所在地 | 島根県隠岐郡西ノ島町大字別府276 |
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祭 神 | 後醍醐天皇 |
由 緒 | 1331年、元弘の乱で鎌倉幕府の倒幕に失敗した後醍醐天皇が、1332年に隠岐に配流された際、この地を行在所にしたそうです。しかし1333年、後醍醐天皇は豪族と島民の献身的な協力により島からの脱出に成功しました。無事、京都に戻った後醍醐天皇は鎌倉幕府倒幕に成功し、1334年に建武の新政を開始。そんなこんなで、脱出までの約1年間を過ごしたこの地に後醍醐天皇の御霊を奉斎して創建したのがこの神社の始まりといわれています。ちなみに、隠岐の島町の隠岐国分寺も後醍醐天皇の行在所とされているため、どちらが本当の行在所かは定かではないそうです。 |
Contents
天皇山と鳥居と神門
●天皇山
別府港から徒歩10分。
天皇山という小高い山に鎮座してます黒木神社に到着。
隠岐といえば島流しの定番地。
この黒木神社は隠岐に島流しにあった後醍醐天皇の行在所跡に鎮座する神社なんだって!
いやぁ~、どんな神社なんでしょ。
後醍醐天皇の足跡残ってるかな。(ないない)
そんなこんなで、参拝開始。
●鳥居
●鳥居
・建立年不明
・明神鳥居
鳥居は、天皇山南側の海に面したところに建っていました。
境内の入口はこの鳥居と、西側に建つ神門があります。
●神門
●神門
・建立年不明
・銅板葺 棟門
門前には後醍醐天皇行在所址と書かれた石標が建ってました。
別府港から徒歩10分。
天皇山という小高い山に鎮座してます黒木神社に到着。
隠岐といえば島流しの定番地。
この黒木神社は隠岐に島流しにあった後醍醐天皇の行在所跡に鎮座する神社なんだって!
いやぁ~、どんな神社なんでしょ。
後醍醐天皇の足跡残ってるかな。(ないない)
そんなこんなで、参拝開始。
●鳥居
●鳥居
・建立年不明
・明神鳥居
鳥居は、天皇山南側の海に面したところに建っていました。
境内の入口はこの鳥居と、西側に建つ神門があります。
●神門
●神門
・建立年不明
・銅板葺 棟門
門前には後醍醐天皇行在所址と書かれた石標が建ってました。
狛犬と建武中興発祥之地の碑
●黒木御所址の碑
参道入口には黒木御所址の碑。
ちなみに黒木御所とは、後醍醐天皇行在所の別名です。
●狛犬
●狛犬
・建立年不明
・出雲尾立
島根は来待石の産地だけあって、来待石の石造物が多いです。
来待石はもろい石なので、崩れてる狛犬が多いです。
そして隠岐の島は、異常に出雲尾立の狛犬が多いです。
それにしても子取り型の出雲尾立とは珍しいですなぁ。
なかなかレアな1品です。
●建武中興発祥之地の碑
建武中興とは建武の新政のことです。
ザックリと簡単に建武の新政とは、後醍醐天皇が始めた公家中心の新しい政治のことです。
隠岐に島流しにあった後醍醐天皇は1年後に島を脱出し、この建武の新政を開始しちゃいます。
しかし建武の新政は大失敗。
わずか3年で終わっちゃいました・・・。
そんなこんなで、この地は建武の新政を始める出発点(脱出)ということです。
建武中興発祥之地の碑を過ぎると石階段が登場します。
ちなみに階段途中には手水舎がありました。
参道入口には黒木御所址の碑。
ちなみに黒木御所とは、後醍醐天皇行在所の別名です。
●狛犬
●狛犬
・建立年不明
・出雲尾立
島根は来待石の産地だけあって、来待石の石造物が多いです。
来待石はもろい石なので、崩れてる狛犬が多いです。
そして隠岐の島は、異常に出雲尾立の狛犬が多いです。
それにしても子取り型の出雲尾立とは珍しいですなぁ。
なかなかレアな1品です。
●建武中興発祥之地の碑
建武中興とは建武の新政のことです。
ザックリと簡単に建武の新政とは、後醍醐天皇が始めた公家中心の新しい政治のことです。
隠岐に島流しにあった後醍醐天皇は1年後に島を脱出し、この建武の新政を開始しちゃいます。
しかし建武の新政は大失敗。
わずか3年で終わっちゃいました・・・。
そんなこんなで、この地は建武の新政を始める出発点(脱出)ということです。
建武中興発祥之地の碑を過ぎると石階段が登場します。
ちなみに階段途中には手水舎がありました。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
拝殿の格子にはたくさんのおみくじが結ばれていました。
扁額は、明治神宮の宮司・甘露寺受長の書。
甘露寺受長は、明治時代に活躍した明治神宮名誉宮司とのことです。
明仁皇太子(平成天皇)と美智子妃の結婚の際、結婚を誓う盃に神酒を注ぐ役を務めたお方なんだって。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・後醍醐天皇を祀る
木の間からギリギリ確認することできました。
●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
拝殿の格子にはたくさんのおみくじが結ばれていました。
扁額は、明治神宮の宮司・甘露寺受長の書。
甘露寺受長は、明治時代に活躍した明治神宮名誉宮司とのことです。
明仁皇太子(平成天皇)と美智子妃の結婚の際、結婚を誓う盃に神酒を注ぐ役を務めたお方なんだって。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・後醍醐天皇を祀る
木の間からギリギリ確認することできました。
黒木御所跡と見附島(太平記の里)
●黒木御所跡へ続く道
そんなこんなで参拝後、社殿横の細道を抜けて黒木御所跡に到着。
ここが隠岐に配流された後醍醐天皇が1年間過ごした地なんだと!
