住 所 | 福岡県北九州市八幡東区祇園2丁目5−1 |
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祭 神 | 主祭神 仲哀天皇・神功皇后・応神天皇 相殿 須佐之男命・奇名田比売命・大己貴命・事代主命など16柱 |
由 緒 | 神功皇后は筑紫の香椎宮で亡くなった仲哀天皇に代わって、皇子(後の応神天皇)を身籠りながらも、軍臣が動揺しないように天皇崩御の事実を隠し、そして男装をして新羅に出征しました。しかし『この先、謀反の兆しあり』という神託があったので、この地で中宿(途中で宿泊すること)したといいます。そんなこんなで、神功皇后が中宿した地に社殿を建立したのがこの神社の始まりといいます。 |
鳥居と狛犬
●境内入口
神功皇后ゆかりの地であります仲宿八幡神社に到着。
●鳥居①②
●鳥居①
・1916年建立
・明神鳥居
●鳥居②
・1921年建立
・明神鳥居
●狛犬
●狛犬
・1924年建立
・玉取り型(左)
福岡の玉は大体小さいです。
神功皇后ゆかりの地であります仲宿八幡神社に到着。
●鳥居①②
●鳥居①
・1916年建立
・明神鳥居
●鳥居②
・1921年建立
・明神鳥居
●狛犬
●狛犬
・1924年建立
・玉取り型(左)
福岡の玉は大体小さいです。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・1961年建立
・銅板葺 RC造
この地は、三韓征伐の途中、神功皇后が中宿した地とのことです。
ちなみに中宿とは、途中で宿泊することという意味なんだって。
そんなこんなで、神功皇后が中宿した地に社殿を建立したのがこの神社の始まりといわれています。
●本殿
●本殿
・1961年建立
・銅板葺 RC造
●主祭神
・仲哀天皇・神功皇后・応神天皇
●相殿神
・須佐之男命・奇名田比売命
・大己貴命・事代主命など16柱
●拝殿
・1961年建立
・銅板葺 RC造
この地は、三韓征伐の途中、神功皇后が中宿した地とのことです。
ちなみに中宿とは、途中で宿泊することという意味なんだって。
そんなこんなで、神功皇后が中宿した地に社殿を建立したのがこの神社の始まりといわれています。
●本殿
●本殿
・1961年建立
・銅板葺 RC造
●主祭神
・仲哀天皇・神功皇后・応神天皇
●相殿神
・須佐之男命・奇名田比売命
・大己貴命・事代主命など16柱
狭吾七とおさよ
●牛守神社
●牛守神社
・天之御中主神・跡田狭吾七命・おさよ命を祀る
仲宿八幡神社は神功皇后ゆかりの地でありますが、非業の死をとげた純愛カップル・狭吾七とおさよのゆかりの地でもありました。
どうやら牛守神社は、狭吾七とおさよの悲しい恋を慰めるために建立された社のようです。
●お小夜観音菩薩
●お小夜観音菩薩
・狭吾七とおさよの御霊を観音として祀る
集団リンチの末、死んでしまった狭吾七さん。
その後を追って自殺したおさよさん。
仏教的にいえば、自殺すると地獄行きが確定・・・。
だから地獄に行ったであろうおさよさんは、あの世で狭吾七と巡り会えてないと思う。
何の為に死んだのか・・・その事が切なくて切なくて。
とかなんとか、夢も希望もないことを思いつつ・・・。
●お小夜観音菩薩
・明治時代後期作
祠の中には鉄製の観音像が安置されてました。
どうやらこの観音像は八幡製鉄所および従業員が一体となって制作したものらしいです。
●操の松
松の木に縛られて非業の最期を遂げた狭吾七さん。
そしてその後を追ったおさよさんの純愛。
この松は2人の愛の永遠を願って植えられた木なんだって。
ちなみに説明板によると狭吾七さんを縛った松の木は殿内に保存されているそうですよ。
●牛守神社
・天之御中主神・跡田狭吾七命・おさよ命を祀る
仲宿八幡神社は神功皇后ゆかりの地でありますが、非業の死をとげた純愛カップル・狭吾七とおさよのゆかりの地でもありました。
どうやら牛守神社は、狭吾七とおさよの悲しい恋を慰めるために建立された社のようです。
●狭吾七とおさよ
今からおよそ200年前、豊前国・下毛郡の村に狭吾七という若者がいたそうな。
狭吾七は庄屋の家に育ち、早死した父の後を継ぎ、母と2人で暮らしていました。
飢饉の続く中、増税の命を受けた狭吾七は農民の窮状を訴えることに。
しかし『お上の命に背くとは何事か!見せしめのために打ち首にする!』と告げられてしまいました。
狭吾七は役人の追手から逃れるため筑前国・前田へ。
そして、お百姓さんにかくまわれて過ごしました。
その頃、仲宿八幡神社の北側にある観音堂に、巡礼途中のおさよという美しい娘がいました。
おさよは若者達の人気の的となっていましたが、いつしか狭吾七とおさよは恋仲になりました。
