所在地 | 島根県益田市小浜町630 |
---|---|
祭 神 | 事代主命 他4柱 |
由 緒 | 1709年、海龍山に小さな祠を建てたのがこの神社の始まりといいます。1867年、現在地に遷座。その後、1893年に社殿を再建。2011年に375年式年大祭が行われたそうです。小野村誌によると『小野神社神職これを兼務せり』とあり、宮司は15代までを椿左京家系、16代から現在の23代までを中島家系が務めているそうです。 |
宮ヶ島
●宮ヶ島
本日は朱フレのYさんと寺社巡りをしております。
先ほど訪れたなんちゃってモンサンミッシェル(西堂寺六角堂)の興奮冷めやらぬまま、国道191号線を東に向かってドライブ。
すると小浜という地に、別名・山陰のモンサンミッシェルと呼ばれる衣毘須神社の存在を知る!
なんだなんだ、知らぬ間にモンサン探しの旅になってるぞ(笑)
そんなこんなで、衣毘須神社に到着。
衣毘須神社と書いてえびす神社と読みます。
どうやら衣毘須神社は宮ヶ島という小島に鎮座している模様。
さすが山陰のモンサンミッシェルというだけあって、宮ヶ島へ続く参道は干潮時だけしか姿を現さないという!
結構な弱運なので、満潮だったら冴えないなぁ〜とか思っていましたが、運良く干潮じゃん!
これは神様が呼んでるな(笑)
ということで、ルンルンで近く。
待て・・・
干潮は干潮だけど・・・
な~んとなく潮が満ち気味!(笑)
ということで、潮の満ち引きのタイミングを見計らって島に突入。
Yさん突撃!
ぬぉぉぉぉぉ!
なに、この大縄跳び感(笑)
これって島に渡ったはいいけど、急いで参拝しないと島に取り残される系!?
本日は朱フレのYさんと寺社巡りをしております。
先ほど訪れたなんちゃってモンサンミッシェル(西堂寺六角堂)の興奮冷めやらぬまま、国道191号線を東に向かってドライブ。
すると小浜という地に、別名・山陰のモンサンミッシェルと呼ばれる衣毘須神社の存在を知る!
なんだなんだ、知らぬ間にモンサン探しの旅になってるぞ(笑)
そんなこんなで、衣毘須神社に到着。
衣毘須神社と書いてえびす神社と読みます。
どうやら衣毘須神社は宮ヶ島という小島に鎮座している模様。
さすが山陰のモンサンミッシェルというだけあって、宮ヶ島へ続く参道は干潮時だけしか姿を現さないという!
結構な弱運なので、満潮だったら冴えないなぁ〜とか思っていましたが、運良く干潮じゃん!
これは神様が呼んでるな(笑)
ということで、ルンルンで近く。
待て・・・
干潮は干潮だけど・・・
な~んとなく潮が満ち気味!(笑)
ということで、潮の満ち引きのタイミングを見計らって島に突入。
Yさん突撃!
ぬぉぉぉぉぉ!
なに、この大縄跳び感(笑)
これって島に渡ったはいいけど、急いで参拝しないと島に取り残される系!?
衣毘須神社
●鳥居①
●鳥居①
・1926年建立
・明神鳥居
とりあえず無事、島に上陸。
ちょっと濡れたけど。
まず最初にお出迎えしてくれたのは石製・明神鳥居。
見た感じ、新しめの鳥居に見えるけど、約100年前の鳥居という!
●鳥居②
●鳥居②
・1991年建立
・明神鳥居
続いて鳥居②が登場。
鳥居①同様、こちらも石製・明神鳥居。
こちらは平成生まれの若い鳥居です。
●本殿
●本殿
・1893年再建(?)
・瓦葺 妻入り入母屋造
・事代主命・その他4柱を祀る
そんなこんなで、階段を上りきると宮ヶ島の頂上にある本殿に到着。
本殿は山陰名物の石州瓦。
帰宅後に知ったのですが、屋根瓦には鯱瓦があったという!
見事に見逃して帰りました!
主祭神は事代主命。
いわゆるえびす様です。
漁業や海の安全をお守りしてくださる神様です。
由緒によると、JR山陰本線の南にあった祠の大歳大明神や、和田津見神社・大己貴神社・綿津見神社・金刀比羅神社も合祀されているようです。
●衣毘須神社の由緒
●衣毘須神社の由緒
1700年頃、小浜には10数戸ほどの民が暮していたそうな。
そのほとんどは農家で、田畑は狭く、年43石の年貢米に生活は困窮していたという。
そんなこんなで、その年貢から逃れるために長崎の平戸に移住する民が多かったんだって。
移住先の平戸では漁法や製鋼技術を習得し、漁業を生業とする者もいたんだとか。
しかし、小浜を管轄する庄屋や村民の説得により平戸に移り住んでいた民は小浜に帰郷することとなりました。
そして、1709年に日の出網と名付けた鰯網の漁法で活路を見出しました。
そんなこんなで、漁業の神・美保神社より分霊を勧請し、海龍山に小さな祠を建てたそうです。
それがこの神社の始まりといいます。
その後、1867年に現在地へ遷座したんだって。
それにしても、お賽銭口が小さっ!
戸のスキマ!
なんだこの自動販売機感(笑)
そんなこんなで、参拝。
パンパン( •̀人•́ )
参道が消えてませんように!
●境内の風景
宮ヶ島にはかつて樹齢100年以上の黒松が生い茂って鎮守の森を形成していたそうですが、松くい虫の被害に遭ってしまい枯れ死してしまったそうです。。。
ということで、現在は若い黒松たちが海風から神社を守っています。
それにしても、波の暴力がスゴかったです。
島にブチ当たる波の轟音が心拍数を高めました。
多分、錯覚なんだろうけど島が揺れたような気がしました。
これ、参道が消えてしまったら、泳いで帰ることは億パーセント無理だぁ。
帰り道、参道が消えてなくてホッとする。
喜びのあまりジャンプなんかしてみたり。
~題 オジさんの青春~
●鳥居①
・1926年建立
・明神鳥居
とりあえず無事、島に上陸。
ちょっと濡れたけど。
まず最初にお出迎えしてくれたのは石製・明神鳥居。
見た感じ、新しめの鳥居に見えるけど、約100年前の鳥居という!
●鳥居②
●鳥居②
・1991年建立
・明神鳥居
続いて鳥居②が登場。
鳥居①同様、こちらも石製・明神鳥居。
こちらは平成生まれの若い鳥居です。
●本殿
●本殿
・1893年再建(?)
・瓦葺 妻入り入母屋造
・事代主命・その他4柱を祀る
そんなこんなで、階段を上りきると宮ヶ島の頂上にある本殿に到着。
本殿は山陰名物の石州瓦。
帰宅後に知ったのですが、屋根瓦には鯱瓦があったという!
見事に見逃して帰りました!
主祭神は事代主命。
いわゆるえびす様です。
漁業や海の安全をお守りしてくださる神様です。
由緒によると、JR山陰本線の南にあった祠の大歳大明神や、和田津見神社・大己貴神社・綿津見神社・金刀比羅神社も合祀されているようです。
●衣毘須神社の由緒
●衣毘須神社の由緒
1700年頃、小浜には10数戸ほどの民が暮していたそうな。
そのほとんどは農家で、田畑は狭く、年43石の年貢米に生活は困窮していたという。
そんなこんなで、その年貢から逃れるために長崎の平戸に移住する民が多かったんだって。
移住先の平戸では漁法や製鋼技術を習得し、漁業を生業とする者もいたんだとか。
しかし、小浜を管轄する庄屋や村民の説得により平戸に移り住んでいた民は小浜に帰郷することとなりました。
そして、1709年に日の出網と名付けた鰯網の漁法で活路を見出しました。
そんなこんなで、漁業の神・美保神社より分霊を勧請し、海龍山に小さな祠を建てたそうです。
それがこの神社の始まりといいます。
その後、1867年に現在地へ遷座したんだって。
それにしても、お賽銭口が小さっ!
戸のスキマ!
なんだこの自動販売機感(笑)
そんなこんなで、参拝。
パンパン( •̀人•́ )
参道が消えてませんように!