広さはわずか十数坪・・・こんな狭い土地に天皇がいたなんて。
・・・辛かっただろうなぁ・・・切ない。
ちなみに隠岐の島町の隠岐国分寺も後醍醐天皇の行在所とされているため、どちらが本当の行在所かは 定かではありません。
こちらが隠岐国分寺の参拝記です。
黒木とは皮を削っていない木材(黒木)という意味です。
京都・野宮神社や福知山・元伊勢外宮内宮などで見られる黒木鳥居のそれです。
そんなこんなで黒木御所とは、黒木を使って急いで建てた粗末な御所という意味です。
うぅぅ・・・ますます切ない。
後醍醐天皇はとても評判が悪い人だけど、私は後醍醐天皇の生き方が好きやで。
地位と名誉と生の執着・・・何となく賢くない感じ・・・好きやで。
●後醍醐天皇御製の石碑
こちらは、後醍醐天皇が配流先で詠んだといわれる和歌です。
『こころざす かたをとはばや 波の上にうきてただよふ あまのつり舟』
隠岐国分寺も後醍醐天皇の行在所という説がありますが、海が見えない国分寺ではこの歌は詠めない・・・。
もしかしたら、ここが本当の行在所だったのでは???
と思うも、両方とも行在所になった可能性もあるだろうし・・・いやはや、どうにもこうにも歴史浪漫ですね!
黒木御所跡付近からの景色です。
きっと後醍醐天皇も、ここに立って海を見てたんだろうなぁ。
●見附島
そして見附島を望むこともできました。
一説によると、この見附島には後醍醐天皇を見張る武士の屯所があったといわれています。
ここからずっと見張られていたのかぁ・・・ストレスがハンパなかっただろうなぁ。
脱出する時は、ドキドキしただろうなぁ~。
見附島には太平記の里と書かれてました。
太平記とは、南北朝時代を舞台にした軍記物語です。
後醍醐天皇が即位した1318年から、細川頼之が管領に就任する1368年までの50年間を描いた日本の歴史文学史上 最長の作品として知られています。
物語は全40巻で、3部構成で進んでいきます。
ちなみに、後醍醐天皇が登場するのは第1部から第2部です。
第1部では、後醍醐天皇の即位から鎌倉幕府が滅びるまで。
第2部では、建武の新政から後醍醐天皇の崩御までが描かれています。
いやはや~、どうにもこうにも後醍醐浪漫に満ち溢れたスポットでした。
そんなこんなで参拝後、社殿横の細道を抜けて黒木御所跡に到着。
ここが隠岐に配流された後醍醐天皇が1年間過ごした地なんだと!
広さはわずか十数坪・・・こんな狭い土地に天皇がいたなんて。
・・・辛かっただろうなぁ・・・切ない。
ちなみに隠岐の島町の隠岐国分寺も後醍醐天皇の行在所とされているため、どちらが本当の行在所かは 定かではありません。
こちらが隠岐国分寺の参拝記です。
隠岐国分寺の御朱印~後醍醐天皇ゆかりの地~(島根県隠岐郡隠岐の島町)
所在地島根県隠岐郡隠岐の島町池田風呂前5宗 派東寺真言宗由 緒741年、聖武天皇の発願のもと、全国に建立された国分寺の1つ。867年、隠岐国は出雲国・石見国・長門国・伯耆国とともに新羅に近いということで八...
黒木とは皮を削っていない木材(黒木)という意味です。
京都・野宮神社や福知山・元伊勢外宮内宮などで見られる黒木鳥居のそれです。
そんなこんなで黒木御所とは、黒木を使って急いで建てた粗末な御所という意味です。
うぅぅ・・・ますます切ない。
後醍醐天皇はとても評判が悪い人だけど、私は後醍醐天皇の生き方が好きやで。
地位と名誉と生の執着・・・何となく賢くない感じ・・・好きやで。
●後醍醐天皇御製の石碑
こちらは、後醍醐天皇が配流先で詠んだといわれる和歌です。
『こころざす かたをとはばや 波の上にうきてただよふ あまのつり舟』
隠岐国分寺も後醍醐天皇の行在所という説がありますが、海が見えない国分寺ではこの歌は詠めない・・・。
もしかしたら、ここが本当の行在所だったのでは???
