所在地 | 岡山県総社市井尻野1968 |
---|---|
宗 派 | 臨済宗東福寺派 |
寺 格 | 中本山 |
由 緒 | 創建年は不詳。もともとは天台宗の寺院でしたが、1232年に禅寺に改められたといいます。一時は塔頭・学院55、末寺300寺を数えるほどの巨刹だったそうです。1575年、備中兵乱の戦火により三重塔を残し伽藍をことごとく焼失。 その後、江戸時代まで荒廃していましたが、江戸時代初期に復興され、禅宗様式七堂伽藍を備える本格的な禅寺になったそうです。室町時代、少年時代の雪舟が修業をしていたお寺として知られています。 |
HP | 臨済宗東福寺派 井山宝福寺 |
山門と鐘楼
●境内入口
少年時代の雪舟が修行をしたお寺であります宝福寺に到着。
山門からすでに荘厳なたたずまい。
禅寺特有の凛とした空気がお寺の外まで漏れていました。
宝福寺は臨済宗東福寺派の中本山で、西国布教の一拠点として、地方のなかでも有力な禅宗寺院の1つに数えられています。
かつては禅宗様式の七堂伽藍を備える本格的な禅寺として、塔頭・学院55、末寺300寺を数えるほどの巨刹だったんだって!
一体全体、どんなお寺さんなんでしょ。
ドキドキワクワク。
そんなこんなで、参拝開始。
●山門
●山門
・明治時代後期建立
・瓦葺 入母屋造 楼門
・国の登録有形文化財
まず最初に登場するのは細長〜い脚の山門。
上層は三間。
下層は一間一戸。
重厚な入母屋屋根を6本の細〜い脚で支えているという!
触れたら倒れちまうんじゃないかと心配してしまうくらいの細さでした。
あの脚でよくもってるなぁ!
木鼻は獅子。
そして尾垂木には龍の彫刻がありました。
●参道
そんなこんなで、山門をくぐると参道に突入。
ピーンと張り詰めた禅の空気が境内を支配していました。
仏殿の前に立つ2本の杉が、まるで門のように見えたひと時でした。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・国の登録有形文化財
●梵鐘
・1468年鋳造
・総高 115cm
・口径 59cm
・岡山県指定重要文化財
山門に続き、鐘楼も脚が細長かったです。
そんなことより、鐘楼に吊るされた梵鐘は室町時代に鋳造されたものなんだって。
梵鐘の銘文には、1468年霊仙寺の梵鐘として鋳造と刻まれているそうですよ。
ということで、もともとこの鐘は霊仙寺に吊るされていたみたいです。
ちなみに、なぜ宝福寺にやってきたのかは不明とのことです。
少年時代の雪舟が修行をしたお寺であります宝福寺に到着。
山門からすでに荘厳なたたずまい。
禅寺特有の凛とした空気がお寺の外まで漏れていました。
宝福寺は臨済宗東福寺派の中本山で、西国布教の一拠点として、地方のなかでも有力な禅宗寺院の1つに数えられています。
かつては禅宗様式の七堂伽藍を備える本格的な禅寺として、塔頭・学院55、末寺300寺を数えるほどの巨刹だったんだって!
一体全体、どんなお寺さんなんでしょ。
ドキドキワクワク。
そんなこんなで、参拝開始。
●山門
●山門
・明治時代後期建立
・瓦葺 入母屋造 楼門
・国の登録有形文化財
まず最初に登場するのは細長〜い脚の山門。
上層は三間。
下層は一間一戸。
重厚な入母屋屋根を6本の細〜い脚で支えているという!
触れたら倒れちまうんじゃないかと心配してしまうくらいの細さでした。
あの脚でよくもってるなぁ!
