所在地 | 福岡県柳川市三橋町高畑323−1 |
---|---|
祭 神 | ・松陰霊神(立花宗茂) ・梅岳霊神(戸次道雪) ・瑞玉霊神(誾千代姫) |
由 緒 | 1783年、柳川藩7代藩主・立花鑑通が柳川城・三の丸にあった長久寺の境内に社を建立し戸次道雪を祀ったのが始まりといいます。1820年、柳川藩初代藩主・立花宗茂と戸次道雪の娘で宗茂の妻・ぎん千代を合祀。その後、1825年に現在地へ移転。2005年、火災により拝殿と廻廊が全焼。しかし本殿は延焼を免れたそうです。その後、拝殿を再建し現在に至ります。 |
HP | 三柱神社 of 成就・復活・縁結びの社(福岡県柳川市) |
鳥居と欄干橋と正参道と狛犬
●三柱神社 説明板
西鉄・柳川駅から徒歩10分。
秋季大祭・おにぎえで有名な三柱神社に到着。
柳川といえば川下り!
この三柱神社は、柳川・川下りの乗下船場の近くに鎮座しているので、柳川観光スポットの1つとして人気の神社になっているようです。
三柱神社の神域は高畑公園という憩いの場になっていて、春は約300本のソメイヨシノが咲き誇る桜の名所としても有名らしいですよ。
また高畑公園は、秋季大祭・おにぎえの会場にもなるらしく、多くの見物客で賑わうんだって。
●境内入口
そんなこんなで参拝開始。
三柱神社に祀られる祭神は戸次道雪・立花宗茂・ぎん千代。
この三柱を祀ることから三柱神社という社名になったといいます。
しかし最初からこの三柱が祀られていたわけではありません。
もともとは、1783年に柳川藩7代藩主・立花鑑通が、柳川城・三の丸にあった長久寺の境内に社を建立し戸次道雪を祀ったのが始まりといいます。
その後、1820年に柳川藩初代藩主・立花宗茂と、戸次道雪の娘で宗茂の妻・ぎん千代を合祀。
そして、1825年に現在地へ移転。
それが現在の三柱神社です。
●欄干橋
●欄干橋
・1982年架橋
そんなこんなで境内へ。
まず最初に登場するのは堀割に架かる欄干橋。
欄干の擬宝珠は1577年鋳造。
柳川藩の鋳物師・平井惣兵衛が鋳造したもののようです。
この擬宝珠は、もともと柳川城の三の丸と二の丸の間に架かっていた橋に付いてたんだって。
柳川城は1872年に焼失しているので、この擬宝珠はめちゃくちゃ貴重な柳川城の遺構となっております。
ちなみに1577年に鋳造された擬宝珠は、橋の四隅ある4つのみ。
残りの擬宝珠は、戦時中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。。。
●鳥居①(銅鳥居)
●鳥居①
・1984年再建
・銅製 明神鳥居
続いて大きな銅製鳥居が登場。
もともとここには1931年再建の銅製鳥居が建っていたそうですが、欄干橋の擬宝珠同様、戦時中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。。。
ちなみに、柳川出身の詩人・北原白秋が、詩集『おもいで』でこの銅鳥居と欄干橋のことを詠っているそうです。
それがこちら。
もうし もうし 柳川ぢや 柳川ぢや
銅の鳥居を見やしやんせ
欄干橋をみやしやんせ
●正参道
●正参道
・国の名勝
そんなこんなで銅鳥居をくぐると約300mも続く長~い参道に突入。
どうやらもともとこの参道は、旧藩時代に馬場として使用されていた模様。
そして現在、この参道では流鏑馬が奉納されてるんだって。
柳川流鏑馬の奉納は、毎年3月に行われる春季大祭(桜まつり)で見られるそうですよ。
ちなみに長~い正参道は桜並木になっていて、国の名勝に指定されてるんだって。
●鳥居②
●鳥居②
・1925年建立
・石製 台輪鳥居
続いて鳥居②が登場。
一見、明神鳥居かなぁと思いましたが、柱とほぼ同じ径の台輪がありましたので、こちらは台輪鳥居となります。
●参道
そんなこんなで鳥居②をくぐり境内奥へ。
まだまだ参道が続きます。
思っていたより境内は広いです。
●鳥居③
●鳥居③
・建立年不明
・木製 神明鳥居
そうこうしてると鳥居③が登場。
ほっそ!
