住 所 | 京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町45 |
---|---|
宗 派 | 日蓮宗 |
由 緒 | 1616年、日乾上人が開創したお寺です。このお寺には、日蓮宗の学問所である檀林が置かれ、鷹峰檀林と呼ばれていました。最盛期には学僧200余人が学んでいたそうです。1624~1644年、2代目・吉野太夫が日乾上人に帰依し、吉野太夫ゆかりのお寺としても有名です。 |
境内
●2代目・吉野太夫ゆかりのお寺です
●山門
・1628年建立
・2代目・吉野太夫が寄進
・別名・吉野門
朱塗りというか赤塗りの吉野門がトレードマークのお寺です。
近くには光悦寺と源光庵があるので、光悦寺と源光庵と常照寺をセットで巡る人が多いようです。
●手水鉢
フルーティーで可愛い手水鉢でした。
ミカンのように見えました。
●本堂
・現・本堂は創建当時の講堂を改築したもの
・瓦葺 寄棟造
・本尊は十界大曼荼羅
創建当時は日蓮宗の学問所である檀林が置かれ、鷹峰檀林と呼ばれていたそうです。その為、常照講寺と呼ばれた時期があったそうです。
●山門
・1628年建立
・2代目・吉野太夫が寄進
・別名・吉野門
朱塗りというか赤塗りの吉野門がトレードマークのお寺です。
近くには光悦寺と源光庵があるので、光悦寺と源光庵と常照寺をセットで巡る人が多いようです。
●手水鉢
フルーティーで可愛い手水鉢でした。
ミカンのように見えました。
●本堂
・現・本堂は創建当時の講堂を改築したもの
・瓦葺 寄棟造
・本尊は十界大曼荼羅
創建当時は日蓮宗の学問所である檀林が置かれ、鷹峰檀林と呼ばれていたそうです。その為、常照講寺と呼ばれた時期があったそうです。
遺芳庵
●吉野太夫はとてつもない美女だったといいます
●茶室・聚楽亭と茶席・遺芳庵
●遺芳庵
遺芳庵は、吉野太夫の死後、吉野太夫の夫・灰屋紹益が彼女を偲ぶために作られた茶室です。
●遺芳庵の吉野窓
●吉野窓
吉野窓とは吉野太夫が好んだ丸い窓です。窓の下が直線になってるのが特徴的で、満ちれば欠けるという意味を表しているようです。吉野太夫は、あえて不完全な円にすることによって、自分は完璧ではないと戒めたようです。
●2代目・吉野太夫の墓
●2代目・吉野太夫の墓
2代目・吉野太夫とは江戸時代初期に活躍した遊女です。江戸・吉原の高尾太夫、大坂・新町の夕霧太夫と共に寛永三名妓の1人です。
ちなみに太夫とは遊女の最高位に与えられる称号です。
2代目・吉野太夫は、和歌・連歌・俳諧・琴・琵琶・書・茶の湯・立花・囲碁・双六などなど、全て達人の域に達しており、当時京都に18人いた太夫の中でもズバ抜けた存在だったそうです。美貌と才を兼ね備えた吉野太夫の名は国内のみならず、海を越えて中国・明国まで知れ渡ったという。26歳で遊女を引退しますが、その後、吉野太夫の身請けをめぐって関白・近衛信尋と京の豪商・灰屋紹益が競います。勝ったのは灰屋紹益。吉野太夫は灰屋紹益の妻となります。結婚後は、華やかな姿を捨てて質素な暮らしをしたといいます。
熱心な法華経信者で、この常称寺にも山門を寄進してます。 その縁あって、死後は常照寺に葬られました。
毎年4月第3日曜日、吉野太夫を偲んで常照寺では花供養が行われてるそうです。
吉野太夫はとてつもない美女だったといいます。ひと目拝見したかったなぁ。って、お金も品もないから無理か。
●茶室・聚楽亭と茶席・遺芳庵
●遺芳庵
遺芳庵は、吉野太夫の死後、吉野太夫の夫・灰屋紹益が彼女を偲ぶために作られた茶室です。
●遺芳庵の吉野窓
●吉野窓
吉野窓とは吉野太夫が好んだ丸い窓です。窓の下が直線になってるのが特徴的で、満ちれば欠けるという意味を表しているようです。吉野太夫は、あえて不完全な円にすることによって、自分は完璧ではないと戒めたようです。
●2代目・吉野太夫の墓
●2代目・吉野太夫の墓
2代目・吉野太夫とは江戸時代初期に活躍した遊女です。江戸・吉原の高尾太夫、大坂・新町の夕霧太夫と共に寛永三名妓の1人です。
ちなみに太夫とは遊女の最高位に与えられる称号です。
2代目・吉野太夫は、和歌・連歌・俳諧・琴・琵琶・書・茶の湯・立花・囲碁・双六などなど、全て達人の域に達しており、当時京都に18人いた太夫の中でもズバ抜けた存在だったそうです。美貌と才を兼ね備えた吉野太夫の名は国内のみならず、海を越えて中国・明国まで知れ渡ったという。26歳で遊女を引退しますが、その後、吉野太夫の身請けをめぐって関白・近衛信尋と京の豪商・灰屋紹益が競います。勝ったのは灰屋紹益。吉野太夫は灰屋紹益の妻となります。結婚後は、華やかな姿を捨てて質素な暮らしをしたといいます。
熱心な法華経信者で、この常称寺にも山門を寄進してます。 その縁あって、死後は常照寺に葬られました。
毎年4月第3日曜日、吉野太夫を偲んで常照寺では花供養が行われてるそうです。
吉野太夫はとてつもない美女だったといいます。ひと目拝見したかったなぁ。って、お金も品もないから無理か。
その他の見所
●帯塚
・1969年年建立
・全国で唯一、帯を供養する塚
●妙法龍神堂
その他、鬼子母尊神堂があったようですが、見事に見逃して帰りました。
●境内の風景
紅葉の名所とのことなので、今度は紅葉シーズンに来てみたいです。
・1969年年建立
・全国で唯一、帯を供養する塚
●妙法龍神堂
その他、鬼子母尊神堂があったようですが、見事に見逃して帰りました。
●境内の風景
紅葉の名所とのことなので、今度は紅葉シーズンに来てみたいです。
ひと足のばして
●周辺のお寺
●光悦寺の参拝記
●源光庵の参拝記
●光悦寺の参拝記
光悦寺の御朱印情報~京都府京都市北区鷹峯光悦町29~
住 所京都府京都市北区鷹峯光悦町29宗 派日蓮宗由 緒1615年、芸術家・本阿弥光悦は徳川家康から鷹峯の地を与えられ、本阿弥一族や町衆・職人などの法華宗徒仲間を率いて移住しました。朝廷とつながりの深かった...
●源光庵の参拝記
源光庵の御朱印情報~京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町47~
住 所京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町47宗 派曹洞宗由 緒1346年、大徳寺2世・徹翁義亨の隠居所として創建したお寺です。創建当時は、臨済宗で復古堂と呼ばれていたとのことです。1694年、卍山道白が曹洞宗に...
御朱印
御朱印は拝観受付で頂きました。