木鼻は獅子。
そして尾垂木には龍の彫刻がありました。
●参道
そんなこんなで、山門をくぐると参道に突入。
ピーンと張り詰めた禅の空気が境内を支配していました。
仏殿の前に立つ2本の杉が、まるで門のように見えたひと時でした。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・国の登録有形文化財
●梵鐘
・1468年鋳造
・総高 115cm
・口径 59cm
・岡山県指定重要文化財
山門に続き、鐘楼も脚が細長かったです。
そんなことより、鐘楼に吊るされた梵鐘は室町時代に鋳造されたものなんだって。
梵鐘の銘文には、1468年霊仙寺の梵鐘として鋳造と刻まれているそうですよ。
ということで、もともとこの鐘は霊仙寺に吊るされていたみたいです。
ちなみに、なぜ宝福寺にやってきたのかは不明とのことです。
仏殿(本堂)
●仏殿
●仏殿
・江戸時代後期建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一重裳階付き
・臨済宗東福寺派 中本山
・本尊 虚空蔵菩薩像
・国の登録有形文化財
続いて仏殿で参拝。
多少小ぶりではありますが、これぞ禅宗ってな感じの立派な仏殿に息を飲んだひと時でした。
円窓がちょっぴり黄檗感がありますが、こちらのお寺は臨済宗東福寺派。
見た目は2層の建物に見えますが、下の屋根は裳階のため実際は1層の建物です。
そんなこんなで、説明板を読む・・・
一点、すごーく気になったのは『仏殿は別称・法堂といいます』的な一文・・・。
仏殿のことを法堂とは呼ばない・・・ような(^^;
おーと、面倒臭いことを言ってしまった!
ちなみに仏殿に掲げられている扁額は後水尾天皇の筆なんだって。
そんなこんなで、堂内へ。
床は四半敷になっていて、本格的な仏殿造。
ちなみに四半敷とは、磚(せん)という板状の瓦を斜め45度に敷き詰めた床のことです。
禅宗の本格的な仏殿造には、だいたい四半敷を採用しています。
本尊は虚空蔵菩薩像。
なーんか視線を感じるなぁっと思ったら須弥壇に獅子が挟まってる!
そんなこんなで
はいドーーーン!
天井には立派な雲龍図がありました!
●水呑みの龍
・江戸時代作(?)
・大家鼇山 作(望月派)
・直径 6m
説明板によると、夜な夜なこの龍が抜け出して白蓮池の水を呑みに行くので、里人がそれ恐れ龍の目に釘を打ちこんだという。 そして、龍が抜け出すのを封じ込めたんだって。
そんなこんなで、この雲龍図は水呑みの龍と呼ばれているそうですよ。
なんだか京都にいるような気分だね!
ドキドキしちゃいます!
●仏殿
・江戸時代後期建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一重裳階付き
・臨済宗東福寺派 中本山
・本尊 虚空蔵菩薩像
・国の登録有形文化財
続いて仏殿で参拝。
多少小ぶりではありますが、これぞ禅宗ってな感じの立派な仏殿に息を飲んだひと時でした。
円窓がちょっぴり黄檗感がありますが、こちらのお寺は臨済宗東福寺派。
見た目は2層の建物に見えますが、下の屋根は裳階のため実際は1層の建物です。
そんなこんなで、説明板を読む・・・
一点、すごーく気になったのは『仏殿は別称・法堂といいます』的な一文・・・。
仏殿のことを法堂とは呼ばない・・・ような(^^;
おーと、面倒臭いことを言ってしまった!
ちなみに仏殿に掲げられている扁額は後水尾天皇の筆なんだって。
そんなこんなで、堂内へ。
床は四半敷になっていて、本格的な仏殿造。
ちなみに四半敷とは、磚(せん)という板状の瓦を斜め45度に敷き詰めた床のことです。
禅宗の本格的な仏殿造には、だいたい四半敷を採用しています。
本尊は虚空蔵菩薩像。
なーんか視線を感じるなぁっと思ったら須弥壇に獅子が挟まってる!
そんなこんなで
はいドーーーン!
天井には立派な雲龍図がありました!
●水呑みの龍
・江戸時代作(?)
