所在地 | 広島県尾道市長江1丁目4−3 |
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宗 派 | 日蓮宗 |
由 緒 | 1354年に大覚大僧正が開基したお寺といわれています。1615〜1623年、寺運が衰えますが、1708年に本堂を再興。その後、1782年に現在の本堂を再建。1867年、芸州藩がこのお寺を本陣として尾道を鎮めた後、東の福山藩に備えたという記録が残っているそうです。そんなこんなで、このお寺は尾道地方において数少ない幕末維新の史蹟となっております。 |
境内入口と石柱と参道
尾道市街地の線路沿いにはたくさんのお寺が点在しています。
そして線路沿いには各寺の道標が立っているので、ついつい立ち寄りたくなっちゃう!
●境内入口
そんなこんなで、千光寺山ロープウェイ 山麓駅の近くに位置する妙宣寺に到着。
このお寺の正式名称は本覚山 妙宣寺。
本覚山 妙宣寺と書いてほんかくざん みょうせんじと読みます。
●石柱①
●石柱①
・1924年建立
石柱①には御成婚記念と刻まれていました。
1924年といえば皇太子時代の昭和天皇と香淳皇后が結婚した年です。
おそらくこの寺号標は皇太子殿下と妃殿下の結婚を記念して建立されたものでしょう(多分)
●参道
それにしても、細くて長〜い参道が印象的なお寺さんでした。
参道の筋塀には5本の線が入っています。
筋塀には3本・4本・5本の線がありますが、5本線は1番格式の高い最高ランクのお寺を意味しています。
ちなみに尾道のお寺では浄泉寺の筋塀にも5本線がありました。
●石柱②
●石柱②
・1920年建立
参道途中の石柱②には皇紀二千五百八十年と刻まれていました。
ということで、こちらは1920年の建立となります。
●寺号標
●寺号標
・1943年建立
ちなみに寺号標は1943年の建立でした。
山門と題目塔と庫裏と手水鉢
●山門
●山門(鐘楼門)
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・一間一戸 竜宮門
そんなこんなで、山門に到着。
山門は竜宮門になっていました。
竜宮門・・・いや、待て。
柱が剥き出しになってるぞ!
そんなこんなで、一間一戸の楼門に竜宮門風のカバーを付けたような、なんちゃって竜宮門になっていました。
このタイプの竜宮門は天寧寺や宝土寺にもありました。
ということで、勝手に尾道型竜宮門と命名。
それにしても、尾道にはこのような竜宮タイプの建物が多いような気がします。
例えば、千光寺の鐘楼。
これもどことなく竜宮造。
こちらは千光寺の毘沙門堂。
竜宮タイプのお堂って初めて拝見しましたよ!
カラーリングもちょっと奇抜。
尾道にはモダンでハイカラな門やお堂が多いなぁ。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
●題目塔
●題目塔
・1845年
・尾道石工 嘉十郎作
山門をくぐると大きな題目塔がありました。
南無妙法蓮華経。
そうです、このお寺の宗派は日蓮宗です。
備前法華の祖と仰がれている大覚大僧正が創建したお寺といわれています。
この妙宣寺は1354年の創建。
ということで、大僧正に任じられる4年前に創建されたお寺なんですね。
●庫裏
●庫裏
・建立年不明
・瓦葺 妻入り切妻造
それにしても寺紋のアピールが凄い!
実は15年ぶりの参拝なのですが、左側の紋が新しくなっていました。
●手水鉢
●手水鉢
・1841年奉納
・尾道石工 嘉十郎作
手水鉢には天保十二歳辛丑十二月と刻まれていました。
ということで、こちらは1841年に奉納された手水鉢となります。
作者は尾道石工の嘉十郎さん。
嘉十郎さんは先ほどの題目塔を建立したお方です。
その他、尾道で嘉十郎さんの作品は、御袖天満宮の鳥居、浄土寺の石灯籠、艮神社の手水鉢、亀山八幡宮の百度石などがあります。
●山門(鐘楼門)
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・一間一戸 竜宮門
そんなこんなで、山門に到着。
山門は竜宮門になっていました。
竜宮門・・・いや、待て。
柱が剥き出しになってるぞ!
