雲辺寺の御朱印|四国霊場 第66番|讃岐の関所寺は羅漢フェス!四国霊場一高い札所|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(徳島県三好市)

所在地徳島県三好市池田町白地ノロウチ763-2
宗 派真言宗御室派
札 所 ・四国八十八ヶ所霊場 第66番
・阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神霊場(毘沙門天)
前後札所 ・前 → 第65番札所・三角寺
・後 → 第67番札所・大興寺
本 尊千手観世音菩薩
真 言おん ばさらたらま きりく そわか
由 緒 789年、佐伯真魚(後の弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登ったという。その際、霊玄の美に感動した佐伯真魚は堂宇を建立。それが、このお寺の始まりといいます。807年、嵯峨天皇の勅命を受けて再度雲辺寺山に登り、千手観世音菩薩を刻んで本尊として安置。後に四国高野と呼ばれ修業道場となり、清和天皇の勅願寺にもなったそうです。鎌倉時代、七堂伽藍が整えられ関所寺として大いに繁栄。戦国時代に行われた長宗我部元親と住職・俊崇による裏山問答が有名なお寺さんです。
HP巨鼇山 千手院 雲辺寺 – 四国八十八ヶ所霊場会

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雲辺寺とは?


四国八十八ヶ所の第66番札所であります雲辺寺に到着。

第65番札所・三角寺から32km。
徒歩5時間35分。
車で50分のところに位置しています。

雲辺寺と書いてうんぺんじと読みます。

●雲辺寺とは?

789年、16歳の佐伯真魚(後の弘法大師)が善通寺(第75番・弘法大師生誕地)を建立するための木材を求めて雲辺寺山を登ったという。

その際、深山の霊玄の美に感動した佐伯真魚は堂宇を建立。
それが、このお寺の始まりといいます。

その後、807年に34歳の弘法大師が再び雲辺寺山を登り、秘密灌頂の修法を行ったそうです。

さらに、818年に45歳の弘法大師が再び雲辺寺山に登り、嵯峨天皇の勅願で本尊を彫刻。

そして、仏舎利と毘廬遮那法印を山中に納めて七仏供養をし、四国八十八ヶ所の第66番札所に定めたそうです。


その後、859〜877年に清和天皇の勅願寺になったそうです。

雲辺寺山の山内には、阿波・土佐・伊予・讃岐の各坊があり、四国各地から集まった僧たちが学問・修行に励んだといわれています。

そのことから、雲辺寺は四国坊と称されていたという。


しかし、1098年に火災で全山が焼失。

その後、鹿を追って山に入った猟師の与成が、殺生を悔い改めて堂宇を再建。(詳しくは後ほど)

平安時代末期、中興の祖ともいわれる願西上人が住職のとき、現在の本尊・千手観音像毘沙門天像が造立されたという。

鎌倉時代、阿波守護・佐々木経高(経蓮)の庇護を受けて七堂伽藍が整えられたそうです。
最盛期には12坊・末寺8ヶ寺を数える大寺院に発展し、四国高野と呼ばれ大いに繁栄したそうです。

さらに、1311年には京都・西園寺家が寺領を寄進。
1363年には足利氏が法華経真読を依頼したそうです。


1573〜1592年、四国統一を目指す長宗我部元親がこの地の白地城に布陣した際、雲辺寺を参拝したそうです。

その際、長宗我部元親は住職の俊崇に四国統一の野望を語ったそうですが、俊崇から『あなたの器では土佐一国で充分』と諌められたという。(詳しくは後ほど)

江戸時代、阿波藩主・蜂須賀氏の祈願所となり庇護を受けて繁栄したそうです。

1987年、雲辺寺ロープウェイが開通。
それにより、現在は多くの参拝者を集める人気のお寺となっております。


四国八十八ヶ所もとうとう最後の県・香川編に突入しました!

と思ったら、ここは徳島県だという!
また最初の県に戻っちゃったよ(笑)

香川と徳島の県境にそびえる雲辺寺山
このお寺はちょうど県境にあるお寺さんのようで、所在地は徳島県ですが四国霊場としては讃岐国の札所として扱われてるみたいです。

そんなこんなで、四国霊場を順打ちすると、徳島 → 高知 → 愛媛 → 徳島 → 香川になるという。

一旦、徳島県を挟むというイレギュラーがあるのも四国霊場の面白さの1つかも知れませんね!

