歴史の見える丘の観光記~戦艦大和を建造したドックを望む~(広島県呉市宮原)

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歴史の見える丘

●歴史の見える丘

私の中で呉といえば、戦艦大和・仁義なき戦い・呉ポー。呉ポー懐かしっ!
そんなことより、戦艦大和を建造したドックが望める歴史の見える丘に到着。

この地は、戦艦・大和を建造したドックや旧呉鎮守府庁舎など、軍港都市から平和産業都市としての道を歩んだ、明治以降の呉の歴史が一望できる場所です。

敷地内には、戦艦大和の塔造船船渠記念碑などがあり、ちょっとした公園みたいになってます。


●噫、戦艦大和塔

到着後、真っ先に目に飛び込んでくるのは、戦艦大和の艦橋を模した怪しげな塔です。

この塔は、1969年の第30回大和進水日(8月8日)を記念して、呉大和会が建立したものらしいです。

塔内には奈良・大和神社の分霊がお鎮まりになってます。


●大和と長門の主砲徹甲弾


塔の両脇には、戦艦大和と戦艦長門の主砲徹甲弾が置かれてました。

●戦艦長門の主砲徹甲弾(写真左)
・直径 41cm
・長さ 1m75cm
・最大射程距離 3800m

  ●戦艦大和の主砲徹甲弾(写真右)
・直径 46cm
・長さ 1m98cm
・最大射程距離 4200m


●造船船渠記念碑

この記念碑は、旧呉海軍工廠造船船渠の壁石を使って、ドックの底に降りる階段を 再現したものらしいです。


●旧呉海軍工廠礎石記念塔

続いてこちらは、旧呉海軍工廠の礎石を集めて建立された記念塔です。

なんとレンガの部分は、旧海軍呉鎮守府開庁当時の建材なんだって。


●澤原為綱翁之像

像とかいいながら、なにも立ってないじゃないか・・・と思ったら、銅像の方は第二次世界大戦の際に、金属類回収令によって供出されたんだって。
ということで、現在は台座の1部が残るのみです。

それにしても立派な台座だなぁ。
ちなみに沢原為綱とは、幕末から大正時代に活躍した、広島出身の政治家なんですって。


●正岡子規の句碑

碑には
呉港 呉かあらぬ 春の裾山 灯をともす
と刻まれてました。

1895年、正岡子規は、友人・古嶋一雄が海軍従軍記者として軍艦松島で出征するのを見送るために呉を訪れたそうです。
その時、船から日暮れの休山を見て、この句を詠んだといわれてます。

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戦艦大和を建造したドック

●戦艦大和を建造したドック

そんなこんなではいドーーーン!
歴史の見える丘からは戦艦大和を建造したドックを望むことができました。

現在、ドックは埋め立てられてますが、上屋と骨組みは当時のままなんですって!


クレーンで隠れてますが、壁には大和のふるさとと書かれてました。


ここで生まれて、ここから旅立っていったのかぁ。
なんか、ジーンとくるなぁ。


●日本遺産

ちなみに歴史の見える丘は、日本近代化の躍動を体感できるまちとして日本遺産に認定されてます。
(認定日・2016年4月25日)


ちなみに駐車場はありません。

●所在地
広島県呉市宮原5丁目1−1

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歴史の見える丘の地図

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その他、広島の戦争遺跡まとめ

●広島の戦争遺跡まとめ
●記事の詳細
・大久野島(ウサギ島)
・コンクリート船・武智丸
・アレイからすこじま
・工廠神社(産業神社)
・大和ミュージアム
・歴史の見える丘(戦艦大和を建造したドック跡)
・第十一海軍航空廠跡と機銃掃射の弾痕
・海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)

広島の戦争遺跡まとめ~大久野島(ウサギ島)・コンクリート船 武智丸・アレイからすこじま・大和ミュージアム・弾痕など~
記事の内容・・・大久野島(ウサギ島)・コンクリート船 武智丸・アレイからすこじま・大和ミュージアム・歴史の見える丘・工廠神社(産業神社)のトーチカ・旧海軍兵学校・弾痕・防空壕などを紹介してます。


随時更新していきます。
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