石手寺の御朱印|四国霊場 第51番|愛媛随一の名刹は愛媛随一のカオス寺!|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県松山市)

所在地愛媛県松山市石手2丁目9−21
宗 派真言宗豊山派
札 所四国八十八ヶ所 第51番
前後札所 ・前 → 第50番札所・繁多寺
・後 → 第52番札所・太山寺
本 尊薬師如来
真 言おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
由 緒728年、聖武天皇の勅願により伊予国の国司・越智玉澄が創建したのが始まり。創建当時は、安養寺という寺号だったという。813年、空海(弘法大師)がこの地を訪れ、第51番札所に定めたそうです。892年、伊予の領主・河野息利の長男が衛門三郎と書かれた石を握って生まれたことから寺号を安養寺から石手寺に改称したという。平安時代~室町時代、七堂伽藍を整え、66坊を有する大寺院に発展。その後、鎌倉時代に河野氏が相次いで堂塔を再建したそうです。1566年、長宗我部元親による兵火で大半の堂宇を焼失しますが、幸いなことに本堂・仁王門・三重塔などは難を逃れたという。
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石手寺とは?


四国八十八ヶ所の第51番札所であります石手寺に到着。

第50番札所・繁多寺から3km。
徒歩40分。
車で10分のところに位置しています。

石手寺と書いていしてじと読みます。

●石手寺とは?

728年、伊予国の豪族・越智玉澄の霊夢に二十五菩薩が出現。

そのことにより、この地が霊地であると感得した玉澄は熊野十二社権現を祀ったという。

その翌年、聖武天皇の勅願所となり、行基が薬師如来像を刻んで本尊として安置。
そして、寺号を安養寺と名付けたそうです。
それがこのお寺の始まりだという。

創建当時は法相宗の寺院だったそうです。

ちなみに、山号は熊野山
これは、越智玉澄が熊野十二社権現を祀ったことが由来とのことです。

境内から出土した瓦によると石手寺の前身である安養寺は、680年頃に奈良・法隆寺系列の荘園を基盤として建てられたお寺といわれています。


813年、弘法大師がこの地を訪れた際、真言宗に改宗し、四国八十八ヶ所の第51番札所に定めたそうです。

その後、892年に伊予国の領主・河野息利長男が誕生。
しかし、その子は左手固く握って開こうとしなかったという。

そのことを心配に思った河野息利は、住職に祈祷を依頼。

すると、その子はを開き衛門三郎と書かれたが出てきたという。

そんなこんなで、寺号を安養寺から石手寺に改称したそうです。

その後、河野氏の庇護を受けて大いに栄えたといいます。


平安時代~室町時代には七堂伽藍を整え、66坊を有する大寺院に発展。

鎌倉時代には、河野氏が相次いで堂塔を再建。

当時の境内は現在の数倍の広さがあり、湯築城東北の切抜門が石手寺の西門であったといわれています。


しかし、1566年に長宗我部元親の兵火により堂宇の大半を焼失。

幸いなことに本堂・仁王門・三重塔などは難を逃れたそうです。
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参拝前の基本情報

●参拝前の基本情報

そんなこんなで、参拝開始!

と言いたいところですが、この石手寺にはとてつもない数の見どころがあります!

全てを紹介すると広辞苑並みのボリュームになります。(言い過ぎ)

そんなこんなで、なるべく簡潔に記事を書いたつもりですが・・・とてつもなく長い記事になってしまいました!

もはや嫌がらせレベルです!

ということで、この記事・・・

最後まで読んでくれた方は相当な暇人です(笑)

ちなみに、これを書いた私はもっと暇人!