と思うも、両方とも行在所になった可能性もあるだろうし・・・いやはや、どうにもこうにも歴史浪漫ですね!
黒木御所跡付近からの景色です。
きっと後醍醐天皇も、ここに立って海を見てたんだろうなぁ。
●見附島
そして見附島を望むこともできました。
一説によると、この見附島には後醍醐天皇を見張る武士の屯所があったといわれています。
ここからずっと見張られていたのかぁ・・・ストレスがハンパなかっただろうなぁ。
脱出する時は、ドキドキしただろうなぁ~。
見附島には太平記の里と書かれてました。
太平記とは、南北朝時代を舞台にした軍記物語です。
後醍醐天皇が即位した1318年から、細川頼之が管領に就任する1368年までの50年間を描いた日本の歴史文学史上 最長の作品として知られています。
物語は全40巻で、3部構成で進んでいきます。
ちなみに、後醍醐天皇が登場するのは第1部から第2部です。
第1部では、後醍醐天皇の即位から鎌倉幕府が滅びるまで。
第2部では、建武の新政から後醍醐天皇の崩御までが描かれています。
いやはや~、どうにもこうにも後醍醐浪漫に満ち溢れたスポットでした。
ザックリと簡単に後醍醐天皇とは?
後醍醐天皇は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけて活躍した第96代天皇。
ならびに南朝の初代天皇です。
鎌倉幕府を倒す計画がバレてしまって、隠岐に島流しにされました。
1年後、島を脱出して建武の新政を開始。
そして、楠木正成などの武士の力により倒幕に成功しました!
しかし倒幕に協力した武士の扱いをないがしろにしたため、足利尊氏などの武士が反乱!
後醍醐天皇は奈良の吉野に逃れました。
そんなこんなで、奈良の南朝と京都の北朝、いわゆる南北朝時代に突入!
しかし間もなく京都奪回を遺言して崩御してしまいました。
完。
その他の見どころ
●忠魂碑
境内には忠魂碑がありました。
●記念砲弾
記念砲弾の台座に記された由緒には
明治三十七年・・・乃木軍・・・東郷艦隊・・・
などの文字が見えたので、てっきり日露戦争の戦勝記念の砲弾だと思ってましたが、後々調べてみると紀元2600年を記念して建立されたものでした。
●杉
この杉は南朝の行宮であった奈良・吉水神社から贈られたものなんだって。
いやはや、どうにもこうにも後醍醐浪漫です。
●碧風館
碧風館では、後醍醐天皇に関する資料や、黒木御所跡に関する資料などを見学することができます。
●営業時間
9:00~17:00
●料金
・大人300円
・大学・高校生200円
・小・中学生150円
(10名以上は団体割引あり)
境内には忠魂碑がありました。
●記念砲弾
記念砲弾の台座に記された由緒には
明治三十七年・・・乃木軍・・・東郷艦隊・・・
などの文字が見えたので、てっきり日露戦争の戦勝記念の砲弾だと思ってましたが、後々調べてみると紀元2600年を記念して建立されたものでした。
●杉
この杉は南朝の行宮であった奈良・吉水神社から贈られたものなんだって。
いやはや、どうにもこうにも後醍醐浪漫です。
●碧風館
碧風館では、後醍醐天皇に関する資料や、黒木御所跡に関する資料などを見学することができます。
●営業時間
9:00~17:00
●料金
・大人300円
・大学・高校生200円
・小・中学生150円
(10名以上は団体割引あり)
御朱印情報
●御朱印情報
御朱印は別府港第2ターミナルの観光案内所で頂けました。
観光案内所で御朱印って面白いですね。
黒木神社の他に、焼火神社と由良比女神社の御朱印もこちらで頂くことができます。
御朱印を書いてる職員さん。
観光案内所で頂く御朱印もなかなかオツですなぁ。
ちなみに黒木神社の碧風館でも御朱印(書置き)が頂けます。
碧風館の管理人さんのお話によると
『ここは書置きしかないけど、別府港だったら記帳してもらえるよ!記帳の方が値打ちあるから!』って。
値打ちって(笑)
御朱印は別府港第2ターミナルの観光案内所で頂けました。
観光案内所で御朱印って面白いですね。
黒木神社の他に、焼火神社と由良比女神社の御朱印もこちらで頂くことができます。
御朱印を書いてる職員さん。
観光案内所で頂く御朱印もなかなかオツですなぁ。
ちなみに黒木神社の碧風館でも御朱印(書置き)が頂けます。
碧風館の管理人さんのお話によると
『ここは書置きしかないけど、別府港だったら記帳してもらえるよ!記帳の方が値打ちあるから!』って。
値打ちって(笑)
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