所在地 | 山口県山口市上宇野令828−1 |
---|---|
祭 神 | ・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后 ・玉依姫命・宇治皇子 |
由 緒 | 創建年は不詳。しかし1278~1287年、大内氏4代当主・大内弘成の娘に『今八幡殿』という名が見えることから、これ以前には存在していた神社といわれています。1471年、大内氏14代当主・大内政弘が朝倉八幡宮を現在地に移して合祀。1503年に大内氏15代当主・大内義興が現・社殿を建立。そんなこんなで、室町時代を通して大内氏の歴代当主が篤く信仰した神社といわれています。大内氏が滅亡した後も、毛利氏が神領を寄進するなどして篤く保護したそうです。また、江戸時代末期に八幡隊が結成されたことでも知られる神社です。 |
HP | 山口総鎮守 今八幡宮|山口県山口市八幡馬場 |
境内入口
●境内入口
山口総鎮守であります今八幡宮に到着。
今八幡宮と書いていまはちまんぐうと読みます。
この神社は、西の京・山口で栄華を極めた大内氏の本拠・大内氏館跡(龍福寺)の近くに鎮座しています。
どうやら、このエリアは大内氏館の鬼門にあたる地のようです。
そんなこんなで、大内氏館の鬼門除けの守護として、大内氏の歴代当主が篤く信仰していた神社なんだって。
ちなみに大内氏館跡の近くは、今八幡宮以外にも豊栄・野田神社や築山神社や八坂神社などがある、ちょっとした神仏の集合エリアとなっておりました。
そんなこんなで、参拝開始。
山口総鎮守であります今八幡宮に到着。
今八幡宮と書いていまはちまんぐうと読みます。
この神社は、西の京・山口で栄華を極めた大内氏の本拠・大内氏館跡(龍福寺)の近くに鎮座しています。
どうやら、このエリアは大内氏館の鬼門にあたる地のようです。
そんなこんなで、大内氏館の鬼門除けの守護として、大内氏の歴代当主が篤く信仰していた神社なんだって。
ちなみに大内氏館跡の近くは、今八幡宮以外にも豊栄・野田神社や築山神社や八坂神社などがある、ちょっとした神仏の集合エリアとなっておりました。
そんなこんなで、参拝開始。
鳥居と狛犬
●鳥居①
●鳥居①
・1932年建立
・明神鳥居
まず最初に登場するのは鳥居①。
それにしても今八幡宮とはなかなかシンプルな社名ですね。
ちなみに、今八幡宮の今という字には新しいという意味があるそうです。
ということで、ナウ八幡宮ではなくニュー八幡宮ということなんですね。
過去に、今熊野観音寺や今伊勢宮など今が付く寺社を参拝しましたが、もしかしたらこれらもニューという意味があるのかもですね。
今 = 新という法則でいくと、新加勢大周は今加勢大周でもOKということですね・・・って、どうでもいい話でスミマセン!
●狛犬①②
●狛犬①②
・1933年奉納
鳥居①の前には狛犬ちゃんがおられました。
そんなこんなで、狛犬ちゃんにご挨拶。
●鳥居②
●鳥居②
・江戸時代前期建立
・明神鳥居
・毛利秀就 寄進
続いて、鳥居②が登場。
ネットの情報によるとこの鳥居は長州藩初代藩主・毛利秀就さんが寄進したものなんだって。
この神社は室町時代を通して大内氏の歴代当主が篤く信仰していたそうですが、大内氏が滅亡したあとは、大内氏に代わって領主となった毛利氏が篤く保護していたといいます。
江戸時代には、社殿などの修繕費用は長州藩が負担。
さらに毛利一門の病気平癒祈願、例祭では毛利家から代参があるなど、この神社に対する毛利氏の崇敬の篤さがうかがえますねぇ。
面白いなぁ〜と思ったのは、鳥居の柱が円柱ではなく丸みをおびた角柱というところ!
角柱の鳥居は住吉鳥居などで見られる特徴ですが、こちらの鳥居は円柱を造る技術がなかったためにこうなったのだとか(ネット情報)
うぅ〜ん、それにしても藩主が寄進したのに、未熟な石工さんに鳥居を造らせるとは・・・ちょっと考えづらいですねぇ。
もしかしたら、もっと違う理由があるのかも知れませんね!
