高桐院の御朱印~大徳寺の塔頭・細川家の菩提寺~(京都府京都市北区)

住 所京都府京都市北区紫野大徳寺町73−1
宗 派臨済宗大徳寺派
由 緒1602年、細川忠興が父・細川藤孝の菩提を弔う為に建立したお寺です。1645年、83歳で没した細川忠興の遺言により、遺歯が埋葬され、以後、細川家の菩提寺として庇護されました。
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大徳寺の塔頭・高桐院

大徳寺境内の中で、一際、木々が生い茂った場所があります。そこが高桐院。
高桐院は細川ガラシャの夫・細川忠興が建立した大徳寺の塔頭寺院です。境内に入るとストレートに伸びる苔参道がお出迎えしてくれました。木々が生い茂った外観もそうですが、境内もまたグリーングリーンとした緑の世界でした。


●ザックリと簡単に細川忠興とは?
細川忠興は、織田信長の家臣で、明智光秀の3女・明智玉(ガラシャ)と結婚した人です。

世は戦国。
義父である明智光秀が本能寺の変を起こすと、忠興らは光秀から味方になるようにと誘われます。 しかし忠興らはそれを拒否します。

光秀は細川父子に断られたことが決定打となり山崎の戦いで敗戦・・・光秀は敗走中に死を遂げます。 忠興は、光秀の3女である妻・ガラシャが逆臣として狙われるのを防ぐ為、ガラシャを丹後へ幽閉します。 細川家もまた逆臣で疑われるのを防ぐ為、速やかに剃髪して信長への弔意を表し、光秀と無関係であることを示しました。

信長の死後、豊臣秀吉に従えます。
宮津城主となった忠興は、丹後平定・小牧・長久手の戦い・九州征伐・小田原征伐など数々の戦で武功をあげました。

秀吉の死後、石田三成らと対立して徳川家康の味方に付きます。
関ヶ原の戦いで、忠興は黒田長政らと共に石田三成の本隊と激闘し、136もの首級を上げました。 しかし、大坂城内の細川屋敷にいた妻・ガラシャは西軍に攻められます。 そしてガラシャは人質になることを拒否し自害してしまいます。

関ヶ原の戦いで大活躍した忠興は、丹後国・宮津18万石から豊前国・豊後国速見郡・国東郡を合せて39万9000石の大名になりました。
そして、小倉藩・初代藩主となります。

その後、病気がちになり、隠居・出家。
83歳で亡くなりました。

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書院(意北軒)と松向軒



●書院(意北軒)
・1602年移築
・千利休の邸宅書院を移築

もともとこの書院は聚楽第にあったそうです。
利休が切腹した後、取り壊されそうになりましたが、初代住職・玉甫紹琮が大徳寺に移し、その後、高桐院に移築したといわれています。



●書院(意北軒)
・襖絵は狩野永眞 作
・床の間のの書は大燈国師 筆




●松向軒
・1628年移築

利休の茶を忠実に継承したといわれる三斎(細川忠興)好みの茶室です。
豊臣秀吉が開催した北野大茶湯の際、影向の松のそばに三斎が造った茶室といわれています。

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客殿・前庭

●客殿・前庭
・江戸時代初期作庭
・通称・楓の庭
・石灯籠は鎌倉時代作

灯籠がポツンと立つ素朴な苔庭でした。



しばらく雨を見ながらボケーとしてました。
雨のお庭もなかなかオツですな。

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細川家とガラシャの墓

●ガラシャの墓を参拝(遠くから)

門の向こうにかすかに見える灯籠がガラシャの墓みたいです。
そんなこんなで、遠くから手を合わす。

・・・横着してるわけじゃありません。


こういうことです・・・・・・なんで雨なんだよ~(笑)

どうやらあの石灯籠は、千利休が愛蔵した灯籠らしいですよ。

秀吉がこの灯籠を欲しがった為、利休は灯籠の笠の部分をわざと欠いて、傷があるから・・・と断ったらしいです。
その後、忠興は切腹した利休の形見としてもらい受けたといいます。

今度は晴れた日に来よう!



オリジナル瓦には細川家の家紋・九曜紋。

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常時拝観可能な大徳寺の塔頭

●境内に22の塔頭を有する大寺院

大徳寺の境内には22の塔頭があり、ちょっとした寺町を形成してます。

22ある塔頭のうち常時拝観可能な塔頭は4つ
そのうちの1つが高桐院です。

ちなみに常時拝観可能な塔頭はこちらです。
①大仙院  ②龍源院
③高桐院  ④瑞峯院

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御朱印


御朱印は拝観受付で頂きました。

●拝観時間
9:00~16:30

●拝観料
大人 400円
小人 200円
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高桐院の地図

 

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