そしてたっか!
笠木なっが!
なんだか虫のような鳥居だなぁ。
●狛犬①②
●狛犬①②
・1826年奉納
・浪速狛犬
そんなこんなで、鳥居③をくぐると浪速型の狛犬ちゃんがお出迎えしてくれました。
丸い目玉とダンゴ鼻。
垂れ耳で、吽形には角が生えていました。
●狛犬③④
●狛犬③④
・1826年奉納(?)
・ブロンズ製
こちらは本殿前の狛犬ちゃんです。
阿形は宝珠型の狛犬ちゃんでした。
久々にお見かけする宝珠型にニヤッとしてしまう。
1826年奉納という噂ですが、こちらの狛犬ちゃんは金属類回収令の餌食にはならなかった模様。
見た目の不気味さからか、供出するのをためらったのかなぁ。
西鉄・柳川駅から徒歩10分。
秋季大祭・おにぎえで有名な三柱神社に到着。
柳川といえば川下り!
この三柱神社は、柳川・川下りの乗下船場の近くに鎮座しているので、柳川観光スポットの1つとして人気の神社になっているようです。
三柱神社の神域は高畑公園という憩いの場になっていて、春は約300本のソメイヨシノが咲き誇る桜の名所としても有名らしいですよ。
また高畑公園は、秋季大祭・おにぎえの会場にもなるらしく、多くの見物客で賑わうんだって。
●境内入口
そんなこんなで参拝開始。
三柱神社に祀られる祭神は戸次道雪・立花宗茂・ぎん千代。
この三柱を祀ることから三柱神社という社名になったといいます。
しかし最初からこの三柱が祀られていたわけではありません。
もともとは、1783年に柳川藩7代藩主・立花鑑通が、柳川城・三の丸にあった長久寺の境内に社を建立し戸次道雪を祀ったのが始まりといいます。
その後、1820年に柳川藩初代藩主・立花宗茂と、戸次道雪の娘で宗茂の妻・ぎん千代を合祀。
そして、1825年に現在地へ移転。
それが現在の三柱神社です。
●欄干橋
●欄干橋
・1982年架橋
そんなこんなで境内へ。
まず最初に登場するのは堀割に架かる欄干橋。
欄干の擬宝珠は1577年鋳造。
柳川藩の鋳物師・平井惣兵衛が鋳造したもののようです。
この擬宝珠は、もともと柳川城の三の丸と二の丸の間に架かっていた橋に付いてたんだって。
柳川城は1872年に焼失しているので、この擬宝珠はめちゃくちゃ貴重な柳川城の遺構となっております。
ちなみに1577年に鋳造された擬宝珠は、橋の四隅ある4つのみ。
残りの擬宝珠は、戦時中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。。。
●鳥居①(銅鳥居)
●鳥居①
・1984年再建
・銅製 明神鳥居
続いて大きな銅製鳥居が登場。
もともとここには1931年再建の銅製鳥居が建っていたそうですが、欄干橋の擬宝珠同様、戦時中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。。。
ちなみに、柳川出身の詩人・北原白秋が、詩集『おもいで』でこの銅鳥居と欄干橋のことを詠っているそうです。
それがこちら。
もうし もうし 柳川ぢや 柳川ぢや
銅の鳥居を見やしやんせ
欄干橋をみやしやんせ
●正参道
●正参道
・国の名勝
そんなこんなで銅鳥居をくぐると約300mも続く長~い参道に突入。
どうやらもともとこの参道は、旧藩時代に馬場として使用されていた模様。
そして現在、この参道では流鏑馬が奉納されてるんだって。
柳川流鏑馬の奉納は、毎年3月に行われる春季大祭(桜まつり)で見られるそうですよ。
ちなみに長~い正参道は桜並木になっていて、国の名勝に指定されてるんだって。
●鳥居②
●鳥居②
・1925年建立
・石製 台輪鳥居
続いて鳥居②が登場。
一見、明神鳥居かなぁと思いましたが、柱とほぼ同じ径の台輪がありましたので、こちらは台輪鳥居となります。
●参道
そんなこんなで鳥居②をくぐり境内奥へ。
まだまだ参道が続きます。
思っていたより境内は広いです。
●鳥居③
●鳥居③
・建立年不明
・木製 神明鳥居
そうこうしてると鳥居③が登場。
ほっそ!
