Contents
稲佐の浜とは?
●ザックリと簡単に稲佐の浜とは?
ザックリと簡単に稲佐の浜とは
古事記では伊那佐の小濱。
日本書紀では五十田狭の小汀と記載されている砂浜です。
国引き神話・国譲り神話の舞台として有名な浜で、旧暦の10月10日の神在月の際に、全国の神様が大集合する場所としても知られてます。
国引き神話しかり、国譲り神話しかり、神在祭しかり、人間サイズの想像を超えた壮大なストーリーの舞台となる稲佐の浜。
このページでは
①国引き神話のこと
②国譲り神話のこと
③神在祭のこと
④沖御前神社(弁天島)のこと
という4部構成で話を進めていきます。
むずかしい言葉と、むずかしい表現の多い日本神話ですが、小学生でもわかる言葉でわかりやすく紹介していきます。
ザックリと簡単に稲佐の浜とは
古事記では伊那佐の小濱。
日本書紀では五十田狭の小汀と記載されている砂浜です。
国引き神話・国譲り神話の舞台として有名な浜で、旧暦の10月10日の神在月の際に、全国の神様が大集合する場所としても知られてます。
国引き神話しかり、国譲り神話しかり、神在祭しかり、人間サイズの想像を超えた壮大なストーリーの舞台となる稲佐の浜。
このページでは
①国引き神話のこと
②国譲り神話のこと
③神在祭のこと
④沖御前神社(弁天島)のこと
という4部構成で話を進めていきます。
むずかしい言葉と、むずかしい表現の多い日本神話ですが、小学生でもわかる言葉でわかりやすく紹介していきます。
国引き神話とは?
●ザックリと簡単に国引き神話とは?
まだ出雲の国ができたてホヤホヤの小さな国だった時代のお話し。
小さな出雲の国を見ていたヤツカミズオミツヌという神様はこう言いました。
『この国はなんて狭いのだ・・・』
『最初につくった国だから、少々小さくつくり過ぎてしまったようだ・・・(汗)』
『どうやったら大きな国にできるのか・・・』
『そうだ!近くの国から土地を引っぱってきて、出雲の国と合体させちゃおっ』
そんなこんなで
『どこかに余った土地がないかなぁ・・・』
と思い、辺りを見渡すと、海の向こうの新羅の国(現・韓国)に余った土地を見つけちゃいました。
ということで、その土地を出雲に引寄せることに。
ヤツカミズオミツヌは、大きなクワで新羅の余った土地を切り離し、その土地に綱をかけて『国来、国来(クニコ、クニコ)』と言いながら出雲の地へ引き寄せました。
そして土地と土地を縫い合わせて、杵築のみさき(現・日御碕から平田市小津付近)が完成。
このとき、引き寄せた国を固めるために立てた杭が佐比売山(三瓶山)になり、引き寄せた綱が園の長浜となりました。
その後、北陸などから国を引き寄せました。
例のごとく、土地と土地を縫い合わせて、島根半島が完成。
このとき、引き寄せた国を固めるために立てた杭が大山になり、引き寄せた綱が鳥取県の弓が浜となりました。
無事、国引きを終えたヤツカミズオミツは意宇の杜に杖を突き立て『おう(おえ)』と言いました。
その場所が意宇の森(おうのもり)になったといいます。
完。
出雲国風土記の国引き神話によると、薗の長浜(園の長浜)は島根半島と佐比売山(三瓶山)とをつなぐ綱であると記されています。
長~い砂浜の先には佐比売山(三瓶山)。
確かにそういわれると、稲佐の浜から見る園の長浜(綱)と三瓶山(杭)は、長い綱で繋がってるように見えますね!
それにしてもこの国引き神話は何が言いたいのでしょ?(笑)
単純に、出雲国の領土を拡大していったよ~ということを、ファンタジー風味に仕上げた物語なのかなぁ?
それとももっと深いメッセージがあるのかなぁ?