・大家鼇山 作(望月派)
・直径 6m
説明板によると、夜な夜なこの龍が抜け出して白蓮池の水を呑みに行くので、里人がそれ恐れ龍の目に釘を打ちこんだという。 そして、龍が抜け出すのを封じ込めたんだって。
そんなこんなで、この雲龍図は水呑みの龍と呼ばれているそうですよ。
なんだか京都にいるような気分だね!
ドキドキしちゃいます!
三重塔
●三重塔
●三重塔
・室町時代中期建立
・総高 18.47m
・国指定重要文化財
続いて、仏殿の後方にある三重塔を参拝。
臨済宗寺院の塔は、伽藍の後方や脇の小高い所に建てられることが多いです。
宝福寺の塔も例外ではなく、仏殿後方の小高い所に建っていました。
この三重塔は、岡山県下で2番目に古い三重塔なんだって。
ちなみに岡山で最古の三重塔は、美作市にある長福寺の三重塔です。
それにしても岡山は三重塔が多いなぁ!
遍照院・福生寺・真光寺・本山寺・西大寺・本蓮寺・曹源寺・金山寺・餘慶寺・五流尊瀧院・長福寺・・・
私が参拝したお寺で、思い出せるだけでも11寺もあるよ!
岡山は三重塔王国です!
●三重塔
・室町時代中期建立
・総高 18.47m
・国指定重要文化財
続いて、仏殿の後方にある三重塔を参拝。
臨済宗寺院の塔は、伽藍の後方や脇の小高い所に建てられることが多いです。
宝福寺の塔も例外ではなく、仏殿後方の小高い所に建っていました。
この三重塔は、岡山県下で2番目に古い三重塔なんだって。
ちなみに岡山で最古の三重塔は、美作市にある長福寺の三重塔です。
それにしても岡山は三重塔が多いなぁ!
遍照院・福生寺・真光寺・本山寺・西大寺・本蓮寺・曹源寺・金山寺・餘慶寺・五流尊瀧院・長福寺・・・
私が参拝したお寺で、思い出せるだけでも11寺もあるよ!
岡山は三重塔王国です!
雪舟の鼠
●雪舟の鼠
そんなこんなで
はいドン!
境内には雪舟像がありました!
なんと雪舟は岡山県総社市出身!
総社市とは、つまりここ!
雪舟は少年時代にこの宝福寺で修行をしていたんだって!
雪舟は幼い頃から絵を描くことが大好きで、修行もそこそこに絵ばかり描いていたそうですよ。
そこで禅師は、これでは彼のためにならないと、雪舟を柱に縛り付けて反省を促したんだって。
そして、しばし放置プレイ。
夕方、柱に縛りつけた雪舟の様子を見に来た禅師は、逃げようとする1匹のネズミを見つけたという。
禅師は慌ててネズミ捕まえようとしましたが、ネズミはピクリとも動かない・・・はて?
よく見てみると、それは雪舟が流した涙で描いたネズミだったという!
禅師は雪舟に事情を聞くと、自分の流した涙を使って、足の親指でネズミを描いたという。
これ以降、禅師は雪舟が絵を描くことを責めなかったんだって。
その後、宝福寺での修行を終えた雪舟は、京都・相国寺に入り天章周文から水墨画を学ぶことになります。
この事件(?)があったからこそ、後の画僧・雪舟が誕生したのかも知れませんね!
いい話しだなぁ。
でも今の時代、柱に縛りつけたりした日にゃワイドショーもんだね!
ということで境内には雪舟の鼠にまつわる像や絵などが点在していました。
●方丈
そんなこんなで、雪舟を縛りつけた柱があった建物がこちら!
方丈内の柱に縛りつけられたんですね!