●境内の風景
宮ヶ島にはかつて樹齢100年以上の黒松が生い茂って鎮守の森を形成していたそうですが、松くい虫の被害に遭ってしまい枯れ死してしまったそうです。。。
ということで、現在は若い黒松たちが海風から神社を守っています。
それにしても、波の暴力がスゴかったです。
島にブチ当たる波の轟音が心拍数を高めました。
多分、錯覚なんだろうけど島が揺れたような気がしました。
これ、参道が消えてしまったら、泳いで帰ることは億パーセント無理だぁ。
帰り道、参道が消えてなくてホッとする。
喜びのあまりジャンプなんかしてみたり。
~題 オジさんの青春~
小浜海岸と猫島
●皇居の壁画・朝焼けの潮
1960年、日本画家・東山魁夷さんが宮内庁から東宮御所の壁画の依頼を受けたそうです。
ということで、1966年に海の美を求めて日本各地の海岸を写生取材したんだって。
東山魁夷さんは2度に渡って山陰地方を取材したそうですが、2度ともこの小浜海岸を訪れたとのことです。
そんなこんなで、1968年に皇居の壁画・朝焼けの潮が完成。
朝焼けの潮に描かれた波の表現は、この小浜海岸に打ち寄せる波からヒントを得たといわれています。
ちなみにこちらが皇居の壁画・朝焼けの潮です。
●猫島
小浜海岸をプラプラと散策していたら、猫島と呼ばれる岩礁を望むことができました。
確かに猫っぽい!
スフィンクスにも見えてきた!
ハゲ散らかったシッポが可愛くないですか?
それにしても、カラフルな砂浜だなぁ。
カラフルといえば聞こえがいいけど、まぁいわゆるゴミです。
そのほとんどがお隣の国からの送り物・・・(^^;)
・・・長旅、お疲れ様でした。
そんなこんなで、しばしお掃除タイム。
(好感度アップ作戦)
近くのゴミ箱にはこんなことが書いてありました。
大丈夫かどうかは口に入れてみないとわかんない・・・ときもあるよね。
とかなんとか、屁理屈をいってみつつ。
ゴミで締めくくるのもアレなんで、最後は波の花で^^
砂浜にはたくさんの波の花を見ることができましたよ~。
フワフワで美味しそうでした。
1960年、日本画家・東山魁夷さんが宮内庁から東宮御所の壁画の依頼を受けたそうです。
ということで、1966年に海の美を求めて日本各地の海岸を写生取材したんだって。
東山魁夷さんは2度に渡って山陰地方を取材したそうですが、2度ともこの小浜海岸を訪れたとのことです。
そんなこんなで、1968年に皇居の壁画・朝焼けの潮が完成。
朝焼けの潮に描かれた波の表現は、この小浜海岸に打ち寄せる波からヒントを得たといわれています。
ちなみにこちらが皇居の壁画・朝焼けの潮です。
●猫島
小浜海岸をプラプラと散策していたら、猫島と呼ばれる岩礁を望むことができました。
確かに猫っぽい!
スフィンクスにも見えてきた!
ハゲ散らかったシッポが可愛くないですか?
それにしても、カラフルな砂浜だなぁ。
カラフルといえば聞こえがいいけど、まぁいわゆるゴミです。
そのほとんどがお隣の国からの送り物・・・(^^;)
・・・長旅、お疲れ様でした。
そんなこんなで、しばしお掃除タイム。
(好感度アップ作戦)
近くのゴミ箱にはこんなことが書いてありました。
大丈夫かどうかは口に入れてみないとわかんない・・・ときもあるよね。
とかなんとか、屁理屈をいってみつつ。
ゴミで締めくくるのもアレなんで、最後は波の花で^^
砂浜にはたくさんの波の花を見ることができましたよ~。
フワフワで美味しそうでした。
御朱印情報
●御朱印情報
由緒に小野神社との関わりを示す一文があったので、もしかしたら御朱印は小野神社で頂けるかも???
と思ってみましたが、どうやら小野神社も御朱印はやってなさそうです。
ということで、今のところ御朱印は確認できていません。
(2020年12月更新)
由緒に小野神社との関わりを示す一文があったので、もしかしたら御朱印は小野神社で頂けるかも???
と思ってみましたが、どうやら小野神社も御朱印はやってなさそうです。
ということで、今のところ御朱印は確認できていません。
(2020年12月更新)
アクセスと駐車場
●駐車場
衣毘須神社から約300m離れたところに、無料の専用駐車場がありました。
●最寄りの駅
・JR戸田小浜駅から徒歩17分(1.5km)
衣毘須神社から約300m離れたところに、無料の専用駐車場がありました。
●最寄りの駅
・JR戸田小浜駅から徒歩17分(1.5km)