大久野島(ウサギ島)の観光記。大久野島神社の参拝記も(広島県竹原市忠海町)

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大久野島へのアクセス

●忠海港

毒ガス島地図から消された島ウサギ島という魅力満載な通称を持つ大久野島
地図から消されるほどブラックでデッドな歴史が大充満した島だけど、メルヘンでファンタジーな顔を持つアイランド。

そんなこんなで、本日は大久野島を散策してきました。


●大久野島へのアクセス
この旅は、車で忠海港へ。
忠海港から船で大久野島に向かいます。

ちなみに公共機関で行く場合は、最寄りの駅はJR呉線・忠海駅
忠海駅から徒歩5分で忠海港に到着できます。


そんなこんなで、忠海港に到着したはいいけど・・・

駐車場は満車!(午前9時半頃)
しかも、路上駐車は長蛇の列!
マジか・・・


しかしジャムで有名なアヲハタさんが社員駐車場を無料開放してくれてました!
アヲハタさん、ナイスプレーです!
ありがとー!助かりました!ジャム買います!


そんなこんなで、忠海港にて乗船チケットを購入。


そして、忠海港で売っているウサギのエサを購入。
ちなみに家にあった野菜も持参してきてます。(写真右)

余計なお世話かもしれませんが、大久野島を億パーセント楽しむためには、ウサギのエサは必須アイテムでございます。


ちなみにJR・忠海駅近くのコンビニにもウサギのエサが売ってありました。


そんなことより、大久野島へ向かう船は、客船 or フェリーです。
どちらに乗っても値段は同じです。
同じ乗船チケットで乗れます。

ということで、どっちに乗ろうかと悩みましたが、ちょうどいい便が客船だったので、客船に乗り込みました。


そんなこんなで、船に揺られること約15分


●大久野島・フェリー乗り場

大久野島に到着。
早速、ウサギちゃんと遭遇。(ガン無視されましたが)


大久野島は、周囲4.3kmの小さな島で、歩いて1周することができます。


本日は、フェリー乗り場 → 旧桟橋 → 発電場跡 → 火薬庫跡 → 北部砲台跡 → 兵舎跡 → 長浦毒物貯蔵庫跡 → トイレ跡 → 休暇村大久野島 → 毒ガス資料館 → ビジターセンター → 大久野島神社 → フェリー乗り場の順で1周してきました。


●大久野島散策の大体の目安
あんまり参考にならないかもしれませんが、そして余計なお世話かもしれませんが、大久野島1周+散策の大体の目安を書いておきます。

●私の場合
・歩くスピード → 遅い
・体力 → 人並
・観光・散策・エサやりの時間 → のんびり
・休憩 → 基本的に島の至る所にウサギちゃんがいるので、疲れたらしゃがんでエサやりをするというスタイルで休憩。

これで大体、6時間くらいでした。

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大久野島とは

●ザックリと簡単に大久野島とは

大久野島は、瀬戸内海に浮かぶ周囲4.3kmの小さな島で、通称・毒ガス島地図から消された島ウサギ島などと呼ばれる、竹原市の観光名所です。

島の歴史は、かなり複雑です。

●明治時代
日露戦争開戦に備え、芸予要塞の一角として砲台などが設置され、軍事的な島として活躍します。

●大正時代
第一次世界大戦の際、地理的な条件や秘匿の容易さなどから、化学兵器の生産拠点となります。
ちなみに、1925年のジュネーブ議定書で、戦争で化学兵器を使用することは禁止されていましたが、開発保有は合法。しかし、毒ガス兵器という国際的に禁止された兵器を作っていたので、戦時中、この島は地図から消されていました

●昭和時代
1930年頃から毒ガスの製造が始まります。
1942年頃には年間1200トンの毒ガスを製造。殺虫剤などの民生品も生産されていました。ちなみに、大久野島で生産された毒ガスの総量は6616トン

第二次世界大戦の終戦後、GHQや政府が施設の解体や化学兵器の処分を行いました。処分方法は、周辺海域への海洋投棄、火炎放射器による焼却、島内での地中処分。

除毒措置も施されましたが、処分は十分ではなく、現在でも地下4~5メートルの土壌で高濃度のヒ素が検出されるなど、負の遺産を受け継いでいます・・・。

また、大久野島で働いていた職員達は、喉頭がん・激しい咳・膿性のタン・原因不明の頭痛に悩まされる人が相次ぎ、1967年までに約300人が亡くなったそうです。。。


●大久野島のウサギ

1971年、島外の小学校で飼育されていた8羽のウサギが、大久野島に放されたそうです。そして、野生化したウサギ達は、900羽にまで増え、ウサギ島と呼ばれるようになりました。現在、年間約10万人の観光客が訪れる観光地になっています。