そしてたっか!
笠木なっが!
なんだか虫のような鳥居だなぁ。
●狛犬①②
●狛犬①②
・1826年奉納
・浪速狛犬
そんなこんなで、鳥居③をくぐると浪速型の狛犬ちゃんがお出迎えしてくれました。
丸い目玉とダンゴ鼻。
垂れ耳で、吽形には角が生えていました。
●狛犬③④
●狛犬③④
・1826年奉納(?)
・ブロンズ製
こちらは本殿前の狛犬ちゃんです。
阿形は宝珠型の狛犬ちゃんでした。
久々にお見かけする宝珠型にニヤッとしてしまう。
1826年奉納という噂ですが、こちらの狛犬ちゃんは金属類回収令の餌食にはならなかった模様。
見た目の不気味さからか、供出するのをためらったのかなぁ。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・2008年再建
・銅板葺 入母屋造
もともとここには1825年、すなわち創建当時に建立された拝殿があったそうです。
しかし2005年、心無い者の放火により全焼・・・楼門や廻廊も全焼してしまったという。。。
その後、2008年に再建されたのが現在の拝殿なんだって。
ちなみに焼失前の楼門は日光東照宮の陽明門。
回廊は厳島神社のものを模して建立されていたそうですよ。
拝殿内には祭神の戸次道雪・立花宗茂・ぎん千代の肖像画が掲げられていました。
・左 → ぎん千代
・中 → 戸次道雪
・右 → 立花宗茂
この三柱を祀ることから三柱神社という社名になったそうですよ。
●戸次道雪
ザックリと簡単に戸次道雪とは、豊後の戦国大名・大友氏の重臣です。
立花道雪という名で知られていますが、道雪さんは立花姓を名乗ることを嫌っていたため、生涯にわたり戸次鑑連または戸次道雪を名乗っていたそうです。
ちなみに戸次と書いてべっきと読みます。
病気の父に代わり、若干13歳で初陣を飾る。
全盛期の大内義隆率いる大内軍に勝利。
その後、元服して戸次鑑連と名乗る。
ある日、大木の下で昼寝をしていたら、夕立とともに雷が落ちてきたという!
しかし道雪さんは愛刀の千鳥で稲妻を一刀両断!
それ以降、道雪さんは雷神と呼ばれるようになりました。
しかし落雷により下半身不随に・・・。
その後は輿に乗って生涯37度の戦いで暴れまくり、無類の強さを誇ったことから鬼道雪と呼ばれるようになります。
九州各地で毛利家・島津家・龍造寺家と合戦を繰り返しますが、病により陣中でお亡くなりになりました。
享年70歳。
道雪さんの遺骸は、敵味方関係なく見送られたといわれています。
●立花宗茂
ザックリと簡単に立花宗茂とは、西国一の強者で初代柳川藩主となったお方です。
大友氏の重臣・高橋紹運の長男として生まれますが、戸次道雪(立花道雪)の猛烈な誘いにより、道雪の娘・ぎん千代と結婚して婿養子となります。
そして立花家の家督を継いでいたぎん千代に代わり立花家の当主になりました。
西に立花宗茂ありと称されるほどの戦上手で、生涯無敗の猛将。
豊臣秀吉からは忠義も武勇も九州随一と称されました。
しかし関ヶ原の合戦の際、西軍として参戦したため領地を没収・・・。
その後、浪人として京都で過ごしますが、徳川幕府2代将軍・秀忠のときに大名に復帰。
そして再び柳川藩を与えられました。
そんなこんなで立花宗茂は、旧領に復帰を果たした唯一の大名として有名なお方でもあります。
●ぎん千代
ザックリと簡単にぎん千代とは、戸次道雪(立花道雪)の娘で、柳川藩初代藩主・立花宗茂の妻です。
●本殿
●本殿
・1826年建立
・銅板葺 流造
こちらの本殿は創建当初から残る建造物のようです。
そんなこんなで、2005年の火災から免れた貴重な遺構となっております。
本殿の周りには足場が組まれ、屋根はトタンで覆われ・・・。