そんなこんなで、一間一戸の楼門に竜宮門風のカバーを付けたような、なんちゃって竜宮門になっていました。
このタイプの竜宮門は天寧寺や宝土寺にもありました。
ということで、勝手に尾道型竜宮門と命名。
それにしても、尾道にはこのような竜宮タイプの建物が多いような気がします。
例えば、千光寺の鐘楼。
これもどことなく竜宮造。
こちらは千光寺の毘沙門堂。
竜宮タイプのお堂って初めて拝見しましたよ!
カラーリングもちょっと奇抜。
尾道にはモダンでハイカラな門やお堂が多いなぁ。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
●題目塔
●題目塔
・1845年
・尾道石工 嘉十郎作
山門をくぐると大きな題目塔がありました。
南無妙法蓮華経。
そうです、このお寺の宗派は日蓮宗です。
備前法華の祖と仰がれている大覚大僧正が創建したお寺といわれています。
●大覚大僧正とは?
大覚大僧正は近衛経忠の子、または後醍醐天皇の皇子といわれ、初めは真言宗の僧だったそうです。
1313年、京都で布教中の日像の説法に共感し、弟子になることに。
1358年、後光厳天皇の命により雨乞いの祈祷を行い、その功績により、日蓮に大菩薩の号、日朗に菩薩の号、日像に菩薩の号を授け、大覚は大僧正に任じられたそうです。
その後、大覚は真言宗の福輪寺・良遊と法論して論破し、その寺を改宗させることに。
これを聞いた松田元喬は、大覚と領内の真言宗の僧を宗論させたところ、真言宗が敗者となり、松田氏は一族をあげて大覚に帰依したという。
そのことから、大覚は備前法華の祖と仰がれているそうです。
大覚大僧正は近衛経忠の子、または後醍醐天皇の皇子といわれ、初めは真言宗の僧だったそうです。
1313年、京都で布教中の日像の説法に共感し、弟子になることに。
1358年、後光厳天皇の命により雨乞いの祈祷を行い、その功績により、日蓮に大菩薩の号、日朗に菩薩の号、日像に菩薩の号を授け、大覚は大僧正に任じられたそうです。
その後、大覚は真言宗の福輪寺・良遊と法論して論破し、その寺を改宗させることに。
これを聞いた松田元喬は、大覚と領内の真言宗の僧を宗論させたところ、真言宗が敗者となり、松田氏は一族をあげて大覚に帰依したという。
そのことから、大覚は備前法華の祖と仰がれているそうです。
この妙宣寺は1354年の創建。
ということで、大僧正に任じられる4年前に創建されたお寺なんですね。
●庫裏
●庫裏
・建立年不明
・瓦葺 妻入り切妻造
それにしても寺紋のアピールが凄い!
実は15年ぶりの参拝なのですが、左側の紋が新しくなっていました。
●手水鉢
●手水鉢
・1841年奉納
・尾道石工 嘉十郎作
手水鉢には天保十二歳辛丑十二月と刻まれていました。
ということで、こちらは1841年に奉納された手水鉢となります。
作者は尾道石工の嘉十郎さん。
嘉十郎さんは先ほどの題目塔を建立したお方です。
その他、尾道で嘉十郎さんの作品は、御袖天満宮の鳥居、浄土寺の石灯籠、艮神社の手水鉢、亀山八幡宮の百度石などがあります。
本堂と鎮守社
●本堂
●本堂
・1782年再建
・瓦葺 裳階付き入母屋造
続いて、本堂で参拝。
説明板によると、この本堂は1782年に再建されたものとのことですが、そこまで古そうに見えないのですが・・・いかがなもんでしょ?
もしかしたら、後の時代に改築されたものなのかなぁ?
ちなみに2階建てのお堂に見えますが、下の屋根は裳階となりますので、実際は1階建てのお堂となります。
御本尊は法華宝塔釈迦牟尼仏。
一体全体、法華宝塔釈迦牟尼仏ってどんなお姿なんだろう?
堂内に上がることができなかったのでわかりませんでした。
~画像は妙成寺より(石川県羽咋市)~
日蓮宗ではたまに一塔両尊という、御題目が書かれた塔と釈迦如来さんと多宝如来さんを御本尊とするお寺がありますが、もしかしたらこの形式に近いものなのかなぁ?