しかし残念なことに、1575年の備中の兵乱の際に方丈は焼失してしまったんだって。。。
ということで、雪舟が縛られた柱は存在していません・・・嗚呼。
●方丈
・江戸時代中期建立
・瓦葺 入母屋造
・東西 25m
・南北 16m
・国の登録有形文化財
ちなみに方丈は一般公開されていませんが、紅葉の時期に特別公開されるそうですよ。
●雪舟碑
●雪舟碑
・1928年建立
・高さ 4.5m
・幅 1.4m
・厚さ 36cm
・材質 仙台石
その他、境内には雪舟碑という巨大な石碑がありました。
説明板によりますと、
石碑の上段には雪舟の自画像
中段は宋の育王山の全景(雪舟 筆)
下段は藤井高尚の撰文(頼山陽 筆)
雪舟、藤井高尚、頼山陽という三大文化人によってできた碑ということで三絶の碑と呼ばれてるんだって。
●雪舟とは?
ザックリと簡単に雪舟とは、室町時代に活躍した水墨画家・画僧です。
1420年、備中国赤浜(現・総社市赤浜)で生まれる。
少年時代は宝福寺で禅の修行に励みますが、修行もそこそこに絵ばかり描いていたそうです。
その後、京都・相国寺で周文に画法を教えてもらい、1467年に明(中国)に渡って本場の水墨画を学びました。
帰国後は山口県の雲谷庵に住み、多くの作品を残します。
1476年、豊後国(大分県)に住み、県内各地のお寺に優れたお庭を残す。
1479年、益田兼堯からの招きで益田を訪れ、益田兼堯像や花鳥図屏風を描き、萬福寺や医光寺に庭園を作庭。
晩年に再び益田を訪れ、東光寺(現・大喜庵)で87歳の生涯を終える。
雪舟の生涯は大体こんな感じです。
そんなこんなで
はいドン!
境内には雪舟像がありました!
なんと雪舟は岡山県総社市出身!
総社市とは、つまりここ!
雪舟は少年時代にこの宝福寺で修行をしていたんだって!
雪舟は幼い頃から絵を描くことが大好きで、修行もそこそこに絵ばかり描いていたそうですよ。
そこで禅師は、これでは彼のためにならないと、雪舟を柱に縛り付けて反省を促したんだって。
そして、しばし放置プレイ。
夕方、柱に縛りつけた雪舟の様子を見に来た禅師は、逃げようとする1匹のネズミを見つけたという。
禅師は慌ててネズミ捕まえようとしましたが、ネズミはピクリとも動かない・・・はて?
よく見てみると、それは雪舟が流した涙で描いたネズミだったという!
禅師は雪舟に事情を聞くと、自分の流した涙を使って、足の親指でネズミを描いたという。
これ以降、禅師は雪舟が絵を描くことを責めなかったんだって。
その後、宝福寺での修行を終えた雪舟は、京都・相国寺に入り天章周文から水墨画を学ぶことになります。
この事件(?)があったからこそ、後の画僧・雪舟が誕生したのかも知れませんね!
いい話しだなぁ。
でも今の時代、柱に縛りつけたりした日にゃワイドショーもんだね!
ということで境内には雪舟の鼠にまつわる像や絵などが点在していました。
●方丈
そんなこんなで、雪舟を縛りつけた柱があった建物がこちら!
方丈内の柱に縛りつけられたんですね!
しかし残念なことに、1575年の備中の兵乱の際に方丈は焼失してしまったんだって。。。
ということで、雪舟が縛られた柱は存在していません・・・嗚呼。
●方丈
・江戸時代中期建立
・瓦葺 入母屋造
・東西 25m
・南北 16m
・国の登録有形文化財
ちなみに方丈は一般公開されていませんが、紅葉の時期に特別公開されるそうですよ。
●雪舟碑
●雪舟碑
・1928年建立
・高さ 4.5m
・幅 1.4m
・厚さ 36cm
・材質 仙台石
その他、境内には雪舟碑という巨大な石碑がありました。
説明板によりますと、
石碑の上段には雪舟の自画像
中段は宋の育王山の全景(雪舟 筆)
下段は藤井高尚の撰文(頼山陽 筆)
雪舟、藤井高尚、頼山陽という三大文化人によってできた碑ということで三絶の碑と呼ばれてるんだって。
●雪舟とは?