クニコ、クニコ・・・口癖になりそうです。
佐比売山(三瓶山)に鎮座する佐比賣山神社の参拝記です。
まだ出雲の国ができたてホヤホヤの小さな国だった時代のお話し。
小さな出雲の国を見ていたヤツカミズオミツヌという神様はこう言いました。
『この国はなんて狭いのだ・・・』
『最初につくった国だから、少々小さくつくり過ぎてしまったようだ・・・(汗)』
『どうやったら大きな国にできるのか・・・』
『そうだ!近くの国から土地を引っぱってきて、出雲の国と合体させちゃおっ』
そんなこんなで
『どこかに余った土地がないかなぁ・・・』
と思い、辺りを見渡すと、海の向こうの新羅の国(現・韓国)に余った土地を見つけちゃいました。
ということで、その土地を出雲に引寄せることに。
ヤツカミズオミツヌは、大きなクワで新羅の余った土地を切り離し、その土地に綱をかけて『国来、国来(クニコ、クニコ)』と言いながら出雲の地へ引き寄せました。
そして土地と土地を縫い合わせて、杵築のみさき(現・日御碕から平田市小津付近)が完成。
このとき、引き寄せた国を固めるために立てた杭が佐比売山(三瓶山)になり、引き寄せた綱が園の長浜となりました。
その後、北陸などから国を引き寄せました。
例のごとく、土地と土地を縫い合わせて、島根半島が完成。
このとき、引き寄せた国を固めるために立てた杭が大山になり、引き寄せた綱が鳥取県の弓が浜となりました。
無事、国引きを終えたヤツカミズオミツは意宇の杜に杖を突き立て『おう(おえ)』と言いました。
その場所が意宇の森(おうのもり)になったといいます。
完。
出雲国風土記の国引き神話によると、薗の長浜(園の長浜)は島根半島と佐比売山(三瓶山)とをつなぐ綱であると記されています。
長~い砂浜の先には佐比売山(三瓶山)。
確かにそういわれると、稲佐の浜から見る園の長浜(綱)と三瓶山(杭)は、長い綱で繋がってるように見えますね!
それにしてもこの国引き神話は何が言いたいのでしょ?(笑)
単純に、出雲国の領土を拡大していったよ~ということを、ファンタジー風味に仕上げた物語なのかなぁ?
それとももっと深いメッセージがあるのかなぁ?
クニコ、クニコ・・・口癖になりそうです。
佐比売山(三瓶山)に鎮座する佐比賣山神社の参拝記です。
佐比賣山神社の御朱印情報~国引き神話でお馴染みの佐比賣山(三瓶山)に鎮座~ (島根県大田市三瓶町)
所在地島根県大田市三瓶町多根イ305祭 神大己貴命・少彦名命・須勢理毘売命由 緒891年に創建。1476年、1573年、1604年に社殿を造営したそうです。この地は大国主命が国土経営の際、池を作っ...
国譲り神話とは?
●ザックリと簡単に国譲り神話とは?
●登場する神様
・大国主命(オオクニヌシ)
・少彦名命(スクナビコナ)
・天照大神(アマテラス)
・天穂日命(アメノホヒ)
・天若日子命(アメノワカヒコ)
・下照比売命(シタテルヒメ)
・建御雷命(タケミカヅチ)
・天鳥船命(アメノトリフネ)
・事代主命(コトシロヌシ)
・建御名方命(タケミナカタ)
舞台は、オオクニヌシがスクナビコナとともに築き上げた葦原中国(地上)と、アマテラスを中心とした様々な神様が住む高天原(天界)。
立派で豊かな葦原中国(地上)を高天原(天界)から見ていたアマテラスは、葦原中国(地上)を自分のものにしたくなりました。
そんなこんなで、地上の出雲国へ使者を送り、国を譲ってもらおうとします。
最初に使者として送り出されたのはアメノホヒ。
オオクニヌシとアメノホヒとの間で、国譲りの交渉が始まります。
しかしアメノホヒはオオクニヌシと意気投合してしまい、3年間も高天原(天界)に帰りませんでした。
そこで天界サイドは、2人目の使者であるアメノワカヒコを送り出すことに。
しかし、アメノワカヒコはオオクニヌシの娘・シタテルヒメと結婚してしまい、8年間も地上で暮らしました。
思い通りにいかずムキーーーッとなったアマテラスは、最後に力自慢のタケミカヅチとアメノトリフネを使者として送り出します。
タケミカヅチは稲佐の浜に十拳剣を逆さまに立て、剣先にあぐらをかいて座り、国譲りの交渉をしました。
しかし、オオクニヌシは『私1人では決められないから、息子2人にも聞いてみてください』 と応えました。
そこでタケミカヅチとアメノトリフネは、美保関で釣りをしていたコトシロヌシのところへ行き、国譲りの交渉をしました。 そして、コトシロヌシは国譲りを認めました。
しかし、そう簡単には国は譲らねぇ~と、2人目の息子・タケミナカタが登場。
タケミナカタは力自慢の神!
