命寺に改称し、現在に至るそうです。
720年、聖武天皇の勅願により、行基が大日如来の化身とされる不動明王像を刻んで本尊とし、伽藍を建立したのが始まりといいます。
810〜824年、嵯峨天皇の勅命により、弘法大師が信仰と学問の中心道場として再興。
そして不動院 圓明寺と名づけ、四国八十八ヶ所の第54番に定めたそうです。
かつては現在地の北にある近見山の山頂に伽藍があり、最盛期は谷々に100坊を有する大寺院に発展したそうです。
鎌倉時代、後宇多天皇から崇敬され学問のお寺として全国に知れ渡ったそうです。
さらに生前に国師号を賜った学僧・凝然(示観国師)がこのお寺の西谷の坊に籠り、初学者の仏教入門書といわれる八宗綱要を著述したといわれています。
ちなみに、八宗綱要とは倶舎・成実・律・法相・三論・天台・華厳・浄土の8宗を上下2巻に記したものなんだって。
しかしその後、度重なる兵火に遭い、移転を繰り返すことに。
そして、1727年に難を免れた本尊とともに現在地に移転。
明治時代、寺号を圓明寺から延命寺に改称し、現在に至るそうです。
第53番札所の圓明寺での参拝を終え、伊予和気駅から電車に揺られること約1時間、JR今治駅に到着。
つかの間の電車遍路が終わり、第54番札所・延命寺に向けて再び歩き遍路を開始しました。
途中、54番札所に行くつもりが、道を間違えてしまい56番に向けて歩いていたことに気づいた午後1時。
結構な距離と時間をロスしてしまうという珍プレーをかましつつ、第54番札所・延命寺に到着。
なんだろう・・・
50番代に入った辺りから、何番を終えて何番に向かっているのかがわからなくなってきました!
88は多い・・・(笑)
このお寺の正式名称は近見山 寶鐘院 延命寺。
今治の市街地から約6kmほど離れた地にあります。
かつては、山号にもなっている近見山(標高244m)の山頂一帯に七堂伽藍を整えた大寺院があったそうです。
そして近見山の谷々には100坊を数える坊舎が建ち並んでいたという。
ちなみに、現在は延命寺という寺号ですが、明治維新以前までは圓明寺という寺号だったんだって。
圓明寺といえば、前札所の第53番札所・圓明寺と全く同じ寺号です!
そのため、当時は53番の圓明寺と54番の圓明寺を間違えるお遍路さんが多かったそうですよ!
そんなこんなで、明治時代の神仏分離後に江戸時代から呼ばれていた俗称の延命寺に改称したそうです。
第30番・善楽寺で遍路迷わせの札所がありましたが、このお寺も第30番に負けないくらいの遍路迷わせです。
というか、第30番よりたちが悪い・・・なんてたって、53番と54番の札所間距離は40km近くあるんですもの!
当時は電車などでワープすることはできません。
もし間違えて53番をすっ飛ばして54番に来てしまったら・・・私だったら気持ちが折れてお遍路を止めます(笑)
そんなこんなで、参拝開始。
山門と中門
●山門(仁王門)
●山門(仁王門)
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
まず最初に登場するのは山門。
こちらの門は、両サイドに仁王さんが安置されているので仁王門となります。
小ぶりながら味のある建物でした。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
異常に盛り上がった筋肉と長〜いストールがお洒落な仁王さんでした。
●中門
●中門
・1781〜1789年建立
・1870〜1871年移築
・瓦葺 切妻造 薬医門
・総欅造
続いて、中門が登場。
もともとこの門は今治城の城門の1つだったそうです。
それを明治時代初期の今治城取り壊しの際に譲り受けたんだって。
城門ということで目立った装飾はなく、とってもシンプルな薬医門となっておりました。
城内のどこにあった門なのかは不明ですが、今治の歴史を見届けてきた由緒ある門なんですね。
●山門(仁王門)
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
まず最初に登場するのは山門。
こちらの門は、両サイドに仁王さんが安置されているので仁王門となります。
小ぶりながら味のある建物でした。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
異常に盛り上がった筋肉と長〜いストールがお洒落な仁王さんでした。
●中門
●中門
・1781〜1789年建立
・1870〜1871年移築
・瓦葺 切妻造 薬医門
・総欅造
続いて、中門が登場。
もともとこの門は今治城の城門の1つだったそうです。
それを明治時代初期の今治城取り壊しの際に譲り受けたんだって。
城門ということで目立った装飾はなく、とってもシンプルな薬医門となっておりました。
城内のどこにあった門なのかは不明ですが、今治の歴史を見届けてきた由緒ある門なんですね。
手水舎と鐘楼と近見二郎
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
とっても小さな手水舎でした。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
このお寺には2つの鐘楼があり、それぞれの梵鐘に近見二郎と近見三郎という愛称がつけられているという!
