所在地 | 福岡県北九州市小倉北区寿山町6−7 |
---|---|
宗 派 | 黄檗宗 |
札 所 | 九州四十九院薬師霊場 第6番 |
由 緒 | 1665年、小倉小笠原の初代藩主・小笠原忠真が、中国の僧・即非如一禅師を開山として創建。その後、1679年に2代藩主・忠雄が現在地に移転したそうです。1866年、第二次長州征伐の際に多くの堂宇が焼失しましたが、本堂・総門・不二門・鐘楼などは焼失を免れたそうです。 |
福聚寺とは?
●境内図
黄檗宗の名刹であります福聚寺に到着。
福聚寺と書いてふくじゅじと読みます。
この福聚寺は、黄檗宗の総本山であります宇治・萬福寺の末寺とのことです。
開山は中国の僧・即非如一禅師。
即非如一と書いてそくひにょいつと読みます。
●ザックリと簡単に即非如一とは?
即非如一さんは、黄檗宗の総本山・萬福寺を開山した隠元さんの高弟です。
1657年、隠元さんに招かれて来日。
長崎・崇福寺の伽藍整備をし、中興開山となります。
その後、1633年に宇治・萬福寺に移り、萬福寺の首座となりました。
1665年、帰国の途中に小倉藩主・小笠原忠真に招かれて福聚寺を開山。← 今ここ。
その後、崇福寺に隠居してお亡くなりになりました。
そんなこんなで1665年、小倉小笠原の初代藩主・小笠原忠真が、中国僧の即非如一禅師を開山として創建。
小笠原家の菩提寺として小倉藩の保護を受け、最盛期には七堂伽藍と25の塔頭を有する大寺院になったそうです。
ちなみに、福聚寺がある足立山は紅葉スポットとして人気らしく、シーズン中にはたくさんの観光客が訪れるそうですよ。
黄檗宗の名刹であります福聚寺に到着。
福聚寺と書いてふくじゅじと読みます。
この福聚寺は、黄檗宗の総本山であります宇治・萬福寺の末寺とのことです。
開山は中国の僧・即非如一禅師。
即非如一と書いてそくひにょいつと読みます。
●ザックリと簡単に即非如一とは?
即非如一さんは、黄檗宗の総本山・萬福寺を開山した隠元さんの高弟です。
1657年、隠元さんに招かれて来日。
長崎・崇福寺の伽藍整備をし、中興開山となります。
その後、1633年に宇治・萬福寺に移り、萬福寺の首座となりました。
1665年、帰国の途中に小倉藩主・小笠原忠真に招かれて福聚寺を開山。← 今ここ。
その後、崇福寺に隠居してお亡くなりになりました。
そんなこんなで1665年、小倉小笠原の初代藩主・小笠原忠真が、中国僧の即非如一禅師を開山として創建。
小笠原家の菩提寺として小倉藩の保護を受け、最盛期には七堂伽藍と25の塔頭を有する大寺院になったそうです。
ちなみに、福聚寺がある足立山は紅葉スポットとして人気らしく、シーズン中にはたくさんの観光客が訪れるそうですよ。
総門と不二門と鐘楼
●総門(第一関門)
●総門(第一関門)
・江戸時代建立
・瓦葺 切妻造 四脚門
そんなこんなで参拝開始。
まず最初に登場するのは第一関門と呼ばれる総門。
見た目の黒さから通称・黒門と呼ばれているそうですよ。
本日は雨のせいか、黒い門が一段と黒く見えました。
スーパーブラックです。
扁額には第一関と書かれておりました。
どうやらこの文字は開山ならびに初代住職・即非如一さんの筆のようです。
●参道
そんなこんなで第一関門を突破すると参道に突入。
雨のせいか参拝者はおらず。
薄暗く静寂と緊張感に包まれた境内がちょっぴり不気味でした。
ちなみに参道の突き当りに見えるのは観音堂です。
●不二門
●不二門
・江戸時代建立
・瓦葺 向唐門
続いて不二門が登場。
どうやらこちらは開かずの門になっているみたいです。
ということで第二関門は突破できず。
ちなみに扁額には廣壽名山福聚禅寺と書かれておりました。
総門同様、こちらも即非如一さんの筆のようです。
こちらは裏から見た不二門です。
扁額には不二門と書かれておりました。
こちらも即非如一さんの筆のようです。
どうでもいい話しですが、今文字変換を間違えて不二門がフジモンになりました。
ちょっと笑ってしまいました。
ほんとどうでもいい話しですが・・・。
●手水舎
手水舎では猫ちゃんが雨宿り中。
●鐘楼
●鐘楼
・江戸時代建立
・銅板葺 宝形造
続いて鐘楼に到着。
ということでゴーン♪
お寺の方に存在をアピール。
ちなみに創建当時の梵鐘は戦時中の金属類回収令により供出されたため、1951年に新たに鋳造されたそうです。
しかし音色が悪かったため、1982年に造り直したんだって。
それが現在の梵鐘です。
●総門(第一関門)
・江戸時代建立
・瓦葺 切妻造 四脚門
そんなこんなで参拝開始。
まず最初に登場するのは第一関門と呼ばれる総門。