私が子供のころに聞いた話では、毒ガスの実験検知のために飼われていたウサギが野性化したという話しだったけど・・・どうやらそれは都市伝説のようですなぁ。

なんだか、ずーーーと騙されてた気分です(笑)

※2021年の環境省・目視調査によると、現在は400羽にまで減少。

コロナ禍で観光客が減ったことで餌が少なくなり、産まれてくる子供が減少したのが原因といわれています。
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旧桟橋と発電場跡

●旧桟橋

そんなこんなで、大久野島散策を開始。
まずは旧桟橋から。
フェリー乗り場から徒歩すぐのところにあります。

説明板によると、芸予要塞時代(明治30年代)に建造された桟橋のようです。

当初は人間や資材などが陸揚げされていましたが、毒ガス工場の秘密を守るため、本土からよく見えるこの桟橋は使用できなくなったんだって。


説明板の写真は、毒ガス工場の開所式の際に参加者がこの桟橋から上陸する様子。


そんなこんなで、ウサギポーズで記念撮影。 バニーおじさん・・・。


●発電場跡

旧桟橋のすぐ近くにあるトンネルを抜けると発電場跡に到着。


ここは1929~1945年、毒ガスを製造する際に電力を供給していた発電場跡なんだって。

また1944~1945年には、ふ号作戦に使用する風船爆弾の弱い部分を補強する作業が行われていたそうです。


いやはや・・・この暖かさのない冷た~い感じ・・・廃墟好きにはたまらんですなぁ。

私が子供だったころ、建物の中に入れてたような・・・記憶間違いかなぁ!?
すんごい不思議な不気味さを感じた記憶があります。


当時の発電場内の様子です。
場内には、ディーゼル発電機が8基設置されてたんだって。


そんなこんなで、休憩(早っ!)。

くぅ~、可愛い~。



よし、次行ってみよう!
どこかしら、秘密感がある山道も素敵です。


そうこうしてると、ウサギの大群に遭遇!


もはや芸術です!
こいつら、人間の喜ばせ方を知ってるな(笑)

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火薬庫跡

●火薬庫跡

続いて、火薬庫跡に到着。

芸予要塞時代、砲台の弾薬や火薬が保管されていた倉庫なんだって。
その後、毒ガス工場時代には、化学兵器の製品置き場として利用していたそうです。

壁に描いてあるMAG1の文字は、MAGAZINE1の略。
朝鮮戦争の際、アメリカ軍がこの建物を弾薬庫として使用していた時に書いたものらしいですよ。


屋根は火薬が爆発した際、爆発が抜けるように簡単に造られていたそうです。

屋根の一部には瓦が残っていました。


窓から内部をのぞいてみました。
草がボーボーで、特にこれといった発見はありませんでした。


そんなこんなで、次行ってみよう!
再び、秘密感がある山道をテクテク。


すると、大量のエサを持ち歩く強者現るっ!
マジやがな!


ならばこっちは質で勝負!
彩りを意識した女子ウケ、いやメスウケを狙った一品をどうぞ。


ちなみに、島内のほとんどの道は車の運転が禁止されています。
ですので、ウサギ達は安心して暮らせています。(多分)

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北部砲台跡

●北部砲台跡

続いて、北部砲台跡に到着。

ここは、1902年に設置された芸予要塞の砲台跡なんだって。


大久野島には、3ヶ所の砲台が設置され、合計22個の大砲が置かれていたそうです。


どうやらこの北部砲台跡には、12cm速射加農砲が4つ置かれていたみたいです。


●毒ガスタンク台座

ここには毒ガスのタンクが置かれていたみたいです。


戦後、毒ガスのタンクは切断され、処分されました。


●北部砲台観測所跡

北部砲台観測所跡は立入禁止でした。


●砲側庫跡

不気味で怖いけど、内部に入ってみました。
内部は苔のアート。ファンタジーな空間でした。
思わず綺麗と言ってしまう。

兵舎跡

●兵舎跡

続いて、兵舎跡に到着。
北部砲台跡から徒歩すぐのところにあります。


トンネルを抜けると、怖いくらい開放的な空間に出ました。
なんだかゾクっとします。

ここはその名の通り、兵隊さんが寝泊まりしていた場所です。
この広場でラジオ体操とかしてたのかなぁ・・・違うか。


ゾクっとします。


中をのぞき込む・・・やはりゾクっとします。


ちなみにトンネル内の半地下にも兵舎跡がありました。

しかしなんなんだろ・・・昼間なのにこの肝試し感。


と思ったら今度は絶景!気分爽快!
こうゆーの、エメラルドグリーンってゆーの?
コバルトブルーってゆーの?