そんなこんなで、石手寺の基本情報を簡単にまとめておきましたので、暇じゃない方はこれを読んで行った気になってください!m(_ _)m

●基本情報のまとめ

①日本最古の湯・道後温泉の近くにある
②松山観光の定番スポット
初詣の参詣者数は愛媛県内屈指
ミシュランガイドジャパンで1つ星
⑤遍路の元祖・衛門三郎ゆかりのお寺
⑥境内の堂宇は国宝・国重文に指定
曼荼羅形式の伽藍配置
⑧宝物館には多数のお宝
パワースポット巡りがある
⑩石手寺の七不思議がある
⑪約155mのマントラ洞窟がある
⑫愛媛県屈指のカオス寺

ちなみに、石手寺には過去何度か参拝しているため、写真の季節感がバラバラです!

夏の写真だったり冬の写真だったり・・・見苦しいページになっていますが、そこはツッコまずにスルーしてください!

そんなこんなで、参拝開始(再び)。
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日中友好大師像と渡らずの橋と手水鉢

●日中友好大師像

本日はレンタサイクル遍路をしています。

そんなこんなで、第50番札所・繁多寺から石手寺に向かっていると、かなり早い段階から巨大な弘法大師像が見えてきました!

この弘法大師像は石手寺の裏にある党光寺山に建っていて、像高16mもある巨像だという。

なんと、弘法大師像としては日本一の高さなんだって!


この像は日中友好弘法大師像という名前らしく、中国インドの方向を向いているんだとか!

噂によると松山市内にある松山城からも望むことができるそうですよ。

そんなこんなで、この像は石手寺のシンボルになっております。


●境内入口

そんなこんなで、第50番札所・繁多寺から自転車で20分、石手寺に到着。


●渡らずの橋

まず最初に登場するのは渡らずの橋

この橋は、別名・弘法大師お道開きの橋と呼ばれ、弘法大師が渡った橋といわれています。

なんと!

この橋を渡ると足が腐るらしいですよ!

((((;゚Д゚)))))))


渡らせないようにするためか、石橋の上には大師像お地蔵さんが置かれていました。
さらに念のためなのか、松の枝のバリケードもありました!

ここまで厳重にするとは・・・
もしかしたら、足が腐る説・・・あるかもしれません!

ということで、いきなり物騒なスポットから参拝がスタートします。


それにしてもお地蔵さん・・・

右手で何かを握ってるんだけど・・・

その握り方は・・・って、こんなことを書いてるから長くなるんだ!

すみません・・・以後、真面目に書きます!

※握ってるように見えるのは赤ちゃんです。


●手水鉢

続いて、手水鉢でお清め。

手水鉢には隅切三の紋がありました。

ちなみに、隅切三は伊予国の豪族・河野氏の家紋です。

このお寺は、河野氏の庇護を受けて大いに栄えたそうで、鎌倉時代には河野氏によって相次いで堂塔が再建されたといいます。

ということで、河野氏と関わりが深いお寺さんなんですね。
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元祖遍路・右衛門三郎像

●右衛門三郎像

続いて、衛門三郎像が登場!

衛門三郎とは遍路の元祖
いわゆるミスター遍路です!

この石手寺は、衛門三郎が再来したことで有名なお寺さんです。

なんと石手寺という寺号は、衛門三郎の再来伝説が由来だという!

●衛門三郎とは?

824〜834年、伊予国を治めていた河野家の一族に衛門三郎という長者がいたそうな。

衛門三郎はとても欲深く、民からの人望も薄い男でした。

ある日、衛門三郎の屋敷にみすぼらしい僧が現れ、托鉢をしようとしました。

しかし、欲深い衛門三郎はその僧を追い返したという。

翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れ、托鉢をしようとしましたが、その度に僧を追い返しました。

8日目、とうとう衛門三郎の怒りが爆発!

衛門三郎は僧が持っていた鉢を竹のほうきでたたき落としたという!

