所在地 | 広島県府中市栗柄町2980 |
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祭 神 | 孝霊天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊・金山彦命 |
由 緒 | 807年に創建。その昔は、吉備津神社と肩を並べる備後三大社の1つだったそうです。1説によると、吉備津神社が一宮に昇格以前は、この南宮神社が一宮だったといわれています。南宮という社名は、美濃国一宮の南宮大社を勧請したという説と、備後国府の南に鎮座するからという説があるそうです。 |
鳥居と随神門と狛犬
●鳥居①
●鳥居①
・建立年不明
・明神鳥居
広島県府中市栗柄町に鎮座してます南宮神社に到着。
●参道
石柱が建ち並ぶ参道。
なんと鳥居から随神門の間には、6対の石柱が建ってるという。
可愛い書体の社標。
南宮という社名には2説あって、美濃国一宮の南宮大社を勧請したという説と、備後国府の南に鎮座するからという説があるんだって。
そんなこんなで、石階段を上ると
●随神門
●随神門
・1687年建立
・瓦葺 三間一戸の八脚門
・府中市指定重要有形文化財
その昔は参道にも、もう1つ随神門が建っていたそうです。
そんなこんなで、境内には2つの随神門があったという。
説明板によると、その昔は、備後国一宮・吉備津神社に次ぐ大社だったそうです。
スダレの奥には2対の随神像が祀られてました。
もしかしたら、どちらかの1対はもともとあった随神門の神像かも???
●狛犬
本殿前には4対の狛犬がおられました。
備前焼の狛犬1対。
玉乗り型の狛犬1対。
構え獅子の狛犬1対。
広島玉乗り型(尾道型)の狛犬1対。
尾道と岡山が近いせいか、広島玉乗り型(尾道型)と備前焼が一緒におられるという。なんだか地域性があって面白いなぁ、と思ったひと時。
そんなこんなで、狛犬密度が高めの神社でした。
●鳥居①
・建立年不明
・明神鳥居
広島県府中市栗柄町に鎮座してます南宮神社に到着。
●参道
石柱が建ち並ぶ参道。
なんと鳥居から随神門の間には、6対の石柱が建ってるという。
可愛い書体の社標。
南宮という社名には2説あって、美濃国一宮の南宮大社を勧請したという説と、備後国府の南に鎮座するからという説があるんだって。
そんなこんなで、石階段を上ると
●随神門
●随神門
・1687年建立
・瓦葺 三間一戸の八脚門
・府中市指定重要有形文化財
その昔は参道にも、もう1つ随神門が建っていたそうです。
そんなこんなで、境内には2つの随神門があったという。
説明板によると、その昔は、備後国一宮・吉備津神社に次ぐ大社だったそうです。
スダレの奥には2対の随神像が祀られてました。
もしかしたら、どちらかの1対はもともとあった随神門の神像かも???
●狛犬
本殿前には4対の狛犬がおられました。
備前焼の狛犬1対。
玉乗り型の狛犬1対。
構え獅子の狛犬1対。
広島玉乗り型(尾道型)の狛犬1対。
尾道と岡山が近いせいか、広島玉乗り型(尾道型)と備前焼が一緒におられるという。なんだか地域性があって面白いなぁ、と思ったひと時。
そんなこんなで、狛犬密度が高めの神社でした。
本殿と境内社
●本殿
●本殿
・1669年建立
・瓦葺 唐破風・千鳥破風付き入母屋造
・府中市指定重要有形文化財
・孝霊天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊・金山彦命などを祀る
なんと、県内でも数少ない五間社の入母屋造だという!
大きさに圧倒されちゃいました。
その昔は、吉備津神社と肩を並べる備後三大社の1つだったそうです。
1説によると、吉備津神社が一宮に昇格以前は、この南宮神社が一宮だったのではないかといわれてるんだって。
本殿の外周には、たくさんの絵馬が掲げられてました。
私的には、隙間なくビッシリと描かれたこの絵馬が印象的でした。
どうやら1882年に奉納された絵馬のようです。
富士山が確認できますので、この地域を舞台にした絵ではなさそうです。 江戸の町を描いてるのでしょうか?
●境内社
●境内社
・左 → 市杵島神社
・中 → 出雲神社
・右 → 貴船神社
●市杵島神社
・市杵嶋姫神を祀る
・通称・宮島さん。
安芸・厳島神社より勧請された神社です。もともとはここから200mほど離れた地に鎮座していたんですって。明治時代初め頃までは、秋祭りの御旅所として賑わっていたそうですが、神輿が担がれなくなると次第に忘れ去られて衰退・・・。そんなこんなで、2000年に地元の有志によってこの地に移転再建されたんだって。
●貴船神社
・水波能売神を祀る
もともとは、南宮神社・末社の筆頭である二宮として、栗柄・土生・僧殿・府川・高木・中須という6村の崇敬社だったそうです。当時は、平井の城平という地に祀られていたんですって。しかし、1716年建立の本殿の破損が激しく、また同所に再建することが困難だったため、2004年にこの地に移転再建したそうです。
●本殿
・1669年建立
・瓦葺 唐破風・千鳥破風付き入母屋造
・府中市指定重要有形文化財
・孝霊天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊・金山彦命などを祀る
なんと、県内でも数少ない五間社の入母屋造だという!