見た目の黒さから通称・黒門と呼ばれているそうですよ。
本日は雨のせいか、黒い門が一段と黒く見えました。
スーパーブラックです。
扁額には第一関と書かれておりました。
どうやらこの文字は開山ならびに初代住職・即非如一さんの筆のようです。
●参道
そんなこんなで第一関門を突破すると参道に突入。
雨のせいか参拝者はおらず。
薄暗く静寂と緊張感に包まれた境内がちょっぴり不気味でした。
ちなみに参道の突き当りに見えるのは観音堂です。
●不二門
●不二門
・江戸時代建立
・瓦葺 向唐門
続いて不二門が登場。
どうやらこちらは開かずの門になっているみたいです。
ということで第二関門は突破できず。
ちなみに扁額には廣壽名山福聚禅寺と書かれておりました。
総門同様、こちらも即非如一さんの筆のようです。
こちらは裏から見た不二門です。
扁額には不二門と書かれておりました。
こちらも即非如一さんの筆のようです。
どうでもいい話しですが、今文字変換を間違えて不二門がフジモンになりました。
ちょっと笑ってしまいました。
ほんとどうでもいい話しですが・・・。
●手水舎
手水舎では猫ちゃんが雨宿り中。
●鐘楼
●鐘楼
・江戸時代建立
・銅板葺 宝形造
続いて鐘楼に到着。
ということでゴーン♪
お寺の方に存在をアピール。
ちなみに創建当時の梵鐘は戦時中の金属類回収令により供出されたため、1951年に新たに鋳造されたそうです。
しかし音色が悪かったため、1982年に造り直したんだって。
それが現在の梵鐘です。
仏殿(本堂)
●仏殿(本堂)
●仏殿(本堂)
・1802年再建
・瓦葺 重層入母屋造
・本尊 釈迦如来坐像
・福岡県指定有形文化財
そんなこんなで仏殿で参拝。
本尊は釈迦如来坐像。
このお寺は九州四十九院薬師霊場の第6番札所とのことなので、釈迦如来さんの他に薬師如来さんもおられるようです。
しかし、残念ながら堂内に入ることができなかったため確認することはできませんでした。
屋根の棟には魔除けの火焔宝珠。
壁には月と日を象徴する円窓。
戸には魔除けの桃の実が刻まれた桃戸。
勾欄には卍。
このお寺は黄檗宗ということで、随所随所で中華テイストを味わうことができました。
●卍は神様の胸毛
卍はヒンドゥー教のヴィシュヌ神という神様の胸毛の形を表しているといわれています。
ヴィシュヌ神は10の姿を持っており、そのうちの9番目の姿が仏陀(お釈迦様)だという!
ということで、仏教では卍が使われることが多いんだって。
卍は吉祥の印とされており、仏像さんの手や胸に彫刻されることもあります。
また、めでたい・幸せという意味もあるそうですよ。
いやはや、卍が神様の胸毛からきてるとはっ!
どうでもいい話しですけど、青春時代、怖い先輩にトイレへ呼び出され、オデコに卍マークを書かれたことがあります。
あれは吉祥の印だったんだね!
ある意味、めでたくて幸せ!
感謝せねば!
●第二次長州征伐・小倉口の戦い
そんなことより、このお寺は1866年の第二次長州征伐・小倉口の戦い(四境戦争)の際に幕府軍・肥後藩の本陣になっていたそうです。
しかし、長州・奇兵隊の侵攻を受け、幕府軍はお寺に火を放ち退却。
その後、福聚寺は長州軍の本陣となり、山県有朋などが滞在したといわれています。
幸いにも本堂をはじめ総門・不二門・鐘楼などは焼失を免れました。
古建築萌えを生き甲斐としている私にとっては非常にありがたいことです。
ちなみに境内には小倉戦争で戦死した小倉藩士の墓碑、慶応之役小倉藩戦死者墓があります。
見事に見逃して帰りましたが!
あと小倉小笠原の初代藩主・小笠原忠真、2代・忠雄、8代・忠嘉 、9代忠幹、即非如一などのお墓があります。
当然、こちらも全て見逃して帰りましたよ。
●仏殿(本堂)
・1802年再建
・瓦葺 重層入母屋造
・本尊 釈迦如来坐像
・福岡県指定有形文化財
そんなこんなで仏殿で参拝。
本尊は釈迦如来坐像。
このお寺は九州四十九院薬師霊場の第6番札所とのことなので、釈迦如来さんの他に薬師如来さんもおられるようです。
しかし、残念ながら堂内に入ることができなかったため確認することはできませんでした。
屋根の棟には魔除けの火焔宝珠。
壁には月と日を象徴する円窓。
戸には魔除けの桃の実が刻まれた桃戸。
勾欄には卍。
このお寺は黄檗宗ということで、随所随所で中華テイストを味わうことができました。
●卍は神様の胸毛
卍はヒンドゥー教のヴィシュヌ神という神様の胸毛の形を表しているといわれています。
ヴィシュヌ神は10の姿を持っており、そのうちの9番目の姿が仏陀(お釈迦様)だという!