鉢は8つに割れてしまい・・・そして僧は姿を消してしまいました。

実は、その僧は弘法大師だったのです。


衛門三郎には8人の子がいましたが、その年から毎年1人ずつ亡くなっていき、8年目には全員の子が亡くなってしまいました。

何と恐ろしいことをしてしまったものか・・・と、衛門三郎は後悔。。

そんなこんなで、衛門三郎は懺悔の気持ちから田畑を売り払って家人たちに分け与え、妻とも別れ、弘法大師を追い求めて四国巡礼の旅に出ることにしました。

これが遍路の始まりといわれています!


しかし、20回も遍路を行ったのに弘法大師に出会うことはありませんでした。

何としても弘法大師に会いたい・・・そう思った衛門三郎は、逆回りで巡礼することにしました。

そんなある日、阿波国の第12番札所・焼山寺の近くにある杖杉庵で病に倒れてしまいました。

そして、死期が迫りつつあった衛門三郎の前に弘法大師が現れたという!

衛門三郎は今までの悪行を泣いて詫びました。

すると弘法大師は『何か望みはあるか?』と問いかけました。

その問いに、衛門三郎は『来世は河野家に生まれ変わり、人の役に立ちたい』と答え、息を引き取りました。

その際、弘法大師は道端の石を取り『衛門三郎』と書いて、左手に握らせました。


それから時は経ち、832年。

伊予国の領主・河野息利に長男が生まれました。

しかし、その子は左手を固く握って開こうとしませんでした。

河野息利は心配になって安養寺の僧に祈願させたところやっと手を開きました。

なんと、その子は小さな石を握っていたという。

しかも、その石には衛門三郎と書いてあったという!

なんと、その子は衛門三郎の生まれ変わりだったという!

そんなこんなで、その石は安養寺に納められ、後に寺号を石手寺に改めたといいます。

完。

これが遍路の元祖・衛門三郎伝説です。

ちなみに、衛門三郎が逆打ちをして弘法大師に出会えたのが閏年の申年ということから、閏年に逆打ちをすると倍の御利益があるといわれています。

そのため、閏年には逆打ちのお遍路さんが例年より多くなるんだって。

さらに、閏年に逆打ちをすると弘法大師に出会える可能性もあるんだとか!

四国霊場を順打ちすると、まず第12番札所・焼山寺の近くにある杖杉庵で衛門三郎の終焉地伝説に出会うことになります。

そして忘れた頃に、第46番札所・浄瑠璃寺で衛門三郎の遍路伝説が登場。

さらに第51番札所・石手寺で衛門三郎の生まれ変わり伝説が登場。

それはまるで衛門三郎の生涯を巡っているかのような。

これもまた四国遍路の魅力だと思いました。

それにしても・・・四国では各所に弘法大師伝説がありますが、お大師さまは酷い扱いを受けると、復讐する傾向があります・・・(-“-;) ??
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参道(仲見世)と地蔵院

●参道(仲見世)

そんなこんなで、参道へ。


参道は回廊形式になっており、仏具店などいくつかの商店がたち並んでいました。


なかでも1番人気なのが、石手寺名物のやきもちを食べられる五十一番食堂

明治2年の創業といいますから、150年以上の歴史を持つお店です。

このやきもちは、お遍路さんの接待から始まったといわれ、観光客やお遍路さんに人気のお餅なんだとか。


ちなみにこちらは、初詣のときの写真です。

お正月は参道に出店がたち並んで賑やかになります。


●地蔵院

参道の途中には、伊予十三仏霊場・第5番札所の地蔵院がありました。

地蔵院の目の前には石手寺の仁王門があるので、そちらに目を奪われてしまうと見逃してしまいそうな場所にあります。

ですので素通り注意です・・・って、余計なお世話ってか。


ちなみに、地蔵院では伊予十三仏霊場の御朱印を頂くことができます。

仁王門と鐘楼

●仁王門

●仁王門
・1318年建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 楼門造
・高さ 約7m
・国宝

そんなこんなで、参道(仲見世)を抜けると国宝仁王門がドーンと登場!