説明板によると、このお寺は尾道では珍しい幕末維新の史跡なんだとか。
●鎮守社
●鎮守社
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●鳥居
・1843年建立
・明神鳥居
・尾道石工 芳助作
●狛犬
・1928年奉納
・広島玉乗り型(尾道型)
・尾道石工 溝上民平作
続いて、鎮守社を参拝。
日蓮宗寺院では鎮守社として三十番神が鎮座しているところが多いですが、たまに最上位経王大菩薩を祀る最上稲荷を鎮守社としているところがあります。
最上稲荷の御本尊は最上位経王大菩薩。
最上稲荷は名称に稲荷がついていることから神社というイメージをもたれる場合が多いですが、正式名称は最上稲荷山 妙教寺という日蓮宗寺院です。
つまり最上稲荷は神仏習合のお寺さんで、お寺さんでもあり神社でもある最上稲荷の総本山です。
●本堂
・1782年再建
・瓦葺 裳階付き入母屋造
続いて、本堂で参拝。
説明板によると、この本堂は1782年に再建されたものとのことですが、そこまで古そうに見えないのですが・・・いかがなもんでしょ?
もしかしたら、後の時代に改築されたものなのかなぁ?
ちなみに2階建てのお堂に見えますが、下の屋根は裳階となりますので、実際は1階建てのお堂となります。
御本尊は法華宝塔釈迦牟尼仏。
一体全体、法華宝塔釈迦牟尼仏ってどんなお姿なんだろう?
堂内に上がることができなかったのでわかりませんでした。
~画像は妙成寺より(石川県羽咋市)~
日蓮宗ではたまに一塔両尊という、御題目が書かれた塔と釈迦如来さんと多宝如来さんを御本尊とするお寺がありますが、もしかしたらこの形式に近いものなのかなぁ?
説明板によると、このお寺は尾道では珍しい幕末維新の史跡なんだとか。
1867年、徳川15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行いました。
このとき広島藩(芸州藩)は尾道の重要性を認め、片岡大記を隊長として一箇大隊の兵を尾道に送ったそうです。
そして妙宣寺を本陣にし、尾道を鎮めたという。
ちなみに東隣の福山藩は徳川の譜代・阿部氏の領。
そんなこんなで、妙宣寺を本陣とした広島藩は福山藩と対峙する構えを取ったといわれています。
このとき広島藩(芸州藩)は尾道の重要性を認め、片岡大記を隊長として一箇大隊の兵を尾道に送ったそうです。
そして妙宣寺を本陣にし、尾道を鎮めたという。
ちなみに東隣の福山藩は徳川の譜代・阿部氏の領。
そんなこんなで、妙宣寺を本陣とした広島藩は福山藩と対峙する構えを取ったといわれています。
●鎮守社
●鎮守社
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●鳥居
・1843年建立
・明神鳥居
・尾道石工 芳助作
●狛犬
・1928年奉納
・広島玉乗り型(尾道型)
・尾道石工 溝上民平作
続いて、鎮守社を参拝。
日蓮宗寺院では鎮守社として三十番神が鎮座しているところが多いですが、たまに最上位経王大菩薩を祀る最上稲荷を鎮守社としているところがあります。
最上稲荷の御本尊は最上位経王大菩薩。
最上稲荷は名称に稲荷がついていることから神社というイメージをもたれる場合が多いですが、正式名称は最上稲荷山 妙教寺という日蓮宗寺院です。
つまり最上稲荷は神仏習合のお寺さんで、お寺さんでもあり神社でもある最上稲荷の総本山です。
清正堂
●清正堂
●清正堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
本堂の裏には肥後熊本藩主で熱心な日蓮宗徒でもあった加藤清正さんを祀る清正堂がありました。
なんと清正堂には等身大の木造・加藤清正像が祀られているのだとか!
ちなみに、その加藤清正像は熊本・本妙寺にある加藤清正像と同作なんだって。
近くでは、福山市の鞆の浦にある法宣寺にも加藤清正像が安置されていました。
運良く、加藤清正像を拝見することができたのですが、ゴツゴツとした黒光りの異様なオーラを放つ加藤清正像に思わず息を飲んだ、いや息をするのを忘れてしまったひと時でした。
ちなみに、その像は加藤清正さんの自作なんだとか!
