所在地 | 宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田117 |
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祭 神 | 主祭神 ・神日本磐余彦尊(神武天皇) 相殿神 ・吾平津媛命 ・天津彦火瓊瓊杵尊・木花開耶姫命 ・彦火々出見尊・豊玉姫尊 ・鸕鶿草葺不合尊・玉依姫命 |
社 格 | 県社・官幣大社別宮・別表神社 |
由 緒 | 社伝によると、紀元前475〜393年、神武天皇の生誕地に創建したのが始まりといいます。その後、度重なる霧島山の噴火で社殿を焼失。現在地に遷座したのは1610年といわれています。現在、もともとの鎮座地(神武天皇の生誕地)には、境外末社の皇子原神社が鎮座しています。 |
HP | 狭野神社-公式ホームページ |
Contents
狭野神社とは?
●境内入口
神武天皇が幼少期を過ごした狭野の地に鎮座する狭野神社に到着。
狭野神社と書いてさの神社と読みます。
●境内図
神武天皇の幼名は狭野尊。
狭野尊と書いてサノノミコトと読みます。
狭野尊は狭野の地で生まれ育ち、15歳で宮崎に移り住むまでこの地で過ごしたという!
狭野尊が誕生したのは、ここから1.2km離れた地。
現在、その地には皇子原神社が鎮座しています。
また狭野神社が鎮座する高千穂峰周辺には、産婆石・腰掛石・祓原・祓川・皇子滝・皇子港・狭野渡・馬登・血捨ノ木・宮ノ宇都・鳥居原などなど神武天皇ゆかりの地が多数点在していて、どうにもこうにも神武浪漫に満ちあふれた地になってるという!
●産婆石
ちなみにこちらは、神武天皇が誕生した地です。
誕生の際、産湯を使われた場所と伝えられ、神武天皇の母・玉依姫が出産時にしがみついた石といわれています。
産婆石と書いてうべいしと読みます。
●腰掛石
こちらは神武天皇が腰掛けた石です。
●祓原
こちらは神武天皇が誕生した際、体を祓い清めた場所です。
●祓川
こちらは神武天皇がお祓いするときに使った川です。
●皇子港(御池)
こちらは幼少期の神武天皇が遊んでいた池です。
などなど。
実在を怪しまれる神武さんですが、これほどにまで多くの伝承地が残されているのだから実在していたはずだ!
あらゆるモノを全肯定で生きていきたい私は、この地を幼い狭野尊が駆け抜けたことを信じていますよ〜。
そんなこんなで、もともと狭野神社は神武さんがお生まれになった地(現・皇子原神社)に鎮座していたのですが、度重なる霧島山の噴火で社殿を焼失。
現在地に遷座したのは1610年といわれています。
神武天皇が幼少期を過ごした狭野の地に鎮座する狭野神社に到着。
狭野神社と書いてさの神社と読みます。
●境内図
神武天皇の幼名は狭野尊。
狭野尊と書いてサノノミコトと読みます。
狭野尊は狭野の地で生まれ育ち、15歳で宮崎に移り住むまでこの地で過ごしたという!
狭野尊が誕生したのは、ここから1.2km離れた地。
現在、その地には皇子原神社が鎮座しています。
皇子原神社の御朱印~神武天皇の生誕地~(宮崎県西諸県郡高原町)
所在地宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田祭 神狭野尊(神武天皇)由 緒神武天皇の誕生地に鎮座。神武天皇は、本殿裏にある産婆石の付近で産まれたことにより、この地は母・玉依姫が神武天皇を出産した産屋跡ともいわれて...
また狭野神社が鎮座する高千穂峰周辺には、産婆石・腰掛石・祓原・祓川・皇子滝・皇子港・狭野渡・馬登・血捨ノ木・宮ノ宇都・鳥居原などなど神武天皇ゆかりの地が多数点在していて、どうにもこうにも神武浪漫に満ちあふれた地になってるという!