大きな屋根とシャープな反りが強烈にアピールしているのに、上層の回縁を大きく出すことによって建物全体のバランスをとっているところが、私的にグッときました。


建築様式は和様。
組物は上層・下層ともに三手先。
中備として正面と背面には蟇股。
側面には間斗束が置かれていました。


そして、なんと!

蟇股は湛慶作だという!

って、湛慶が生きた時代と門の建立時期が合わないけど・・・?

そこはツッコまずに楽しみましょう!(笑)

もしかしたら、蟇股だけ湛慶の時代に造られたものかも知れませんし!


●金剛力士像(仁王像)
・鎌倉時代後期作
・阿形 253.3cm
・吽形 251cm
・慶派作
・愛媛県指定有形文化財

続いて、仁王さんにご挨拶。

なんと、こちらの仁王さんは慶派の作品だという!

一説によると、湛慶作なんだとかっ!

先ほどの蟇股とは違い、この仁王さんは湛慶が生きた時代とビンゴなので可能性はありそうです!

何にしろ慶派の特徴がよく出ているので、誰の作品であろうと興奮できる一品でした。


ちなみに、私が初参拝した2010年当時は運慶作という説もありました(笑)


その他、仁王門のマストアイテムであります大草鞋もありました。

大きさは、なんと約3m!

他のお寺の大草鞋同様、願えば健脚になるといわれています。

ちなみに、この大草鞋は4年に1度掛け替えられるそうですよ。


●鐘楼①

●鐘楼①
・1333年建立
・檜皮葺 入母屋造 袴腰
・国指定重要文化財

●梵鐘
・1251年鋳造
・総高 104.6cm
・口径 59.8cm
・国指定重要文化財

そんなこんなで、仁王門をくぐって鐘楼①へ。


鐘楼①には鎌倉時代に鋳造された国重文梵鐘が吊るされてるんだって。

なんとこちら。
愛媛県内で最古級の梵鐘だという!

この梵鐘は、もともとは愛媛県西条市にある興隆寺のために造られたものらしいです。

それが後に第44番札所の大宝寺に移り、そして石手寺にやってきたという!

しかし残念ながら、その梵鐘を拝見することはできませんでした。

もちろん鐘を撞くこともできませんでした。


●鐘楼②

●鐘楼②
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・六脚吹放し型

ということで、一般の参拝者は仁王門をくぐってすぐのところにある鐘楼②で鐘を撞くことになります。

そんなこんなで、鐘楼②で鐘をひと撞き。

御本尊さまとお大師さまにご挨拶。

ちなみに、この梵鐘は別名・仕合わせの鐘と呼ばれているそうです。
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参拝順

●参拝順

続いて本堂で参拝・・・と思ったら、このお寺は元気の出る回り布施心の回りという2種類の参拝順があるんだって!

なんだそりゃ!?

って感じですが、このお寺の伽藍は曼荼羅形式になっているそうです!

立体曼荼羅といえば京都の東寺が有名ですが、東寺は仏像さんで曼荼羅を表現しているのに対し、このお寺は堂塔立体曼荼羅を形成しているという!

正直、なんのこっちゃわかりませんが、三重塔を中心に左回りすると心が安らかになり、右回りすると人の痛みがわかるんだって。

これは面白い伽藍ですねぇ。

そんなこんなで、元気の出る左回りで参拝!

と言いたいところですが、本日は四国遍路。

ということで、曼荼羅ルートは無視して、本堂 → 大師堂という四国遍路ルールで参拝します!(笑)

すみません・・・m(_ _)m

本堂と五鈷杵と本尊

●五鈷杵

そんなこんなで、本堂に到着。

なんと!

本堂前には巨大な五鈷杵ドーンと突き刺さっていました!


高さは3m以上あるでしょうか?

ものスゴいインパクトです!


第38番札所・金剛福寺の由緒に、弘法大師から東の空に向けて五鈷杵を投げたとありましたが・・・

まさか・・・これじゃないよね!?