廃墟だったりウサギだったり絶景だったり、本当にテンションのスイッチが馬鹿になっちゃいます。

ちなみに指をさしてる場所は、北部照明所跡です。


その後、しばらく山を下ると、海に到着!
これぞ、瀬戸内の夏ってな風景です。
もう完全にリゾートモード突入。
そんなこんなで、靴を脱ぎ捨てて海に突入。
少年モードに突入。


海の中で、落ち武者の生首っぽい石を発見。
そんなこんなで、空に捧げてみる。(意味不明)
太陽ありがとー!夏ありがとー!(意味不明)

長浦毒物貯蔵庫跡とトイレ跡

●長浦毒物貯蔵庫跡

続いて、長浦毒物貯蔵庫跡に到着。
また廃墟です。ほんとテンションのスイッチが馬鹿になります。


ここはその名の通り、毒ガスの貯蔵庫があった場所です。

当時は、建物の前に3~4mほどの小山を築いて、コンクリート部分を迷彩色に塗って海上から見えないようにしてたんだって。


ちなみに終戦後、毒ガス製品を火炎放射器で焼却したため、内部が黒くなっています。


●トイレ跡

続いて、毒ガス工場時代のトイレ跡に到着。

これは、なかなかの珍品ですなぁ。


しかしなんだろう・・・なかなか近づけない・・・。
なんだか毒ガスより危険な臭いがしそうな気がして・・・。

おそらく写真左が小便用で、写真右が大便用だと思われます。



そんなこんなで、しばらく歩くとウサギを発見。
しかし、お腹がいっぱいなのか、エサをチラつかせても無視されました。


そうこうしてると、本日1番の強者発見!

荷物がオールウサギのエサ!

歩くウサギのエサ!

おいおいおい、なんだなんだなんだ!
めちゃくちゃ楽しいぞ、この島!

休暇村大久野島

●休暇村大久野島

続いて、休暇村大久野島に到着。
ここは宿泊施設・温泉・飲食店・お土産屋さんなどがある施設です。

休暇村大久野島周辺は、公園みたいな感じで綺麗に整備されているので、大久野島の中で1番人が多くて華やかスポットです。


ということで、うさんちゅカフェでひと休み。
ふわふわの白うさぎというスイーツを食べました。
ウマっ!

ちなみに島内でまともに飲食ができるお店はここだけです。

毒ガス資料館など、その他のスポット

●毒ガス貯蔵庫跡

休暇村大久野島の近くには、小規模な毒ガス貯蔵庫跡がありました。


●研究所跡

こちらは研究所跡です。
休暇村大久野島から毒ガス資料館へ向かう途中にありました。

もともとこの建物は、毒ガス工場時代に研究室と薬品庫として使用されていたんだって。

それにしても、今は何の施設なんでしょ?
建物内では、誰かが働いていました。


●南部照明所跡

続いて、南部照明所跡に到着。

ここは、芸予要塞時代に探照灯(サーチライト)が置かれていた場所なんだって。
夜間に敵艦探知を行っていたみたいです。


●毒ガス資料館

続いて、毒ガス資料館に到着。

館内では、旧日本軍の毒ガス製造に関する資料が展示されていました。

そんなこんなで、平和学習開始・・・

しかし、ここで完全にテンションを下げてしまった・・・。
毒ガスでやられた人の写真とか、なかなかエグいものがありました・・・戦争ダメ。ゼッタイ。


毒ガス資料館の前には、陶磁器製の配管などが展示されていました。

毒ガスは、化学薬品を反応させて複雑な科学操作を経て製造されるんだって。 そんなこんなで、製造設備の主要な部分には、薬品に反応せず熱に強い陶磁器が用いられていたそうです。


●大久野島ビジターセンター

続いて、大久野島ビジターセンターに到着。

どうやらこちらは、大久野島を中心とした瀬戸内海国立公園の自然環境や島の歴史について紹介する施設のようです。

よく見たら、建物から木の根っこがハミ出しているという。
なんだか楽しそうなので、立ち寄ってみることに。


施設内では、大久野島のジオラマの上を歩けたり、地中・海底を再現した施設を歩けたりします。そんなこんなで、大人も子供も楽しめる施設になっておりました。


●海水浴場

続いて、海水浴場に到着。
キャンプ場もあったりします。


●ウサ耳集音器

こんなものもありました。
うさぎの耳をした集音器です。

そんなこんなで、試してみる・・・ボワンボワンといろんな音が聞こえて、結果、何も聞き取れないという(笑)