どうやらこれから修復工事が行われるみたいです。
●主祭神
・松陰霊神(初代柳川藩主・立花宗茂)
・梅岳霊神(戸次道雪)
・瑞玉霊神(ぎん千代)
●配祀神
・立花鑑通(柳川藩7代藩主)
・立花鑑壽(柳川藩8代藩主)
・立花鑑賢(柳川藩9代藩主)
・青柳(道雪の室 西姫)
・高橋鎮種(高橋紹運)
●合祀
・八十臣神社(立花宗茂の重臣を祀る)
●拝殿
・2008年再建
・銅板葺 入母屋造
もともとここには1825年、すなわち創建当時に建立された拝殿があったそうです。
しかし2005年、心無い者の放火により全焼・・・楼門や廻廊も全焼してしまったという。。。
その後、2008年に再建されたのが現在の拝殿なんだって。
ちなみに焼失前の楼門は日光東照宮の陽明門。
回廊は厳島神社のものを模して建立されていたそうですよ。
拝殿内には祭神の戸次道雪・立花宗茂・ぎん千代の肖像画が掲げられていました。
・左 → ぎん千代
・中 → 戸次道雪
・右 → 立花宗茂
この三柱を祀ることから三柱神社という社名になったそうですよ。
●戸次道雪
ザックリと簡単に戸次道雪とは、豊後の戦国大名・大友氏の重臣です。
立花道雪という名で知られていますが、道雪さんは立花姓を名乗ることを嫌っていたため、生涯にわたり戸次鑑連または戸次道雪を名乗っていたそうです。
ちなみに戸次と書いてべっきと読みます。
病気の父に代わり、若干13歳で初陣を飾る。
全盛期の大内義隆率いる大内軍に勝利。
その後、元服して戸次鑑連と名乗る。
ある日、大木の下で昼寝をしていたら、夕立とともに雷が落ちてきたという!
しかし道雪さんは愛刀の千鳥で稲妻を一刀両断!
それ以降、道雪さんは雷神と呼ばれるようになりました。
しかし落雷により下半身不随に・・・。
その後は輿に乗って生涯37度の戦いで暴れまくり、無類の強さを誇ったことから鬼道雪と呼ばれるようになります。
九州各地で毛利家・島津家・龍造寺家と合戦を繰り返しますが、病により陣中でお亡くなりになりました。
享年70歳。
道雪さんの遺骸は、敵味方関係なく見送られたといわれています。
●立花宗茂
ザックリと簡単に立花宗茂とは、西国一の強者で初代柳川藩主となったお方です。
大友氏の重臣・高橋紹運の長男として生まれますが、戸次道雪(立花道雪)の猛烈な誘いにより、道雪の娘・ぎん千代と結婚して婿養子となります。
そして立花家の家督を継いでいたぎん千代に代わり立花家の当主になりました。
西に立花宗茂ありと称されるほどの戦上手で、生涯無敗の猛将。
豊臣秀吉からは忠義も武勇も九州随一と称されました。
しかし関ヶ原の合戦の際、西軍として参戦したため領地を没収・・・。
その後、浪人として京都で過ごしますが、徳川幕府2代将軍・秀忠のときに大名に復帰。
そして再び柳川藩を与えられました。
そんなこんなで立花宗茂は、旧領に復帰を果たした唯一の大名として有名なお方でもあります。
●ぎん千代
ザックリと簡単にぎん千代とは、戸次道雪(立花道雪)の娘で、柳川藩初代藩主・立花宗茂の妻です。
●本殿
●本殿
・1826年建立
・銅板葺 流造
こちらの本殿は創建当初から残る建造物のようです。
そんなこんなで、2005年の火災から免れた貴重な遺構となっております。
本殿の周りには足場が組まれ、屋根はトタンで覆われ・・・。
どうやらこれから修復工事が行われるみたいです。
●主祭神
・松陰霊神(初代柳川藩主・立花宗茂)
・梅岳霊神(戸次道雪)
・瑞玉霊神(ぎん千代)
●配祀神
・立花鑑通(柳川藩7代藩主)
・立花鑑壽(柳川藩8代藩主)
・立花鑑賢(柳川藩9代藩主)
・青柳(道雪の室 西姫)
・高橋鎮種(高橋紹運)
●合祀
・八十臣神社(立花宗茂の重臣を祀る)
境内社