●梵鐘(近見二郎)
・1704年鋳造
・高さ 112cm
・口径 62cm
・今治市指定有形文化財
近見二郎・・・なんだか演歌歌手みたいだね!
ちなみに初代の近見太郎は、長宗我部元親の軍勢に持ち去られたんだって。
しかし、太郎は連れ去られるのは御免だといわんばかりに、自ら海に飛び込んで沈んでいったといわれています。
なんだ、この面白エピソードはっ!
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
とっても小さな手水舎でした。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
このお寺には2つの鐘楼があり、それぞれの梵鐘に近見二郎と近見三郎という愛称がつけられているという!
●梵鐘(近見二郎)
・1704年鋳造
・高さ 112cm
・口径 62cm
・今治市指定有形文化財
近見二郎・・・なんだか演歌歌手みたいだね!
ちなみに初代の近見太郎は、長宗我部元親の軍勢に持ち去られたんだって。
しかし、太郎は連れ去られるのは御免だといわんばかりに、自ら海に飛び込んで沈んでいったといわれています。
なんだ、この面白エピソードはっ!
本堂と大師堂
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
●本尊
・宝冠不動明王
●真言
・のうまくさんまんだ ばざらだん
せんだ まかろしゃだ そわたや
うん たらた かんまん
続いて、本堂で参拝。
重厚な屋根に大きな唐破風向拝が付いているのが印象的なお堂でした。
建立年を確認することはできませんでしたが、彫刻などの各部位を見る限り、そこまで古いお堂ではなさそうです。
本尊は宝冠不動明王像。
・・・って、ほほほ宝冠!?
なんと、本尊の不動明王さんは宝冠を被っているという!
残念ながら御本尊さまを拝顔することはできませんでしたが、本堂前には御本尊の写し仏がおられました!
いやはや、宝冠を被る不動明王さんは初めて拝顔しましたよ!
ちなみに秘仏・宝冠不動明王像は60年に1度御開帳されるみたいです。
前回の御開帳が2016年といいますから、次回は2076年!
・・・無理だな、こりゃ(笑)
ちなみに、この不動明王さんは再三の火災から逃れているため、別名・火伏不動尊と呼ばれてるんだって。
その他、堂内に大威徳夜叉明王・金剛夜叉明王・降三世夜叉明王・軍荼利夜叉明王が安置されているそうです。
いわゆる五大明王です。
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
堂内には弘法大師像の他に、真言宗中興の祖ならびに新義真言宗の始祖・興教大師像も安置されているそうです。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
ちなみに、厨子の下には1992年に埋蔵されたタイムカプセルが埋められてるんだって!
そのタイムカプセルは2042年11月に開かれるそうですよ。
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
●本尊
・宝冠不動明王
●真言
・のうまくさんまんだ ばざらだん
せんだ まかろしゃだ そわたや
うん たらた かんまん
続いて、本堂で参拝。
重厚な屋根に大きな唐破風向拝が付いているのが印象的なお堂でした。
建立年を確認することはできませんでしたが、彫刻などの各部位を見る限り、そこまで古いお堂ではなさそうです。
本尊は宝冠不動明王像。
・・・って、ほほほ宝冠!?
なんと、本尊の不動明王さんは宝冠を被っているという!
残念ながら御本尊さまを拝顔することはできませんでしたが、本堂前には御本尊の写し仏がおられました!
いやはや、宝冠を被る不動明王さんは初めて拝顔しましたよ!
ちなみに秘仏・宝冠不動明王像は60年に1度御開帳されるみたいです。
前回の御開帳が2016年といいますから、次回は2076年!
・・・無理だな、こりゃ(笑)
ちなみに、この不動明王さんは再三の火災から逃れているため、別名・火伏不動尊と呼ばれてるんだって。
その他、堂内に大威徳夜叉明王・金剛夜叉明王・降三世夜叉明王・軍荼利夜叉明王が安置されているそうです。
いわゆる五大明王です。
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
堂内には弘法大師像の他に、真言宗中興の祖ならびに新義真言宗の始祖・興教大師像も安置されているそうです。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
ちなみに、厨子の下には1992年に埋蔵されたタイムカプセルが埋められてるんだって!
そのタイムカプセルは2042年11月に開かれるそうですよ。
薬師堂と真念法師の道しるべ石
●薬師堂
●薬師堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
・本尊 薬師如来
続いて、薬師堂を参拝。
なんとこの薬師堂は延命寺の奥の院だという!