ザックリと簡単に雪舟とは、室町時代に活躍した水墨画家・画僧です。
1420年、備中国赤浜(現・総社市赤浜)で生まれる。
少年時代は宝福寺で禅の修行に励みますが、修行もそこそこに絵ばかり描いていたそうです。
その後、京都・相国寺で周文に画法を教えてもらい、1467年に明(中国)に渡って本場の水墨画を学びました。
帰国後は山口県の雲谷庵に住み、多くの作品を残します。
1476年、豊後国(大分県)に住み、県内各地のお寺に優れたお庭を残す。
1479年、益田兼堯からの招きで益田を訪れ、益田兼堯像や花鳥図屏風を描き、萬福寺や医光寺に庭園を作庭。
晩年に再び益田を訪れ、東光寺(現・大喜庵)で87歳の生涯を終える。
雪舟の生涯は大体こんな感じです。
その他の見どころ
●庫裏
●庫裏
・江戸時代中期建立
・瓦葺 妻入り切妻造
・国の登録有形文化財
仏殿同様、こちらも本格的な禅宗様の庫裏でした。
中国地方で、ここまで本格的な庫裏に出会えるのはかなりレアですね!
そんなこんなで、庫裏内にお邪魔させて頂きました。
江戸時代の空気がそのまま詰まってそうな、そんな空間でした!
●屋根瓦
見上げると古ぼけた屋根瓦。
いい味出てます。
屋根瓦には寺紋の下がり藤や桐紋を見ることができました。
●千尺井
どうやら、こちらは山号・井山の由来となった井戸のようです。
説明板によりますと
鈍庵和尚が、病気を患った四条天皇のために祈祷したところ、7日目の明け方にこの地に客星(彗星?)が落ちて、天皇の病気が治ったという!
これにより近郷の荘園3000石を賜り、さらに護国の2文字を加えて宝福護国禅寺と呼ばれるようになったんだって。
以後、国家鎮護を祈る勅願寺になったそうです。
そんなこんなで、その星の落ちた場所を掘ったのがこの井戸。
井戸は千尺井と名付けられ、井山という山号になったといいます。
いやはや、星が降ってきたお寺とは!
なかなかファンタジーな逸話を持つお寺さんですね!
●境内の風景
すれ違う参拝者はほぼなく、境内を独占できました。
こんなに素敵なお寺なのに、全く観光化してないところが中国地方らしくてナイスだなぁ。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
●庫裏
・江戸時代中期建立
・瓦葺 妻入り切妻造
・国の登録有形文化財
仏殿同様、こちらも本格的な禅宗様の庫裏でした。
中国地方で、ここまで本格的な庫裏に出会えるのはかなりレアですね!
そんなこんなで、庫裏内にお邪魔させて頂きました。
江戸時代の空気がそのまま詰まってそうな、そんな空間でした!
●屋根瓦
見上げると古ぼけた屋根瓦。
いい味出てます。
屋根瓦には寺紋の下がり藤や桐紋を見ることができました。
●千尺井
どうやら、こちらは山号・井山の由来となった井戸のようです。
説明板によりますと
鈍庵和尚が、病気を患った四条天皇のために祈祷したところ、7日目の明け方にこの地に客星(彗星?)が落ちて、天皇の病気が治ったという!
これにより近郷の荘園3000石を賜り、さらに護国の2文字を加えて宝福護国禅寺と呼ばれるようになったんだって。
以後、国家鎮護を祈る勅願寺になったそうです。
そんなこんなで、その星の落ちた場所を掘ったのがこの井戸。
井戸は千尺井と名付けられ、井山という山号になったといいます。
いやはや、星が降ってきたお寺とは!
なかなかファンタジーな逸話を持つお寺さんですね!