●本堂

●本堂
・1275〜1332年建立
・瓦葺 入母屋造
・国指定重要文化財

●本尊
・薬師如来

●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

そんなこんなで、巨大五鈷杵に別れを告げ、本堂で参拝。


建築様式は和様。
組物は一手先。
中備は間斗束。

ネットの情報によると、堂内は外陣と内陣に分かれていて、内陣の正面に須弥壇が置かれているそうです。


本尊は行基作の薬師如来さん。

残念ながら御本尊さまを拝顔することはできませんでしたが、毎年10月下旬に本堂の内拝があるそうですよ。


ちなみに、元旦の初詣は大行列になります。

初詣や厄除詣の参拝者数は県内屈指

初詣の参拝者数は愛媛県内でトップクラスの24万人以上だという!

石手寺は道後温泉に近いということもあり、さらにミシュランガイド(観光地)で1つ星に選定されたということもあり、松山観光の定番スポットとして人気を集めています。


本堂前の地面には、たくさんのローソクが設置されていました。

おそらく夜はローソクに火が灯されて、光の絨毯になるんだろうなぁ!

大師堂(落書き堂)

●大師堂(落書き堂)

●大師堂(落書き堂)
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・本尊 弘法大師

続いて、大師堂で参拝。


大師堂ではお大師さまを拝顔することができました。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・


かつてこのお堂は、参詣した人が落書きを残していくという習慣があったそうです。

そのため、別名・落書き堂と呼ばれていたんだって。

なんと、かつては夏目漱石さんや正岡子規さんが残した落書きもあったんだとか!

しかし漱石さんや子規さんが落書きした壁は第二次世界大戦中に塗りなおされたんだって。。

それにしても漱石さんや子規さんはどんな落書きをしたんだろうね?

漱石参上!

とか、相合い傘とか・・・ないか。

やはり文学的な落書きだったのかなぁ?


ちなみに現在はに落書きすることはできません

その代わり、ホワイトボードが設置されているので、そちらに落書きすることができます。

京都のらくがき寺(単伝庵)みたいで面白いですねぇ。


その他、大師堂にはエジプト風の彫刻もありました・・・こ、これは一体!?
単伝庵(らくがき寺)の御朱印~落書きOKのお寺さん~(京都府八幡市)
所在地京都府八幡市八幡吉野垣内33宗 派臨済宗妙心寺派由 緒江戸時代初期に単伝和尚が創建。その後、一時廃絶しましたが、男山48坊の1つ・法童坊の預かりとなり存続したそうです。1721年、中興の祖・瑞応が再...
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三重塔と護摩堂と訶梨帝母天堂

●三重塔

●三重塔
・1275〜1332年建立
・高さ 24.1m
・国指定重要文化財

続いて、三重塔を参拝。

三重塔は高さ24.1m 。

各層、組物は三手先。
各層、平行繁垂木。
中備はそれぞれ間斗束を備えていますが、初重だけ斗があって束を欠いでいます。


初層には切目縁。
2層と3層には縁・組高欄が巡らせてありました。

さすが国重文というだけあって全体的なバランスが抜群。
随所随所に鎌倉時代の特色がよくでていて、とても見応えのある塔でした。

と、わかった風なことを言ってみる。


拝顔することはできませんでしたが、塔内には五智如来さんが安置されているそうです。

ちなみに五智とは、大日如来が備える5種類の知恵です。

その5種類の知恵を5体の如来に当てはめたものを五智如来といいます。

●五智如来
①大日如来(中心)
②阿閦如来(東)
③宝生如来(南)
④阿弥陀如来(西)
⑤不空成就如来(北)


●護摩堂

●護摩堂
・1333〜1392年建立
・銅板葺 宝形造
・本尊 不動明王
・国指定重要文化財

●本尊 不動明王立像
・鎌倉時代中期作
・像高 51.8cm
・一木造
・愛媛県指定有形文化財

●二童子立像
・鎌倉時代中期作
・像高 約27cm
    約27.6cm
・一木造
・愛媛県指定有形文化財

続いて、護摩堂を参拝。

拝顔することはできませんでしたが、堂内には県重文不動明王像矜羯羅制多迦童子像が安置されているみたいです。

このお堂の特徴は、舟肘木を置くだけのシンプルな造りというところ。

ザ・室町建築!
ってな感じで、私的に好きなタイプのお堂です。


●訶梨帝母天堂

●訶梨帝母天堂
・1275〜1332年建立
・檜皮葺 一間社流見世棚造
・国指定重要文化財

続いて、訶梨帝母天堂を参拝。

こちらは訶梨帝母尊(鬼子母神)を祀るお堂です。

なんと、こちらは愛媛県内で最古級の神社建築だという!

もともとこのお堂は、鎌倉時代後期に河野氏が勧請した十六王子社だったのでは?
とか、言われる貴重な遺構となっております。

ちなみに、妊婦の方はお堂の周りにあるを持ち帰り、無事に出産すると石を2つにして返すという風習があるそうですよ。

茶堂(本殿)と阿弥陀堂と一切経堂

●茶堂(本殿)

●茶堂(本殿)
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・本尊 茶堂大師

続いて、茶堂(本殿)を参拝。

このお寺の特徴は、本堂とは別に本殿があることです。

本殿というと神社的なものを連想してしまいますが、こちらに祀られているのは神様ではなく弘法大師さんだという!


ちなみに御本尊の弘法大師像は別名・茶堂大師と呼ばれてるんだって。

それにしても茶堂大師さん・・・
一体全体、どんなお大師さまなんだろう???

そんなこんなで、調べてみることに・・・

しかし全く情報がありませんでした・・・(-“-;) ??。

それもそのはず!

茶堂大師さんは、住職すらも見たことのない絶対秘仏だというじゃない!

おそらく、今生きてる人で茶堂大師さんを見たことがある人はいないはず・・・厨子を開けたらカラッポだったっていうオチはないよね!?

さすがにそれはないか。

そんなこんなで、厨子の中でお茶を飲んでいるお大師さまを想像しつつ。


●阿弥陀堂

●阿弥陀堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
・本尊 阿弥陀如来

続いて、阿弥陀堂を参拝。

どうやら、明治時代以前まではこのお堂が石手寺の本堂だったみたいですよ。


そんなことより、堂内には見るからに古そうな阿弥陀さんが安置されていました。

そして、阿弥陀さんの両サイドには二天像も安置されていました。
おそらく左側は、ポーズ的に多聞天さんだと思われます。
右側は手首が欠損しているので判別できませんでした。

それにしても、いつの時代に造られたものなんだろう・・・

調べてみましたが全く情報がありませんでした。

当然、文化財にも指定されていませんでした。


●一切経堂

●一切経堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造

続いて、一切経堂を参拝。

一切経堂とは、輪蔵が納められたお堂のことです。

輪蔵といえばやはり傳大士さん。

残念ながら堂内を拝観することはできませんでしたが、きっと堂内では傳大士さんがピースをしていることでしょう。

絵馬堂と韋駄天堂

●絵馬堂

●絵馬堂
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造

続いて、絵馬堂へ。

絵馬堂の壁にはカラフルな十二神将さんが描かれていました。

どことなく異国感のあるエキゾチックな作風でした。

大師堂もそうでしたが、このお寺はちょいちょいエキゾチックを出してきます。

と思ったら・・・

ちょいちょいどころじゃない!

純エキゾチックが登場!

それがこちら。
はいドン!


ガッツリとエキゾチック!

その名は韋駄天堂

どうした、どうした???

いきなりカオス空間に突入です!


なんだ、このアフリカ感!