そんなこんなで、タケミナカタとタケミカヅチは出雲国をかけて力比べをします。
地上の力自慢代表 vs 天界の力自慢代表の大一番!
・・・と思われましたが、あっけなくタケミカヅチが勝ちました。
勝負に負けたら仕方ない・・・オオクニヌシは国を譲ることを決心しました。
しかし、ただでは国を譲りません。
オオクニヌシは国を譲る代わりに条件を出しました。
それは、天に届くくらい大きな宮殿を建ててほしいという条件でした。
その宮殿こそが、現在の出雲大社といわれています。
完。
●国譲りの地・屏風岩
ちなみに稲佐の浜から約300mほど離れたところに、オオクニヌシとタケミカヅチが会談を行った場所といわれる屏風岩があります。
国譲りが武力ではなく平和的に解決できたというところに、なにか教訓がありそうですね。
ちなみにこちらで国譲りのことをイラストで書いてます。
ついでに最初の使者・アメノホヒゆかりの神魂神社の参拝記を書いてます。
あと、2人目の使者・アメノワカヒコと結婚したシタテルヒメのことも書いてます。
●登場する神様
・大国主命(オオクニヌシ)
・少彦名命(スクナビコナ)
・天照大神(アマテラス)
・天穂日命(アメノホヒ)
・天若日子命(アメノワカヒコ)
・下照比売命(シタテルヒメ)
・建御雷命(タケミカヅチ)
・天鳥船命(アメノトリフネ)
・事代主命(コトシロヌシ)
・建御名方命(タケミナカタ)
舞台は、オオクニヌシがスクナビコナとともに築き上げた葦原中国(地上)と、アマテラスを中心とした様々な神様が住む高天原(天界)。
立派で豊かな葦原中国(地上)を高天原(天界)から見ていたアマテラスは、葦原中国(地上)を自分のものにしたくなりました。
そんなこんなで、地上の出雲国へ使者を送り、国を譲ってもらおうとします。
最初に使者として送り出されたのはアメノホヒ。
オオクニヌシとアメノホヒとの間で、国譲りの交渉が始まります。
しかしアメノホヒはオオクニヌシと意気投合してしまい、3年間も高天原(天界)に帰りませんでした。
そこで天界サイドは、2人目の使者であるアメノワカヒコを送り出すことに。
しかし、アメノワカヒコはオオクニヌシの娘・シタテルヒメと結婚してしまい、8年間も地上で暮らしました。
思い通りにいかずムキーーーッとなったアマテラスは、最後に力自慢のタケミカヅチとアメノトリフネを使者として送り出します。
タケミカヅチは稲佐の浜に十拳剣を逆さまに立て、剣先にあぐらをかいて座り、国譲りの交渉をしました。
しかし、オオクニヌシは『私1人では決められないから、息子2人にも聞いてみてください』 と応えました。
そこでタケミカヅチとアメノトリフネは、美保関で釣りをしていたコトシロヌシのところへ行き、国譲りの交渉をしました。 そして、コトシロヌシは国譲りを認めました。
しかし、そう簡単には国は譲らねぇ~と、2人目の息子・タケミナカタが登場。
タケミナカタは力自慢の神!