そんなこんなで、四国八十八ヶ所の第65番札所、ならびに讃岐霊場23ヶ寺最初の札所であります雲辺寺に到着。


標高927mの雲辺寺山
その911mに雲辺寺はあります。

なんと、雲辺寺は四国霊場の中で1番高い位置にあるお寺さんだという!

そう、その名の通り雲ら辺にあるお寺さんなのです。

かつては遍路ころがしと呼ばれる難所とされた険しい道のりでしたが、現在は山頂付近までロープウェイで行くことができますので、苦しむことなく参拝することができます。

雲辺寺の近くにはスキー場もありますので、お遍路さんや一般の参拝者のみならず、スキーを楽しむ人や観光客からも人気を集めるお寺さんのようです。


本当はロープウェイで雲辺寺に行きたかったのですが、カーナビ通りに走っていたら山上の駐車場まで来てしまいました(笑)

目的地を雲辺寺にセットするとロープウェイ乗り場に連れていってくれると思い込んでいた私が悪い!

四国霊場には数々の遍路ころがしがあり、そのどれもが急坂・細道の難所でしたが、県道268号線で行くと雲辺寺までの道幅は広く、さらに急坂も急カーブも少なくあれ!?と思ってしまったくらい簡単に到着できました!

しかし、それは車遍路のお話し。

四国霊場一高い札所ですので、歩き遍路さんにとってはかなり厳しい道のりになると思います。

そんなこんなで、参拝開始。
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仁王門と水堂と手水舎と鐘楼

●境内図

雲辺寺は四国高野と称されるだけあって境内はとても広いです。

讃岐霊場の打ち始めのお寺ということもあって、このお寺から讃岐路をスタートさせるお遍路さんが多いそうですよ。

私も当初の予定では、翌日に雲辺寺から讃岐路をスタートさせる予定でしたが、明日はなんと台風上陸!

さすがに台風の最中に難所を参拝するのは危険っぽかったので、予定を前倒しにして無理矢理本日の予定にネジ込んでやってまいりました。

ということで、讃岐霊場の打ち始めのお寺が、本日の打ち留めのお寺となります。

そんなこんなで、到着時間が遅くなったせいで、さらに雨が降ってるせいもあって、全てのスポットを巡るのは無理そうだ〜。


●仁王門

●仁王門
・2011年建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門

まず最初に登場するのは仁王門

と言いたいところですが、私が参拝したときにはまだ建設中でした。

ですので、まだ仁王さんは入居していない模様。

ちなみにこの後、間もなく落慶したみたいです。


●水堂

●水堂
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

続いて、水堂へ。

どうやらこの水は弘法大師が掘った井戸から湧き出ている霊水なんだって。


堂内の注意書きには、この水は飲む専用なので手を洗っちゃダメよ的なことが書いてありました。

あたしゃてっきり手水だと思って、手を洗うところでしたよ!

そんなこんなで、南無大師遍照金剛と唱えながらお水を頂きました。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造