●産婆石
ちなみにこちらは、神武天皇が誕生した地です。
誕生の際、産湯を使われた場所と伝えられ、神武天皇の母・玉依姫が出産時にしがみついた石といわれています。
産婆石と書いてうべいしと読みます。
●腰掛石
こちらは神武天皇が腰掛けた石です。
●祓原
こちらは神武天皇が誕生した際、体を祓い清めた場所です。
●祓川
こちらは神武天皇がお祓いするときに使った川です。
●皇子港(御池)
こちらは幼少期の神武天皇が遊んでいた池です。
などなど。
実在を怪しまれる神武さんですが、これほどにまで多くの伝承地が残されているのだから実在していたはずだ!
あらゆるモノを全肯定で生きていきたい私は、この地を幼い狭野尊が駆け抜けたことを信じていますよ〜。
そんなこんなで、もともと狭野神社は神武さんがお生まれになった地(現・皇子原神社)に鎮座していたのですが、度重なる霧島山の噴火で社殿を焼失。
現在地に遷座したのは1610年といわれています。
[22]神武東征
天下を治めるため、高千穂(宮崎)から東(奈良)へむかう アエズの子、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)は、兄の五瀬命(イツセノミコト)と高千穂の宮で相談し、東の地で政治を行おうと船で日向を出て、まずは筑紫(福岡)に
神武天皇ゆかりの神社まとめ(12スポット)
皇子原神社神武天皇の生誕地に鎮座する神社。ついでに神武天皇が禊をした川の情報も。●アクセス宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田(皇子原公園内)皇宮神社(皇宮屋)神武天皇の皇居跡に...
鳥居と参道(狭野の杉並木)
●鳥居
そんなこんなで、参拝開始。
鳥居は九州南部(霧島・大隅・薩摩地方)でよくお見かけする3色鳥居。
・柱と貫と額束 → 朱色
・笠木 → 黒色
・島木 → 白色
それにしても、この3色鳥居にはどんな意味があるんだろうねぇ???
朱色は魔除けの色といいますし、 白は清浄や浄化、 黒は天、すなわち神様の住む世界といいますし。
なんだかこの鳥居だけで、神社の全てを表現しているような・・・そんなことを思ったひと時でした。
●参道(狭野の杉並木)
参道の長さは約1300m。
なんと!
直線参道では日本一長い参道なんだって!
参道は杉杉杉!
無音の参道。
神様の視線を感じるような、神様の息が聞こえてきそうな、そんな気にさせられる神々しい参道でした。
ドキドキするねぇ。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、薩摩藩主・島津義弘さんが出陣前にこの神社で戦勝祈願をしたそうです。
その後、1600年に無事凱旋した島津義弘さんが祈願成就のお礼として、重臣の新納忠元を遣わし、境内全般に300本の杉を植栽したんだって。
しかし、度重なる台風などにより、樹齢400年以上の狭野杉は現在10本を残すのみだという・・・嗚呼。
ちなみに狭野杉が立ち並ぶこの参道は狭野の杉並木として国の天然記念物に指定されています。
●狭野杉①
・樹齢400年以上
・樹高 約40m
・幹回 約9m
・みやざきの巨樹百選
たっか!
説明板によると、こちらの杉は樹齢400年と書かれておりました。
ということで、こちらの杉は植栽当時から現存する数少ない狭野杉のようです。
そんなこんなで、参拝開始。
鳥居は九州南部(霧島・大隅・薩摩地方)でよくお見かけする3色鳥居。
・柱と貫と額束 → 朱色
・笠木 → 黒色
・島木 → 白色
それにしても、この3色鳥居にはどんな意味があるんだろうねぇ???
朱色は魔除けの色といいますし、 白は清浄や浄化、 黒は天、すなわち神様の住む世界といいますし。
なんだかこの鳥居だけで、神社の全てを表現しているような・・・そんなことを思ったひと時でした。
●参道(狭野の杉並木)
参道の長さは約1300m。
なんと!
直線参道では日本一長い参道なんだって!
参道は杉杉杉!
無音の参道。
神様の視線を感じるような、神様の息が聞こえてきそうな、そんな気にさせられる神々しい参道でした。
ドキドキするねぇ。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、薩摩藩主・島津義弘さんが出陣前にこの神社で戦勝祈願をしたそうです。
その後、1600年に無事凱旋した島津義弘さんが祈願成就のお礼として、重臣の新納忠元を遣わし、境内全般に300本の杉を植栽したんだって。
しかし、度重なる台風などにより、樹齢400年以上の狭野杉は現在10本を残すのみだという・・・嗚呼。
ちなみに狭野杉が立ち並ぶこの参道は狭野の杉並木として国の天然記念物に指定されています。
●狭野杉①
・樹齢400年以上
・樹高 約40m
・幹回 約9m
・みやざきの巨樹百選
たっか!
説明板によると、こちらの杉は樹齢400年と書かれておりました。
ということで、こちらの杉は植栽当時から現存する数少ない狭野杉のようです。
神門と狭野杉と狛犬と門守社
●神門
●神門
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 八脚門
そんなこんなで、参道を抜けると神門に到着。
扉には黄金の16菊花紋。
格式の高さがうかがえます。
●狭野杉②
●狭野杉②
・樹齢 400年以上
・樹高 約61.3m
・目通り幹周 約6~7m
・根周り 約9m
・国の天然記念物
そんなこんなで、神門をくぐるとドーンとそびえ立つ狭野杉が登場。
こちらも植栽当時から現存する数少ない狭野杉のようです。
いつまでも狭野神社のランドマークとして生き続けて欲しいですね。
●狛犬
●狛犬
・奉納年不明
・ブロンズ製
続いて狛犬ちゃんが登場。
小ぶりなブロンズ製の狛犬ちゃんでした。
●門守社
●門守社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
狛犬ちゃんを過ぎると門守社が登場。
・写真左 → 西門守社(櫛磐間戸神)
・写真右 → 東門守社(豊磐間戸神)
本州ではあまり馴染みがないですが、九州南部ではこのように門守社を配する神社が多いです。
門守社にお祀りされているのは、櫛磐間戸神と豊磐間戸神。
・櫛磐間戸神 → クシイワマドの神
・豊磐間戸神 → トヨイワマドの神
と読みます。
ちなみにこの2神は、アマテラスが天岩戸から出たあと新殿に遷座した際、殿の門を守衛した神様です。
神社の随身門でお祀りされることが多い神様で、お寺でいう仁王さんみたいな役割のお方です。
●神門
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 八脚門
そんなこんなで、参道を抜けると神門に到着。
扉には黄金の16菊花紋。
格式の高さがうかがえます。
●狭野杉②
●狭野杉②
・樹齢 400年以上
・樹高 約61.3m
・目通り幹周 約6~7m
・根周り 約9m
・国の天然記念物
そんなこんなで、神門をくぐるとドーンとそびえ立つ狭野杉が登場。
こちらも植栽当時から現存する数少ない狭野杉のようです。
いつまでも狭野神社のランドマークとして生き続けて欲しいですね。
●狛犬
●狛犬
・奉納年不明
・ブロンズ製
続いて狛犬ちゃんが登場。
小ぶりなブロンズ製の狛犬ちゃんでした。
●門守社
●門守社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
狛犬ちゃんを過ぎると門守社が登場。
・写真左 → 西門守社(櫛磐間戸神)
・写真右 → 東門守社(豊磐間戸神)
本州ではあまり馴染みがないですが、九州南部ではこのように門守社を配する神社が多いです。
門守社にお祀りされているのは、櫛磐間戸神と豊磐間戸神。
・櫛磐間戸神 → クシイワマドの神
・豊磐間戸神 → トヨイワマドの神
と読みます。
ちなみにこの2神は、アマテラスが天岩戸から出たあと新殿に遷座した際、殿の門を守衛した神様です。
神社の随身門でお祀りされることが多い神様で、お寺でいう仁王さんみたいな役割のお方です。
社殿と境内社
●社殿
続いて、社殿にて参拝。
社殿は外拝殿 → 拝殿 → 幣殿 → 本殿の並びで建っていました。
●外拝殿
●外拝殿
・1907年移築
・銅板葺 平入り切妻造
どうやら狭野神社の拝殿は、外拝殿と拝殿に分かれている模様。
ということで、一般の参拝者は外拝殿からの参拝となります。
1907年、宮崎神宮の社殿が再建されることになりました。
その際、狭野杉を使用して再建されたそうです。
そして宮崎神宮の旧社殿は狭野神社に移築。
ということで現在、狭野神社に建つ社殿は宮崎神宮の旧社殿だという。
宮崎神宮の旧社殿 ⇄ 狭野杉
これは社殿と狭野杉の物々交換みたいなもんでしょうか?
●拝殿
●拝殿
・1907年移築
・銅板葺 平入り入母屋造
一般参拝者は外拝殿より中に入ることができないので、外拝殿から拝殿に向かって拝むかたちとなります。
●本殿
●本殿
・1907年移築
・三間社流造
●祭神
・神日本磐余彦天皇(神武天皇)
●相殿神
・吾平津媛命
・天津彦火瓊瓊杵尊・木花開耶姫命
・彦火々出見尊・豊玉姫尊
・鸕鶿草葺不合尊・玉依姫命
主祭神はもちろん神武天皇(幼名・狭野尊)。
相殿神には神武天皇のご家族が祀られていました。
①吾平津媛命
吾平津媛命は神武天皇の宮崎の嫁さんです。
・日本書紀 → 吾平津媛命(アヒラツヒメ)
・古事記 → 阿比良比売(アヒラヒメ)
と表記されています。
②天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命
・天津彦火瓊瓊杵尊 → ニニギ
・木花開耶姫命 → コノハナサクヤヒメ
この2神は、神武天皇のひい爺ちゃんとひい婆ちゃんです。
③彦火々出見尊と豊玉姫尊
・彦火々出見尊 → ホオリ(山幸彦)
・豊玉姫尊 → トヨタマヒメ
この2神は、神武天皇の爺ちゃんと婆ちゃんです。
④鸕鶿草葺不合尊と玉依姫命
・鸕鶿草葺不合尊 → ウガヤフキアエズ
・玉依姫命 → タマヨリヒメ
この2神は、神武天皇の父ちゃんと母ちゃんです。
●水神社
●水神社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
水神社には、罔象女神・大山祇神・大山咋神・白山媛神・豊受姫神・大年神が祀られていました。
●豊受神社
●豊受神社
・建立年不明
・拝殿 瓦葺 妻入り切妻造
・本殿 銅板葺 一間社流造
・豊受大御神を祀る
その他、豊受大御神を祀る豊受神社がありました。
続いて、社殿にて参拝。
社殿は外拝殿 → 拝殿 → 幣殿 → 本殿の並びで建っていました。
●外拝殿
●外拝殿
・1907年移築
・銅板葺 平入り切妻造
どうやら狭野神社の拝殿は、外拝殿と拝殿に分かれている模様。
ということで、一般の参拝者は外拝殿からの参拝となります。
1907年、宮崎神宮の社殿が再建されることになりました。
その際、狭野杉を使用して再建されたそうです。
そして宮崎神宮の旧社殿は狭野神社に移築。
ということで現在、狭野神社に建つ社殿は宮崎神宮の旧社殿だという。
宮崎神宮の旧社殿 ⇄ 狭野杉
これは社殿と狭野杉の物々交換みたいなもんでしょうか?
宮崎神宮の御朱印~通称・神武さん~(宮崎県宮崎市神宮)
所在地宮崎県宮崎市神宮2丁目4−1祭 神主祭神神日本磐余彦尊(神武天皇)相殿鸕鷀草葺不合尊(神武天皇の父)玉依姫命(神武天皇の母)由 緒神武天皇の孫・健磐龍命(熊本・阿蘇神社の祭神)が九州の長...
●拝殿
●拝殿
・1907年移築
・銅板葺 平入り入母屋造
一般参拝者は外拝殿より中に入ることができないので、外拝殿から拝殿に向かって拝むかたちとなります。
●本殿
●本殿
・1907年移築
・三間社流造
●祭神
・神日本磐余彦天皇(神武天皇)
●相殿神
・吾平津媛命
・天津彦火瓊瓊杵尊・木花開耶姫命
・彦火々出見尊・豊玉姫尊
・鸕鶿草葺不合尊・玉依姫命
主祭神はもちろん神武天皇(幼名・狭野尊)。
相殿神には神武天皇のご家族が祀られていました。
①吾平津媛命
吾平津媛命は神武天皇の宮崎の嫁さんです。
・日本書紀 → 吾平津媛命(アヒラツヒメ)
・古事記 → 阿比良比売(アヒラヒメ)
と表記されています。
[23]神武天皇の正妻
天皇になる前に結婚していたイワレビコ 神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)がまだ日向(宮崎)にいたときに、阿多(鹿児島)で阿比良比売(アヒラヒメ)と結ばれ、多芸志美美命(タギシミミノミコト) と岐須美美命(キスミミノ
②天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命
・天津彦火瓊瓊杵尊 → ニニギ
・木花開耶姫命 → コノハナサクヤヒメ
この2神は、神武天皇のひい爺ちゃんとひい婆ちゃんです。
[19]ニニギの結婚と天皇の寿命
ニニギ、美しい娘に出会う ニニギは笠沙(かささ)の岬(鹿児島県薩摩半島の西南部)で美しい娘に出会ったんだ。 美しい娘に会ったのでお約束どおり「お前はだれの娘か」と訪ねたよ。 (古事記では、お前どこ中だよ?くらい、父親は誰
③彦火々出見尊と豊玉姫尊
・彦火々出見尊 → ホオリ(山幸彦)
・豊玉姫尊 → トヨタマヒメ
この2神は、神武天皇の爺ちゃんと婆ちゃんです。
[20]山幸彦と海幸彦
長男の火照命(ホデリのみこと)は海幸彦(うみさちひこ)となって海で漁をしていたよ。 三男の火遠理命(ホヲリのみこと)は山幸彦(やまさちひこ)となって、山で狩りをしていたんだ。 ある時、弟の火遠理命(ホヲリのみこと)こと山
④鸕鶿草葺不合尊と玉依姫命
・鸕鶿草葺不合尊 → ウガヤフキアエズ
・玉依姫命 → タマヨリヒメ
この2神は、神武天皇の父ちゃんと母ちゃんです。
[21]豊玉姫の出産とアエズ
豊玉毘売ご懐妊 豊玉毘売(トヨタマヒメ)が夫の山幸彦の故郷へ来て 「わたしは妊娠して、出産の時期になったけど、天つ神の子を海で生むべきではないと思ってここまで来ました」 と言ったんだ。 そこで山幸彦は、海辺に鵜(う)の羽
●水神社
●水神社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
水神社には、罔象女神・大山祇神・大山咋神・白山媛神・豊受姫神・大年神が祀られていました。
●豊受神社
●豊受神社
・建立年不明
・拝殿 瓦葺 妻入り切妻造
・本殿 銅板葺 一間社流造
・豊受大御神を祀る
その他、豊受大御神を祀る豊受神社がありました。
神徳院と仁王像
●別当寺跡(神徳院)
境内には神仏習合時代の名残であります別当寺跡(神徳院)がありました。
ちなみに神徳院は霧島六社権現の1つです。
●霧島六社権現とは?
947〜957年、天台宗の僧・性空上人が霧島山で修行をし、霧島山の周囲6ヶ所に鎮座する神社に別当寺を建立。
その6社寺は霧島六社権現と呼ばれ、神仏習合の形態をとることになりました。
ということで、狭野神社の別当寺は神徳院。
神徳院は、狭野神社とともに信仰の一大拠点として繁栄していたといいます。
しかし神徳院は、1866年の廃仏毀釈により廃寺となりました。
●仁王像
そんなこんなで
はいドン!
狭野神社の境内には神徳院の名残であります石造・仁王像がおられました!
像高2m以上の巨大な像となっております!
●石造・仁王像
・1734年建立
なかなかのヘタウマ作風。
ひょうきんなお顔のせいかコワさはないです!
そのせいか、武器に頼った威嚇をしてきます。
金属バットに持ち替えると昭和の番長だ。
向かって右側の仁王さんは、後ろに傾いているため棒で支えられていました。
仁王さんの足腰が弱っておる!
健脚の御利益があるそうですが、自立できてないという悲しさ!
そんなことより、この仁王さんは明治時代の廃仏毀釈の際、小川に棄てられてしまったんだって・・・。
その後、農作物が不作になってしまったため、再度この地に建立されたんだとか!
そんな仁王さんには、こんな言い伝えが残っています。
そんなこんなで、記念撮影。
本日も珍しいものが拝見できて有難き幸せ。
●神徳神社
●神徳神社
・2019年建立
・銅板葺 流造
仁王さんの隣には、神徳院を再興した神徳神社という境内社もありました。
こちらの社には、天照大御神と神徳院之大神が祀られています。
この神徳神社は平成から令和の時代を迎えるにあたり、狭野神社とともに篤い信仰を寄せられてきた神徳院の往古を再興し、皇室の祖先神・天照大御神と神徳院之大神を祀り令和の御代替わりを奉祝する事業として建立された神社のようですよ。
令和元年に建立された出来立てホヤホヤの神社です。
境内には神仏習合時代の名残であります別当寺跡(神徳院)がありました。
ちなみに神徳院は霧島六社権現の1つです。
●霧島六社権現とは?
947〜957年、天台宗の僧・性空上人が霧島山で修行をし、霧島山の周囲6ヶ所に鎮座する神社に別当寺を建立。
その6社寺は霧島六社権現と呼ばれ、神仏習合の形態をとることになりました。
●霧島六社権現
①霧島神宮
・西御在所霧島権現
・別当 華林寺
②東霧島神社
・東霧島権現
・別当 勅詔院
③ 狭野神社
・狭野大権現
・別当 神徳院
④ 霧島東神社
・東御在所霧島権現
・別当 錫杖院
⑤ 霧島岑神社
・霧島中央権現
・別当 瀬多尾寺
⑥ 夷守神社
・雛守権現
・別当 宝光院
※ 夷守神社は霧島岑神社と合祀したため現在は5社となっております。
①霧島神宮
・西御在所霧島権現
・別当 華林寺
②東霧島神社
・東霧島権現
・別当 勅詔院
③ 狭野神社
・狭野大権現
・別当 神徳院
④ 霧島東神社
・東御在所霧島権現
・別当 錫杖院
⑤ 霧島岑神社
・霧島中央権現
・別当 瀬多尾寺
⑥ 夷守神社
・雛守権現
・別当 宝光院
※ 夷守神社は霧島岑神社と合祀したため現在は5社となっております。
ということで、狭野神社の別当寺は神徳院。
神徳院は、狭野神社とともに信仰の一大拠点として繁栄していたといいます。
しかし神徳院は、1866年の廃仏毀釈により廃寺となりました。
●仁王像
そんなこんなで
はいドン!
狭野神社の境内には神徳院の名残であります石造・仁王像がおられました!
像高2m以上の巨大な像となっております!
●石造・仁王像
・1734年建立
なかなかのヘタウマ作風。
ひょうきんなお顔のせいかコワさはないです!
そのせいか、武器に頼った威嚇をしてきます。
金属バットに持ち替えると昭和の番長だ。
向かって右側の仁王さんは、後ろに傾いているため棒で支えられていました。
仁王さんの足腰が弱っておる!
健脚の御利益があるそうですが、自立できてないという悲しさ!
そんなことより、この仁王さんは明治時代の廃仏毀釈の際、小川に棄てられてしまったんだって・・・。
その後、農作物が不作になってしまったため、再度この地に建立されたんだとか!
そんな仁王さんには、こんな言い伝えが残っています。
明治時代初頭。
天候が悪いわけじゃないのに大豆の不作が何年も続いたという。
人々は
『これは神徳院を取り壊したことによる仏罰じゃないの?』
と噂しました。
当時日本は廃仏毀釈が行われており、神徳院の墓地は壊され仁王さんは小川に沈められていたという。
そんなある日『仁王さんは大豆の神様』という話しが村中に広がったそうな。
世は廃仏毀釈の真っただ中。
仏を排除する世の中でしたが『神様ならよか!』ということで、大豆の神様の仁王さんは元の場所に戻されました。
すると、あら不思議。
大豆の不作はなくなったという。
完。
天候が悪いわけじゃないのに大豆の不作が何年も続いたという。
人々は
『これは神徳院を取り壊したことによる仏罰じゃないの?』
と噂しました。
当時日本は廃仏毀釈が行われており、神徳院の墓地は壊され仁王さんは小川に沈められていたという。
そんなある日『仁王さんは大豆の神様』という話しが村中に広がったそうな。
世は廃仏毀釈の真っただ中。
仏を排除する世の中でしたが『神様ならよか!』ということで、大豆の神様の仁王さんは元の場所に戻されました。
すると、あら不思議。
大豆の不作はなくなったという。
完。
そんなこんなで、記念撮影。
本日も珍しいものが拝見できて有難き幸せ。
●神徳神社
●神徳神社
・2019年建立
・銅板葺 流造
仁王さんの隣には、神徳院を再興した神徳神社という境内社もありました。
こちらの社には、天照大御神と神徳院之大神が祀られています。
この神徳神社は平成から令和の時代を迎えるにあたり、狭野神社とともに篤い信仰を寄せられてきた神徳院の往古を再興し、皇室の祖先神・天照大御神と神徳院之大神を祀り令和の御代替わりを奉祝する事業として建立された神社のようですよ。
令和元年に建立された出来立てホヤホヤの神社です。
その他の見どころ
●御神牛
●御神牛
・1940年作
外拝殿には木彫りの御神牛がおられました。
この御神牛は、毎年2月18日に行われる特殊神事・苗代田祭で活躍するんだって。
苗代田祭は、宮崎県の重要無形文化財に指定されているそうで、別名・ベブがハホと呼ばれてるんだとか!
ベブがハホ!?!?
読み間違いかなぁ・・・と思ってみたけど、確かにベブがハホ!
かなり気になったので調べてみると
・ベブ → 牛
・ハホ → 主婦(妊婦)
という意味らしいです。
苗代田祭は、神社境内を田んぼに見立て、御神牛を田んぼならしのように引っ張り回し、そして種まきの様子をユーモラスに演じる神事のようです。
YouTubeで拝見しましたが、なかなか面白いお祭りでした。
●新燃岳大噴火乃碑
狭野神社は霧島山の麓にあることから、たびたび噴火の被害を受け、焼失と再建・遷座を繰り返してきた神社だという。
最近では2011年の新燃岳の噴火で、御神体を霧島岑神社(小林市)に遷しています。
このように幾度となく火山の被害に遭われた神社ですが、皇室・藩主の崇敬が厚かったことから、復興を繰り返し現在に至ります。
●ムクノキ
●ムクノキ
・樹齢 約400年
・樹高 約30m
・幹周 約7.8m
・みやざき巨樹百選
●引退鳥居
境内の片隅には引退鳥居の笠木と島木がありました。
間近で見ると相当な迫力でした。
●ウォーキングモデルコース
境内には高千穂峰周辺のウォーキングコースを記した案内板がありました。
神武さんが釣りをしてたり温泉に浸かってたり。
そしてコテージの下敷きになってたりしました。
これはアカン!
モザイクかけてあげてー!
●オリジナル絵馬
絵馬には神武天皇と社殿がデザインされていました。
●駐車場からの風景
駐車場からは天孫降臨の地で知られる高千穂峰を望むことが出来ました。
●御神牛
・1940年作
外拝殿には木彫りの御神牛がおられました。
この御神牛は、毎年2月18日に行われる特殊神事・苗代田祭で活躍するんだって。
苗代田祭は、宮崎県の重要無形文化財に指定されているそうで、別名・ベブがハホと呼ばれてるんだとか!
ベブがハホ!?!?
読み間違いかなぁ・・・と思ってみたけど、確かにベブがハホ!
かなり気になったので調べてみると
・ベブ → 牛
・ハホ → 主婦(妊婦)
という意味らしいです。
苗代田祭は、神社境内を田んぼに見立て、御神牛を田んぼならしのように引っ張り回し、そして種まきの様子をユーモラスに演じる神事のようです。
YouTubeで拝見しましたが、なかなか面白いお祭りでした。
●新燃岳大噴火乃碑
狭野神社は霧島山の麓にあることから、たびたび噴火の被害を受け、焼失と再建・遷座を繰り返してきた神社だという。
●788年、霧島山の噴火により社殿を焼失。
●1234年、霧島山の噴火により社殿を焼失。都城市高崎町の東霧島神社に仮殿を設け、御神体を奉遷。
●1543年、薩摩藩第15代藩主・島津貴久が西諸県郡高原町西麓の鎮守神社に仮宮を設けて遷座。
●1610年、現在地へ遷座。
●1716年、霧島山が噴火。社殿は無事でしたが別当寺を焼失。
●1234年、霧島山の噴火により社殿を焼失。都城市高崎町の東霧島神社に仮殿を設け、御神体を奉遷。
●1543年、薩摩藩第15代藩主・島津貴久が西諸県郡高原町西麓の鎮守神社に仮宮を設けて遷座。
●1610年、現在地へ遷座。
●1716年、霧島山が噴火。社殿は無事でしたが別当寺を焼失。
最近では2011年の新燃岳の噴火で、御神体を霧島岑神社(小林市)に遷しています。
このように幾度となく火山の被害に遭われた神社ですが、皇室・藩主の崇敬が厚かったことから、復興を繰り返し現在に至ります。
●ムクノキ
●ムクノキ
・樹齢 約400年
・樹高 約30m
・幹周 約7.8m
・みやざき巨樹百選
●引退鳥居
境内の片隅には引退鳥居の笠木と島木がありました。
間近で見ると相当な迫力でした。
●ウォーキングモデルコース
境内には高千穂峰周辺のウォーキングコースを記した案内板がありました。
神武さんが釣りをしてたり温泉に浸かってたり。
そしてコテージの下敷きになってたりしました。
これはアカン!
モザイクかけてあげてー!
●オリジナル絵馬
絵馬には神武天皇と社殿がデザインされていました。
●駐車場からの風景
駐車場からは天孫降臨の地で知られる高千穂峰を望むことが出来ました。
御朱印情報
●御朱印の種類
・狭野神社の御朱印
・皇子原神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・授与所
授与所にて、狭野神社と皇子原神社の御朱印(2社セット)の書置きが用意されていました。
支払い・受け取り・釣銭は全てセルフサービスとなっております。
●御朱印の受付時間
・9:00~16:00
●御朱印の料金
・600円
(狭野神社と皇子原神社の2社セット)
●期間限定・特別御朱印
・キキタビの御朱印
・皇子原神社月替わり御朱印
●オリジナル御朱印帳
・なし
●神武会の御朱印帳
・サイズ
16cm × 11cm
・初穂料
1000円
狭野神社のオリジナル御朱印帳ではありませんが、神武会の御朱印帳があります。
・2021年4月29日 参拝
・2021年5月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・6:00~18:00
●拝観料
・無料
●アクセス
・JR高原駅から徒歩50分
・JR高原駅からバスで15分
・高原ICから車で10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・6:00~18:00
●拝観料
・無料
●アクセス
・JR高原駅から徒歩50分
・JR高原駅からバスで15分
・高原ICから車で10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
狭野神社の地図
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●霧島東神社
●狭野神社
●東霧島神社
●霧島岑神社
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