そのことを良く思っていなかった若者達は、夏祭りの夜に狭吾七を海岸につれ出しました。
そして狭吾七は牛に引きずられたあげく、松の木にくくりつけられ、たいまつの火で焼き殺されました。
愛おしい狭吾七の死を知ったおさよは生きる力を失い、後を追って自殺しました。
狭吾七の死後、この地区には忌日ごとに火災が発生し、牛が死んでいったという。
村人はこれを狭吾七の怨念とし、2人の霊を弔うための社を建立しました。
それからは、怪火や疫病がなくなったといいます。
完。
今からおよそ200年前、豊前国・下毛郡の村に狭吾七という若者がいたそうな。
狭吾七は庄屋の家に育ち、早死した父の後を継ぎ、母と2人で暮らしていました。
飢饉の続く中、増税の命を受けた狭吾七は農民の窮状を訴えることに。
しかし『お上の命に背くとは何事か!見せしめのために打ち首にする!』と告げられてしまいました。
狭吾七は役人の追手から逃れるため筑前国・前田へ。
そして、お百姓さんにかくまわれて過ごしました。
その頃、仲宿八幡神社の北側にある観音堂に、巡礼途中のおさよという美しい娘がいました。
おさよは若者達の人気の的となっていましたが、いつしか狭吾七とおさよは恋仲になりました。
そのことを良く思っていなかった若者達は、夏祭りの夜に狭吾七を海岸につれ出しました。
そして狭吾七は牛に引きずられたあげく、松の木にくくりつけられ、たいまつの火で焼き殺されました。
愛おしい狭吾七の死を知ったおさよは生きる力を失い、後を追って自殺しました。
狭吾七の死後、この地区には忌日ごとに火災が発生し、牛が死んでいったという。
村人はこれを狭吾七の怨念とし、2人の霊を弔うための社を建立しました。
それからは、怪火や疫病がなくなったといいます。
完。
●お小夜観音菩薩
●お小夜観音菩薩
・狭吾七とおさよの御霊を観音として祀る
集団リンチの末、死んでしまった狭吾七さん。
その後を追って自殺したおさよさん。
仏教的にいえば、自殺すると地獄行きが確定・・・。
だから地獄に行ったであろうおさよさんは、あの世で狭吾七と巡り会えてないと思う。
何の為に死んだのか・・・その事が切なくて切なくて。
とかなんとか、夢も希望もないことを思いつつ・・・。
●お小夜観音菩薩
・明治時代後期作
祠の中には鉄製の観音像が安置されてました。
どうやらこの観音像は八幡製鉄所および従業員が一体となって制作したものらしいです。
●操の松
松の木に縛られて非業の最期を遂げた狭吾七さん。
そしてその後を追ったおさよさんの純愛。
この松は2人の愛の永遠を願って植えられた木なんだって。
ちなみに説明板によると狭吾七さんを縛った松の木は殿内に保存されているそうですよ。
恋占い石
●恋占い石
牛守神社前には、恋占い石がありました。
どうやら、狭吾七さんとおさよさんの御神徳にあやかって作られた占い石のようです。
●恋占い石のルール
①目を閉じてなで石を頼りに進む
②なで石が終わった所から3歩歩いて、正面のたま石を左手でつかむ
※途中で目を開けたら振り出しに戻らないといけません
そんなこんなで、チャレンジしてきました。
中吉でした。う~んこの・・・
ちなみに怖かったので薄目を開けて進みました・・・えへ。
ルールとは・・・(汗)
牛守神社前には、恋占い石がありました。
どうやら、狭吾七さんとおさよさんの御神徳にあやかって作られた占い石のようです。
●恋占い石のルール
①目を閉じてなで石を頼りに進む
②なで石が終わった所から3歩歩いて、正面のたま石を左手でつかむ
※途中で目を開けたら振り出しに戻らないといけません
そんなこんなで、チャレンジしてきました。
中吉でした。う~んこの・・・
ちなみに怖かったので薄目を開けて進みました・・・えへ。
ルールとは・・・(汗)
境内社
●胎石神社
社には石が祀られてました。
神功皇后がこの地に着いた際、この奇石を見て『皇子をはらんだ時の腹に似ている』と言って崇めたそうです!
御神体に触ると安産や奇病の平癒などの御利益があるそうですよ。
御神体の前には、チョメチョメに励む牛が。
これ、どこで売ってるんだろう・・・欲しいなぁ。
●稲荷神社
●稲荷神社
・宇迦之御魂神を祀る
●境内社
●境内社
・奥津島比売命を祀る
1852年、津島神社として大字前田字汲戸(現・八幡製鉄所構内)に祀られたのが始まり。
その後、前田小学校に遷り、1971年に小学校の改築により現在地へ遷座。
●猿田彦の碑①
●猿田彦の碑①
・猿田彦命を祀る
道祖神として祀られてます。
●猿田彦の碑②
●猿田彦の碑②
・猿田彦命を祀る
・1839年創祀
・1987年現在地へ遷座
北九州は道祖神を祀る神社が異常に多いです。
社には石が祀られてました。
神功皇后がこの地に着いた際、この奇石を見て『皇子をはらんだ時の腹に似ている』と言って崇めたそうです!