そんなこんなで、手水舎でお清め。


●鐘楼

●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

そして、鐘楼で鐘をひと撞き。

御本尊さまとお大師さまにご挨拶。

鐘楼の前にはマニ車がありました。
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本堂と大師堂

●本堂

●本堂
・2009年建立
・銅板葺 妻入り入母屋造
・鉄筋コンクリート造

●本尊
・千手観世音菩薩

●真言
・おん ばさらたらま きりく そわか

続いて、本堂で参拝。

標高900m級の厳しい環境にあるからか、本堂は頑丈そうなRC造になっていました。

ちなみに山頂からは、讃岐平野と瀬戸内海、東には阿波の吉野川平野と剣山、西には石鎚山まで見渡すことができるそうですよ。


●本尊 千手観世音菩薩像
・平安時代後期作
・像高 103.3cm
・檜材 一木造
・経尋 作
・国指定重要文化財

●毘沙門天立像
・1184年作
・像高 154.5cm
・慶尊 作
・国指定重要文化財

本尊は経尋作国重文の千手観音さん。
是非とも拝顔したいところですが、御本尊さまは本堂背後の収蔵庫におさめられているため、拝顔することはできませんでした。

その代わり、堂内にはお前立ちの石造・千手観音さんが安置されていましたよ。


本尊の千手観音さんは平安時代後期〜鎌倉時代に活躍した経尋さんの作品。

経尋さんといえば第11番札所・藤井寺の本尊を造ったお方です。

ちなみに、藤井寺の本尊・薬師如来坐像は四国霊場で最古の仏像さんで国重文に指定されています。

御本尊の観音さまにはこの様な伝説が残っています。

●雲辺寺の観音さま

その昔、雲辺寺の近くに与成という猟師が住んでいたそうな。

与成は、毎朝『今日もたくさん獲物が捕れますように』と、雲辺寺の観音さまにお参りをしてから山へ出かけていたという。

しかし観音さまは、与成が動物を殺すのを何とかしてやめさせたいと考えていました。

そこで観音さまは、山の中で釣鐘をかぶり、獲物に化けて待っていました。

すると与成は、動く黒い物体を発見!
そんなこんなで、与成は鉄砲を撃ちました。

しかし弾が命中したのは釣鐘!
グァーンと物凄い音が山内に響き渡りました。
その音に驚いた与成は、木陰に隠れてしばらく様子を見ることに・・・。

一方、観音さまは『与成はどこへ行ったのかな?』と、釣鐘を持ち上げて辺りをのぞきこみました。

持ち上げた釣鐘の間に光る目・・・

与成は、すかさず光る目をめがけて鉄砲を撃ちました。

見事に命中させた与成は獲物のもとに駆け寄りました・・・が、そこには獲物の姿はなく、が滴り落ちていたという!

不思議に思った与成は、血の跡をたどることにしました。

すると雲辺寺に辿り着いたという。
そして観音さまを見ると、なんと目から血が流れていたという!

あのときの光る目は観音さまだったとは・・・そのことに気づいた与成は改心し、それ以来、動物を殺すのをやめたといいます。

ちなみに目を撃たれた観音さまは、それ以来、目に御利益がある観音さまとして信仰を集めたそうです。

完。

その他、寺宝として鋳造・金剛界大日如来坐像や四天王立像、初代本尊の仏頭や仏手などがあるそうです。

しかし、これらも本堂背後の収蔵庫に安置されているため拝顔することはできませんでした。

ちなみに、初代本尊の仏頭や仏手は、大きさからして丈六仏だったのでは?
と、考えられているそうですよ。


●大師堂

●大師堂 拝殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・本尊 弘法大師

続いて、大師堂を参拝。

本尊はもちろんお大師さま

なんと、お大師さまはこの雲辺寺山を3度も登っているという。

初めて雲辺寺山を登ったのは16歳のとき。
このときはまだ空海と名乗る前の佐伯真魚時代のときです。

佐伯真魚は自身の生誕地に善通寺(第75番札所)を建立するための木材を求めて雲辺寺山を登ったといわれています。

その際、雲辺寺山の霊玄の美に感動して堂宇を建立。
それがこのお寺の始まりなんだって。

2度目に雲辺寺山を登ったのは34歳のとき。
その時は秘密灌頂の修法を行ったといわれています。

3度目に雲辺寺山を登ったのは45歳のとき。
その時は嵯峨天皇の勅願により本尊を彫刻。
そして、仏舎利と毘廬遮那法印を山中に納めて七仏供養をし、四国八十八ヶ所の第66番札所に定めたといわれています。

このことからもわかるように、この山はお大師さまにとって特別な山だったんでしょうねぇ。


●大師堂 奥殿
・建立年不明
・銅板葺 宝形造

ちなみに大師堂は拝殿奥殿に分かれているという珍しい造りになっていました。

帰宅後に知ったのですが、拝殿で履物を脱いで回廊を回って裏に行くと奥殿前で参拝ができるそうですよ。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・


●稚児大師像

大師堂の拝殿前には稚児大師像がおられました。

●稚児大師とは?

稚児大師とは、弘法大師が書き残した御遺告の一文を絵図もしくは像にしたものです。

御遺告には『吾れ昔生を得て父母の家に在りし時、生年五六の間、夢に常に八葉蓮華の中に居坐して諸仏と共に語ると見き』と書かれているそうです。

これを現代語に訳すと

『私が生まれて両親の家にいたときのこと。5歳か6歳くらいに見た夢では、いつも蓮の花の中に座って様々な仏さまと語っていた』

みたいな意味です。

要するに、この頃に見た夢の姿が稚児大師さまです。

ちなみに、弘法大師は生れながらに合掌していたといわれています。

そして、2〜3歳ですでに経文や陀羅尼を読誦し、12歳のころには三界の大導師になろうと志していたそうです。

つまり天才です!

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五百羅漢

●五百羅漢

そんなこんなで
はいドン!

雲辺寺といえば五百羅漢!

五百羅漢ならぬ、五百圧巻!
いや、圧巻を通り越して五百悪寒です!


人間味あふれる等身大の羅漢さんが、まるでフェスのように盛り上がっていましたよ!


五百羅漢の中には、必ず自分に似た人がいるといわれますが・・・




いないな~!(笑)


しかし気になるのが、なぜか不思議な生き物を可愛いがっている方が多いんですよ。

どれも図鑑に載ってない生き物ばかりです。



怖いよ〜ぅ

なんかもぅ、夢に出てきそうだぁ〜。



この五百羅漢さんは、先代の住職さんが生きてる間に500体揃わなかったんだって。

500体の羅漢さんが揃ったのは2011年の6月といいます・・・私が参拝したのは2011年5月28日ですから、参拝時に500体いたかどうかは微妙なところですね!

五百羅漢の前にユニックやユンボがあったので、もしかしたらまだ羅漢さんが増殖中だったのかも知れません。


ちなみに、この五百羅漢さんは中国製で1体30万円らしいですよ。

30万 × 500 = 1億5000万円!
(ひぇっ!)


そんなことより、五百羅漢さんの近くにはお釈迦さまの涅槃像もありました。

涅槃像の周りには、お亡くなりになったお釈迦さまを拝む方もおられました。

ということで、何となく立体涅槃図のようなエリアでした。
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おたのみなす

●おたのみなす

本堂前にはおたのみなすというナスの腰掛けがありました。

なんと、ナスの上に座って手を合わせてお願いすると願いが叶うんだと!



というか、なんでナス???

どうやら、ナスの花はひとつ残らず実になることから、成すナスを掛けたダジャレ的な語呂合わせのようです。

ということで、ナスは努力が報われ願いが叶う縁起物の野菜なんだって。


そんなこんなで、おたのみなすに座って願い倒す

頭の中がで埋め尽くされていたことは内緒の話しです。

ちなみに、オケツがビチャビチャになりました。


●水子観音

五社大権現の前には1つの石でできた水子観音さんがおられました。

雨宿りさせてくんないかなぁ〜。

とか思いつつ・・・。

その他、境内には三大巨木といわれる大師乳銀杏霊木三位一体(カシ・ハンノ木・カエデ)、夫婦杉があったそうですが、見事に見逃して帰りました!


そういえば、標高911mでカニに遭遇しました。

もしかしたら、このカニもお遍路をしてるのかな?

背中に同行二人って書いてあげる。

雲辺寺裏山問答

●雲辺寺裏山問答

~画像は若宮八幡宮(高知)にて~

雲辺寺といえば、長宗我部元親住職・俊崇との問答が有名です。

●雲辺寺裏山問答とは?

1573〜1592年、四国統一を目指す長宗我部元親がこの地の白地城に布陣した際、雲辺寺を参拝したそうです。

その際、阿波・伊予・讃岐の平野を眼下に望みながら、住職の俊崇坊四国統一の野望を語ったといいます。

すると俊崇は『あなたは土佐一国の器。それが四国の主になろうとは茶釜の蓋で水桶の蓋をするようなものだ』と忠告したそうです。

しかし、四国の寺社ならびに文化財をことごとく焼き尽くしたワル
そんな助言を聞く耳など持っていません。
ましては器が小さいと指摘され、心も穏やかではなかったでしょう。

その後、元親は俊崇の忠告を聞かずに兵を進めました。

そして1585年。
ついに四国を統一!(諸説あり)