●狛犬③④
●狛犬③④
・1968年奉納
続いて、社殿前の狛犬ちゃんにご挨拶。
●鳥居①
・1932年建立
・明神鳥居
まず最初に登場するのは鳥居①。
それにしても今八幡宮とはなかなかシンプルな社名ですね。
ちなみに、今八幡宮の今という字には新しいという意味があるそうです。
ということで、ナウ八幡宮ではなくニュー八幡宮ということなんですね。
過去に、今熊野観音寺や今伊勢宮など今が付く寺社を参拝しましたが、もしかしたらこれらもニューという意味があるのかもですね。
今 = 新という法則でいくと、新加勢大周は今加勢大周でもOKということですね・・・って、どうでもいい話でスミマセン!
●狛犬①②
●狛犬①②
・1933年奉納
鳥居①の前には狛犬ちゃんがおられました。
そんなこんなで、狛犬ちゃんにご挨拶。
●鳥居②
●鳥居②
・江戸時代前期建立
・明神鳥居
・毛利秀就 寄進
続いて、鳥居②が登場。
ネットの情報によるとこの鳥居は長州藩初代藩主・毛利秀就さんが寄進したものなんだって。
この神社は室町時代を通して大内氏の歴代当主が篤く信仰していたそうですが、大内氏が滅亡したあとは、大内氏に代わって領主となった毛利氏が篤く保護していたといいます。
江戸時代には、社殿などの修繕費用は長州藩が負担。
さらに毛利一門の病気平癒祈願、例祭では毛利家から代参があるなど、この神社に対する毛利氏の崇敬の篤さがうかがえますねぇ。
面白いなぁ〜と思ったのは、鳥居の柱が円柱ではなく丸みをおびた角柱というところ!
角柱の鳥居は住吉鳥居などで見られる特徴ですが、こちらの鳥居は円柱を造る技術がなかったためにこうなったのだとか(ネット情報)
うぅ〜ん、それにしても藩主が寄進したのに、未熟な石工さんに鳥居を造らせるとは・・・ちょっと考えづらいですねぇ。
もしかしたら、もっと違う理由があるのかも知れませんね!
●狛犬③④
●狛犬③④
・1968年奉納
続いて、社殿前の狛犬ちゃんにご挨拶。
拝殿と本殿
●拝殿●拝殿
・1503年建立
・柿葺 入母屋造
・桁行 14.09m
・梁間 3.91m
・国指定重要文化財
続いて、拝殿で参拝。
拝殿は宇佐神宮や石清水八幡宮などで見られる楼門造・・・と思ったら、なんとこちらは楼拝殿造だという!
ろろろ楼拝殿造!?
聞いたことないなぁ・・・と思ったら、なんと楼拝殿造は山口地方独特の形式で造られた社殿なんだって!
・・・って、楼門造とどこが違うの!?
そんなこんなで、社殿内をよく見てみると床が・・・そういうことか!
宇佐神宮や石清水八幡宮などで見られる楼門造はその名の通り楼門なので出入口という意味をもっています。
しかし、今八幡宮の楼拝殿造は楼門ではなく楼閣。
床が張られているため昇殿してお詣りをする建物なのだ。
つまり楼閣 + 拝殿なのです!
拝殿の両サイドには翼廊があるのも特徴的で、翼廊にも床が張られていました。
確かにこのような造りの拝殿は見たことがないです!
いやはや、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。
ちなみに本日は古熊神社と八坂神社で楼拝殿造を拝見することができました。
拝殿内には鳩文字の扁額がありました。
鳩文字の扁額は石清水八幡宮や鶴岡八幡宮などで人気のアイテムですが、両社の鳩はそっぽを向いてるのに、今八幡宮の鳩は見つめ合っているという。
なんとなくラブラブ要素が強めで官能的だね・・・って思うのは私だけ?
ちなみに鳥居の鳩文字はそっぽを向いていました・・・(-“-;) ??
あと、面白いなぁ〜と思ったのが、楼上の連子窓に輪宝があるところ!
禅宗様の特徴である礎盤もありましたし!