ということで、仏教では卍が使われることが多いんだって。
卍は吉祥の印とされており、仏像さんの手や胸に彫刻されることもあります。
また、めでたい・幸せという意味もあるそうですよ。
いやはや、卍が神様の胸毛からきてるとはっ!
どうでもいい話しですけど、青春時代、怖い先輩にトイレへ呼び出され、オデコに卍マークを書かれたことがあります。
あれは吉祥の印だったんだね!
ある意味、めでたくて幸せ!
感謝せねば!
●第二次長州征伐・小倉口の戦い
そんなことより、このお寺は1866年の第二次長州征伐・小倉口の戦い(四境戦争)の際に幕府軍・肥後藩の本陣になっていたそうです。
しかし、長州・奇兵隊の侵攻を受け、幕府軍はお寺に火を放ち退却。
その後、福聚寺は長州軍の本陣となり、山県有朋などが滞在したといわれています。
幸いにも本堂をはじめ総門・不二門・鐘楼などは焼失を免れました。
古建築萌えを生き甲斐としている私にとっては非常にありがたいことです。
ちなみに境内には小倉戦争で戦死した小倉藩士の墓碑、慶応之役小倉藩戦死者墓があります。
見事に見逃して帰りましたが!
あと小倉小笠原の初代藩主・小笠原忠真、2代・忠雄、8代・忠嘉 、9代忠幹、即非如一などのお墓があります。
当然、こちらも全て見逃して帰りましたよ。
その他の見どころ
●御成門
●御成門
・建立年不明
・瓦葺 三間一戸 入母屋造
境内図によると御成門の向こう側には祠堂・開山堂・院所・茶室・雪舟庭(伝)などがあるみたいです。
しかし門をくぐることはできず。
●祠堂
●祠堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
祠堂とは、祖先の霊や檀家さんの位牌を祀るお堂です。
一般的に位牌堂や持仏堂と呼ばれるお堂です。
神社でいう祖霊社みたいな存在です。
●瓦土塀
境内には屋根瓦が練り込まれた土塀がありました。
どこかしら博多塀に似ています。
よく見たら、小笠原家の家紋・三階菱だらけでした。
さすが小笠原家の菩提寺です。
●御成門
・建立年不明
・瓦葺 三間一戸 入母屋造
境内図によると御成門の向こう側には祠堂・開山堂・院所・茶室・雪舟庭(伝)などがあるみたいです。
しかし門をくぐることはできず。
●祠堂
●祠堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
祠堂とは、祖先の霊や檀家さんの位牌を祀るお堂です。
一般的に位牌堂や持仏堂と呼ばれるお堂です。
神社でいう祖霊社みたいな存在です。
●瓦土塀
境内には屋根瓦が練り込まれた土塀がありました。
どこかしら博多塀に似ています。
よく見たら、小笠原家の家紋・三階菱だらけでした。
さすが小笠原家の菩提寺です。
御朱印情報
●御朱印の種類
・両足足の御朱印
・薬師如来の御朱印
(九州四十九院薬師霊場 第6番)
●御朱印の受付場所
・寺務所(納経所)
●御朱印の受付時間
・8:00〜17:00
●御朱印の料金
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年4月4日 参拝
・2021年3月 更新
・両足足の御朱印
・薬師如来の御朱印
(九州四十九院薬師霊場 第6番)
●御朱印の受付場所
・寺務所(納経所)
●御朱印の受付時間
・8:00〜17:00
●御朱印の料金
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年4月4日 参拝
・2021年3月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・8:00〜17:00
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR小倉駅から徒歩40分
・JR小倉駅から車で15分
・北九州モノレール
片野駅から徒歩35分
片野駅から車で10分
・北九州モノレール
香春口三萩野駅から徒歩35分
片野駅から車で10分
●最寄りのバス停
・JR小倉駅から西鉄バスで約15分
バス停・広寿山で下車 徒歩3分
●最寄りのIC
・北九州高速4号線
足立ICから車で5分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・8:00〜17:00
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR小倉駅から徒歩40分
・JR小倉駅から車で15分
・北九州モノレール
片野駅から徒歩35分
片野駅から車で10分
・北九州モノレール
香春口三萩野駅から徒歩35分
片野駅から車で10分
●最寄りのバス停
・JR小倉駅から西鉄バスで約15分
バス停・広寿山で下車 徒歩3分
●最寄りのIC
・北九州高速4号線
足立ICから車で5分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり