所在地 | 島根県隠岐郡隠岐の島町池田風呂前5 |
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宗 派 | 東寺真言宗 |
由 緒 | 741年、聖武天皇の発願のもと、全国に建立された国分寺の1つ。867年、隠岐国は出雲国・石見国・長門国・伯耆国とともに新羅に近いということで八幅四天王像が送られ、新羅の調伏の道場という役割を担ったそうです。1331年、元弘の乱で鎌倉幕府の倒幕に失敗した後醍醐天皇が、1332年に隠岐に配流された際、このお寺を行在所としたといいます。しかし、西ノ島町の黒木御所も後醍醐天皇の行在所とされているため、どちらが本当の行在所かは定かではないそうです。1869年、隠岐廃仏騒動の際、隠岐の寺院は全て焼失。2011年、奈良時代の遺構や遺物が発見され、現在も発掘調査が行われているそうです。 |
Contents
境内入口と山門
●境内入口
隠岐といえば島流しの定番地。
この隠岐国分寺は、隠岐に島流しにあった後醍醐天皇の行在所だったんだって。
そんなこんなで、隠岐の島町池田風呂前に位置する隠岐国分寺に到着。
●山門
●山門
・建立年不明
・瓦葺 棟門
山門には11菊花紋と桐紋が合体した寺紋がありました。
16菊花紋はよくお見かけしますが、11菊花紋とは珍しいですね!
ちなみに16菊花紋は皇室が使用している紋です。
そして11菊花紋は、国会議員の議員バッヂにデザインされている紋章です。
桐紋は室町時代以降、皇室や豊臣政権などが使用していて、現在では日本国政府の紋章として用いられてます。
それにしても、このお寺の寺紋・・・菊紋も桐紋も政府がらみ・・・これは何か深い意味があるのかなぁ???
隠岐といえば島流しの定番地。
この隠岐国分寺は、隠岐に島流しにあった後醍醐天皇の行在所だったんだって。
そんなこんなで、隠岐の島町池田風呂前に位置する隠岐国分寺に到着。
●山門
●山門
・建立年不明
・瓦葺 棟門
山門には11菊花紋と桐紋が合体した寺紋がありました。
16菊花紋はよくお見かけしますが、11菊花紋とは珍しいですね!
ちなみに16菊花紋は皇室が使用している紋です。
そして11菊花紋は、国会議員の議員バッヂにデザインされている紋章です。
桐紋は室町時代以降、皇室や豊臣政権などが使用していて、現在では日本国政府の紋章として用いられてます。
それにしても、このお寺の寺紋・・・菊紋も桐紋も政府がらみ・・・これは何か深い意味があるのかなぁ???
本堂と発掘調査の様子
●本堂
●本堂
・2014年再建
・瓦葺 入母屋造
・宗派は東寺真言宗
・本尊は釈迦如来像
見るからに新しい本堂です。
どうやら2007年に火災で焼失したらしく、その後2014年に再建したみたいです。
●発掘調査の様子
そんなこんなで、2007年の本堂焼失に伴い、2009年から発掘調査が始まったんだって。
その際、柱が腐らないように柱の根元に瓦を巻いた根巻瓦が発見されたんだって。
ちなみに、根巻瓦は全国に例がなく隠岐国分寺独自の技法なんだって。
その他、奈良時代の瓦などが大量に出土したそうです。
●本堂
・2014年再建
・瓦葺 入母屋造
・宗派は東寺真言宗
・本尊は釈迦如来像
見るからに新しい本堂です。
どうやら2007年に火災で焼失したらしく、その後2014年に再建したみたいです。
●発掘調査の様子
そんなこんなで、2007年の本堂焼失に伴い、2009年から発掘調査が始まったんだって。
その際、柱が腐らないように柱の根元に瓦を巻いた根巻瓦が発見されたんだって。
ちなみに、根巻瓦は全国に例がなく隠岐国分寺独自の技法なんだって。
その他、奈良時代の瓦などが大量に出土したそうです。
後醍醐天皇行在所の碑と王城鎮護社
●後醍醐天皇行在所の碑
本堂裏には後醍醐天皇行在所の碑がドーンと建ってました。
この隠岐国分寺は、隠岐に島流しにあった後醍醐天皇が住まわれたお寺として知られています。
しかし、お隣の島・西ノ島に鎮座する黒木神社も後醍醐天皇の行在所といわれており、結局のところ現段階ではどちらが本当の行在所だったかは定かじゃないみたいです。
後醍醐天皇は島流しにあった1年後に船で島を脱出するわけですから、内陸部にある国分寺よりも海が近い黒木神社の方が逃げ易いかなと、なーんとなくですよ、私はそう思いました。
しかしですよ、いくら罪人とはいえ、天皇さんをわずか十数坪の極狭台地に住まわす黒木神社説も無理があるような。
どちらとも行在所になった可能性もあるだろうし・・・真実は闇の中。
どうにもこうにも歴史浪漫ですなぁ。
こちらが黒木神社の参拝記です。
ちなみに隠岐の島は、江戸時代中期に一般の罪人が流されるようになるまでは、天皇や公家などの政治犯の配流地だったんですって。
●王城鎮護社
●王城鎮護社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・後醍醐天皇像を祀る
境内には神馬にまたがった後醍醐天皇像が祀られている王城鎮護社がありました。
ちなみに、神馬にまたがる後醍醐天皇像を拝見することはできませんでした。
本堂裏には後醍醐天皇行在所の碑がドーンと建ってました。
この隠岐国分寺は、隠岐に島流しにあった後醍醐天皇が住まわれたお寺として知られています。
しかし、お隣の島・西ノ島に鎮座する黒木神社も後醍醐天皇の行在所といわれており、結局のところ現段階ではどちらが本当の行在所だったかは定かじゃないみたいです。
後醍醐天皇は島流しにあった1年後に船で島を脱出するわけですから、内陸部にある国分寺よりも海が近い黒木神社の方が逃げ易いかなと、なーんとなくですよ、私はそう思いました。
しかしですよ、いくら罪人とはいえ、天皇さんをわずか十数坪の極狭台地に住まわす黒木神社説も無理があるような。
どちらとも行在所になった可能性もあるだろうし・・・真実は闇の中。
どうにもこうにも歴史浪漫ですなぁ。
こちらが黒木神社の参拝記です。
黒木神社の御朱印~後醍醐天皇の行在所・黒木御所址~(島根県隠岐郡西ノ島町)
所在地島根県隠岐郡西ノ島町大字別府276祭 神後醍醐天皇由 緒1331年、元弘の乱で鎌倉幕府の倒幕に失敗した後醍醐天皇が、1332年に隠岐に配流された際、この地を行在所にしたそうです。しかし1333年、後...
ちなみに隠岐の島は、江戸時代中期に一般の罪人が流されるようになるまでは、天皇や公家などの政治犯の配流地だったんですって。
●王城鎮護社
●王城鎮護社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・後醍醐天皇像を祀る
境内には神馬にまたがった後醍醐天皇像が祀られている王城鎮護社がありました。
ちなみに、神馬にまたがる後醍醐天皇像を拝見することはできませんでした。
ザックリと簡単に後醍醐天皇とは?
後醍醐天皇は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけて活躍した第96代天皇。
ならびに南朝の初代天皇です。
鎌倉幕府を倒す計画がバレてしまって、隠岐に島流しにされました。
1年後、島を脱出して建武の新政を開始。
そして、楠木正成などの武士の力により倒幕に成功しました!
しかし倒幕に協力した武士の扱いをないがしろにしたため、足利尊氏などの武士が反乱!
後醍醐天皇は奈良の吉野に逃れました。
そんなこんなで、奈良の南朝と京都の北朝、いわゆる南北朝時代に突入!
しかし間もなく京都奪回を遺言して崩御してしまいました。
完。
旧本堂跡と悲しみの石仏
●旧本堂跡
本堂裏には、1869年の隠岐廃仏騒動で焼失した本堂跡がありました。
どうやら焼失したのは隠岐国分寺だけではなく、隠岐の寺院全てが焼失したそうです。
●悲しみの石仏
そんなこんなで、この石仏は隠岐廃仏騒動の際に、無惨にも壊されてしまった石仏群です・・・その名も悲しみの石仏。
これらの石仏は、井戸や道端に捨てられていたんですって・・・痛々しいです。
どの石仏もアイコラで失敗したパターンの容姿で、とても気の毒でした。
その中で1番気の毒に感じたのがこのお方。
もはやアイコラに失敗したというレベルではなく、頭も胴体も台座も、全て別々の石仏を合体させて作ったような姿でした。
下半身は見つからなかったのかなぁ・・・切ない。
本堂裏には、1869年の隠岐廃仏騒動で焼失した本堂跡がありました。
どうやら焼失したのは隠岐国分寺だけではなく、隠岐の寺院全てが焼失したそうです。
●悲しみの石仏
そんなこんなで、この石仏は隠岐廃仏騒動の際に、無惨にも壊されてしまった石仏群です・・・その名も悲しみの石仏。
これらの石仏は、井戸や道端に捨てられていたんですって・・・痛々しいです。
どの石仏もアイコラで失敗したパターンの容姿で、とても気の毒でした。
その中で1番気の毒に感じたのがこのお方。
もはやアイコラに失敗したというレベルではなく、頭も胴体も台座も、全て別々の石仏を合体させて作ったような姿でした。
下半身は見つからなかったのかなぁ・・・切ない。
蓮華会之館
●蓮華会之館
蓮華会之館には、平安時代から伝わる蓮華会舞や、後醍醐天皇の資料などが展示されてました。
そんなこんなで、館内にて蓮華会舞の舞台や蓮華会舞のお面を観賞。
ちなみに蓮華会舞とは、隠岐国分寺に伝わる民俗芸能の舞です。
国の重要無形民俗文化財に指定されおり、毎年弘法大師の命日である4月21日に演じられるそうです。
蓮華会舞で使用される古面は奈良時代に中国から伝わった物でしたが、2007年の火災で焼失してしまったそうです。。
●境内からの景色
いやはや、素敵なお寺でした。
●五体面
ちなみに隠岐の島の各所には、水木しげるさんの妖怪が点在してます。 この隠岐国分寺には五体面がおられました。
五体面は、顔から手足が生えていてカニのような歩き方をするいたずら好きな妖怪。
意中の人とご対面できるという効能があるそうです。 そんなこんなで、ドラフト前の球団職員は是非っ!
蓮華会之館には、平安時代から伝わる蓮華会舞や、後醍醐天皇の資料などが展示されてました。
そんなこんなで、館内にて蓮華会舞の舞台や蓮華会舞のお面を観賞。
ちなみに蓮華会舞とは、隠岐国分寺に伝わる民俗芸能の舞です。
国の重要無形民俗文化財に指定されおり、毎年弘法大師の命日である4月21日に演じられるそうです。
蓮華会舞で使用される古面は奈良時代に中国から伝わった物でしたが、2007年の火災で焼失してしまったそうです。。
●境内からの景色
いやはや、素敵なお寺でした。
●五体面
ちなみに隠岐の島の各所には、水木しげるさんの妖怪が点在してます。 この隠岐国分寺には五体面がおられました。
五体面は、顔から手足が生えていてカニのような歩き方をするいたずら好きな妖怪。
意中の人とご対面できるという効能があるそうです。 そんなこんなで、ドラフト前の球団職員は是非っ!
モーモードームと隠岐牛突き
●モーモードーム
お寺の隣には、観光用の牛突きを観戦できるモーモードームがありました。
しかし観光牛突きは毎日行われるわけではないので、開催日は事前にチェックして行った方がよさそうです!
ちなみに本日は観光牛突きの開催日でしたが、試合開始が午前9時!
この島に着いたのが午前11時だったので余裕でアウトでした。
いつか機会があったら観戦してみたいです。
そんなことより隠岐牛突きは、隠岐へ島流しにあった後鳥羽上皇をお慰めするために、島の人々が始めたのが始まりなんですって。
●隠岐牛突き大会のルール
雄牛同士がぶつかり合い、どちらかの牛が逃げ出すまで試合が続くというルールなんだって。
勝った牛は横綱として敬意を払われますが、負けた牛は売られるか肉用牛としての道を歩むそうです・・・ガチのマジの命を懸けた勝負ですやん!
ちなみにモーモードームで行われる牛突きは、観光牛突きなので勝負をつけることが許されてないそうです。
なもんで引き分けにて行うんだって。
いやはや一安心 ^^
お寺の隣には、観光用の牛突きを観戦できるモーモードームがありました。
しかし観光牛突きは毎日行われるわけではないので、開催日は事前にチェックして行った方がよさそうです!
ちなみに本日は観光牛突きの開催日でしたが、試合開始が午前9時!
この島に着いたのが午前11時だったので余裕でアウトでした。
いつか機会があったら観戦してみたいです。
そんなことより隠岐牛突きは、隠岐へ島流しにあった後鳥羽上皇をお慰めするために、島の人々が始めたのが始まりなんですって。
●隠岐牛突き大会のルール
雄牛同士がぶつかり合い、どちらかの牛が逃げ出すまで試合が続くというルールなんだって。
勝った牛は横綱として敬意を払われますが、負けた牛は売られるか肉用牛としての道を歩むそうです・・・ガチのマジの命を懸けた勝負ですやん!
ちなみにモーモードームで行われる牛突きは、観光牛突きなので勝負をつけることが許されてないそうです。
なもんで引き分けにて行うんだって。
いやはや一安心 ^^
御朱印
●御朱印情報
御朱印は山門前の拝観受付で頂きました。
御朱印は山門前の拝観受付で頂きました。
隠岐の島で頂ける御朱印まとめ(10寺社)
隠岐の島で頂ける御朱印をまとめてみました。隠岐の島町の御朱印4種。西ノ島の御朱印4種。中ノ島の御朱印2種。知夫里島の御朱印1種。随時更新していきます。