今まで同一境内に奥の院があるお寺はいくつかありましたが、そのどれもが境内の奥にありました。
しかし、この奥の院は中門をくぐってすぐの参道脇にあるという!
メインストリートにある奥の院って珍しいですねぇ!
どうやら、もともと奥の院は近見山の山頂にあったそうですよ。
その後、どういった理由かわかりませんが、この薬師堂にお引越ししてきたみたいです。
●真念法師の道しるべ石
鐘楼の近くには四国で2番目に古い真念法師の道標がありました。
1691年、真念法師は四国巡拝の途中にお亡くなりになったみたいです。
真念法師は約50年の間に20回以上も四国霊場を巡ったそうで、お遍路さんのために様々な慈善事業を行ったそうですよ。
おそらくこの道標もそのときに建立したものだと思われます。
その他、境内には遍路グッズ屋・含霊堂・行基菩薩の報恩供養塔・庄屋越智孫兵衛の墓・今治市指定保存樹のツブラジイがありました。
そんなこんなで、参拝終了。
第55番・南光坊へ続く。
●薬師堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
・本尊 薬師如来
続いて、薬師堂を参拝。
なんとこの薬師堂は延命寺の奥の院だという!
今まで同一境内に奥の院があるお寺はいくつかありましたが、そのどれもが境内の奥にありました。
しかし、この奥の院は中門をくぐってすぐの参道脇にあるという!
メインストリートにある奥の院って珍しいですねぇ!
どうやら、もともと奥の院は近見山の山頂にあったそうですよ。
その後、どういった理由かわかりませんが、この薬師堂にお引越ししてきたみたいです。
●真念法師の道しるべ石
鐘楼の近くには四国で2番目に古い真念法師の道標がありました。
1691年、真念法師は四国巡拝の途中にお亡くなりになったみたいです。
真念法師は約50年の間に20回以上も四国霊場を巡ったそうで、お遍路さんのために様々な慈善事業を行ったそうですよ。
おそらくこの道標もそのときに建立したものだと思われます。
その他、境内には遍路グッズ屋・含霊堂・行基菩薩の報恩供養塔・庄屋越智孫兵衛の墓・今治市指定保存樹のツブラジイがありました。
そんなこんなで、参拝終了。
第55番・南光坊へ続く。
次の札所
南光坊の御朱印|四国霊場 第55番|別宮大山祇神社の別当寺。本尊は四国霊場唯一の大通智勝如来|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県今治市)
所在地愛媛県今治市別宮町3-1宗 派真言宗御室派札 所四国八十八ヶ所 第55番前後札所・前 → 第54番札所・延命寺・後 → 第56番札所・泰山寺本 尊大通智勝如来真 言なむ...
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥の院 薬師堂の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥の院 薬師堂 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年2月26日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥の院 薬師堂の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥の院 薬師堂 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年2月26日 参拝
・2024年3月 最終更新
南光坊の御朱印|四国霊場 第55番|別宮大山祇神社の別当寺。本尊は四国霊場唯一の大通智勝如来|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県今治市)
所在地愛媛県今治市別宮町3-1宗 派真言宗御室派札 所四国八十八ヶ所 第55番前後札所・前 → 第54番札所・延命寺・後 → 第56番札所・泰山寺本 尊大通智勝如来真 言なむ...
参拝情報とアクセス
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第53番札所・圓明寺へ37km
徒歩7時間30分
車で1時間
・第55番札所・南光坊へ4km
徒歩50分
車で10分
●最寄りの駅
・JR大西駅から徒歩45分
・JR大西駅から車で10分
●最寄りのバス停
・せとうちバス
今治駅もしくは今治港から
菊間・星之浦行きに乗車
阿方 バス停で下車 徒歩10分
●最寄りのIC
・西瀬戸自動車道(しまなみ海道)
今治ICから車で10分
●駐車場
・駐車台数 30台
・駐車料金 志納
駐車料金は志納制になっていました。
ネットの情報によると、志納金の相場は100円くらいです。
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第53番札所・圓明寺へ37km
徒歩7時間30分
車で1時間
・第55番札所・南光坊へ4km
徒歩50分
車で10分
●最寄りの駅
・JR大西駅から徒歩45分
・JR大西駅から車で10分
●最寄りのバス停
・せとうちバス
今治駅もしくは今治港から
菊間・星之浦行きに乗車
阿方 バス停で下車 徒歩10分
●最寄りのIC
・西瀬戸自動車道(しまなみ海道)
今治ICから車で10分
●駐車場
・駐車台数 30台
・駐車料金 志納
駐車料金は志納制になっていました。
ネットの情報によると、志納金の相場は100円くらいです。