一見の価値ありです。
ちなみにこの法宣寺も大覚大僧正が開基したお寺さんです。
●清正堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
本堂の裏には肥後熊本藩主で熱心な日蓮宗徒でもあった加藤清正さんを祀る清正堂がありました。
なんと清正堂には等身大の木造・加藤清正像が祀られているのだとか!
ちなみに、その加藤清正像は熊本・本妙寺にある加藤清正像と同作なんだって。
●清正公信仰とは?
清正さんは幼いころから母親の影響によって熱心な法華宗の信者になったといわれています。
日蓮宗の寺院では加藤清正さんを崇拝することは珍しくなく、各地に清正公信仰が伝わっています。
清正公信仰は、当初、清正さんが崇敬・保護した法華宗(日蓮宗)が中心となっていましたが、明治維新の神仏分離の際に加藤神社が創建されたことにより、神道による信仰も行われるようになりました。
清正さんは幼いころから母親の影響によって熱心な法華宗の信者になったといわれています。
日蓮宗の寺院では加藤清正さんを崇拝することは珍しくなく、各地に清正公信仰が伝わっています。
清正公信仰は、当初、清正さんが崇敬・保護した法華宗(日蓮宗)が中心となっていましたが、明治維新の神仏分離の際に加藤神社が創建されたことにより、神道による信仰も行われるようになりました。
近くでは、福山市の鞆の浦にある法宣寺にも加藤清正像が安置されていました。
運良く、加藤清正像を拝見することができたのですが、ゴツゴツとした黒光りの異様なオーラを放つ加藤清正像に思わず息を飲んだ、いや息をするのを忘れてしまったひと時でした。
ちなみに、その像は加藤清正さんの自作なんだとか!
一見の価値ありです。
ちなみにこの法宣寺も大覚大僧正が開基したお寺さんです。
境内の風景
それにしても境内は空前の猫ワールド!
本堂にはたくさんの猫ちゃんがいました。
どの猫ちゃんも人懐っこい!
そんなこんなで、しばし猫タイム。
お寺を去るのが名残惜しい・・・(笑)
猫ちゃんだけではない!
境内には福石猫ちゃんもおられます!
一説によると、尾道には約1000匹の福石猫ちゃんが生息しているという!
そんなこんなで、尾道を訪れたときは、猫気分になって坂道路地をプラプラと福石猫探しをしている私です。
そんなこんなで、御朱印を頂くために庫裏へ。
なんと、庫裏の中にも福石猫ちゃんが!
プランターに作られたミニ枯山水庭園をよく見てみると・・・
ミニ福石猫ちゃんが!
猫好き、福石猫好きにはたまんないお寺さんだね!
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
福石猫探しの旅|猫の細道・招き猫美術館など|野良猫のように野良る(広島県尾道市)
所在地広島県尾道市概 要福石猫は芸術家・園山春二さんが考案した福を呼ぶ石。尾道一帯に約1000匹の福石猫が置かれているそうです。HP福石猫の里親を探しています-尾道イーハトーヴ-福石猫とは?...
御朱印情報(御首題)
●御朱印の種類(御首題)
・妙宣寺の御首題
●御朱印の受付場所
・庫裏
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年2月15日 参拝
・2024年1月17日 参拝
・2024年1月 最終更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR尾道駅から徒歩20分
●最寄りのバス停
・おのみちバス
長江口 バス停から徒歩1分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
福山西ICから車で15分
・山陽自動車道
尾道ICから車で20分
●駐車場
・なし
※妙宣寺には駐車場はありません。
ですので、車で参拝する際は近隣の有料駐車場を利用することになります。
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR尾道駅から徒歩20分
●最寄りのバス停
・おのみちバス
長江口 バス停から徒歩1分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
福山西ICから車で15分
・山陽自動車道
尾道ICから車で20分
●駐車場
・なし
※妙宣寺には駐車場はありません。
ですので、車で参拝する際は近隣の有料駐車場を利用することになります。
ディープ尾道の観光記|昭和ノスタルジーな路地散歩|時を超えてさまよい人になる(広島県尾道市)
所在地広島県尾道市概 要古くから海運による物流の集散地として栄えた町。 坂の街・文学の街・映画の街として有名な町。 文学では、林芙美子・志賀直哉などが居を構え、尾道を舞台とした作品を発表。 映画では、小津安二郎監...