住 所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町54−1 |
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宗 派 | 臨済宗大徳寺派北派 |
寺 格 | 北派本庵 |
由 緒 | 1509年、大徳寺76世住職・古岳宗亘(大聖国師)が創建した大徳寺の塔頭です。現在22に及ぶ大徳寺・塔頭の中で、北派本庵として最も尊重・重視されている名刹とのことです。戦国時代、千利休が親しく参ったお寺で、江戸時代には沢庵和尚が7世・住職を務めました。 |
HP | 意気の道場…紫野大徳寺「大仙院」 |
表門と鐘楼
1509年、大徳寺76世住職・古岳宗亘が創建した大徳寺の塔頭です。南派本庵の龍源院と共に大徳寺を隆盛に導いた格式の高い名刹です。
ちなみに大徳寺76世住職・古岳宗亘は、一条戻橋に晒された千利休の首を大徳寺に持ち帰って手厚く葬ったお方です。
臨済宗大徳寺には大仙派と龍源派と真珠派と龍泉派という4つの派があり、大仙院は大徳寺の北に位置するため北派、龍源派は大徳寺の南側に位置するため南派と呼ばれるようになりました。
●龍源派(南派)・・・龍源院(東渓宗牧)
●大仙派(北派)・・・大仙院(古嶽宗亘)
●真珠派・・・真珠庵(一休宗純)
●龍泉派・・・龍泉庵(陽峰宗韶)
ちなみに大徳寺76世住職・古岳宗亘は、一条戻橋に晒された千利休の首を大徳寺に持ち帰って手厚く葬ったお方です。
臨済宗大徳寺には大仙派と龍源派と真珠派と龍泉派という4つの派があり、大仙院は大徳寺の北に位置するため北派、龍源派は大徳寺の南側に位置するため南派と呼ばれるようになりました。
●龍源派(南派)・・・龍源院(東渓宗牧)
●大仙派(北派)・・・大仙院(古嶽宗亘)
●真珠派・・・真珠庵(一休宗純)
●龍泉派・・・龍泉庵(陽峰宗韶)
庫裏
拝観受付は庫裏にて。
●拝観時間
・3月~11月・・・9時~17時
・12月~2月・・・9時~16時30分
●拝観料
・大人(高校生以上)・・・400円
・小・中学生・・・270円
・抹茶代・・・300円
ちなみに建物内はお庭を含め全て撮影禁止です。
●拝観時間
・3月~11月・・・9時~17時
・12月~2月・・・9時~16時30分
●拝観料
・大人(高校生以上)・・・400円
・小・中学生・・・270円
・抹茶代・・・300円
ちなみに建物内はお庭を含め全て撮影禁止です。
国宝・方丈
●国宝・方丈は日本の方丈建築としては2番目に古いという
●方丈
・1513年建立 国宝
日本の方丈建築としては東福寺・龍吟庵の次に古く、玄関と床の間にいたっては日本最古なんですって!
創建当初は檜皮葺でしたが、1885年の修理で瓦葺に変更。
その後、1959年の修理で銅板葺になりました。
しかし2008年に再び檜皮葺となり現在に至ってます。
そんなこんなで、檜皮葺 → 瓦葺 → 銅板葺 → 檜皮葺という屋根ビッグ3を1周。
方丈の各部屋には、狩野元信の花鳥図や、狩野之信の四季耕作図、相阿弥の瀟湘八景図 などの障壁画が飾られてました。これらは全て国重文に指定されています。
●沢庵和尚が住職を務めたという
大仙院は沢庵和尚が7世・住職を務めたことでも有名です。
そして宮本武蔵が、沢庵和尚を訪ねて参禅していたといわれてます。
本日は運よく開祖さんの月命日という事で、普段公開されていないお部屋を特別に案内して頂きました。なんとそのお部屋は、沢庵和尚が住んでいた部屋とのこと!宮本武蔵も沢庵和尚を訪ねてこの部屋に来たんだとか・・・いやはや身震いです。
大仙院には豊臣秀吉や千利休も訪れたといいます。
秀吉や利休や沢庵や武蔵が歩いた廊下を歩いている・・・そう思うとまたまた身震いです。
●大仙院書院庭園と大仙院庭園
※画像はポストカードより
(お庭の撮影は禁止です)
●大仙院書院庭園
・室町時代 作庭
・枯山水庭園
・国の史跡 及び 特別名勝
・開祖・古嶽宗亘が作庭
●大仙院庭園
・室町時代 作庭
・枯山水庭園
・国の名勝
方丈の南庭で、白砂の中に2つの砂盛があります。
書院庭園の蓬莱山から流れ落ちた滝が大河となり、そして大海(大仙院庭園)に流れ込む様を表現してます。
普通、枯山水のお庭には水はないのですが、本日は前日降った雪が溶けて枯山水の石のくぼみに水が溜まってました。住職さんのお話しによると、この石を見て千利休はつくばいを考案したんだとか!今見ているこの石が、つくばいの原型となったとのこと!ということで、元祖つくばい。本日は運がいいです。
●方丈
・1513年建立 国宝
日本の方丈建築としては東福寺・龍吟庵の次に古く、玄関と床の間にいたっては日本最古なんですって!