しかし同年、豊臣秀吉の四国征伐により、阿波・讃岐・伊予の三方から進撃されました。

そして同年、元親は降伏

結局、俊崇の言葉の通り土佐一国の領主に納まりました。

元親さんの夢は一瞬で散りましたが、これまでの悪事のことを思えば一瞬夢が見れただけでもラッキーだったのでは・・・。

讃岐の関所寺

●讃岐の関所寺

そんなことより、四国八十八ヶ所には、各国ごとに1つずつ関所寺と呼ばれるお寺があります。



●関所寺
①第19番札所 立江寺(徳島県)
②第27番札所 神峯寺(高知県)
③第60番札所 横峰寺(愛媛県)
④第66番札所 雲辺寺(香川県)

ということでこの雲辺寺は、四国八十八ヶ所で4番目、すなわち最後に登場する関所寺です!

雲辺寺は香川と徳島の県境になっていますし、まさに関所寺という言葉がぴったりのお寺さんですね!


関所というと、国境で人や荷物の行き来を取り締まる場所的な検問施設を思い浮かべてしまいますが、関所寺の関所はちょっと意味合いが違うという。


関所寺で検問をしているのは、なんと弘法大師さん!

邪心がある者や罪人を、境内に入れないように取り締まっているという!

もし、それらの悪人が境内に入ると、弘法大師が仏罰を下すといわれています。

そんな関所寺もこのお寺が最後!

何とか仏罰が下ることなく全ての関所寺をクリアすることができました!

四国霊場・讃岐編は涅槃の道場といわれています。

これからは平穏で心安らかな道が続くのかな。

しかし残り22ヶ寺、気を抜かずに参拝します。

●四国霊場の関所寺
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そんなこんなで、参拝終了。

第67番・大興寺へ続く。

次の札所
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御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神霊場の御朱印
・最高峰四国高野のナス形の御朱印

●御朱印の受付場所
・納経所

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神霊場 300円
・最高峰四国高野のナス形 300円

●期間限定・特別御朱印
・大悲殿の御朱印

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2011年5月28日 参拝
・2024年3月 最終更新
大興寺の御朱印|四国霊場 第67番|真言宗なのに天台大師!運慶作の仁王さんと湛慶作の十二神将|四国八十八ヶ所 車遍路の旅( 香川県三豊市)
所在地香川県三豊市山本町辻4209宗 派真言宗善通寺派札 所四国八十八ヶ所 第67番前後札所・前 → 第66番札所・雲辺寺・後 → 第68番札所・神恵院本 尊薬師如来真 言お...
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参拝情報とアクセス


●拝観料
・無料

●宿坊
・なし

●前後札所
・第65番札所・三角寺へ32km
 徒歩5時間35分
 車で50分

・第67番札所・大興寺へ24km
 徒歩4時間30分
 車で40分

●雲辺寺駐車場(山上)
・駐車台数 20台

●雲辺寺駐車場(山上)料金
・普通車 500円
・軽自動車 500円
・バイク 100円
・ジャンボタクシー 1000円
・マイクロバス 2000円

駐車料金は納経所で納めました。

ちなみに駐車料金を納めると、記念品として箸・ステッカーが頂けました。


●ロープウェイを使う場合

●最寄りの駅
・JR観音寺駅から山麓駅まで車で20分

●最寄りのバス停
・なし

●最寄りのIC
・高松自動車道
 大野原ICから山麓駅まで車で20分

●山麓駅駐車場
・駐車台数 800台
・駐車料金 無料

●ロープウェイの営業時間
・3月~11月
 7:20~17:00(上り最終)

・12月~2月
 8:00~17:00(上り最終)

※スキー場の営業期間中は最終時間の変更あり。
 年中無休(点検整備のため運休あり)
 多客時は運転間隔の変更あり。

●ロープウェイの発車時刻
山麓 毎時0分・20分・40分発
山頂 毎時0分・20分・40分発

●ロープウェイの料金表
普通料金(税込)往復片道
大人2200円1200円
中・高校生1650円900円
小学生1100円600円
※令和1年10月1日改正

詳しくはこちら(雲辺寺ロープウェイ公式HP)
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雲辺寺の地図

 

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