成就寺の御朱印情報~広島県三原市本町2丁目1-1~

住 所広島県三原市本町2丁目1-1
宗 派臨済宗妙心寺派
札 所備後西国三十三観音霊場 第10番
由 緒創建年は不詳。もともとは沼田小早川氏8代当主・小早川貞平の菩提所として高山城の城下にあったお寺だそうです。1591年、三原城の築城に伴い、現在地に移転しました。小早川隆景の内室・門田御料人慈光院殿の実父である沼田小早川氏15代当主・小早川正平の菩提所で、御本尊の千手観音像は、小早川隆景の持念仏だそうです。江戸時代、人形浄瑠璃の黄金時代を築いた並木宗輔が修業したお寺らしいです。
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境内入口と本堂

●境内入口

備後西国三十三観音霊場・第10番札所であります成就寺に到着。

どうやら山門はない模様。


●本堂

●本堂
・1970年建立
・瓦葺 入母屋造
・RC造
・臨済宗妙心寺派
・本尊は千手観音菩薩像
・備後西国三十三観音霊場 第10番
・小早川正平の菩提寺

なんと!
本尊の千寿観音さんは小早川隆景の持念仏だそうです。
そして安阿弥(快慶)作という噂も!

是非とも拝観したい・・・そんなこんなで、庫裏を訪ねるも不在でした。無念じゃ。



それにしても、全く温かみのないお堂だなぁ。

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淡島神社と地蔵堂

●淡島神社

成就寺の鎮守社です。
女性の病気や悩みに御利益があり、遠方からも参拝者が多く訪れるそうです。

一般的に淡島神社の祭神は少彦名命ですが、このお寺の説明板には淡島明神は女神ですと書いてありました。 多くの淡島神社は少彦名命の説を採用してますが、このお寺の淡島神社はどうも違うっぽいです。

そもそも淡島明神には諸説あり、男神なのか女神なのか定かではないのです。

●祭神 説①
医薬の神・少彦名命とする説

●祭神 説②
伊邪那岐と伊邪那美の2番目の子・淡島とする説

●祭神 説③
住吉神の妃神とする説

●祭神 説④
婆利塞女とする説

どうやらこの淡島神社は、説③か説④を採用してるっぽいです。


●地蔵堂①

●地蔵堂①
・建立年不明
・銅板葺 平入り切妻造

堂内には六地蔵さんがおられました。


●地蔵堂②

●地蔵堂②
・建立年不明
・銅板葺 平入り切妻造

堂内にはたくさんのお地蔵さんがおられました。
おそらく、点在していたお地蔵さんを1ヶ所に集めたパターンの地蔵堂です。


●地蔵堂③

●地蔵堂③
・建立年不明
・銅板葺 平入り切妻造

三原新四国・第61番と第63番のお地蔵さんがおられました。 それにしても三原のお寺はお地蔵さんが多いなぁ。

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宝篋印塔と五輪塔

●宝篋印塔と五輪塔

境内には草むしりをするオバちゃんがいました。
お寺の方かなぁと思い話しかけてみると、檀家さんでした。
しばらく談笑をしていると、オバちゃんは本堂裏の石塔群を案内してくれました。



本堂裏には見るからに古そうな石塔が5基並んでました。

オバちゃんいわく
小早川隆景の妻もしくは妻の父の墓かも???
ですって!

オバちゃんに出会わなかったら、この石塔に気付くことなくお寺を後にしてたよ!オバちゃん、ありがとう!


●宝篋印塔

そんなこんなで、石塔観賞。
立派な宝篋印塔です。
隅飾の造りからして、鎌倉時代~室町時代のものかと思われます。
時代的に隆景さんの時代と一致してますなぁ。
やはりこれは小早川隆景の妻のお墓なのか!


●五輪塔

五輪塔の四面には仏さんが彫られてました。
おそらく、こちらも鎌倉時代~室町時代のものだと思われます。
やっぱり、こっちが小早川隆景の妻のお墓なのか!

浪漫が尽きませんなぁ。


●藤井知堂の墓

藤井知堂さんって誰でしょ?
石標には離島教育の先覚者と書いてありました。

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成就寺の地図

御朱印はあるようですが、本日は不在のため頂くことができませんでした。
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