御神体に触ると安産や奇病の平癒などの御利益があるそうですよ。
御神体の前には、チョメチョメに励む牛が。
これ、どこで売ってるんだろう・・・欲しいなぁ。
●稲荷神社
●稲荷神社
・宇迦之御魂神を祀る
●境内社
●境内社
・奥津島比売命を祀る
1852年、津島神社として大字前田字汲戸(現・八幡製鉄所構内)に祀られたのが始まり。
その後、前田小学校に遷り、1971年に小学校の改築により現在地へ遷座。
●猿田彦の碑①
●猿田彦の碑①
・猿田彦命を祀る
道祖神として祀られてます。
●猿田彦の碑②
●猿田彦の碑②
・猿田彦命を祀る
・1839年創祀
・1987年現在地へ遷座
北九州は道祖神を祀る神社が異常に多いです。
その他
●鳥居③④
●鳥居③
・1707年建立
・明神鳥居
●鳥居④
・1827年建立
・明神鳥居
西口の参道にある鳥居です。
●宝永手水石
●宝永手水石
・1707年作
この石は、1707年に日光東照宮の石大鳥居の額面石として切り出された石なんだって。
しかし船に積みこもうとしたらヒビが・・・。
そんなこんなで、船への積みこみを断念して手水石として奉納されたという!
●前田祇園山笠の碑
●前田祇園山笠の碑
・北九州市の無形民俗文化財
前田祇園山笠とは、仲宿八幡宮に奉納される祇園祭ことで、約800年続く祭りのようです。
その他、境内にはエビスさんとお爺ちゃんの石像がありました。
このお爺ちゃんは、どなたでしょ?
鹿児島県でたまにお見かけする田の神さぁに似てるんだけど・・・違うのかなぁ?
境内は桜が満開でした。
そんなこんなで、先ほどの豊山八幡神社に続き、本日2度目の桜観賞。
もうすっかり春だなぁ。
●鳥居③
・1707年建立
・明神鳥居
●鳥居④
・1827年建立
・明神鳥居
西口の参道にある鳥居です。
●宝永手水石
●宝永手水石
・1707年作
この石は、1707年に日光東照宮の石大鳥居の額面石として切り出された石なんだって。
しかし船に積みこもうとしたらヒビが・・・。
そんなこんなで、船への積みこみを断念して手水石として奉納されたという!
●前田祇園山笠の碑
●前田祇園山笠の碑
・北九州市の無形民俗文化財
前田祇園山笠とは、仲宿八幡宮に奉納される祇園祭ことで、約800年続く祭りのようです。
その他、境内にはエビスさんとお爺ちゃんの石像がありました。
このお爺ちゃんは、どなたでしょ?
鹿児島県でたまにお見かけする田の神さぁに似てるんだけど・・・違うのかなぁ?
境内は桜が満開でした。
そんなこんなで、先ほどの豊山八幡神社に続き、本日2度目の桜観賞。
もうすっかり春だなぁ。
ひと足のばして 有楽映画劇場
●有楽映画劇場
仲宿八幡神社から徒歩数分。
昭和臭プンプンのステキ過ぎる映画館を発見しました。
1954年開業のオトナの映画館です。
1971年頃から日活がロマンポルノ路線に走ると、有楽映画劇場も同じ路線へ。恐ろしいことに1960年頃には八幡だけで約40もの映画館があったそうです!
allways続3丁目の夕日やカーテンコールのロケ地になった映画館なんだって。
どうでもいい話ですが、私の中の昭和遺産に認定させてもらいます!
追伸
なんとーーー!
2019年6月27日に閉館したんだと!
閉館後は解体されるそうです・・・。
また1つ昭和遺産が・・・もったいない。。。
仲宿八幡神社から徒歩数分。
昭和臭プンプンのステキ過ぎる映画館を発見しました。
1954年開業のオトナの映画館です。
1971年頃から日活がロマンポルノ路線に走ると、有楽映画劇場も同じ路線へ。恐ろしいことに1960年頃には八幡だけで約40もの映画館があったそうです!
allways続3丁目の夕日やカーテンコールのロケ地になった映画館なんだって。
どうでもいい話ですが、私の中の昭和遺産に認定させてもらいます!
追伸
なんとーーー!
2019年6月27日に閉館したんだと!
閉館後は解体されるそうです・・・。
また1つ昭和遺産が・・・もったいない。。。
御朱印情報
●御朱印
御朱印は社務所で頂きました。
ちなみに兼務社の乳山八幡神社の御朱印もこちらで頂けます。
御朱印は社務所で頂きました。
ちなみに兼務社の乳山八幡神社の御朱印もこちらで頂けます。