大きさに圧倒されちゃいました。
その昔は、吉備津神社と肩を並べる備後三大社の1つだったそうです。
1説によると、吉備津神社が一宮に昇格以前は、この南宮神社が一宮だったのではないかといわれてるんだって。
本殿の外周には、たくさんの絵馬が掲げられてました。
私的には、隙間なくビッシリと描かれたこの絵馬が印象的でした。
どうやら1882年に奉納された絵馬のようです。
富士山が確認できますので、この地域を舞台にした絵ではなさそうです。 江戸の町を描いてるのでしょうか?
●境内社
●境内社
・左 → 市杵島神社
・中 → 出雲神社
・右 → 貴船神社
●市杵島神社
・市杵嶋姫神を祀る
・通称・宮島さん。
安芸・厳島神社より勧請された神社です。もともとはここから200mほど離れた地に鎮座していたんですって。明治時代初め頃までは、秋祭りの御旅所として賑わっていたそうですが、神輿が担がれなくなると次第に忘れ去られて衰退・・・。そんなこんなで、2000年に地元の有志によってこの地に移転再建されたんだって。
●貴船神社
・水波能売神を祀る
もともとは、南宮神社・末社の筆頭である二宮として、栗柄・土生・僧殿・府川・高木・中須という6村の崇敬社だったそうです。当時は、平井の城平という地に祀られていたんですって。しかし、1716年建立の本殿の破損が激しく、また同所に再建することが困難だったため、2004年にこの地に移転再建したそうです。
鐘楼と孝霊塚と神馬舎
●鐘楼
●鐘楼
・江戸時代中期建立
・瓦葺 切妻造
・府中市指定重要有形文化財
なんと境内には鐘楼があるという!
これは神仏習合時代の名残りで、南宮神社の参道脇にある神宮寺のものなんですって。
ちなみに、鐘楼がある神社は全国で200余社で、広島には2社しかないそうです。
ちなみにこちらが神宮寺です。
●神宮寺の参拝記
●孝霊塚
●孝霊塚
南宮神社の主祭神・孝霊天皇の御陵といわれてます。
ちなみに、この塚の由来には2説あるそうです。
●説①
孝霊天皇が譲位の後、この地に移り住み、そして崩御したという説。
●説②
孝霊天皇の子・吉備津彦が、四道将軍として吉備国に滞在中、父・孝霊天皇を偲んで分霊を祀る御陵を築いたという説。
どちらの説も浪漫があって好きだなぁ。
●神馬舎
境内の片隅には、ひっそりと神馬舎が建ってました。
檻に閉じ込められた神馬ちゃんが、ちょっと不気味でした。
●鐘楼
・江戸時代中期建立
・瓦葺 切妻造
・府中市指定重要有形文化財
なんと境内には鐘楼があるという!
これは神仏習合時代の名残りで、南宮神社の参道脇にある神宮寺のものなんですって。
ちなみに、鐘楼がある神社は全国で200余社で、広島には2社しかないそうです。
ちなみにこちらが神宮寺です。
●神宮寺の参拝記
神宮寺(あじさい寺)の御朱印~広島県府中市栗柄町2987~
所在地広島県府中市栗柄町2987宗 派真言宗御室派由 緒1116年、南宮神社の別当寺として、京都・東寺の僧が開創したお寺だそうです。HPあじさいの寺 神宮寺境内入口●南...
●孝霊塚
●孝霊塚
南宮神社の主祭神・孝霊天皇の御陵といわれてます。
ちなみに、この塚の由来には2説あるそうです。
●説①
孝霊天皇が譲位の後、この地に移り住み、そして崩御したという説。
●説②
孝霊天皇の子・吉備津彦が、四道将軍として吉備国に滞在中、父・孝霊天皇を偲んで分霊を祀る御陵を築いたという説。
どちらの説も浪漫があって好きだなぁ。
●神馬舎
境内の片隅には、ひっそりと神馬舎が建ってました。
檻に閉じ込められた神馬ちゃんが、ちょっと不気味でした。
木造・神像
●木造・神像
●木造・神像
・平安時代末期~鎌倉時代前期作
・国指定重要文化財
もともとこの神像は、御神体として本殿内に祀られていたそうです。
像高や作風などから、男神1~4と、女神1~3と、女神4~5と、童子形、男神5に分けられてるらしく、年齢や身分を区別して神格の違いを造り分けているんだって。そんなこんなで、神像製作の有様を考察するうえで注目される一品とのことです。
●境内からの景色
いやはや素敵な神社でした。
●木造・神像
・平安時代末期~鎌倉時代前期作
・国指定重要文化財
もともとこの神像は、御神体として本殿内に祀られていたそうです。
像高や作風などから、男神1~4と、女神1~3と、女神4~5と、童子形、男神5に分けられてるらしく、年齢や身分を区別して神格の違いを造り分けているんだって。そんなこんなで、神像製作の有様を考察するうえで注目される一品とのことです。
●境内からの景色
いやはや素敵な神社でした。
御朱印
●御朱印情報
御朱印は府中八幡神社の社務所で頂きました。
●府中八幡神社の参拝記
●府中八幡神社の所在地
広島県府中市出口町162
御朱印は府中八幡神社の社務所で頂きました。
●府中八幡神社の参拝記
府中八幡神社の御朱印~広島県府中市出口町162~
所在地広島県府中市出口町162祭 神応神天皇由 緒1443年、備後国・山名持豊の目代・宮田政輝が、現社殿の裏山に八ツ尾城の守護神として創建したのが始まりといいます。その後、1538年、八ツ尾城最後の城主・...
●府中八幡神社の所在地
広島県府中市出口町162