そんなこんなで、タケミナカタとタケミカヅチは出雲国をかけて力比べをします。
地上の力自慢代表 vs 天界の力自慢代表の大一番!
・・・と思われましたが、あっけなくタケミカヅチが勝ちました。
勝負に負けたら仕方ない・・・オオクニヌシは国を譲ることを決心しました。
しかし、ただでは国を譲りません。
オオクニヌシは国を譲る代わりに条件を出しました。
それは、天に届くくらい大きな宮殿を建ててほしいという条件でした。
その宮殿こそが、現在の出雲大社といわれています。
完。
●国譲りの地・屏風岩
ちなみに稲佐の浜から約300mほど離れたところに、オオクニヌシとタケミカヅチが会談を行った場所といわれる屏風岩があります。
国譲りが武力ではなく平和的に解決できたというところに、なにか教訓がありそうですね。
ちなみにこちらで国譲りのことをイラストで書いてます。
[15]国譲りの交渉〜アメノホヒとアメノワカヒコ〜
天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)の国造り アマテラスは、自分とスサノオの誓約で生まれた天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)に国造りをさせようとしたんだけど、天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)は「葦原中国はずいぶん騒がしんだけど
[16]国譲りの完成
建御雷之男神(タケミカヅチ) アマテラスは一体どの神を使わせればうまくいくのか、八百万の神に尋ねたよ。 思金神(オモヒカネ)は伊都尾羽張(イツノオハバリ)の神またはその子である建御雷之男神(タケミカヅチ)をご指名したんだ
ついでに最初の使者・アメノホヒゆかりの神魂神社の参拝記を書いてます。
神魂神社の御朱印~国宝!日本最古の大社造がある神社~ (島根県松江市大庭町)
所在地島根県松江市大庭町563祭 神伊弉冊大神由 緒創建年は不詳。社伝によると、天穂日命がこの地に天降って創建した神社といいます。しかし、延喜式神名帳や出雲国風土記などにこの神社についての記載はなく、文献...
あと、2人目の使者・アメノワカヒコと結婚したシタテルヒメのことも書いてます。
売豆紀神社の御朱印~和歌の祖神・下照比売命を祀る~ (島根県松江市雑賀町)
所在地島根県松江市雑賀町1663祭 神主祭神下照比売命配神天照大神・豊受比売命・倭媛命社 格式内社由 緒創建年は不詳。733年に編纂された出雲国風土記に記載されていることから、それ以前...
神在月(神在祭)とは?
●ザックリと簡単に神在月(神在祭)とは?
一般的に旧暦10月は神無月ですが、全国の神様が出雲へ集まる出雲地方では神在月と呼ばれています。
そんなこんなで、この稲佐の浜は神在月に全国から出雲に集まる八百万の神々の玄関口、すなわち集合場所にあたります。
渋谷のハチ公前みたいなもんでしょうか・・・神様界では有名な待ち合わせ場所のようです!
全国から集まった神様達は、旧暦10月11日~17日まで7日間、出雲の様々な神社で話し合いを行います。
●八百万の神々は何を話し合っているのか?
ズバリ!
縁結びの話し合いをしてるのです!
縁結びといっても、恋愛関係の縁結びだけではなく、人間関係のことやお金のことや仕事のことや、人生のあらゆる縁結びを話し合ってるそうです。
むずかしい話ですが、厳密にいえば話し合いではなく神議りという神事によって決められています。
そんなこんなで出雲は、全国から神様と参拝者が集まる大人気の縁結びスポットなんですな。
●神在祭を行う神社
※日付は旧暦のものがあるので、お間違えなく!