●太郎稲荷神社 天満神社
●太郎稲荷神社 天満神社
・倉稲魂命・大国主命・菅原道真を祀る
・御利益・・・商売繁盛・開運厄除・心願成就の神様
●水天宮 戸隠神社 加藤神社
●水天宮 戸隠神社 加藤神社
・安徳天皇・天手力男尊・加藤清正を祀る
・御利益・・・手・足・腰の神様
●道了神社
●道了神社
・道臣命を祀る
・御利益・・・熱の神様・熱病(病気平癒)の神様
●八十臣神社
八十臣神社は荒れ放題・・・本殿の合祀に八十臣神社の名がありましたので、もしかしたらもうここには神様はいないのかもしれません。
●柳川護国神社
その他、参道脇には柳川市・山門郡・三池郡出身の戦没者4319柱を祀る柳川護国神社がありました。
もしかしたら、こちらは三柱神社の境内社ではないかも知れません。
●太郎稲荷神社 天満神社
・倉稲魂命・大国主命・菅原道真を祀る
・御利益・・・商売繁盛・開運厄除・心願成就の神様
●水天宮 戸隠神社 加藤神社
●水天宮 戸隠神社 加藤神社
・安徳天皇・天手力男尊・加藤清正を祀る
・御利益・・・手・足・腰の神様
●道了神社
●道了神社
・道臣命を祀る
・御利益・・・熱の神様・熱病(病気平癒)の神様
●八十臣神社
八十臣神社は荒れ放題・・・本殿の合祀に八十臣神社の名がありましたので、もしかしたらもうここには神様はいないのかもしれません。
●柳川護国神社
その他、参道脇には柳川市・山門郡・三池郡出身の戦没者4319柱を祀る柳川護国神社がありました。
もしかしたら、こちらは三柱神社の境内社ではないかも知れません。
その他の見どころ
●心字池
境内には大きな池がありました。
どうやらこの池は心字池になっているみたいです。
●おにぎえ
~画像は説明板より~
秋季大祭のおにぎえは柳川地域最大級の祭りで、県指定無形民俗文化財のどろつくどんや踊り山車などで夜遅くまで賑わう祭りなんだって。
●おにぎえの由来
1825年の遷宮式の際、外町(現・保加町)の人たちが江戸・神田明神の葛西囃子と京都の祇園山鉾を参考にして奉納したのが始まりらしいですよ。
大賑わい → おおにぎわい → おにぎわい → おにぎえ
みたいな感じで、大賑わいが転じておにぎえという名前になったんだって。
ちなみにどろつくどんは、お囃子の音からきてるそうです。
開催日は、毎年10月第2日曜を挟んだ3日間。
いつか機会があれば参加してみたいです。
●オリジナル絵馬
オリジナル絵馬には立花宗茂所用の大輪貫鳥毛頭形兜がデザインされていました。
境内には大きな池がありました。
どうやらこの池は心字池になっているみたいです。
●おにぎえ
~画像は説明板より~
秋季大祭のおにぎえは柳川地域最大級の祭りで、県指定無形民俗文化財のどろつくどんや踊り山車などで夜遅くまで賑わう祭りなんだって。
●おにぎえの由来
1825年の遷宮式の際、外町(現・保加町)の人たちが江戸・神田明神の葛西囃子と京都の祇園山鉾を参考にして奉納したのが始まりらしいですよ。
大賑わい → おおにぎわい → おにぎわい → おにぎえ
みたいな感じで、大賑わいが転じておにぎえという名前になったんだって。
ちなみにどろつくどんは、お囃子の音からきてるそうです。
開催日は、毎年10月第2日曜を挟んだ3日間。
いつか機会があれば参加してみたいです。
●オリジナル絵馬
オリジナル絵馬には立花宗茂所用の大輪貫鳥毛頭形兜がデザインされていました。
柳川 川下り
●柳川 川下り
柳川といえば川下り。
ということで、川下りを体験してきました。
ご覧の通り、柳川市は巨大迷路のごとくお堀が張り巡らされている世界有数の水路の町です。
これらの水路は、江戸時代に造られた柳川城の堀割で、堀の総延長はなんと約470km!