なぜか仏教の要素が取り入れられてるという珍しい社でした。
●本殿
●本殿
・1503年建立
・柿葺 三間社流造
・国指定重要文化財
拝殿と幣殿と本殿は一直線に並んでいました。
拝殿に翼廊が付いているため、真上から見るとT字型になっているのが特徴です。
それにしても古ぼけ具合が抜群に素敵な社でした!
そんなこんなで、古建築萌えをしていたひと時。
●御祭神
・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
・玉依姫命・宇治皇子
御祭神は八幡系の神社でお馴染みの応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。
そして神武天皇の母であります玉依姫命。
そして宇治皇子!?
恥ずかしながら、宇治皇子は初耳です!
そんなこんなで調べてみると、宇治皇子は菟道稚郎子のことなんだって。
どうやらこの神社では菟道稚郎子のことを宇治皇子と呼んでいるみたいですね。
ちなみに菟道稚郎子は、応神天皇の皇子である仁徳天皇の異母弟です。
実は仁徳天皇と菟道稚郎子の間にはちょっと笑えないエピソードがあったりします。
●菟道稚郎子とは?
ザックリと簡単に、菟道稚郎子とは応神天皇の息子です。
そして仁徳天皇の異母弟になります。
菟道稚郎子と書いてウジノワキイラツコと読みます。
菟道稚郎子は、応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられますが、異母兄の大鷦鷯尊(仁徳天皇)に皇位を譲るために自殺したといわれています・・・(ノД`;)
ザックリと簡単に、菟道稚郎子とは応神天皇の息子です。
そして仁徳天皇の異母弟になります。
菟道稚郎子と書いてウジノワキイラツコと読みます。
菟道稚郎子は、応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられますが、異母兄の大鷦鷯尊(仁徳天皇)に皇位を譲るために自殺したといわれています・・・(ノД`;)
社務所と八幡隊屯所跡
●社務所
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために社務所へ。
社務所は境内を出て数十メートルほど離れたところにありました。
なんと!
この社務所は長州藩諸隊の1つ・八幡隊が結成された場所だという!
ということは、松下村塾の四天王・久坂玄瑞さんと入江九一さんを始め、松下村塾の塾生で知られる寺島忠三郎さんや有吉熊次郎さんなどなど、維新の志士たちがこの門をくぐったということなのかっ!
いやはや、鳥肌もんですねぇ。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために社務所へ。
社務所は境内を出て数十メートルほど離れたところにありました。
なんと!
この社務所は長州藩諸隊の1つ・八幡隊が結成された場所だという!
ということは、松下村塾の四天王・久坂玄瑞さんと入江九一さんを始め、松下村塾の塾生で知られる寺島忠三郎さんや有吉熊次郎さんなどなど、維新の志士たちがこの門をくぐったということなのかっ!
いやはや、鳥肌もんですねぇ。
●長州藩諸隊とは?
長州藩諸隊とは、幕末期に長州藩で編成された、藩士以外の様々な身分の者からなる部隊の総称です。
長州藩諸隊の有名どころでいえば、奇兵隊・遊撃隊・報国隊・力士隊などがあります。
長州藩諸隊とは、幕末期に長州藩で編成された、藩士以外の様々な身分の者からなる部隊の総称です。
長州藩諸隊の有名どころでいえば、奇兵隊・遊撃隊・報国隊・力士隊などがあります。
●八幡隊と今八幡宮の社務所
江戸時代末期、今八幡宮の大宮司は、社務所を長州藩士に開放して山口における討幕活動の一大拠点にしたそうです。
今八幡宮の大宮司は、三条実美を始め、七卿落ちで京から落ち延びた七卿に援助を行い、尊攘派を陰から支えていたという。
そんなこんなで、社務所に集まった長州藩士は日夜問わず大広間で活発な議論を交わしていたそうです。
やがて社務所には100名以上が集まるようになったため、この地で八幡隊が結成されたんだと!