ちなみに、午後のウサギ・・・

●ちなみに、午後のウサギ・・・

お昼を過ぎた頃から、全くエサに興味を示さなくなったウサギ達・・・きっと満腹なんだろう・・・。

結果、エサを余らせて帰るという(笑)

あれから何度か、あの強者をお見かけしましたが、強者も渋い顔をしていました。

そんなこんなで、ウサギのエサを持参する方は、量に要注意です。

大久野島神社

所在地広島県竹原市忠海町
祭 神不明
由 緒もともとは、大久野島の鎮守として大江谷に鎮座していたそうです。創建当時は、久野鳥神社という社名だったそうです。しかし、毒ガス工場(陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所)の誘致に伴い、対岸の床浦神社に合祀。その後、総代と毒ガス工場が協力し、再び島の守護神として大久野島に祀られるようになったといいます。1929年、毒ガス工場を開所した際、従業員が社殿を改修して大久野島神社と改称。1932年、製造所の拡張工事に伴い、現在地に遷座。1937年、境内に毒ガス製造による犠牲者鎮魂の殉職碑が建てられたそうです。
HP休暇村大久野島公式ホームページ

●大久野島神社

そんなこんなで、大久野島神社に到着。

●大久野島神社・境内入口

●大久野島神社の由緒
もともとは、大久野島の鎮守として大江谷に鎮座していたそうです。
創建当時は、久野鳥神社という社名だったそうです。
しかし、毒ガス工場の誘致に伴い、対岸の床浦神社に合祀。
その後、総代と毒ガス工場が協力し、再び島の守護神として大久野島に祀られるようになったといいます。
1929年、毒ガス工場を開所した際、従業員が社殿を改修して大久野島神社と改称。
1932年、製造所の拡張工事に伴い、現在地に遷座。


●大久野島神社・鳥居①

●鳥居①
・建立年未確認
・明神鳥居


●大久野島神社・手水鉢

手水鉢の前にはウサギ用の水がありました。


●大久野島神社・狛犬

●狛犬
・建立年不明
・陶製のお座り型

建立年不明・・・というか確認するのを忘れました!
かなり胸板が厚く、どこかしらマントヒヒのような狛犬ちゃんでした。


●大久野島神社・鳥居②

●鳥居②
・建立年未確認
・明神鳥居


鳥居②はくぐることができませんでした。


●大久野島神社・拝殿

なぜなら・・・デンジャーだから!
屋根が崩れていました・・・嗚呼。


●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 切妻造


●大久野島神社・本殿

●本殿
・建立年不明
・銅板 神明造(多分)
・祭神不明

とにかく情報が少なくて、いろんなことが不明です。


●大久野島神社・殉職碑

●殉職碑
・1937年建立

こちらは、毒ガス製造による犠牲者の鎮魂碑です。


●大久野島神社・慰霊碑

こちらは、毒ガス製造による犠牲者の慰霊碑です。
碑には、大久野島毒ガス障害死没者 慰霊碑と刻まれていました。


そんなこんなで、重くて暗くて辛い空気が充満した境内ですが、そんなことはお構いなしといわんばかりにウサギちゃんがやってくる・・・テンションのスイッチが馬鹿になっちゃいます。

ここがどんな島なのか・・・ウサギちゃんには全然関係ないようだね。


それにしても境内から望む瀬戸内海が綺麗だったなぁ。

御朱印情報

●御朱印情報
御朱印は確認できませんでした。
どなたが神社を管理してるのかすら確認することができませんでした。
(2015年7月19日現在)
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フェリー乗り場

●フェリー乗り場

そんなこんなで、大久野島1周完了

こんなに小さな島なのに、見所スポットがたくさん。
闇の顔とファンタジーな顔を見せてくれる不思議な島でした。
日本中探しても、こんな特異な島はなかなかないような。

ちなみに、帰りの船はもっすごい大行列になっていました。


帰りはフェリーで。
いやはや、楽しい1日でした。

大久野島の地図

その他、広島の戦争遺跡・まとめ

●記事の詳細
・大久野島(ウサギ島)
・コンクリート船・武智丸
・アレイからすこじま
・工廠神社(産業神社)
・大和ミュージアム
・歴史の見える丘(戦艦大和を建造したドック跡)
・第十一海軍航空廠跡と機銃掃射の弾痕
・海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)

広島の戦争遺跡まとめ~大久野島(ウサギ島)・コンクリート船 武智丸・アレイからすこじま・大和ミュージアム・弾痕など~
記事の内容・・・大久野島(ウサギ島)・コンクリート船 武智丸・アレイからすこじま・大和ミュージアム・歴史の見える丘・工廠神社(産業神社)のトーチカ・旧海軍兵学校・弾痕・防空壕などを紹介してます。


随時更新していきます。

 

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