●境内の風景
すれ違う参拝者はほぼなく、境内を独占できました。
こんなに素敵なお寺なのに、全く観光化してないところが中国地方らしくてナイスだなぁ。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
塔頭・般若院
●塔頭・般若院
●般若院の表門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 薬医門
・備中西国三十三観音霊場 第25番札所
そんなこんなで宝福寺で参拝後、お寺の周辺をプラプラと散策していたら、三重塔の近くに小さなお寺さんを発見。
どうやら、こちらは宝福寺の塔頭のようです。
しかも、表門の表札に備中西国三十三観音霊場と書いてあるじゃない!
すかさず心の中の御朱印ランプが激しく点灯!
ということで参拝後、御朱印を頂くために庫裏をたずねました。
しかし、住職さんが不在で御朱印が書けないとのこと。。。
だがしかし!
『去年書いた御朱印でもよかったらどうぞ~』と!
きょきょきょ去年っ!?!?
住職の奥さんがおっしゃるには
『昨年、20名程の団体さんが参拝にくるとのことで、あらかじめ20枚ほど御朱印を書いて待ってたんだけど、 5名しか来なかったのでたくさん余ってるのよ~』と(笑)
ちょっと悲しいエピソードですけど、明るくお話する奥さんは太陽のような笑顔でした。
そんなこんなで、1年前の御朱印を頂いて帰りました!
誰かのために書いた過去の御朱印を頂くなんて、こんなの初めてだよ(笑)
●般若院の表門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 薬医門
・備中西国三十三観音霊場 第25番札所
そんなこんなで宝福寺で参拝後、お寺の周辺をプラプラと散策していたら、三重塔の近くに小さなお寺さんを発見。
どうやら、こちらは宝福寺の塔頭のようです。
しかも、表門の表札に備中西国三十三観音霊場と書いてあるじゃない!
すかさず心の中の御朱印ランプが激しく点灯!
ということで参拝後、御朱印を頂くために庫裏をたずねました。
しかし、住職さんが不在で御朱印が書けないとのこと。。。
だがしかし!
『去年書いた御朱印でもよかったらどうぞ~』と!
きょきょきょ去年っ!?!?
住職の奥さんがおっしゃるには
『昨年、20名程の団体さんが参拝にくるとのことで、あらかじめ20枚ほど御朱印を書いて待ってたんだけど、 5名しか来なかったのでたくさん余ってるのよ~』と(笑)
ちょっと悲しいエピソードですけど、明るくお話する奥さんは太陽のような笑顔でした。
そんなこんなで、1年前の御朱印を頂いて帰りました!
誰かのために書いた過去の御朱印を頂くなんて、こんなの初めてだよ(笑)
御朱印情報
●御朱印情報
●御朱印の種類
①宝福寺の御朱印
(南無虚空蔵)
②塔頭・般若院の御朱印
(備中西国三十三所観音霊場 第25番札所)
●御朱印の受付場所
①宝福寺の庫裏
②塔頭・般若院の庫裏
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
●オリジナル御朱印帳
・16cm × 11cm
・紺・青・緑の3色
・2000円
・2010年7月10日 参拝
・2021年1月7日 更新
●御朱印の種類
①宝福寺の御朱印
(南無虚空蔵)
②塔頭・般若院の御朱印
(備中西国三十三所観音霊場 第25番札所)
●御朱印の受付場所
①宝福寺の庫裏
②塔頭・般若院の庫裏
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
●オリジナル御朱印帳
・16cm × 11cm
・紺・青・緑の3色
・2000円
・2010年7月10日 参拝
・2021年1月7日 更新
拝観情報とアクセス
●拝観時間
・5:00~17:00
●拝観料
・無料
●座禅体験
・詳しくはこちら
臨済宗東福寺派 井山宝福寺
●最寄りの駅
・JR総社駅から徒歩で30分
・JR総社駅から車で10分
●車
・岡山自動車道
岡山総社ICから15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(75台)
・5:00~17:00
●拝観料
・無料
●座禅体験
・詳しくはこちら
臨済宗東福寺派 井山宝福寺
●最寄りの駅
・JR総社駅から徒歩で30分
・JR総社駅から車で10分
●車
・岡山自動車道
岡山総社ICから15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(75台)