等持院の御朱印〜足利将軍家の菩提寺~(京都府京都市北区)

都道府県別
住 所京都府京都市北区等持院北町63
宗 派臨済宗 天龍寺派
由 緒1341年、足利尊氏が現・京都市中京区柳馬場御池付近に等持寺を建立したのが始まりといいます。1343年、現在地に別院・北等持寺を建立。足利尊氏の死後、別院・北等持寺は足利尊氏の墓所となり寺名を等持院と改称したそうです。その後、応仁の乱で柳馬場の本寺が焼失したため、別院だった等持院が本寺になったそうです。堂塔は幾度も焼失しましたが、1818年にほぼ現在の形に再建。そんなこんなで、足利将軍家歴代の菩提寺です。
HP臨済宗 天龍寺派 等持院
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足利将軍家の菩提寺です

●俗世と切り離された静寂の世界

等持院は、1341年に足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山に迎えて創建したお寺で、かつては禅宗十刹の筆頭寺院にあげられた名刹といいます。

周りは民家。
そして立命館大学・衣笠キャンパスに包まれるような形で位置する等持院。

しかし境内に入ると俗世と切り離された静寂の世界でした!

境内からはキャンパスも民家も見えない。見えないというかモクモクと生い茂った木で隠してる!

そんなこんなで、景観を重視したこのプレイスタイルに感謝しつつ室町にタイムトリップしたひと時でした。

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方丈

●映画の撮影所があったお寺!

●方丈
・1616年建立
・1818年移築

●方丈・南庭
・枯山水庭園
・天龍寺派 元管長・関牧翁老師が築庭

もともとこの方丈は、1616年に福島正則が妙心寺の塔頭・海福院に建立したものらしいですよ。

それを1818年に現在地に移築したんだって。

・本尊・釈迦如来坐像 平安時代作
・大聖歓喜天像 鎌倉時代作
・夢窓国師坐像 江戸時代作


●万丈の襖絵
・狩野興以の作

襖絵は明治維新当時に一部損壊。
さらに映画の撮影所が等持院の境内にできたことにより、方丈がロケに使用されることもあったんだとか!
そのせいで、襖絵はかなり破損したという・・・



って・・・ぅん!?

映画の撮影所???

調べてみると、なんと等持院の境内に日本初の映画監督・マキノ省三さんが映画の撮影所を作ったんだとーっ!

境内には4つのスタジオと現像室などがあって、そこで多くのチャンバラ映画が作られたという!

等持院撮影所で制作された作品は、約700本

そりゃ襖絵もビリビリになりますわ!

ちなみに襖絵は現在修復されており、年1回の寺宝展で公開されているそうです。

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達磨図

そんなこんなで
はい ドーーーン!


インパクト!

方丈の廊下には達磨さんのドアップがドーンと置かれておりました。

●達磨図
・天龍寺派 元管長・関牧翁老師の作

そうです、等持院は臨済宗 天龍寺派のお寺です。
臨済宗大本山の天龍寺にも同じドアップがあります。

ちなみにこちらが天龍寺の達磨図です。



やっぱ廊下にドーンの方がインパクトあるなぁ。

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庭園

●夢窓国師が築庭した名園

庭園は東西に分かれています。

●西庭
・夢窓国師が築庭
・池泉回遊式庭園
・三大名園の1つ

芙蓉の花を形どった芙蓉池と、義政好みの茶室・清漣亭があります。

かつては衣笠山を借景にしたお庭でしたが、立命館大学・衣笠キャンパスがドーンと建ってしまったため、現在は衣笠山を望むことはできません。

●東庭
・夢窓国師が築庭
・池泉回遊式庭園
・三大名園の1つ

草書体の心の字を形どった心字池があります。



そんなこんなで、庭園をお散歩。

●等持院型灯籠


等持院型灯籠という初めて拝見する灯籠に出会いました。

●茶室・清漣亭


義政好みの茶室です。



東庭です。
心が浄化されていきます。

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足利尊氏の墓

●ひっそりと立つ小さなお墓

西庭には小さな宝篋印塔がポツン。

どうやらこれが室町幕府初代将軍・足利尊氏のお墓のようです。


●ザックリと簡単に足利尊氏とは
足利尊氏とは、簡単に言うと室町幕府を開いた人です。

世は鎌倉時代。北条氏が実権を握っていた鎌倉幕府でしたが、武士に恩賞を与えないことで日本中の武士が不満を溜めていました。

時を同じくして、京都では武士の世から朝廷に政治を取り戻そうとする後醍醐天皇達の力も大きくなっていました。

そこで立ち上がったのが足利尊氏。
後醍醐天皇に味方して、京都・六波羅探題を攻め落とします。
同じ頃、鎌倉幕府の有力御家人だった新田義貞が反乱を起こし、北条氏と鎌倉幕府を滅ぼします。

そんなこんなで、足利尊氏らの力を借りて鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇。
しかし後醍醐天皇が始めた建武の新政は、武士のためのものではなく公家のための政権でした。

武士の尊氏は黙ってはいません。
京都に入った尊氏は、後醍醐天皇と仲が悪かった光明天皇を立てました。

足利尊氏 vs 後醍醐天皇の始まりです。

しかし京都を抜け出した後醍醐天皇は奈良・吉野に朝廷を作ってしまいます。

そんなこんなで、尊氏のいる京都の北朝と、後醍醐天皇のいる奈良の南朝の2つの朝廷ができてしまいました。
いわゆる南北朝時代の始まりです。

天皇が2人もいるややこしい時代に突入しました。
尊氏は北朝から征夷大将軍の位をもらいます。こうして室町幕府が誕生しました。

その後、奈良で後醍醐天皇が亡くなります。
尊氏は天皇の霊を慰めるために天龍寺を建立。
弟の足利直義と力を合わせて政治に取り組みますが、次第に対立。
尊氏は弟の直義を毒殺しました。
さーここから面白くなるぞーってとこで尊氏は病死してしまいます。

完。

ザックリと足利尊氏という人はこんな人です。

霊光殿

●足利歴代の将軍像が並ぶ霊光殿

霊光殿には足利歴代の将軍像が安置されていました。

なぜか5代将軍・義量像と、10代将軍・義栄像がありませんでした。

足利将軍像の他に、足利尊氏の念持仏である本尊・利運地蔵尊(伝・弘法大師作)、達磨大師像夢窓国師像を安置。

そしてなぜか徳川家康像がありました。

・・・なぜじゃ。

どうやらこの家康像は、石清水八幡宮の宝蔵坊から移されたものなんだそうです。

家康が42歳の時に厄落としのために作らせた像なんだって。

●足利三代木像梟首事件
1863年、初代・尊氏、2代・義詮、3代・義満の木像の首と位牌が持ち出され、賀茂川の河原に晒されるという事件が起こったらしいです。

これは幕末の尊攘運動のひとつで徳川討幕の意を表現したものらしいですよ。

野蛮だわぁ。

ちなみに霊光殿の中は写真撮影禁止です。

●霊光殿に安置されている木像の内訳
向かって左壇
・初代将軍・・・足利尊氏像
・第2代将軍・・・足利義詮像
・第3代将軍・・・足利義満像
・第4代将軍・・・足利義持像
・第6代将軍・・・足利義教像
・第7代将軍・・・足利義勝像
・第8代将軍・・・足利義政像

向かって右壇
・徳川家康像
・第9代将軍・・・足利義尚像
・第11代将軍・・・足利義稙像
・第12代将軍・・・足利義澄像
・第13代将軍・・・足利義晴像
・第14代将軍・・・足利義輝像
・第15代将軍・・・足利義昭像

御朱印


御朱印は拝観受付で頂きました。
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等持院の地図

 

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