当初、八幡隊の総督には久坂玄瑞さんが推されましたが、久坂玄瑞さんは自由な身の振りを求めて辞退。
その代わりとして堀真五郎さんが総督になったそうです。
ちなみに堀真五郎さんは、松下村塾に出入りしていた際、久坂玄瑞さんや高杉晋作さんと交友を深めていたそうです。
吉田松陰先生が処刑された後、高杉晋作さんは遺体の改葬を行いますが、そのときに堀真五郎さんも同行していたみたいです。
久坂玄瑞さんはこの社務所で、八月十八日の政変で京を追われたことによる報復を主とした上洛案を積極的に説いたといわれています。
それが後に禁門の変に繋がり、そして四境戦争(第二次長州征伐)へ。
あまり世に知られていない八幡隊ですが、実は討幕につながる大きな戦果を挙げていた部隊なのでありました。
ちなみに八幡隊は、兵制改革で集義隊と合併し鋭武隊と改称して戊辰戦争に出陣しています。
江戸時代末期、今八幡宮の大宮司は、社務所を長州藩士に開放して山口における討幕活動の一大拠点にしたそうです。
今八幡宮の大宮司は、三条実美を始め、七卿落ちで京から落ち延びた七卿に援助を行い、尊攘派を陰から支えていたという。
そんなこんなで、社務所に集まった長州藩士は日夜問わず大広間で活発な議論を交わしていたそうです。
やがて社務所には100名以上が集まるようになったため、この地で八幡隊が結成されたんだと!
当初、八幡隊の総督には久坂玄瑞さんが推されましたが、久坂玄瑞さんは自由な身の振りを求めて辞退。
その代わりとして堀真五郎さんが総督になったそうです。
ちなみに堀真五郎さんは、松下村塾に出入りしていた際、久坂玄瑞さんや高杉晋作さんと交友を深めていたそうです。
吉田松陰先生が処刑された後、高杉晋作さんは遺体の改葬を行いますが、そのときに堀真五郎さんも同行していたみたいです。
久坂玄瑞さんはこの社務所で、八月十八日の政変で京を追われたことによる報復を主とした上洛案を積極的に説いたといわれています。
それが後に禁門の変に繋がり、そして四境戦争(第二次長州征伐)へ。
あまり世に知られていない八幡隊ですが、実は討幕につながる大きな戦果を挙げていた部隊なのでありました。
ちなみに八幡隊は、兵制改革で集義隊と合併し鋭武隊と改称して戊辰戦争に出陣しています。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
御朱印情報
●御朱印情報
●御朱印の種類
・今八幡宮の御朱印
・八坂神社の御朱印
・築山神社の御朱印
・木戸神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
※社務所は境内入口から数十メートルほど離れたところにあります。
●御朱印の受付時間
・9:00~17:00
●御朱印の料金
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年3月21日 参拝
・2015年9月5日 再訪
・2022年7月 更新
●御朱印の種類
・今八幡宮の御朱印
・八坂神社の御朱印
・築山神社の御朱印
・木戸神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
※社務所は境内入口から数十メートルほど離れたところにあります。
●御朱印の受付時間
・9:00~17:00
●御朱印の料金
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年3月21日 参拝
・2015年9月5日 再訪
・2022年7月 更新
湯田温泉・足湯6ヶ所巡礼(山口県山口市)
湯田温泉とは?●JR湯田温泉駅第38回 青春18切符の旅。そんなこんなで、JR湯田温泉駅に到着!湯田温泉は山口市街地に位置する山陽地方屈指の一大温泉地です。室町時代から続く温泉で、開湯約600...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR上山口駅から徒歩10分
・JR上山口駅から車で2分
●最寄りのバス停
・山口市コミュニティバス(大内ルート)
野田 バス停から徒歩3分
・山口市コミュニティバス(大内ルート)
八坂神社前 バス停から徒歩6分
※山口市コミュニティバス(大内ルート)の路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・中国自動車道
山口ICから車で15分
・中国自動車道
小郡ICから車で15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(10台)
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR上山口駅から徒歩10分
・JR上山口駅から車で2分
●最寄りのバス停
・山口市コミュニティバス(大内ルート)
野田 バス停から徒歩3分
・山口市コミュニティバス(大内ルート)
八坂神社前 バス停から徒歩6分
※山口市コミュニティバス(大内ルート)の路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・中国自動車道
山口ICから車で15分
・中国自動車道
小郡ICから車で15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(10台)