そんなこんなで、そのうちの約5キロのコースを1時間かけてのんびり~と川下りしてきました。
竹竿一本で操るどんこ舟に乗り、びっくりするほどのんびりゆったりと巡ります。
朝一の乗船だったため、水路を独占。
日本情緒のど真ん中をのんびりスイスイと川下り。
それにしても竹竿1本で操縦する船頭さんのテクニックに感動でした。
しかも船頭さんは1時間ずーっと喋りっ放し。
時には歌も歌っちゃいます。
すげー体力だなぁ!
正直、ちょっと黙っといて欲しいなぁと思う時間帯もありましたが(笑)
でもまぁ、仕事だからしょうがないよなぁ、とか思いつつ^^
この5kmのコースには橋が11ヶ所あり、船幅ギリギリの低い橋を何度もくぐります。
ほんと船幅ギリギリなのに、1度もぶつけることなく余裕の竿さばきで進んでいくんですよ!
水深は1mほどなので落ちても大丈夫です(多分)
船頭さんいわく、年に何人かの人が川に落ちるんだって!
こんな低い橋もスイスイとくぐっちゃいます。
浮かれて油断した日にゃ頭ごともっていかれちゃいます。
ある意味、命がけのスリルです。
途中、ドライブスルー的な店があったりします。
舟の上からジュースやお酒やアイスなどを買うことができるという。
これは面白いですね~。
せっかくなのでかき氷を購入しました。
実のところ日差しの暴力がハンパなくて・・・笠がなかったら間違いなく焼け死んでましたよ。
ということで、真夏の川下りは暑さ対策を忘れずに(余計なお世話ってか)
こちらは松岡修造さんの母校らしいです。
このテニスコートで練習してたのか~。
あと写真を撮り忘れましたが、内山田洋とクール・ファイブの内山田洋さんの母校もありました。
こちらは柳川藩の家老・小野家の屋敷跡です。
船頭さんいわくオノ・ヨーコさんは柳川藩 家老・小野家の子孫らしいですよ。
ちなみに柳川城を築いた蒲池氏は松田聖子(蒲池法子)さんの先祖です。
いやはや~、素敵な時間でした。
●柳川城跡
下船後、柳川城跡にも行ってきました。
ちなみに城跡には高校と中学校が建っていました。
本当はいろいろと写真を撮りたかったんだけど、女子高生が部活をしていたので安易にカメラを向けられない(笑)
柳川といえば川下り。
ということで、川下りを体験してきました。
ご覧の通り、柳川市は巨大迷路のごとくお堀が張り巡らされている世界有数の水路の町です。
これらの水路は、江戸時代に造られた柳川城の堀割で、堀の総延長はなんと約470km!
そんなこんなで、そのうちの約5キロのコースを1時間かけてのんびり~と川下りしてきました。
竹竿一本で操るどんこ舟に乗り、びっくりするほどのんびりゆったりと巡ります。
朝一の乗船だったため、水路を独占。
日本情緒のど真ん中をのんびりスイスイと川下り。
それにしても竹竿1本で操縦する船頭さんのテクニックに感動でした。
しかも船頭さんは1時間ずーっと喋りっ放し。
時には歌も歌っちゃいます。
すげー体力だなぁ!
正直、ちょっと黙っといて欲しいなぁと思う時間帯もありましたが(笑)
でもまぁ、仕事だからしょうがないよなぁ、とか思いつつ^^
この5kmのコースには橋が11ヶ所あり、船幅ギリギリの低い橋を何度もくぐります。
ほんと船幅ギリギリなのに、1度もぶつけることなく余裕の竿さばきで進んでいくんですよ!
水深は1mほどなので落ちても大丈夫です(多分)
船頭さんいわく、年に何人かの人が川に落ちるんだって!
こんな低い橋もスイスイとくぐっちゃいます。
浮かれて油断した日にゃ頭ごともっていかれちゃいます。
ある意味、命がけのスリルです。
途中、ドライブスルー的な店があったりします。
舟の上からジュースやお酒やアイスなどを買うことができるという。
これは面白いですね~。
せっかくなのでかき氷を購入しました。
実のところ日差しの暴力がハンパなくて・・・笠がなかったら間違いなく焼け死んでましたよ。
ということで、真夏の川下りは暑さ対策を忘れずに(余計なお世話ってか)
こちらは松岡修造さんの母校らしいです。
このテニスコートで練習してたのか~。
あと写真を撮り忘れましたが、内山田洋とクール・ファイブの内山田洋さんの母校もありました。
こちらは柳川藩の家老・小野家の屋敷跡です。
船頭さんいわくオノ・ヨーコさんは柳川藩 家老・小野家の子孫らしいですよ。
ちなみに柳川城を築いた蒲池氏は松田聖子(蒲池法子)さんの先祖です。
いやはや~、素敵な時間でした。
●柳川城跡
下船後、柳川城跡にも行ってきました。
ちなみに城跡には高校と中学校が建っていました。
本当はいろいろと写真を撮りたかったんだけど、女子高生が部活をしていたので安易にカメラを向けられない(笑)
北原白秋 生家
●北原白秋 生家
●北原白秋 生家
・明治時代初期建立
せっかくなので北原白秋さんの生家にも行ってきました。
北原白秋さんのパワーを感じながらポエムでも書いてみるか!
・・・
・・・・・
ペン先に天使が降臨するのをじっと待つ・・・
・・・
・・・・・
こんっ
・・・
・・・・・
・・・何も思い浮かばない
・・・
・・・・・
・・・。
●北原白秋 生家
・明治時代初期建立
せっかくなので北原白秋さんの生家にも行ってきました。
北原白秋さんのパワーを感じながらポエムでも書いてみるか!
・・・
・・・・・
ペン先に天使が降臨するのをじっと待つ・・・
・・・
・・・・・
こんっ
・・・
・・・・・
・・・何も思い浮かばない
・・・
・・・・・
・・・。
御朱印情報
●御朱印の種類
・三柱神社の御朱印
・太郎稲荷神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・授与所
●御朱印の受付時間
・9:00~17:00
●御朱印の料金
・各500円
●期間限定・特別御朱印
・秋季大祭おにぎえの御朱印
●オリジナル御朱印帳
・サイズ 16cm × 11cm
・初穂料 1500円
●期間限定オリジナル御朱印帳
・おにぎえ限定御朱印帳
・初穂料 2000円
・2021年3月 更新
・三柱神社の御朱印
・太郎稲荷神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・授与所
●御朱印の受付時間
・9:00~17:00
●御朱印の料金
・各500円
●期間限定・特別御朱印
・秋季大祭おにぎえの御朱印
●オリジナル御朱印帳
・サイズ 16cm × 11cm
・初穂料 1500円
●期間限定オリジナル御朱印帳
・おにぎえ限定御朱印帳
・初穂料 2000円
・2013年9月21日 参拝おにぎえ限定#限定 #御朱印 #限定朱印 #おにぎえ pic.twitter.com/TmFTegSw3m
— 三柱神社 (@mihashirajinja_) October 8, 2020
・2021年3月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●定休日
・無休
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・西鉄・柳川駅から徒歩10分
●最寄りのIC
・九州自動車道
みやま柳川ICから車で25分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約10台)
・境内自由
●定休日
・無休
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・西鉄・柳川駅から徒歩10分
●最寄りのIC
・九州自動車道
みやま柳川ICから車で25分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約10台)