こちらは御本尊の韋駄天像

手の位置!(笑)

韋駄天さんって足が早いっていうけど、きっとこのお方は韋駄天界でドベだと思う・・・!


そしてトルハルバン的な朝鮮石人像。


さらに夏休みの工作的な七福神・・・。


その他、味のある七福神や達磨大師さんが集合。

マントラ洞窟

●マントラ洞窟

そして極めつけのカオスがこのマントラ洞窟

この洞窟は全長約155mもあり、金剛界胎蔵界を表現しているという!

●マントラ仏の生命の流れ案内

●金剛界
心は変化し成長します。
何が見えるか、何が大事か、何をすべきか。
悟りの世界の修行道場。

●胎蔵界
諸仏 御集会の仏界。
努力、慈悲、善意、あらゆる仏菩薩が集まる仏の世界。
安らぎと感謝の場。


仏さまを巡礼して回ることは、私たちの利己欲、狭い心を1つ1つ改め、より美しい仏の心を発見すること。


心の拡張。
心の浄化。
心の目で正しく物を見る。
感謝の心を育てよう。
自分の歩んだ道を確かめてみよう。
懺悔もしてみよう。

洞窟から出たときは、より一層、ハンサムな心になっている。


そんなこんなで、いざ入洞。


洞窟内にはたくさんの石仏がおられました。

そんなこんなで、1体1体、手を合わせて進む・・・というのは最初だけ。。。

あー、こんなんじゃダメだよね。


石仏の他に、有り難いお言葉もたくさんありました。
そんなこんなで、1つ1つ有り難いお言葉を読みながら進んでいく。

そして有り難いお言葉が1つ1つ私の心を傷つけていく・・・。

いかに自分が間違った人間かということに気付かされる・・・心の流血が止まんない。

正直、ツライ・・・。

正しく生きようと思った。

それに気づけただけで、この洞窟にきた甲斐があったよ!


写真は明るく加工していますが、実際はまあまあ暗いです。

怖い怖いとかヤバいヤバいとか言うお方がチラホラおられましたが、私的には探検感があって楽しかったです。

楽しかった・・・って!
修行の場ですよ!


そんなこんなで、洞窟を出ると・・・

どこだ、ここは!(笑)

山道に放り投げられた気分だよ!

仏さまにポイされた気分だよ!

宝物館

●宝物館

続いて、宝物館へ。

宝物館には、石手寺の前身・安養寺時代からのお宝がギッシリと収蔵されていました。


県重文に指定されている仏像さんをはじめ、天人面・獅子頭・菩薩24面などなど、お腹イッパイになるまで拝観。


私的にグッときたのは奪衣婆さん。
地獄好きにはたまんないですねぇ。

ちなみに奪衣婆とは、六文銭(三途の川の渡し賃)を持たずにやってきた死者の衣服を剥ぎ取るお方です。

そして、剥ぎ取った服を木の枝に掛け、枝のしなり具合で罪の重さを判定するという・・・パンツ一丁で行かなくちゃ!

その他、役行者の石も気になりました。

説明書きがなかったので、全くもって謎の石でした。

そんなことより、この宝物館のハイライトはこちら。

はいドン!


衛門三郎 玉の石!

なんと、この石は元祖遍路・衛門三郎再来したときに握っていた石だという!


石手寺という寺号はこの石が由来となっております。

その他、ブラタモリで紹介された道後温泉の優待券・石手寺制札などなど見どころの多い宝物館でした。

~写真は全て許可を得て撮影~

石手寺のパワーストーンと七不思議


手寺という寺号からか、境内にはたくさんのパワーストーンが点在していました。

●石手寺のパワーストーン

①玉の石
宝物館にある衛門三郎再来伝説の石。

②元気石(再生輪くぐり)
韋駄天堂の前にあります。

元気石を持ち帰ると、衛門三郎再生のごとく元気になるそうです。
持ち帰った石は1年後に返すシステムになっています。

③子宝石(智慧の輪くぐり)
訶梨帝母天堂にあります。

妊婦の方がお堂の周りにある石を持ち帰り、無事に出産すると石を2つにして返すという風習があるそうです。

④五仏五智慧ストーン
・大安楽ストーン
・実現力ストーン
・慈愛力ストーン
・意欲力ストーン
・清浄力ストーン

玉の石以外は、直接手で触れることができます。

そんなこんなで、を当ててパワーチャージ。

まさに石手寺。
ストーンハンドテンプルです。


●石手寺の七不思議

①渡らずの橋(境内入口)
 渡ると足が腐る

②玉の石(宝物館)
 衛門三郎再来伝説の石

③蛇骨(宝物館)
 湧ヶ淵の大蛇の骨

④水天堂の水瓶(水天堂)
 潮の干満がわかる水瓶

⑤子授かりの石(詞梨帝母天堂)
 子宝・安産の御利益がある

⑥湯音石(阿弥陀堂)
 道後温泉の湯が沸く音が聞こえる

⑦大草鞋(仁王門)
 触ると足腰の病に効く

⑧香煙(茶堂)
 線香の煙を患部に当てると病気平癒

⑨不動石(仲見世の入口)
 不動明王の姿が石に浮かび上がる

不思議といいながら不思議ありますが、この場合の7は7つという意味ではなく、たくさんという意味になります。

その他の見どころ

●五輪塔

●五輪塔
・鎌倉時代後期建立
・総高 273cm
・花崗岩製

こちらは源頼義の供養塔のようです。

~画像はWikipedia 石手寺より~


●奥の院 石鉄寺

こちらは奥の院の石鉄寺です。

石鉄寺と書いていしづちでらと読みます。

ちなみに、御朱印は石手寺の納経所で頂けます。

~画像はWikipedia 石手寺より~



その他、弥勒堂・観音堂・釈迦堂・大講堂・随求堂・石手寺古墳・大日曼荼羅石像群・愛媛パゴダ・仏陀研究館・ミニ四国八十八ヶ所などがあるそうですが、もうお腹いっぱいなので勘弁してください!(笑)

興味がある方は現地でご確認をっ!


そんなこんなで、参拝終了。

第52番・太山寺へ続く。

最後まで読んでくださり、有難うございました m(_ _)m

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所在地愛媛県松山市太山寺町1730宗 派真言宗智山派札 所・四国八十八ヶ所 第52番・伊予十三仏霊場 第3番前後札所・前 → 第51番札所・石手寺・後 → 第53番札所・圓明寺本...

御朱印情報


●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・再生修行の御朱印
・衛門三郎再生の御朱印
・奥之院 石鉄寺の御朱印
・地蔵院の御朱印

●御朱印の受付場所
・納経所
(地蔵院の御朱印は地蔵院の納経所で)

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・再生修行 300円
・衛門三郎再生 300円
・奥之院 石鉄寺 300円
・地蔵院 300円

●期間限定・特別御朱印
・なし


●オリジナル御朱印帳

●サイズ
・16cm × 11cm

●料金
・800円

・2010年7月18日 参拝
・2024年3月 最終更新
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参拝情報とアクセス

●拝観料
・無料

●宿坊
・なし

●前後札所
・第50番札所・繁多寺へ3km
 徒歩40分
 車で10分

・第52番札所・太山寺へ11km
 徒歩2時間10分
 車で20分

●最寄りの駅
・伊予鉄道(城南線)
 道後温泉駅から徒歩15分

●最寄りのバス停
・伊予鉄道バス(奥道後線)
 石手寺前 バス停から徒歩すぐ

●最寄りのIC
・松山自動車道
 松山ICから車で20分

●駐車場
・第一駐車場(無料)
 駐車台数 約30台

・第2・第3駐車場(無料)
 駐車台数 約15台

石手寺の地図

 

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