創建当初は檜皮葺でしたが、1885年の修理で瓦葺に変更。
その後、1959年の修理で銅板葺になりました。
しかし2008年に再び檜皮葺となり現在に至ってます。
そんなこんなで、檜皮葺 → 瓦葺 → 銅板葺 → 檜皮葺という屋根ビッグ3を1周。
方丈の各部屋には、狩野元信の花鳥図や、狩野之信の四季耕作図、相阿弥の瀟湘八景図 などの障壁画が飾られてました。これらは全て国重文に指定されています。
●沢庵和尚が住職を務めたという
大仙院は沢庵和尚が7世・住職を務めたことでも有名です。
そして宮本武蔵が、沢庵和尚を訪ねて参禅していたといわれてます。
本日は運よく開祖さんの月命日という事で、普段公開されていないお部屋を特別に案内して頂きました。なんとそのお部屋は、沢庵和尚が住んでいた部屋とのこと!宮本武蔵も沢庵和尚を訪ねてこの部屋に来たんだとか・・・いやはや身震いです。
大仙院には豊臣秀吉や千利休も訪れたといいます。
秀吉や利休や沢庵や武蔵が歩いた廊下を歩いている・・・そう思うとまたまた身震いです。
●大仙院書院庭園と大仙院庭園
※画像はポストカードより
(お庭の撮影は禁止です)
●大仙院書院庭園
・室町時代 作庭
・枯山水庭園
・国の史跡 及び 特別名勝
・開祖・古嶽宗亘が作庭
●大仙院庭園
・室町時代 作庭
・枯山水庭園
・国の名勝
方丈の南庭で、白砂の中に2つの砂盛があります。
書院庭園の蓬莱山から流れ落ちた滝が大河となり、そして大海(大仙院庭園)に流れ込む様を表現してます。
普通、枯山水のお庭には水はないのですが、本日は前日降った雪が溶けて枯山水の石のくぼみに水が溜まってました。住職さんのお話しによると、この石を見て千利休はつくばいを考案したんだとか!今見ているこの石が、つくばいの原型となったとのこと!ということで、元祖つくばい。本日は運がいいです。
ポストカード
●尾関宗園さんのメッセージ付きサイン
ポストカードを購入したら、先代の住職さんがサインを書いてくれました。そして『あんた、ちょっと怪しいから』と言われ、メッセージまで書いてくれました!怪しいって・・・(笑)先代の住職さんは、20年前 全国ネットのお昼のワイドショーでご意見番として出演していたちょっとした有名人のようです。いやはや、規格外に明るいお方でした。現在、たくさんの本を出版しているようです。
ちなみにメッセージの内容は『嫁はんを大切にするのがあんたの道ですよ!わかりましたか?』でした。大切にします!!!!!(笑)
ポストカードを購入したら、先代の住職さんがサインを書いてくれました。そして『あんた、ちょっと怪しいから』と言われ、メッセージまで書いてくれました!怪しいって・・・(笑)先代の住職さんは、20年前 全国ネットのお昼のワイドショーでご意見番として出演していたちょっとした有名人のようです。いやはや、規格外に明るいお方でした。現在、たくさんの本を出版しているようです。
ちなみにメッセージの内容は『嫁はんを大切にするのがあんたの道ですよ!わかりましたか?』でした。大切にします!!!!!(笑)
常時拝観可能な大徳寺の塔頭
●境内に22の塔頭を有する大寺院
大徳寺の境内には22の塔頭があり、ちょっとした寺町を形成してます。
22ある塔頭のうち常時拝観可能な塔頭は4つ。
そのうちの1つが大仙院です。
ちなみに常時拝観可能な塔頭はこちらです。
①大仙院 ②龍源院
③高桐院 ④瑞峯院
●龍源院の参拝記
●高桐院の参拝記
●端峯院の参拝記
大徳寺の境内には22の塔頭があり、ちょっとした寺町を形成してます。
22ある塔頭のうち常時拝観可能な塔頭は4つ。
そのうちの1つが大仙院です。
ちなみに常時拝観可能な塔頭はこちらです。
①大仙院 ②龍源院
③高桐院 ④瑞峯院
●龍源院の参拝記
龍源院の御朱印~大徳寺・塔頭の名刹〜(京都府京都市北区)
住 所京都府京都市北区紫野大徳寺町82−1宗 派臨済宗大徳寺派南派寺 格南派本庵由 緒1504~1521年、能登の畠山義元・豊後の大友義長・周防の大内義興らが創建。明治時代に神仏分離により大阪・住...
●高桐院の参拝記
高桐院の御朱印~大徳寺の塔頭・細川家の菩提寺~(京都府京都市北区)
住 所京都府京都市北区紫野大徳寺町73−1宗 派臨済宗大徳寺派由 緒1602年、細川忠興が父・細川藤孝の菩提を弔う為に建立したお寺です。1645年、83歳で没した細川忠興の遺言により、遺歯が埋葬され、以後...
●端峯院の参拝記
端峯院の御朱印情報~キリシタン大名・大友宗麟の菩提寺~(京都府京都市北区)
住 所京都府京都市北区紫野大徳寺町81宗 派臨済宗大徳寺派由 緒1532~1555年、キリシタン大名として知られる大友宗麟が、自らの菩提寺として創建したお寺です。 瑞峯院という寺名は、大友宗麟の法名・瑞峯...
御朱印
御朱印は庫裏で頂きました。