10月に出雲に行って『あれ???やってないじゃん』という人がたまにいるそうです。
●出雲大社
・旧暦10月10日~17日26日
●日御碕神社
・旧暦10月11日~17日
●朝山神社
・旧暦10月1日~10日
●万九千神社
・旧暦10月17日~26日
・26日は神等去出祭
●熊野大社
・旧暦10月10日~26日
●佐太神社
・11月20日~25日・30日
・5月20日~25日・31日
●神魂神社
・11月11日~18日
●多賀神社
・11月25日~26日
もしかしたら砂浜に残る足跡は神様の足跡かもよ~。
一般的に旧暦10月は神無月ですが、全国の神様が出雲へ集まる出雲地方では神在月と呼ばれています。
そんなこんなで、この稲佐の浜は神在月に全国から出雲に集まる八百万の神々の玄関口、すなわち集合場所にあたります。
渋谷のハチ公前みたいなもんでしょうか・・・神様界では有名な待ち合わせ場所のようです!
全国から集まった神様達は、旧暦10月11日~17日まで7日間、出雲の様々な神社で話し合いを行います。
●八百万の神々は何を話し合っているのか?
ズバリ!
縁結びの話し合いをしてるのです!
縁結びといっても、恋愛関係の縁結びだけではなく、人間関係のことやお金のことや仕事のことや、人生のあらゆる縁結びを話し合ってるそうです。
むずかしい話ですが、厳密にいえば話し合いではなく神議りという神事によって決められています。
そんなこんなで出雲は、全国から神様と参拝者が集まる大人気の縁結びスポットなんですな。
●神在祭を行う神社
※日付は旧暦のものがあるので、お間違えなく!
10月に出雲に行って『あれ???やってないじゃん』という人がたまにいるそうです。
●出雲大社
・旧暦10月10日~17日26日
●日御碕神社
・旧暦10月11日~17日
●朝山神社
・旧暦10月1日~10日
●万九千神社
・旧暦10月17日~26日
・26日は神等去出祭
●熊野大社
・旧暦10月10日~26日
●佐太神社
・11月20日~25日・30日
・5月20日~25日・31日
●神魂神社
・11月11日~18日
●多賀神社
・11月25日~26日
もしかしたら砂浜に残る足跡は神様の足跡かもよ~。
沖御前神社(弁天島)とは?
●沖御前神社(弁天島)
稲佐の浜のシンボルにもなっている弁天島には、沖御前神社という小さな神社が鎮座してます。
この島は、地元ではべんてんさんと呼ばれてるそうで、かつては稲佐湾のはるか沖にあったため、沖ノ御前・沖ノ島と呼ばれたそうです。
もともとは弁才天が祀られていたそうですが、現在は豊玉毘古命が祀られています。
見るからに神話に登場しそうな島ですが、神話とは全く関係のない島でした(笑)
稲佐の浜のシンボルにもなっている弁天島には、沖御前神社という小さな神社が鎮座してます。
この島は、地元ではべんてんさんと呼ばれてるそうで、かつては稲佐湾のはるか沖にあったため、沖ノ御前・沖ノ島と呼ばれたそうです。
もともとは弁才天が祀られていたそうですが、現在は豊玉毘古命が祀られています。
見るからに神話に登場しそうな島ですが、神話とは全く関係のない島でした(笑)
日本のなぎさ100選
●稲佐の浜
ちなみに稲佐の浜は、日本のなぎさ100選に選ばれてます。
そして、夏は海水浴場として活躍しています。
そんなこんなで、砂浜には水着姿の男女がチラホラ。
嬉しげにニヤニヤしながら写真を撮ってるとタイホー(冤罪)されそうなので、今日のところはこの辺で!
長々と読んでくださりありがとうございました。
ちなみに弁天島付近は遊泳禁止です。
ちなみに稲佐の浜は、日本のなぎさ100選に選ばれてます。
そして、夏は海水浴場として活躍しています。
そんなこんなで、砂浜には水着姿の男女がチラホラ。
嬉しげにニヤニヤしながら写真を撮ってるとタイホー(冤罪)されそうなので、今日のところはこの辺で!
長々と読んでくださりありがとうございました。
ちなみに弁天島付近は遊泳禁止です。
沖御前神社の御朱印情報
●沖御前神社の御朱印情報
いろいろ探ってみましたが、どうやら御朱印はやってないみたいです。
(2018年8月13日現在)
いろいろ探ってみましたが、どうやら御朱印はやってないみたいです。
(2018年8月13日現在)